「なぜ、今なんだ?」のずるさへの憤り
今度は、小山田圭吾氏です。
なぜ、今なのか???
彼に関する、学生時代のひどいいじめについては、もう10年以上前から、「小山田圭吾」の名前さえ出れば必ずついて回るほどの
有名な話です。
彼がオリンピック、パラリンピックの音楽を担当する話が出た当時も、当然のようにネットではこの話が出て、「いいのか?」で溢れました。
前回までの記事も含め、ネットって、結局、どれほど叫んで拡散していても、世の中には何の影響も及ば差ないんだ、と最近では無力感にさいなまれています。
世論、話題って、いったい誰がコントロールしているんだ?
この歳になっても、わからないことばかりで、やはり我々は、「負け犬の遠吠え」で一生を終わるのか、と考えてしまいます。
なんか話によると、小山田さんを指名した組織の人は、彼の過去のことについて「知らなかった」と
そんなわけあるわけないじゃん、と腹立たしさは収まりません。もしも大真面目にそうだとすれば、それは
目の前で殺人事件が起こっていても、「私は知らなかった」と言い通すレベルの、犯罪級の「知らなかった」です。知らなかったでは絶対に許されないことです。
考えられることは、「なんとなくある程度知っていたけど、ごまかせば何とかなる」という甘すぎる楽観論です。
そう、そして、改めて、「なぜ、今なのか」??
誰かが意図的に、この開会式ぎりぎりの時期に「影響力のある機関に入り込んで」拡散させたとしか考えられません。
自然発生的なタイミングではありません。ならば、なぜ今?
愉快犯に近い、「壊し屋さん」の勝利が陰に感じられて、非常に不快であります。
小山田氏の行っていたことについては、今までにもさんざん非難されていたにもかかわらず、今までは誰も何も言わなかった
再び尋ねます。「なぜ、今なのか?」
この期に及んでオリンピックを壊しておいて、陰で笑う輩
まあ、音楽に携わる人でなければ、小山田氏のしたことについて、本当に知らなかった、という人は多いかもしれません。それは認めるとしましょう。
で、そのいじめの悪辣さに憤る皆さん
すみません
それは、あまりにも、あまりにも遅すぎます。
私に残るのは、一般の人たちの訴えが全く通じない構造になっている世の中へのシステムへの絶望です。
今度は、小山田圭吾氏です。
なぜ、今なのか???
彼に関する、学生時代のひどいいじめについては、もう10年以上前から、「小山田圭吾」の名前さえ出れば必ずついて回るほどの
有名な話です。
彼がオリンピック、パラリンピックの音楽を担当する話が出た当時も、当然のようにネットではこの話が出て、「いいのか?」で溢れました。
前回までの記事も含め、ネットって、結局、どれほど叫んで拡散していても、世の中には何の影響も及ば差ないんだ、と最近では無力感にさいなまれています。
世論、話題って、いったい誰がコントロールしているんだ?
この歳になっても、わからないことばかりで、やはり我々は、「負け犬の遠吠え」で一生を終わるのか、と考えてしまいます。
なんか話によると、小山田さんを指名した組織の人は、彼の過去のことについて「知らなかった」と
そんなわけあるわけないじゃん、と腹立たしさは収まりません。もしも大真面目にそうだとすれば、それは
目の前で殺人事件が起こっていても、「私は知らなかった」と言い通すレベルの、犯罪級の「知らなかった」です。知らなかったでは絶対に許されないことです。
考えられることは、「なんとなくある程度知っていたけど、ごまかせば何とかなる」という甘すぎる楽観論です。
そう、そして、改めて、「なぜ、今なのか」??
誰かが意図的に、この開会式ぎりぎりの時期に「影響力のある機関に入り込んで」拡散させたとしか考えられません。
自然発生的なタイミングではありません。ならば、なぜ今?
愉快犯に近い、「壊し屋さん」の勝利が陰に感じられて、非常に不快であります。
小山田氏の行っていたことについては、今までにもさんざん非難されていたにもかかわらず、今までは誰も何も言わなかった
再び尋ねます。「なぜ、今なのか?」
この期に及んでオリンピックを壊しておいて、陰で笑う輩
まあ、音楽に携わる人でなければ、小山田氏のしたことについて、本当に知らなかった、という人は多いかもしれません。それは認めるとしましょう。
で、そのいじめの悪辣さに憤る皆さん
すみません
それは、あまりにも、あまりにも遅すぎます。
私に残るのは、一般の人たちの訴えが全く通じない構造になっている世の中へのシステムへの絶望です。