@halu1224 小田さん、何を買いに来たのだろう?と、今、かみさんとともに討論中。孫へのプレゼントなのか?そもそも子どもはいるのか?自分のためなのか?謎は深まるばかりです
— songbook (@fsinji) 2017年12月25日 - 20:09
天使はどこにいる?【五十路越えの男が歌いながら考えた】
動画コメント欄にも書きましたが、初めはこの歌を、「男の歌だろう」という気持ちで歌い始めました。
それでよいのだと思います。
でも、途中の「それぞれの目的がぶつかる道は ただまっすぐ歩くことも息苦しくなる」あたりから、「おや?」という気持ちになりました。
これを歌う二人fairy w!inkは、HKT48の二人、荒巻さんと運上さんです。今年のじゃんけん大会で優勝して勝ち取ったシングル曲です。
正直、世間的にはまだまだ日の目を見ない(一部ではだいぶ人気のようですが)二人です。
数百人も在籍するAKBグループ。彼女たちはみな微妙な年ごろで、アイドルをしながら、常日頃自分の進路を考えています。
こんなに一生懸命毎日練習し、歌って踊ってタレント活動をしている私たちに、
白羽の矢が立つときはあるのか。
アイドルとして認めてもらえる日は来るのか
頑張ったことが報われ、愛される日は来るのか
時間の限られている彼女たちに、報いがない場合、残念ながらその舞台を退かなければなりません。
ひそかにチャンスを待ち続けている彼女たちの心。
「天使はどこにいる?」は実は彼女たちの、声に出せない悲痛な叫びだ…
と解釈すると、すべてのことに合点が行くのです。
男性の歌詞の装いの中に隠れる、真のテーマは彼女たちの叫び
そう解釈して聴いてみてください。また、オリジナルMVの彼女たちも素晴らしいです。
動画コメント欄にも書きましたが、初めはこの歌を、「男の歌だろう」という気持ちで歌い始めました。
それでよいのだと思います。
でも、途中の「それぞれの目的がぶつかる道は ただまっすぐ歩くことも息苦しくなる」あたりから、「おや?」という気持ちになりました。
これを歌う二人fairy w!inkは、HKT48の二人、荒巻さんと運上さんです。今年のじゃんけん大会で優勝して勝ち取ったシングル曲です。
正直、世間的にはまだまだ日の目を見ない(一部ではだいぶ人気のようですが)二人です。
数百人も在籍するAKBグループ。彼女たちはみな微妙な年ごろで、アイドルをしながら、常日頃自分の進路を考えています。
こんなに一生懸命毎日練習し、歌って踊ってタレント活動をしている私たちに、
白羽の矢が立つときはあるのか。
アイドルとして認めてもらえる日は来るのか
頑張ったことが報われ、愛される日は来るのか
時間の限られている彼女たちに、報いがない場合、残念ながらその舞台を退かなければなりません。
ひそかにチャンスを待ち続けている彼女たちの心。
「天使はどこにいる?」は実は彼女たちの、声に出せない悲痛な叫びだ…
と解釈すると、すべてのことに合点が行くのです。
男性の歌詞の装いの中に隠れる、真のテーマは彼女たちの叫び
そう解釈して聴いてみてください。また、オリジナルMVの彼女たちも素晴らしいです。
「化石山」という児童小説は、私にとって特別なものとなりました。
ノンフィクションの部分を交えたフィクション。フィクションの中に真実を見つけるべき小説
大人になって改めて読み、また違ったテーマを突きつけてきた本でした。
私の両親は戦争時、父は静岡の西部、工業地帯の街。母は岐阜県東濃の田舎で(化石山の舞台からは離れています)それぞれ少年少女時代を過ごしていました。
親二人にして、戦争体験が結構違うのです。
父の地方ではしょっちゅう空襲があり、以前書いたこともありましたが避難時にすぐ背後でクラスメイトが爆弾で吹っ飛ぶような体験をしており
そのくせ生き延びて戦後を迎えると、典型的なギブミーチョコレート風景を見てきたそうです。もっとも父の家は八百屋だったので食料は何とかなっていたそうですが。
対する母は、ひもじいながらも戦災とは無縁な地域。疎開で人は多かったけど幼かったので詳しいことまでは知らず。
空襲の避難訓練はしたものの、一度も空襲はなく、農家中心の地域で「ひもじい」とは言ってもたかが知れていたとのこと。
水木しげるさんのコミックエッセイ「従軍慰安婦」など見ると、彼らの生々しい体験が伝わってきます。
威張っていて殴り続けてくる上等兵も、同じ人間として淡々とつづっています。
これも間違いないのでしょう。
しかし、地方によっては、また立場によっては、それほど劣悪でない戦地で過ごした「戦争体験者」もいたでしょう
後の世になって世の中に発言権を持つようになった人の中には、偏見もあるかもしれませんが、そっち方面の「戦時」を体験していて、
「強制連行された従軍慰安婦などなかった、本人たちが志願しただけだ」「ありゃ売春婦だった」という人も多いと思われます。
でも、水木さんのような現場を体験した人も当然いたわけで。
要は、一言で戦争体験と言っても、実は本当に多様だったということです。
全部が本当とは言えないし、全部が嘘ともいえない。
「化石山」での事実は悲惨で、「日中不再戦の碑」というものが今瑞浪インター近くの化石山一角に立っていて、毎年9月には慰霊の行事が行われています。
しかし厳密には「日中韓」かな?とも思ったりしますが、当時は日本の支配下でしたから…
それでもここでの悲劇は半年と続いていませんでした。
わずか半年間の「立ち入り禁止区内のできごと」でありながら、その惨状は地域の人にも察することができたらしく、こっそり芋を差し入れに行った同地区住民の記録も残っています。
もちろん当時としては「叱られた」事案としての記録でしたが。
きっとほかの地区では、それ以上の長い期間、惨劇が繰り返された地域もあったのだと思います。
なんという悲しい現実
私たちが「直視すべき」戦争の一面であります。
しかし私が「化石山」で感じたことは、「戦争は悪い、日本人はひどいことをした」「反省をしなさい」「戦争など決してしてはいけない」などという
薄っぺらいキャンペーンメッセージとは、何かが違っていたのです。
私が感じたのは、「もっと学べ」でした。
罪を知りつつも、我々は立ち止まるべきではない。多様な戦争の要素をもっとつまびらかにしつつ、相手の痛みを知る人間になること。
そして次の世代には、恨みではなく、希望を引き継いでいくのだ。と。
「化石山」は、昭和47年(日中国交再会、沖縄復帰の年です)、間もなく中央道瑞浪インターが完成し、
この悲惨な山の工事で取れた膨大な化石から、「化石博物館」がもうすぐできるんだ、そしてこのあたりは、市民の憩いの公園として生まれ変わっていくんだよ、という
会話で締めくくっています。
あれから40年。
まさに予言されたとおりの風景が、今その現場に広まっています。
しかし現在、いびつな財団による広報活動によって、印象操作を伴った、妙な「戦争の時代、歴史を直視せよ」運動が起こっています。
韓国の少女像など、その最たる例です。
知らなければいけません。「それがすべてではない」「それを全てにしてはいけない」「その反対もすべてにしてはいけない」「その向こうに何を望むのか」
化石山で生き延びた外国の方々は教えてくれました。地元を「お礼をしながら」回った後帰国したというのです。
私たちは、人間としてつながっているということです。
ノンフィクションの部分を交えたフィクション。フィクションの中に真実を見つけるべき小説
大人になって改めて読み、また違ったテーマを突きつけてきた本でした。
私の両親は戦争時、父は静岡の西部、工業地帯の街。母は岐阜県東濃の田舎で(化石山の舞台からは離れています)それぞれ少年少女時代を過ごしていました。
親二人にして、戦争体験が結構違うのです。
父の地方ではしょっちゅう空襲があり、以前書いたこともありましたが避難時にすぐ背後でクラスメイトが爆弾で吹っ飛ぶような体験をしており
そのくせ生き延びて戦後を迎えると、典型的なギブミーチョコレート風景を見てきたそうです。もっとも父の家は八百屋だったので食料は何とかなっていたそうですが。
対する母は、ひもじいながらも戦災とは無縁な地域。疎開で人は多かったけど幼かったので詳しいことまでは知らず。
空襲の避難訓練はしたものの、一度も空襲はなく、農家中心の地域で「ひもじい」とは言ってもたかが知れていたとのこと。
水木しげるさんのコミックエッセイ「従軍慰安婦」など見ると、彼らの生々しい体験が伝わってきます。
威張っていて殴り続けてくる上等兵も、同じ人間として淡々とつづっています。
これも間違いないのでしょう。
しかし、地方によっては、また立場によっては、それほど劣悪でない戦地で過ごした「戦争体験者」もいたでしょう
後の世になって世の中に発言権を持つようになった人の中には、偏見もあるかもしれませんが、そっち方面の「戦時」を体験していて、
「強制連行された従軍慰安婦などなかった、本人たちが志願しただけだ」「ありゃ売春婦だった」という人も多いと思われます。
でも、水木さんのような現場を体験した人も当然いたわけで。
要は、一言で戦争体験と言っても、実は本当に多様だったということです。
全部が本当とは言えないし、全部が嘘ともいえない。
「化石山」での事実は悲惨で、「日中不再戦の碑」というものが今瑞浪インター近くの化石山一角に立っていて、毎年9月には慰霊の行事が行われています。
しかし厳密には「日中韓」かな?とも思ったりしますが、当時は日本の支配下でしたから…
それでもここでの悲劇は半年と続いていませんでした。
わずか半年間の「立ち入り禁止区内のできごと」でありながら、その惨状は地域の人にも察することができたらしく、こっそり芋を差し入れに行った同地区住民の記録も残っています。
もちろん当時としては「叱られた」事案としての記録でしたが。
きっとほかの地区では、それ以上の長い期間、惨劇が繰り返された地域もあったのだと思います。
なんという悲しい現実
私たちが「直視すべき」戦争の一面であります。
しかし私が「化石山」で感じたことは、「戦争は悪い、日本人はひどいことをした」「反省をしなさい」「戦争など決してしてはいけない」などという
薄っぺらいキャンペーンメッセージとは、何かが違っていたのです。
私が感じたのは、「もっと学べ」でした。
罪を知りつつも、我々は立ち止まるべきではない。多様な戦争の要素をもっとつまびらかにしつつ、相手の痛みを知る人間になること。
そして次の世代には、恨みではなく、希望を引き継いでいくのだ。と。
「化石山」は、昭和47年(日中国交再会、沖縄復帰の年です)、間もなく中央道瑞浪インターが完成し、
この悲惨な山の工事で取れた膨大な化石から、「化石博物館」がもうすぐできるんだ、そしてこのあたりは、市民の憩いの公園として生まれ変わっていくんだよ、という
会話で締めくくっています。
あれから40年。
まさに予言されたとおりの風景が、今その現場に広まっています。
しかし現在、いびつな財団による広報活動によって、印象操作を伴った、妙な「戦争の時代、歴史を直視せよ」運動が起こっています。
韓国の少女像など、その最たる例です。
知らなければいけません。「それがすべてではない」「それを全てにしてはいけない」「その反対もすべてにしてはいけない」「その向こうに何を望むのか」
化石山で生き延びた外国の方々は教えてくれました。地元を「お礼をしながら」回った後帰国したというのです。
私たちは、人間としてつながっているということです。
化石山の話題は重いしローカルなので、ちょっと一息。
だいぶ以前、みかちぃ佐伯美香さんのことをいろいろ書かせていただきました。
現在はAKS?AKBG関係の運営をしていらっしゃいます。
今年は3期生公演で柏木さんと「てもでも」の生歌公開、そしてなんと4期生公演では
これもまた伝説の「涙の湘南」を歌われたという
個人的にも嬉しい年でした。まさにプレイイングマネージャー、「代打オレ」。
ただ、運営の中でもある程度責任ある仕事を任されつつある今、アイドル本人たちと運営のはざまで、いろいろ難しいことをたくさん押し付けられているのではないか、と心配しています。
私がやりたかった仕事はこれなのか、プロデュースしたいアイドル像はこれだったのか?と、
そりゃ青二才の理想像かもしれないけど。
全く関係のない我々がはたから見ていても、内部の壮絶さは容易に想像される昨今です。今後どうしていけばいいのか。
だれも責任あることを言ってくれない、言葉は悪いが泥舟状態のような彼女たち。本当に心配です。
いい曲は今でもたくさん出ているのにね。
そんな中、卒業を控えた渡辺麻友さんと、相方の柏木さんとのインタビューが掲載されました。
http://natalie.mu/music/pp/akb48_03
この内容が、まさにかつて私が佐伯美香さんについて述べていた内容にぴたりと一致していて、手前味噌でお恥ずかしいのですが、紹介させていただきました。
特に、
渡辺 失ったものは、はっきりしています。「人としての感情」。
柏木 つらっ! しんどっ!(笑)
渡辺 失ったと言うか……自らなくしたと言ったほうがいいかもしれない。AKB48の中にいると本当にいろんなことが日々起きて、それを全部まともに受け止めたら、心が壊れちゃう。それで、どうするか考えたときに「そうだ! 感情をなくせばいい!」って気付いたんです。その日から感情をオフにしました……自分で話していても「つらっ!」って感じになるけど(笑)。
柏木 でも、私も同じだな。一度、この話はしたことあったよね。「2人共同じだね」って。
──「感情をなくす」というのは、アンチの意見を聞かないとか?
渡辺 うーん……私の場合、そこはまだいいんです。最初から見ないようにしているから。大組閣(※チーム間や姉妹グループの移動を伴う異動)がいい例ですけど、AKB48って急に大きなことがドーンと決まっていくじゃないですか。巻き込まれるメンバーとしては、たまったものじゃないんです。いちいち真面目に向き合っていたら、本当に心がどうにかなっちゃうので。逆に言うと、感情をなくしたからこそ11年間もAKB48を続けてくることができました。
のくだりです。
私はまだみかちぃが戻ってこなかった2013年「それではみかちぃが戻ってこなかったのは?」の記事
http://blog.goo.ne.jp/songbook/e/815f2f73789d7d5a0a4896eeb1d29696
で、
基本的に私の結論としては、「よくも悪しくも、佐伯美香という人は、一般常識人としての価値観を捨て去り切れない人だった」という説を持っています
一時期私はゆきりんこと柏木さんの動向を中心にAKBの動きをネットでおっていた時期がありましたが、本当に、普通の人間の感覚を持っていたら、とても勤まる仕事ではないな、と思いました。エベレストに登山していて、帰り道に同行していた仲間が力尽きて凍死したら、その屍をふんずけながら下山して、無事に登頂したことを喜ぶ、ぐらいのことが日常茶飯事で行われている世界です。そんな中で毎日ニコニコと仕事をしているわけです。
と書いています。
予想していたこととはいえ、本人たちの口から直接告白されると、本当にすごい修羅場をくぐっているのだろうな、と思います。
そして彼女たちが、24時間体制で「人間としての感情」を取り戻すことができた時
そのときが、AKBGを去る時なのだと思います。
本人たちはそうするしかないのでしょう
でも、それを見ている私たちまでが、それでよいのでしょうか?
なんか、もっと、お互いが幸せになる方法はないのでしょうか?
そのバランス位置を見出していくことこそ、本来「責任者」が示していくべきことだと思うのですが、肝心な責任者が存在しないAKBG。
このグループが崩壊した後の荒野状態は、想像するだけで恐ろしいです。
だいぶ以前、みかちぃ佐伯美香さんのことをいろいろ書かせていただきました。
現在はAKS?AKBG関係の運営をしていらっしゃいます。
今年は3期生公演で柏木さんと「てもでも」の生歌公開、そしてなんと4期生公演では
これもまた伝説の「涙の湘南」を歌われたという
個人的にも嬉しい年でした。まさにプレイイングマネージャー、「代打オレ」。
ただ、運営の中でもある程度責任ある仕事を任されつつある今、アイドル本人たちと運営のはざまで、いろいろ難しいことをたくさん押し付けられているのではないか、と心配しています。
私がやりたかった仕事はこれなのか、プロデュースしたいアイドル像はこれだったのか?と、
そりゃ青二才の理想像かもしれないけど。
全く関係のない我々がはたから見ていても、内部の壮絶さは容易に想像される昨今です。今後どうしていけばいいのか。
だれも責任あることを言ってくれない、言葉は悪いが泥舟状態のような彼女たち。本当に心配です。
いい曲は今でもたくさん出ているのにね。
そんな中、卒業を控えた渡辺麻友さんと、相方の柏木さんとのインタビューが掲載されました。
http://natalie.mu/music/pp/akb48_03
この内容が、まさにかつて私が佐伯美香さんについて述べていた内容にぴたりと一致していて、手前味噌でお恥ずかしいのですが、紹介させていただきました。
特に、
渡辺 失ったものは、はっきりしています。「人としての感情」。
柏木 つらっ! しんどっ!(笑)
渡辺 失ったと言うか……自らなくしたと言ったほうがいいかもしれない。AKB48の中にいると本当にいろんなことが日々起きて、それを全部まともに受け止めたら、心が壊れちゃう。それで、どうするか考えたときに「そうだ! 感情をなくせばいい!」って気付いたんです。その日から感情をオフにしました……自分で話していても「つらっ!」って感じになるけど(笑)。
柏木 でも、私も同じだな。一度、この話はしたことあったよね。「2人共同じだね」って。
──「感情をなくす」というのは、アンチの意見を聞かないとか?
渡辺 うーん……私の場合、そこはまだいいんです。最初から見ないようにしているから。大組閣(※チーム間や姉妹グループの移動を伴う異動)がいい例ですけど、AKB48って急に大きなことがドーンと決まっていくじゃないですか。巻き込まれるメンバーとしては、たまったものじゃないんです。いちいち真面目に向き合っていたら、本当に心がどうにかなっちゃうので。逆に言うと、感情をなくしたからこそ11年間もAKB48を続けてくることができました。
のくだりです。
私はまだみかちぃが戻ってこなかった2013年「それではみかちぃが戻ってこなかったのは?」の記事
http://blog.goo.ne.jp/songbook/e/815f2f73789d7d5a0a4896eeb1d29696
で、
基本的に私の結論としては、「よくも悪しくも、佐伯美香という人は、一般常識人としての価値観を捨て去り切れない人だった」という説を持っています
一時期私はゆきりんこと柏木さんの動向を中心にAKBの動きをネットでおっていた時期がありましたが、本当に、普通の人間の感覚を持っていたら、とても勤まる仕事ではないな、と思いました。エベレストに登山していて、帰り道に同行していた仲間が力尽きて凍死したら、その屍をふんずけながら下山して、無事に登頂したことを喜ぶ、ぐらいのことが日常茶飯事で行われている世界です。そんな中で毎日ニコニコと仕事をしているわけです。
と書いています。
予想していたこととはいえ、本人たちの口から直接告白されると、本当にすごい修羅場をくぐっているのだろうな、と思います。
そして彼女たちが、24時間体制で「人間としての感情」を取り戻すことができた時
そのときが、AKBGを去る時なのだと思います。
本人たちはそうするしかないのでしょう
でも、それを見ている私たちまでが、それでよいのでしょうか?
なんか、もっと、お互いが幸せになる方法はないのでしょうか?
そのバランス位置を見出していくことこそ、本来「責任者」が示していくべきことだと思うのですが、肝心な責任者が存在しないAKBG。
このグループが崩壊した後の荒野状態は、想像するだけで恐ろしいです。