久々の休日です。
体調は一進一退です。でも、割合によいので、こうやって書きこみをしています。
本日、TBSが頑張って番組をやっています。見ていたら、新沼謙治さんが出演していらっしゃいます。
一視聴者の失礼な上から目線ながら、この方がここまですごい存在になるとは、想像もしていませんでした。
まず、声が今でもよく出ます。
よほどの自己管理をしない限り、声を出し続けることを仕事とする歌手が、よい声を維持することは至難の業で、40年近く保つというのは、過去のどのような偉大な歌手でも不可能に近かったことです。
良い曲もたびたび発表されるし。
4年ちょっと前。2010年に、我々家族は花巻、遠野など、岩手県に旅行しました。レンタカーで東北道を走りながら、ラジオを聴くと、新沼さんがDJをやっていらっしゃいました。
大変に暖かく、明るい人柄が伝わってきました。
これも35年近く前になると思いますが、亡母とともに芸能人のドッキリ番組を見ていました。その日のターゲットは新沼さん。内容は、詐欺か何かで騙されて、新沼さんの財産がなくなり、いきなりできてしまった借金を返さなければならない事態になった、という(?あいまいな記憶)ドッキリ内容。そこで新沼さんが言ったひとりごと
「どうしよう…土地も全部売らないといけないのかなあ」というのが流れて、母は、
「この人はなんて実直でまじめな人なんだろう」と感動していました。詳しい内容は昔すぎて覚えていませんが、母によると、テレビの悪ふざけで騙すにはあまりにもまっすぐすぎる、ある意味タレント向きではないぐらいのピュアな人柄だったそうです(自分も子供だったのでそのあたりの微妙なところはわかりません)。
知る人ぞ知る、かもしれませんが、そんな新沼さんが、「ふるさとは今もかわらず」という曲を発表されました。
この曲が生まれた経緯を探っていくと、何かと胸に詰まるものがあります。
私は、被災地が地元である新沼さんが、地元のために何かできないか、という程度の気持ちで発表したものだと思っていましたが、実際には、深い思いがあったことがわかります。
しかし、私がこれを初めて聞いたときは、そんな知識もなく、「被災地の歌手が合唱団と一緒に歌うパターンか」ぐらいに思っていました。
聴いてびっくりしました。
これは違う。
一番驚いたことは、新沼さんが、「演歌」で歌っていないこと。
柔らかく、こぶしをつけず、新沼節を全部捨ててしまって、いわゆる「合唱」の声で歌っていらっしゃること
「川はだれのもの」っぽい、なじみやすい旋律と言葉、声域が考えられた、秀曲でした。
著名な歌手、ミュージシャンが、合唱曲、校歌、地元のメッセージソングなどに手をかけた例を、私はたくさん耳にしてきました。
非常に失礼ながら、9割以上は落胆してきました。
みんなで歌うために作られた曲なのに、ほとんどは、そのミュージシャンのにおいがプンプンしすぎて、
また、そのミュージシャンが歌わないとその味が出ないようなメロディー運びで
なんだかんだ言ってそのミュージシャンが表に出過ぎている曲ばかりだったからです。
でも「ふるさとは今もかわらず」は違うんです。
誰が歌ってもよい、難しくない。
で、もちろん新沼さんがその声で歌われると、ますます輝く。
これだけの地位を築いてきたプライドある演歌歌手が、ここまで自分のスタイルを捨て去ってしまう。なぜそんなことができるのか
それでいて、ここまで輝く歌にしてしまう恐るべき歌唱力
新沼さんの人柄と、人生と、この秀曲。すべてが一本の線でつながるのです。
楽譜、買ってみようかな、と、今考えているところです。