songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

思い出し日記~渡部まさみさん~

2007-07-21 23:08:09 | 音楽
60年代中盤生まれの私としては、70年代後半から80年代前半までの音楽に最も影響を受けたことは間違いありません。

で、ときどき、「そういえば、あの曲は?」とか、「あの人は?」と、何の前触れもなく思い出してしまうことがあります。

今日思い出してしまったのが、タイトルの「渡部まさみ」さん。曲名は、「小舟のようにLoving You」1982年6月発売、エピックソニー、というデータが残っています。

当時から好きな曲でした。私は、歌手の皆さんにとっては、あまりうれしくないタイプのファンで、曲が気に入っても、すぐにシングルを買うということはめったにないのです。この曲を聴いたとき私が思っていたことは、「もう2,3曲聴いて、よさそうだったら買おうかな」程度でした。

私の住む、同じ中部地方の歌手だったような記憶があります。きれいな人だった覚えはあるのですが、トップアイドルのようなルックスではなかったと思います。(もう昔過ぎて思い出せません)
名古屋で放送していた夕方の番組「ぱろぱろ」に出演していました。そのときのインタビュー
「今日は、このあとどんな予定が?」に対して、「今日は、もう終わりです。帰ります。」と答えていました。「明日も、ありません」と答えていたかもしれません。つまり、「あまり忙しくない」というニュアンスがもろに伝わるような、アイドルとしては、失格な受け答えではありました。実際にも、業界としての政治力的に、あまり有利な扱いは受けていなかったのであろうと思われます。

以前松田聖子さんのところでも触れましたが、プロダクションでは、その年デビューする歌手の中に、「一押し」「2番手」「3番手以下」という順序が決められています。でも、それは、たくさんのタレントを抱えた、大手、政治力のあるプロダクションでの話です。渡部まさみさんの場合、(勝手な憶測ですみませんが)おそらく規模も政治力も小さいプロダクションから出たのだと思われます。

「ぱろぱろ」出演のときから、妙な違和感を覚えてはいたのですが、その後、彼女は、1枚もシングルを出すことなく、芸能界を去って行ったのではないかと思われます。

「小舟のようにLoving You」は、あんなに魅力的な曲だったし、渡部さんの声も、歌い方もすばらしかったのに、おそらくヒットはしなかったのでしょう。その後、彼女の名前が語られることなく、現在に至ります。
気になった私は、ネットで少し検索してみました。そして、強烈に驚いたことがあります。

「小舟のようにLoving You」作詞、作曲は、なんと尾崎亜美さん。シングルのアレンジは後藤次利さん!さらに、尾崎さんはこの曲が大のお気に入りでセルフカバーまでしており、自分のコンサートのクロージングナンバーとして歌ったこともあるという!!

音楽を、作った人で評価するつもりはありませんが、上の事実から、私の25年前の耳は確かだったと、思わず自画自賛してしまいました。

とすると、あれだけの表現力を持っていた渡部さんが、たった1曲のシングルを残して、しかもまともなデビューキャンペーンも行われることなく、業界から消えていったことが不思議でなりません。何か知っている人がいたら、教えてくださいね。もちろん今は、(年齢的にも私の先輩なので)いいお姉さんになっていることと思われますが。
コメント (7)
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単なる愚痴です。世代へ…

2007-07-15 23:38:38 | ライフ
かつて、中学校に勤めていたことがありました。

その頃は、バブルが崩壊した頃で、どんどん雇用などが厳しくなっていった時代でした。

がんばっても、努力しても、優秀な生徒でも、働ける機関がない。夢も人生設計も立てられない。
ある年までは、その子たちに関する無力感で、非常に心を痛めておりました。

が、ある学年を担任したとき、その考えは変わりました。
非常に、人を「なめきった」、ありていに言えば、「荒れた」学年を、卒業まで担任したのです。

今思い出しても、彼らの価値観に一石を投じることもできずに卒業させてしまったことが悔やまれます。

都合の悪い話は聞かない、人当たりはよさそうだが、お互いの内面には食い込まず、表面では争わず、陰で悪口を言い合う。しかも相当ひどい。クチは達者だが、コモンセンスというものを無視しようとしている。真面目は叩かれ、服装を含め、全て、ゆるんでいることによって自分にむちを打たず、回りから期待されないようにしている。

…表面上は、一部を除き、それなりの中学生活を送っている彼らでしたが、内面はかなりすさんでいました。

こんな甘ったれの生活が続くはずないじゃないか。先輩たちを見てみろよ。非常に厳しい雇用の中で現実と戦っているぞ。
と話しても、わかってもらえるはずがありません。

5年後、彼らが成人式のとき、会場で彼らを見かけました。残念ながら、ほとんど変わっていませんでした。

で、あれから2年。

世の中、求人ラッシュです。当時の私には、7年後の現在を予想する力はなかった。あの学年の子たちは、「生活科元年」いわゆる、本格的なゆとり教育が始まった年の入学生です。

世の中と人をなめきったまま、あの学年の子たちは社会人になっていく。

いやだなあ。あと10年もすれば、あの子たちに日本を託してしまうのか。
…と愚痴ってみました。もちろん、あの学年の全てがあんな状態でなかったことは言うまでもありません。立派な子たち、たくさんいます。

ただ、あれから7,8年たっていますが、やはりあのあたりの世代は、どことなく、自分の都合のために、極力コモンセンスの重要性から逃げている世代のように思えます。まあ、品性と謙虚さががないと言えばしっくりくるかな。

なぜあの世代の子たちに、試練は待っていないのだろう、と、複雑な心境になります。しかし、同時にもっと重要なことに気づきます。

それは私たちの世代です。おそらく、私たちもそういわれてきた世代に違いない。
最も日本中の中学校、高校が荒れた時代に私たち(正確には、少し後輩たち)は育ちました。中学、高校を無法地帯化して責任は取らずに卒業し、大学に入った頃は「女子大生ブーム」。就職すればバブルが待っていて、やりたい放題。

生まれて初めて自分の思うようにならなかったものが、自分の産んだ子ども。子どもにはひどく当たり、入学させたあとは、いわゆる「モンスターなんとか」と呼ばれるような保護者になっている。

責任は取りたがらないから、PTAの役員をやることには、命がけで抵抗する。こんな私たちに、あの子たちは似ているのかもしれません。

さあ、私たちも、「やりにげ散らかし世代」から、「責任もって後始末世代」へと変わっていかなければなりません。そして、世代レベルとして徳を積み、いずれやってくる老後に、人々から愛されるだけの資格をもてるようになりましょう。
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またも情報操作と揚げ足取り祭りか!自分も踊るけど「しょうがない」

2007-07-02 22:59:55 | マスコミ関係
まあ、何というか、あきれましたね。

久間発言「しょうがない」。

何をいったい騒いでいるのだ、と、参考になりそうなサイトをのぞいてみました。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/211450/alltb/

これが本当の発言内容だとしたら。
まず、私の最初の感想は、
「こんな、何が言いたいか全くわからない、国語力の問われるような発言で大騒ぎするんじゃねえよ!」

でございます。

どうにでも解釈できる、いや、正確には、どういう風にも解釈することができない発言であり、これに意味をつけてはいけません。

私は、この発言は、久間氏が、ほとんど脳みそを使わず、頭の中に浮かんだ言葉を適当につなげてみたに過ぎないものだと思います。
ですから、もしも今回、久間氏を非難するとすれば、こんな、脳みそを使わず、論も通らず、意味の伝わらない発言を、公衆の前で平気で話すべきではない!!

と言わなければなりません。

「しょうがない」は、印象的なフレーズではあります。ですから、マスコミの悪意のもと、野党も、被爆地も、あまりにも軽率に乗せられました。

このあまりにも無思考な乗せられ方に対し、私は憤慨しております。
広島は、長崎は、この程度の無価値な発言に対して全精力を費やして抗議しようとしたり、全力で抵抗して座り込みをしようとしたり。

あなたたちが願う「平和への願い」は、そんなにも軽薄なものなのか。

この、内容のない発言に反応してしまうほど、あなたたちの願う「世界平和」は、表面的なものでしかないのか、と、私は本気で問いたい。私は他県民だが、昨年広島で、もう少しまともなことを学んできたつもりだ。

私が長崎、広島の人間だったら、
とにかくマスコミの悪意によって、「原爆投下はしょうがない」などといった、イメージのみを「捏造」といってよいほどスーパーデフォルメして世間に投げかけたことに対し、厳重な警告をしなければならないと思います。

その上で、久間氏に対しては、本当の意図はどこにあるかを問い直し、意味のある発言を求めるべきです。
もしもその時に、原爆投下に対して「否定とはいえない」ニュアンスを感じたとしても、それにヒステリックに反論していては、世界に平和、反核を訴えることは不可能なのです。

相容れない主張を目の当たりにしたとき、どのようにして自らの論と感情を相手に伝えるか。その、最低限の説得術を持たない限り、私たちは世界に向かって平和を訴えることなどできないはずです。

あんな発言ごときで座り込んでいる場合ではないのです。情けない。そんなことでは、絶対に気持ちは伝わらない。逆効果にしかなりません。
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豊かなのに、なんて貧しいのだろう

2007-07-01 13:57:38 | ライフ
 子どもたちと学習していると、昔の偉人とか権力者のことがよく話題になります。

 藤原道長の「この世をば…」や足利義満、金閣寺、豊臣秀吉の「金の茶室」の話題などにやたらに反応してくる児童がいて、
「昔の偉い人は、すごく贅沢なことをしていたんだね」
「私も偉くなりたいな」
「先生(わたしのことです)はそういう人みたいになりたいと思ったことはありませんか」

など、聞いてきます。

そんなとき、私はいつも答えます。「絶対にいやだ。」
例えば義満ならば、夏場に家来に命じて富士山から氷を運ばせて、ひとり涼に入ることができたといいますが、こういっては何ですが、「その程度のこと」が、当時の最高級の贅沢。どれほど黄金に囲まれた秀吉でも、生クリームのケーキひとつさえ食べることのできなかった時代です。

現代の庶民ほど、人類の歴史上、贅沢のきわみを謳歌している人はいないわけです。過去の人たちの英知とたゆまざる努力により、私たちは「この世をば 我が物と思う 望月の…」と言いたくなってしまうほどのぜいを尽くしているといえるでしょう。

これほど豊かな生活を送っていながら、最近、今まで以上によく思うようになったこと。
「桜がきれいに咲いたね。」
「新緑がきれいだね。」
「紅葉狩りができそうだよ。」
「こんな日は、仕事なんか休んで、散歩でもしたいね。」

こんなことを言い続けて、はや20年近く。
ほとんどできずにいます。最近、わかってきました。おそらくこのまま、自分は定年になるまで、こんなささやかな自然を満喫することさえできずに過ごしていくのであろうと。

この、人間にとって一番感受性が鋭く、最も感動をすることができる時期、「美しい自然を味わう」ことさえままならず、老齢を迎えるしかない現実とは何なのか?

運よく休日とよい天気などが重なったとしても、ほとんどの場合は、仕事を引きずったままの休日。(まあ、職種にもよるでしょうが)自分はなんて貧しいのだろうと思ってしまいます。

子どもと一緒に授業をしていると、カブトムシの幼虫がさなぎになったり、あさがおがつるを伸ばして、つぼみをつけたりするのが、本当にひとつひとつ喜びと感動です。もちろん命を失うときの悲しみもあります。
そんな、命の営み、自然や景色の美しさ、季節の移り変わりを感じることがままならない日々の生活には、年を重ねるにつれストレスを感じるようになってきました。なぜ私たちには、こういうものを満喫することが許されないのか。

豊かな生活とはどういうものか、もっと考えていきたいですね。
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