songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

なんだこの集団圧力の幼稚さ? 達郎さんの名前出せばみんな見に来るもんなあ

2023-07-15 01:09:08 | マスコミ関係
死ぬほど達郎さん関連のレス、記事が林立し、みんな幼稚な正義感と音楽をごっちゃまぜにして騒いでいます

まあ正直非常に気分が悪いのです
味方か敵かで牙向き合ってんじゃねえよってやつ

それじゃ私たちは今後一切ドガの美術品など見てはいけませんし、全部燃やしてしまわなければいけません
モーツアルトの音楽なんか聴いてはいけません 捨てなさい
マイケルジャクソンなんて未来永劫許してはいけません
大瀧さんが尊敬していた以上フィル・スペクターサウンドなど絶対に聞くべきではない。

達郎さんの語りで十分でないところもあったでしょうし、ある程度知っていたけど踏み込んでいなかったことは事実でしょうし、古い体制を引きずっている権威であることは否定しません。
達郎さん本人もある程度わかっていらっしゃると思います。

じゃあどうしろと?

達郎さんの口から、芸能界の性被害を撲滅するように声を上げてジャニーズ事務所を訴え、世間に広める運動をすべきだと?
それはどうかと思うのですけどね

批判的な意見の中でも、理性的な人達の意見の大半は、「やっぱりジャニーズ関係の仕事は今後、しばらく控えていただきたい」でしょうし、そうであってほしいとは思います
でも達郎さんと言う人は、「馬鹿言ってんじゃねえよ、作る縁があったらやるよ」でしょうけどね
ある程度彼のファンであった人ならば、そこまでわかっているはずです。これが山下達郎さんと言う人だと
美化するわけでもないし、普遍的な価値観とも思いませんし、私は肯定も否定もしません。いままでだって、購買者の私が気に入れば買い、気に入らなかった時は買っていなかった、それだけです。

ですが決して、「見損なった、もう買わない、捨てる」などの「宣戦布告&ネガキャン」を大声上げて偉そうに言うような愚かさは許すわけにはいきません

私自身若かった時、気に入っていた音楽家とか、ミュージシャンはたくさんいました。
そして、「よい音楽を作る人に悪い人はいない」とよく言われる言葉に薫陶を受け、そういうものだと信じていました。
ですからその分、尊敬していた音楽家の方にスキャンダル、犯罪があったりすると、自分のアイデンティティーは激しく揺さぶられ、ひどく裏切られた気分になったものです。1度や2度ではありません。
いまだに妻などはお気に入りのミュージシャンが、自信の最も嫌うたぐいの罪を犯したりすると、「もう二度と聴かない」というタイプです。
しかしそれを繰り返す中で私は学んだのです。「違う。」と。
いい音楽と、作ったり表現したりする人物の人格とは、必ずしも一致するばかりではないのです。

現代の芸能界では、その人物の印象というタレント性と売り上げが密接に結びつきがちなので、特に今の40代以下の世代には難しいのかもしれません
だが我々の世代、音楽はもう少し独立性があり、「偉い」ものだったんです。
それはそれ、これはこれ、が、当たり前のものとして、音楽の価値は尊重されていたのです

私見を述べます

私の世代は達郎さんの音楽、サウンドに感銘を受け的人が多い世代です。
でもそのファンの中でも好みはいろいろ分かれているようです。私はアナログ最終期の録音が一番好きなので、特に2010年代以降では正直新曲はあまり聴いておりません。
かといって全然「見限った」「ファンをやめた」「もう聴かない」なんて気持ちにはなりません


現在問題で、犯罪級に悪質なのは、そういう宣言をする「壊し屋」がヒャッハー状態で荒らしまくっていることです。
これを達郎さんのせいにしてはいけません。彼の責任ではありません。「壊し行為」をすることに対して、責任を持っているのでしょうか?
私は聴きたいと思っています。でもこういう執拗な壊し行為により、聴くことが憚れるような風潮が作り出されたとしたら、これは達郎さん本人の責任範疇を超えたところまでの影響に思われます。
要するに、誹謗中傷、名誉棄損です。


次に、性犯罪について

今回は、日本一の権力を握っているジャニーズ事務所の創始者が起こしたとされる性犯罪です。30年以上前から騒がれていました。日本中のマスコミでかん口令が敷かれていたかのごとく、触れてきませんでした。
もう亡くなった方ではありますが、功績は功績、罪は罪。被害者の方の二次被害にならないことに慎重に配慮し、今度こそ「報道すべきところ、報道せずに守るところ」のガイドラインを明言し、
補償と再発防止に努めてほしいと願います。

今回は性的な嗜好がやや特殊に近かったこと、かかわった人物の知名度、影響力など重なり世間から注目を浴びました。

しかし、女性はどうですか?
年端もいかない少女たちが芸能活動のために性的被害にあっている事例をなんとなく想像するに、これは歴史も含めると天文学的な数の例が出てくるに違いありません
もう、今テレビで活躍していらっしゃる人のうち、ベテラン含めほとんどの方になにがしかあったと考えたほうが自然なぐらいの実態が疑われます
広告代理店の過去のいろんな話を聞くにつけ、そう思わざるを得ません。もちろんこれは憶測の域を出ません。
憶測ついでに。日本含め芸能界は、太古の昔から、そういう関係で結構な割合の芸能人が活動してきたと思われます。罪と言えば罪です。現在の価値観だと、許しがたいことは、絶対たくさんあったはずです。
先ほども少し書きましたが、美しいドガの絵など、舞台裏を知ったら悪寒でどうかなりそうな世界です。でも、当時はそれで成り立っていた。

「そういうご褒美でもなけりゃ、こんな仕事やってられっかよ!!」というぐらい理不尽な仕事である可能性も想像してしまいますが、繰り返しますがこれは悪しき昔の価値観
結局ジャニー氏も性的嗜好こそ違えど、そういうところがあったのかもしれません

で、それらを何百年にもわたって調べつくしていく、その覚悟はありますか?? まあ無理ですので、今は少なくとも現在芸能活動に携わっている人の中で、そういう方面のつらい思いで心に傷を負って、誰にも言えずにいる人たちの心の救済が大事かと思われます。
ここで厄介になってくるのが、いわゆる「枕営業」ですね。
チャンスのためならば自らを犯罪レベルの行為にさせてでも、つかみに行っている子たち。それと「泣き寝入り」のことの区別は難しい
かといって罪を「それに乗って手に賭けた大人」ばかりに着せていくのは、まったく根本的解決になりません

芸能関係の各社が、調査には真摯に応じ、予防対策をしっかりと示していく以外ないのかもしれません。広告代理店は、少しは健全になったのでしょうか?

ただね

もしかしたら今後、つまらない芸能界ができていくようになるのかもしれませんよ。
おそらく今唾棄されるレベルで批判されている「古い体制の」世代のお偉いさんも、その前のさらにとんでもない時代を知っているから、現代でも十分まともになっていると思っているはず
「清らかならば何でも優れていて、そしてすべてが許される」それが本当に良い時代なのかどうか

お気を付けください それがはびこるころには巨大な「闇」が暗躍するはずです
確か、「政府を動かせばいい」とか言っている方々がいらっしゃいましたよね
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どんぐり音楽会出演の思い出 その10 エピローグ CBCからまさかの…

2023-07-02 01:03:14 | 音楽
【出演後、学校では】
 テレビ番組に出られたということは貴重な経験だし、今でも「あの時、思い切って動いてよかった」と思える出来事なのですが、当時の自分にとっては微妙でした。
 私は、会場の多くの人たちに失笑を買うようなことをしてしまった。あれが放送されるのだ、と。
 やはり出演するときは我を忘れてうぬぼれてしまうもので、「自分はあの場で大喝采を受けてチャンピオンになり、ヒーローとして収録を終える」ぐらいの気持ちになってしまいます。もちろんそれを人に事前に宣言などしませんが。
 しかし少なくとも自分は思ってもみない失敗をしていて、全然かっこよくなかったのです。放映までの2週間、なんと言えばよいのかわからない気分でした。

 担任の先生は、社会が専門の先生でした。テレビ局の様子、収録の実際など、何かと詳しくみんなの前で発表させようと声をかけてきました。

 大人になるとわかります。今でも、「マスコミ、テレビ局の仕組み」は、5年生の社会の授業で取り扱う重要な単元。それを自分の学級の児童が生で体験してきたというのだから色めき立ちます。100の資料よりも1の生体験。ぜひ学級で披露してほしかったのでしょう。その気持ちは、今では痛いほどわかります。私が担任だったとしても、絶対にそうします。

 ですが、私はプチ傷心状態。そんな大人の事情など分かるわけがありません。おまけに、今調べてわかったのですが、おそらく当日のCBCは、著作権その他の関係から、放送局に入ったらもう写真の撮影は禁止。我が家には当日撮影した写真が1枚も残っておりません。2回前の歌っている写真は、出演後、CBCから郵送されたものです(後で述べます)。
 当日の出来事も、ここまで延々述べてきたほど複雑で、とても簡単にスピーチできるほどまとめることができません。一応学級で簡単に話しましたが、まったく的を射ない話しかできず、担任の先生も肩透かしだったことだと思います。

【2月19日放映当日とその後】
 我が家には、その頃購入したばかりのカセットテープレコーダー(ラジカセではない)があり、それに録音しようということになりました。全部を録っても仕方がないので(?)、自分の歌った部分など一部にしようとしました。ライン録音の機能はありませんでしたので、「生録」です。ですから、録音中は家族みんな、黙って見ていなくてはならず、ちょっとしたストレスでした。(もう残っていないかな…?この時の録音)
 祖母も見てくれて、喜んでくれたように記憶しております。

 ビデオ録画は、当時は一部のお金持ちだけの道楽でした。まだVHSもベータもない、Uマチックと言われる規格のテープと機械で録っていた時代です。クラスに一人だけ持っていた家庭があって、録画をしてくれていました。
 それを学校で見せてくれたかもしれません(そのあたり覚えていないです)。「あげようか?」と言ってくれたようにも覚えています。ですが、うちに「録画できるような機械」を買う財力もなく、確かテープも高価なはず。そんなこんなで、ありがたい申し出ではありましたがお断りしました。VHSテープが一般的になって、我が家でもビデオの機械が買えたのはその6年後のことでした。
 放映翌日、私は少し気まずい思いで学校に行きました。かっこ悪い姿をひけらかしてしまったな、と。
 でも、クラスメイト達はみんなそんなこと気にせず、「よかった。面白かった。狩人と一緒だったね」と、温かい言葉をかけてくれました。
 考えてみれば、自分たちも小学校卒業間近。お互い少しずつ大人な会話ができるようになりつつありました。みんなのねぎらいや温かさが、本当にありがたく、ほっとしたことを覚えています。


【最後に、CBCからまさかの…】
 賞品で頂いたハンバーグの素やカステラなどは、本当にありがたく、どれも美味しかったため、しばらくの間我が家の食卓やおやつの時間を充実させてくれました。以前の予選の時は記念の鉛筆もいただいたように覚えています。また、出演の時にはめていた「どんぐり音楽会」のバッジもそのままいただきました。

 放映されたころでしたか、CBCから封書が届きました。
 ご出演ありがとうございました、という内容のお礼状でした。律儀でこれもありがたく思いました。2回前のところにある写真はこの時同封されていたものです。当日写真撮影は禁止されていたようで、あの写真は局の方から、記念に、ということで頂いたものです。先日実家でアルバムを見ていたら、その写真が挟んであったので、ブログで使わせていただきました。

 そして、そこに、もう1枚の手紙が…
 45年も昔ですのでうろ覚えですが、このような内容でした。

「どんぐり音楽会、出演おめでとうございます。司会の石川進です。あなたの活躍、素晴らしかったですよ(活字なので全員に同じ文書を出したと思われる)。これからの頑張りにも大いに期待します。
 さて、私、キューピーちゃんこと石川進、実は、タレントや司会もしていますが、実はプロの歌手でもあるんですよ(知ってた)。私も歌手として頑張っていますが、みなさんのような新しい時代を背負っていく子たちを、音楽の面でサポートしていきたいという夢も持っているんです。
 もしも、これからも歌の世界で頑張っていきたい、という夢をお持ちならば、私と一緒に夢をつかんでいきませんか?私は今、名古屋を拠点にスクールを開いていて…(事実この4年後に岡崎市に音楽学校を設立なされます)

以下にある案内状を保護者様と一緒にお読みいただき、よろしければご連絡ください。云々…」


 そうです。これは、石川さんの個人的な「スカウト」なのです。

 私も一瞬ミーハーな夢に揺り動かされそうになりましたが、家族は冷静でしたし、自分も声変わりを控えていたし、そんなことのために名古屋に通う気などさらさらないし、どうせこういう通知は出演者全員に送っているし。
 でも正直罪なことをなされる方だと思いました。中学校進学を控えている子どもの不安定な心情のところに、こういう誘惑をかましてくるのは、いかがなものかと。

今までにも述べてきましたが、自分は猛烈な音楽好きだったと思います。音楽を学ぶような環境はほとんど家にはなかったけれど、「もしも歌って生きていくことができるなら」と思うことさえ、少なからずあった少年時代です。そんなところにこんな通知が来れば、やっぱり心はざわつきます。

でもいろんな現実も分かりかけてきていたこの時期。お誘いはありがたかったですが、返信はせず、どんぐり音楽会を含めたこの件は、幕を引きました。


今だったら、どうなのでしょう?
放送局からの郵便に、出演タレントによる個人的な芸能事務所の入所案内なんて、同封することが許されているのでしょうか?しかも、番組ぐるみでやっている感、ありありでした。
あの番組の提供会社の中に、「石川進音楽学校」でも入っているのならばわからなくもない話ですが…おそらく現在こういうことをやったら、コンプライアンス的にアウトだったのでしょうね。

どんぐり音楽会は、その数年後、司会がマイク真木さんに代わって1983年まで続きました。
小学生が歌謡曲を歌うばかりの番組、メディアへの登竜門っぽい印象がどんどん強くなり、番組としての使命を終えたのでしょう。


長々と、すみませんでした。全く自分の記憶を失わないようにするためだけに書いたようなシリーズですので、客観性を欠き、寄り道だらけの駄文となったことをお詫び申し上げます。
でも、こうやって書き残していると、やはり思い出は甘酸っぱく、温かいものだと感じます。
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