前回の藤原正彦さんの話の中で、もうひとつ聞き逃せないキーワードがありました。
「献身」「謙虚」です。
古臭い言葉です。献身的に、なんて、主体性がなく、盲目的に自らをささげていく気持ち。
およそ現代の気風に合いません。私も正直、苦手です。
しかし藤原さんは言うのです。「献身的な仕事や行いこそが、世界に冠たる日本を作りだしてきた原動力であり、諸外国に先んじていた要素だったのだ。」
「幕末から明治にかけて、ヨーロッパの人たちが日本人の心のありように驚いたことがある。謙虚な態度というのは、イギリスの紳士など、ごく一部の上流階層の人だけが持っていた品格であったからだ。国民的に謙虚さを持つ日本人には驚かされるばかりだった。」
私はその時、あの手塚治虫氏のことを思い出していました。
天才:手塚治虫。
驚くほどのバイタリティーと博学、探究心、もちろん画才。
彼の漫画、アニメへの情熱は自ら湧き出たものに違いありませんが、あれだけの才能をもってすれば、億万長者となって悠々自適の生活が当然できたはずです。
しかし手塚氏は、その国宝級の才能と情熱を、実質上無償に近い形で私たちに分け与えてしまった。
週に一度、30分のアニメ番組「鉄腕アトム」を作った時、手塚本人はじめ、すべての人が、無理だと思ったそうです。それだけの枚数を描くことは人間にはできない。それでも推し進めて、アニメ化させてしまった。制作現場では次々と人が倒れ、本人も倒れ、地獄絵のような状況で、それでも最終回までこぎつけたという。
この実績が、日本中にアニメブームをよび、今日のアニメ大国の大きな礎となっています。海外がなぜ追いつけないか。それは、「こんなに安くてやってられるか」というコストで、日本はやりきっていたからだそうです。これこそ、「献身」以外の何物でもありません。
当の手塚プロは「トリトン」制作後に倒産。掛け値なしで、「儲け度外視の奉仕作業」で仕事をしていたことがわかります。
現在、アニメ製作は、ほとんど韓国、中国人のスタッフで行われています。経済構造は確かに変わりました。しかし、献身的に、情熱に突き動かされて何かを成し遂げようとする人が現れない限り、日本の「次」はないのかもしれません。
「献身」「謙虚」です。
古臭い言葉です。献身的に、なんて、主体性がなく、盲目的に自らをささげていく気持ち。
およそ現代の気風に合いません。私も正直、苦手です。
しかし藤原さんは言うのです。「献身的な仕事や行いこそが、世界に冠たる日本を作りだしてきた原動力であり、諸外国に先んじていた要素だったのだ。」
「幕末から明治にかけて、ヨーロッパの人たちが日本人の心のありように驚いたことがある。謙虚な態度というのは、イギリスの紳士など、ごく一部の上流階層の人だけが持っていた品格であったからだ。国民的に謙虚さを持つ日本人には驚かされるばかりだった。」
私はその時、あの手塚治虫氏のことを思い出していました。
天才:手塚治虫。
驚くほどのバイタリティーと博学、探究心、もちろん画才。
彼の漫画、アニメへの情熱は自ら湧き出たものに違いありませんが、あれだけの才能をもってすれば、億万長者となって悠々自適の生活が当然できたはずです。
しかし手塚氏は、その国宝級の才能と情熱を、実質上無償に近い形で私たちに分け与えてしまった。
週に一度、30分のアニメ番組「鉄腕アトム」を作った時、手塚本人はじめ、すべての人が、無理だと思ったそうです。それだけの枚数を描くことは人間にはできない。それでも推し進めて、アニメ化させてしまった。制作現場では次々と人が倒れ、本人も倒れ、地獄絵のような状況で、それでも最終回までこぎつけたという。
この実績が、日本中にアニメブームをよび、今日のアニメ大国の大きな礎となっています。海外がなぜ追いつけないか。それは、「こんなに安くてやってられるか」というコストで、日本はやりきっていたからだそうです。これこそ、「献身」以外の何物でもありません。
当の手塚プロは「トリトン」制作後に倒産。掛け値なしで、「儲け度外視の奉仕作業」で仕事をしていたことがわかります。
現在、アニメ製作は、ほとんど韓国、中国人のスタッフで行われています。経済構造は確かに変わりました。しかし、献身的に、情熱に突き動かされて何かを成し遂げようとする人が現れない限り、日本の「次」はないのかもしれません。