北京冬季オリンピックが開幕しました。
早速わが岐阜県の堀島選手がメダルを取り、わが家でも湧き上がっています。
さて、先日行われた開会式について、二つのことを、今述べておきたいと思い、ひさしぶりに投稿しました。
1.今回の開会式はかなり良かった
北京オリンピックというと思いだすのは、例の2008年夏、悪夢の酷暑4時間の最悪開会式です。
あれを、壮大で、すごかったとか言っている人もいて、全く理解しないというわけではありませんが、
私には、あれほどひどいものはなかった。
①4時間。馬鹿ですか??
アスリートや関係者を、酷暑の中、あんな長時間
「鍛えられているから大丈夫」「野球でも云々」とか言っている人、あんなことに膨大な体力を奪わせて、それでも良いというのでしょうか?
どんなに良いものを涼しい環境で体験していたとしても、たいていは2時間ちょっとが限界です。
何でもかんでも詰め込んで、派手にやって、正気の沙汰とは思えませんでした。
②単なる中国の国威発揚のショー
中国がいかに凄くて、力があるのか
それを延々と見せつけられただけの4時間でした。まあ、おそらくヒトラーがベルリンでやっていたことと同じだったのでしょう
③どこが多民族の共同国家だ??
一番腹が立ったのは、終盤だったか、「中国は多くの民族が共存している国家」を主張しようとして、子どもたちを出演させていました。
少数民族がこんなにいるんだよ、と見せつけようとして、さまざまな民族衣装の子たちが出ていたのですが、
その子たち、全員漢民族。
他の国の方々には、見分けがつきませんから、わからないかもしれませんが、東洋の我々に、わからないはずがない。
オーストラリアで、イギリス人系白人が、アボリジニの衣装を着て踊っているようなものです。
ずいぶんな民族差別行為、民族の誇りの侵害だと思われました。現地の子が出れば済むだけの話なのに。
ですが、今回は、その悪印象を払拭してくれる開会式でした。
時間が短く、コンパクト。主張も一貫している。美しい映像、奇をてらうことや壮大なことにとらわれない構成。
習近平主席が同席していて、よくこんなことできたな、と思わせた、「イマジン、再び」
聖火ランナーの最終走者にウイグルの選手を起用する演出。かつての孫 基禎(ソン・ギジョン)さんのような、複雑な心情を表に出す様子は見られず、
これはこれで一つの主張のように思われました。
まあ中国の掌の上で転がされているだけなのかもしれないが、それでもオリンピック精神は、政治と独立して主張できる場であることを、
国の圧力には負けず、アピールできたのではないか、というのが私の評価です。放送利権という大金には従順なようではありますが。
日本入場の時、やけに盛り上がりに欠けていた、とか、(入場直前に流れていた曲が、例のソフトバンクの白い犬のCM曲だったので、「えっ?中国人が日本に抱くイメージって、あのCMだったの??」などと思ってしまったが、チャイコフスキーくるみ割り人形の、「葦笛の踊り」でした…)
開会式前にPRされていたコロナ対策で、「選手村では、人の手を介さない、ロボットによる調理をしている」と、チャーハン作りロボットの実演を、さも、これが中国の技術ですとでも言いたげに公開していたけど、あれ、日本の冷凍食品作りの機械まるパクリじゃん、と怒ってみたり、はありましたが
私には開会式は好印象でした。
2.東京オリンピックと比べて貶める罪深い人たち
で、世間的にも結構好評だったようです。しかし、こういうときに必ず現れるんですよね、いやーな性格の人たち
半年前の東京オリンピックの開会式と比べて、いかに東京がひどかったかを語りたがる人
この人たちはね、本当に、本当にいただけません。非常に悪質なものを感じます。
確かに考えさせられたところはあります。
日本は、芸術を、なんか変なものとまちがって認識し、主張しようとしてしまっているのではないか?ということ
東京オリンピックの開会式では、いろんなことを主張しようとして、それを、「芸術」という名の、…まあ言ってしまえば、得体のしれない、難解っぽい物にしたがる。
そして、それを、高尚なもの、質の高いものだと自己満足に向かおうとする。
でも、そんなものをオリンピックに求めるのですか?ということ
日本で行われるイベントって、大体、そういう方向に走ろうとしますよね。で、結果はどうですか?
本当は、実は、そうじゃないんじゃないですか?と、最近ようやく日本のみんな、気づき始めているような気がするのです。あれ、本当に、芸術なのでしょうか?そもそも、芸術って何?と。
わかる人にだけすごさが分かればいいという考えは、ともすれば傲慢な自己満足で、もっとへたすれば、醜い物ともなりうる。
それは、そうなのですが。
東京オリンピックの開会式を、偉そうに上から目線で非難している皆さん、一番大事なことを忘れています、ていうか、わざと忘れたふりをしていますよね?
オリンピックの、本当に直前の直前、あなたたちは、何をしましたか?
詳しくは、ここで述べました。以前の記事、
「なぜ、今なんだ?」
あんな状態で中心人物を、「あの時期に」放り出しておいて、「これで清い人たちだけになったから、よい開会式に」
なるわけないでしょ。小学2年生でもわかる理屈だ。
司令塔がいない。積み上げられたものは全部崩された。時間がない。コロナはある。
そんな状況で、むしろ私はよくあれだけの準備期間で開会式にこぎつけたものだと感動すらしました。
内容は手放しで評価できるものではないけど、よく頑張っていました。
もしもあれを「日本人の恥」などというのならば、そういう状況を作ったのは、ネット社会とマスコミの、低いモラル、正義という名の暴力容認主義です。
悪意の世論操作にのこのこと乗ってしまった我々の責任 そういう意味で「日本の恥」というのならば、認めましょう。
注目度がオリンピックほどではなかったパラリンピックの開会式は、けっこうよかった。そりゃそうでしょ。時間も人材もあったのですから。
あのオリンピック直前、何らかの悪意ある力に乗せられて、内部を壊滅状態にしてしまったのは、我々なのです。
関係者やスタッフなどのせいにして自分の罪にも気づかず、偉そうに「あいつら最低」と、再び世論を動かそうとしている悪党たち
騙されてはけません、乗せられてはいけません。そういう人物たちが、何の努力もせず、我々の財産を食いつぶしていくのです。真の悪人とは何か、知っておきましょう。