なんか…
にっぽんって、そろそろこういうのに何か言わなきゃいけない立場なんじゃないですか??
SDGsって、環境問題、ジェンダー、貧困、ぐらいのことを何とかしよう、程度のものかな?と思っていました
そうしたら…すさまじいですね、この中身。ちょっとネットで見ただけで、これでもか!!というほどの膨大な指標
「国連持続可能な開発サミット」が言い出しっぺだそうです。
「17の目標」と「169のターゲット(具体目標)」
私が一番気になったのは、最初に書かれている言葉です
2015年から2030年までの長期的な開発の指針で、「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現を目指しています。そのために2030年を達成期限として定められたのがSDGsで「17の目標」と「169のターゲット(具体目標)」で構成されています。
くらくらっ………っと、めまいがきました
何だこのデジャブ?
二つ思い当たったのです。一つは、うちの娘が昔習っていた、楽器屋さんの音楽コースのことです。
「子供のピアノの先生、とても優しくて子供も気に入っているようなのですが」https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6251445.html
懐かしい 12年も昔の質問回答です。
このコース(j専と言えば、わかる人にはわかる)リンク先の回答にもある通り、
この会社には、昔から、保護者からいろんな要望が寄せられてきました。
「ピアノが上手になるだけでなく、和音も教えるべき。」
「それなら、カデンツも身につけさせるべきだ」
「調性ぐらいわかる耳を育てないといけないでしょ。」
「モチーフとその展開がわかるようにしないと音楽の魅力に迫れるわけがない」
「どうしてクラシック一辺倒なんだ?さまざまな音楽をこなしてこそ本来の音楽教育だろう?」
…
どれもそれなりにもっともで、それらを全部、全部、ぜーんぶ詰め込んで「ほら、これで文句はないでしょ?」にしたのが、このコースなのだと私は解釈しました
という考え方。「全部やればいいんでしょ?」の結果、ごく一部の優秀な子以外、誰もが消化不良になってしまうようなものを提供しています。
もう一つ思い出したのが、20年近く前だったかな??の、学習指導要領改訂
時代は「ゆとり」の真っ最中。その時のうたい文句が
「だれ一人取り残さない、すべての子がすべて理解できる授業を」
だったのです(細かい言葉は違っていますが、まあ、そういうことです)
…もうね、本当にめまいのするようなデジャブですよ
あの頃から思っていました。 「それ、特別支援学級(知的)の児童や、グレーゾーンでもがいている子にも、平気で言えるの??」
理想は素晴らしい。ごもっとも。研究指定校を設置して実行させれば、そりゃ「それなりの成果が出た」とは言いますよ。
それに近いことができる指導力のある先生が優秀なことも分かります。明治図書の「○○は誰にでもできる 法則化運動」も立派ですし、成果もありました。
でも現実、そんなに物事がうまくできるはずないじゃないですか 失敗した実践は一切紹介されませんしね
…で、ゆとりが見直されている今、教育界はだいぶ違う方向性のことを、知らん顔して進めています。
SDGs。よくまとめ上げ、整頓したものだと思います。よく網羅したものだと思います。
とりあえずゴールは8年後。
それなりに成果はその時発表されるでしょう
でも、みんな、とっくに気付いているはずです これのうさん臭さ
あまりにも広すぎる森羅万象っぷりに、何をどうすればいいか途方に暮れてしまう
「できることからやればいいんです」って。本当にいいんですか?と疑いたくなるこの広大さ
ずいぶん達成感のない開発目標のように感じられます。
当然2030年には、「この目標設定で本当に良かったのか?」と疑問も投げかけられ、また新しいプロジェクトが世界中で行われるのでしょう。
いままで愛知万博をきっかけに始めていた「3つのR」とか「モッタイナイ」はどこへ行ってしまったのか?
アイドリングストップとは何だったのか?
電力不足と言っているのに電気自動車?太陽光のパネルを作ってお金も受けている国はどこなの?
SDGsは立派な考え方だけど、そう簡単に若い世代に丸投げして、「ほら、取り組め」と言い捨てられるようなものではないように私は思ってしまうのですが、いかがでしょう?
にっぽんって、そろそろこういうのに何か言わなきゃいけない立場なんじゃないですか??
SDGsって、環境問題、ジェンダー、貧困、ぐらいのことを何とかしよう、程度のものかな?と思っていました
そうしたら…すさまじいですね、この中身。ちょっとネットで見ただけで、これでもか!!というほどの膨大な指標
「国連持続可能な開発サミット」が言い出しっぺだそうです。
「17の目標」と「169のターゲット(具体目標)」
私が一番気になったのは、最初に書かれている言葉です
2015年から2030年までの長期的な開発の指針で、「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現を目指しています。そのために2030年を達成期限として定められたのがSDGsで「17の目標」と「169のターゲット(具体目標)」で構成されています。
くらくらっ………っと、めまいがきました
何だこのデジャブ?
二つ思い当たったのです。一つは、うちの娘が昔習っていた、楽器屋さんの音楽コースのことです。
「子供のピアノの先生、とても優しくて子供も気に入っているようなのですが」https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6251445.html
懐かしい 12年も昔の質問回答です。
このコース(j専と言えば、わかる人にはわかる)リンク先の回答にもある通り、
この会社には、昔から、保護者からいろんな要望が寄せられてきました。
「ピアノが上手になるだけでなく、和音も教えるべき。」
「それなら、カデンツも身につけさせるべきだ」
「調性ぐらいわかる耳を育てないといけないでしょ。」
「モチーフとその展開がわかるようにしないと音楽の魅力に迫れるわけがない」
「どうしてクラシック一辺倒なんだ?さまざまな音楽をこなしてこそ本来の音楽教育だろう?」
…
どれもそれなりにもっともで、それらを全部、全部、ぜーんぶ詰め込んで「ほら、これで文句はないでしょ?」にしたのが、このコースなのだと私は解釈しました
という考え方。「全部やればいいんでしょ?」の結果、ごく一部の優秀な子以外、誰もが消化不良になってしまうようなものを提供しています。
もう一つ思い出したのが、20年近く前だったかな??の、学習指導要領改訂
時代は「ゆとり」の真っ最中。その時のうたい文句が
「だれ一人取り残さない、すべての子がすべて理解できる授業を」
だったのです(細かい言葉は違っていますが、まあ、そういうことです)
…もうね、本当にめまいのするようなデジャブですよ
あの頃から思っていました。 「それ、特別支援学級(知的)の児童や、グレーゾーンでもがいている子にも、平気で言えるの??」
理想は素晴らしい。ごもっとも。研究指定校を設置して実行させれば、そりゃ「それなりの成果が出た」とは言いますよ。
それに近いことができる指導力のある先生が優秀なことも分かります。明治図書の「○○は誰にでもできる 法則化運動」も立派ですし、成果もありました。
でも現実、そんなに物事がうまくできるはずないじゃないですか 失敗した実践は一切紹介されませんしね
…で、ゆとりが見直されている今、教育界はだいぶ違う方向性のことを、知らん顔して進めています。
SDGs。よくまとめ上げ、整頓したものだと思います。よく網羅したものだと思います。
とりあえずゴールは8年後。
それなりに成果はその時発表されるでしょう
でも、みんな、とっくに気付いているはずです これのうさん臭さ
あまりにも広すぎる森羅万象っぷりに、何をどうすればいいか途方に暮れてしまう
「できることからやればいいんです」って。本当にいいんですか?と疑いたくなるこの広大さ
ずいぶん達成感のない開発目標のように感じられます。
当然2030年には、「この目標設定で本当に良かったのか?」と疑問も投げかけられ、また新しいプロジェクトが世界中で行われるのでしょう。
いままで愛知万博をきっかけに始めていた「3つのR」とか「モッタイナイ」はどこへ行ってしまったのか?
アイドリングストップとは何だったのか?
電力不足と言っているのに電気自動車?太陽光のパネルを作ってお金も受けている国はどこなの?
SDGsは立派な考え方だけど、そう簡単に若い世代に丸投げして、「ほら、取り組め」と言い捨てられるようなものではないように私は思ってしまうのですが、いかがでしょう?