どなただったか、つぶやいていました。
「安倍元首相、亡くなってからこんなに日数を空けて国葬にしよう、としたのは、案外岸田さんの差し金なんじゃない?」
言いえて妙にも感じられました。
わかっていたんですよ。本日執り行われているエリザベス元女王の国葬のように、崩御後数週間を待たずしてあれだけの国葬を実現してしまうイギリス
実際に大変なお方だったし、有無を言わせない執り行うスピード、手際の良さ。
理想的な展開です。
対して日本は…と比べると、どこかの下衆な人と同じと思われるのもしゃくですが、
でも、国葬を行う会場の予約が取りにくいのが日本なんですよね 武道館なんて、ずっとスケジュール埋まっていて、臨時の使用なんてとても認めてもらえないような状態
むしろ、一大事とはいえ、よく融通が利いたものだと感心してしまう 教会やお寺、というお国柄でもないし
神社だといろいろ言われてしまうところがこの国の宗教学の浅さの露呈で、これも痛しかゆしというところ
スケジュール調整でも馬鹿みたいに気を遣うのが日本だし だから時間を取ったのでしょう そう考えたい
でも、こうやって時間の「空き」を作ると、どこからともなく「国葬反対」がまるで正義の断定でもあるかのごとく湧き上がって、混乱に陥れる
岸田さんには、それが分かっていたんじゃないか?と、どなたかつぶやいていたんですよ。なんだか信じたくなっちゃう説です。
その狙いは、自民党内での安倍派の弱体化 悪い評判を膨らませれば、党内での影響力も落ち、自分たちの派閥に有利に働くという
とはいえ、これは自民党の立場を弱くするという諸刃の剣でもあるので、まゆつばでもあるのですけどね
ということで、時間が空いていることで、どんどん安倍氏の国葬についてネガティブな意見がマスコミにはびこり、
あたかも世論は、安倍氏の国葬は悪いことである、という世論に誘導していこうとしているようです。
見事なデジャブでしょ? オリンピックと。
だから前から言っているんです。やるならやっちゃいなさいよと。そのあと、問題点、膿を出していって、より良い方向をみんなが考えていけばよい。
オリンピックは、遅ればせながら、その膿が出始めているようです。もちろん私にはトカゲのしっぽ切りのようにしか見えません。氷山の一角ですらない。
あれだけ苦労させておいて、IOCが少しも赤字になっていないってどういうこと?そりゃみんな、役員がやめられないわけだわ。
でもそれはそれとして。
私は今でも忘れられません。あの東京オリンピックの、苦渋の中でぎりぎりたどり着いた、へんてこな開会式。
よくあそこまでつぶされまくって、開会式にこぎつけたものだと頭が下がります。
今マスコミやネットのヒャッハーたちがやっていることは、あの時と同じことです。
とにかく、潰したい。つぶすためならば、手段は選ばない。あのリーダーは、昔ああいうことをした人だ。
正義ならば、すべてがうまくいく。ちょっとでも傷があったら、徹底的につぶす。
今の日本で天下を取ってしまったのは、「自分では何一つ作らない、つぶし屋さん」です。驚くほど信者が集まり、精力的に行動します。
精力的と言ったって、少しも建設的な活動はしません。今後日本は、何一つできなくなっていくような気がしています。
話を国葬に戻しますと、
1.マスコミが、「安倍元首相ならばどんな罵詈雑言いじめも正当化される」という洗脳をしてしまった
2.今後、二度と「国葬」は行われなくなるだろう
ということを考えています。
「じゃあ、どういう人ならば(もちろん具体的に人名をあげて)国葬にできるんだよ?」と、今の状況で答えられる人、いますか?
基準を設ける、なんて言っていますが、そんなものは、「スカートは膝の下何センチ」とまったく同じ意味で、ナンセンス極まりない
「国民が選んだ」内閣の判断しかないでしょ?でも、それすらつぶそうとしているのが、現在最大勢力である、マスコミを含めた「つぶし屋」なのです。
だから言うんです。何のことはない、単に安倍さんが嫌いなだけなのではないか?洗脳された状態で。
これで、スーパーアイドルのような人(スケートの羽生さんレベル)のような人だったら、「ぜひ、国葬に」という流れに持って行ってしまいそうなのが、現在の日本人なのでは?と勘ぐってしまいます。
こんなことやっていると、必ずすきをついて、第二の専制君主に乗っ取られてしまうのが落ちだと思うのですけどね。
超乱暴に書けば、戦前も似た流れだったのです。
・世の中が混乱している。国政はもたもたして動かない。建設的に進まない「話し合い」の時代が続く
・「ごちゃごちゃ言っていないで、行動しろ!」と、行動力だけはある軍部に人気が集まる。
・ある程度までは成果があり、国民を引っ張っていってくれる。
・異分子の抹殺が始まり、ファシズムに流れる。
つぶし屋、ではなく、建設的な話し合いで、動き、作り上げていくことが、民主主義の生き残る道であると、私は考えています。
「安倍元首相、亡くなってからこんなに日数を空けて国葬にしよう、としたのは、案外岸田さんの差し金なんじゃない?」
言いえて妙にも感じられました。
わかっていたんですよ。本日執り行われているエリザベス元女王の国葬のように、崩御後数週間を待たずしてあれだけの国葬を実現してしまうイギリス
実際に大変なお方だったし、有無を言わせない執り行うスピード、手際の良さ。
理想的な展開です。
対して日本は…と比べると、どこかの下衆な人と同じと思われるのもしゃくですが、
でも、国葬を行う会場の予約が取りにくいのが日本なんですよね 武道館なんて、ずっとスケジュール埋まっていて、臨時の使用なんてとても認めてもらえないような状態
むしろ、一大事とはいえ、よく融通が利いたものだと感心してしまう 教会やお寺、というお国柄でもないし
神社だといろいろ言われてしまうところがこの国の宗教学の浅さの露呈で、これも痛しかゆしというところ
スケジュール調整でも馬鹿みたいに気を遣うのが日本だし だから時間を取ったのでしょう そう考えたい
でも、こうやって時間の「空き」を作ると、どこからともなく「国葬反対」がまるで正義の断定でもあるかのごとく湧き上がって、混乱に陥れる
岸田さんには、それが分かっていたんじゃないか?と、どなたかつぶやいていたんですよ。なんだか信じたくなっちゃう説です。
その狙いは、自民党内での安倍派の弱体化 悪い評判を膨らませれば、党内での影響力も落ち、自分たちの派閥に有利に働くという
とはいえ、これは自民党の立場を弱くするという諸刃の剣でもあるので、まゆつばでもあるのですけどね
ということで、時間が空いていることで、どんどん安倍氏の国葬についてネガティブな意見がマスコミにはびこり、
あたかも世論は、安倍氏の国葬は悪いことである、という世論に誘導していこうとしているようです。
見事なデジャブでしょ? オリンピックと。
だから前から言っているんです。やるならやっちゃいなさいよと。そのあと、問題点、膿を出していって、より良い方向をみんなが考えていけばよい。
オリンピックは、遅ればせながら、その膿が出始めているようです。もちろん私にはトカゲのしっぽ切りのようにしか見えません。氷山の一角ですらない。
あれだけ苦労させておいて、IOCが少しも赤字になっていないってどういうこと?そりゃみんな、役員がやめられないわけだわ。
でもそれはそれとして。
私は今でも忘れられません。あの東京オリンピックの、苦渋の中でぎりぎりたどり着いた、へんてこな開会式。
よくあそこまでつぶされまくって、開会式にこぎつけたものだと頭が下がります。
今マスコミやネットのヒャッハーたちがやっていることは、あの時と同じことです。
とにかく、潰したい。つぶすためならば、手段は選ばない。あのリーダーは、昔ああいうことをした人だ。
正義ならば、すべてがうまくいく。ちょっとでも傷があったら、徹底的につぶす。
今の日本で天下を取ってしまったのは、「自分では何一つ作らない、つぶし屋さん」です。驚くほど信者が集まり、精力的に行動します。
精力的と言ったって、少しも建設的な活動はしません。今後日本は、何一つできなくなっていくような気がしています。
話を国葬に戻しますと、
1.マスコミが、「安倍元首相ならばどんな罵詈雑言いじめも正当化される」という洗脳をしてしまった
2.今後、二度と「国葬」は行われなくなるだろう
ということを考えています。
「じゃあ、どういう人ならば(もちろん具体的に人名をあげて)国葬にできるんだよ?」と、今の状況で答えられる人、いますか?
基準を設ける、なんて言っていますが、そんなものは、「スカートは膝の下何センチ」とまったく同じ意味で、ナンセンス極まりない
「国民が選んだ」内閣の判断しかないでしょ?でも、それすらつぶそうとしているのが、現在最大勢力である、マスコミを含めた「つぶし屋」なのです。
だから言うんです。何のことはない、単に安倍さんが嫌いなだけなのではないか?洗脳された状態で。
これで、スーパーアイドルのような人(スケートの羽生さんレベル)のような人だったら、「ぜひ、国葬に」という流れに持って行ってしまいそうなのが、現在の日本人なのでは?と勘ぐってしまいます。
こんなことやっていると、必ずすきをついて、第二の専制君主に乗っ取られてしまうのが落ちだと思うのですけどね。
超乱暴に書けば、戦前も似た流れだったのです。
・世の中が混乱している。国政はもたもたして動かない。建設的に進まない「話し合い」の時代が続く
・「ごちゃごちゃ言っていないで、行動しろ!」と、行動力だけはある軍部に人気が集まる。
・ある程度までは成果があり、国民を引っ張っていってくれる。
・異分子の抹殺が始まり、ファシズムに流れる。
つぶし屋、ではなく、建設的な話し合いで、動き、作り上げていくことが、民主主義の生き残る道であると、私は考えています。