songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

未曾有はどのぐらい未曾有なのか?音楽に関わって

2011-04-29 21:34:29 | 音楽
私たちが両親などから聞きうる限り、日本が最もピンチに陥った時は、戦中、戦後のように思われます。

明治維新も、元寇も国全体のピンチだったとは思うのですが、いかんせん資料が生々しくない。それに比べ、私が両親や祖母から聞いた戦中、戦後の様子は、生々しかった。
国全体がGHQの指導と援助なしでは立ち行かず、国民全体がひもじくて、ものもなくて。



今回、東日本の大震災で被災された皆様、関係者の皆様には、改めてお見舞い申し上げます。
私どもが見た映像はあまりにも生々しく、阪神大震災を桁違いに上回る被害の大きさに、愕然としました。そしてこれからも、苦難は続きそうですし、地方の違う私たちにも、当然のことながらその負担はやってくるものと思われます。

未曾有、未曾有です。

私たちが、1000年以上経験していない苦難ということです。ですからあらゆるものが想定外であると。

これらの言葉を聞くと、一瞬私は勘違いをしてしまいます。千年と言えば、紫式部の時代。その後の元寇も、戦国の混乱も、幕末も、そして先の戦争でも味わっていないほどの困難の中に私たちがいるような。

でも…違うんですよね…。


災害の規模は未曾有だったのでしょう。でも、トータルした国民のダメージは、未曾有ではなかったのです。
こういうことを書くと、時節柄非常に不謹慎なので、誰も書かなかっただけなのですね。

でも、私はこのことはしっかりと述べておかなければならないと思っています。

これほどの災害に遭いながらも、日本が受けたダメージは、未曾有ではなかった、ということ。


先日ひょんなことで黒柳徹子さんの番組を見ていたら、バスの中で「星の流れに」をカラオケで歌っていらっしゃって、私はハッとさせられたのです。

どこから述べればよいのか、よくわからないのですが、私自身の視点で、この1ヶ月半の間に感じたことを、この後書いていきたいと思います。
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個人的なこと

2011-04-29 01:41:40 | ライフ
前回の記事のあと、私のブログにしては大変に珍しく、コメントを頂きました。
しかしその後、私自身の生活にもちょっと余裕がなくなり、返事もせず、無礼な日々を繰り返しておりました。
ま、そうでなくても無礼者のブログですが、本当にすみません。

こういう、公共で読まれるものである上、あまり個人的な情報を書くと、匿名性に問題が出るので、できる限り個人的な出来事は書かないようにしております。
しかし、久々に自分の記事を読み返す中で、われながら、「うーん」と唸ってしまったところがあったので、今回は少し触れます。

ちょうど1年ちょっと前、2月の終わりに、さりげなく私は一つの記事をこのブログ上に載せておりますが、
その日は、私の最愛の母が倒れた日でした。

実家で様子を見ていた父から、どうも尋常ではない、と連絡が来て、私はびっくりして救急車を呼び、病院で長い時間処置をして。
それでも意識は回復せず、集中治療室に行くことになった日でした。残された私たち家族は、そのあとどうすることもできなかったため、家に帰りました。
その日にブログを書いているんですね。我ながら薄情、非情に徹したものだとあきれるばかりです。

その後一進一退を繰り返し、一時は奇跡的な回復を見せかけた母でしたが、3週間後に亡くなりました。
15年近い闘病生活の中、いつかは来る日だと覚悟してはいたものの、非常につらいものがありました。

それでも、こういう匿名の立場で行うブログでそれを表すことに意味はない。そう考えてやってきました。しかし1年たって読み返し、私自身の生きる証しでもあるブログにこれほどの重大事をどこにも残さずに置くのもどうかと思い、何の脈絡もなく書き記させていただきました。



さて、前回コメントを頂いた「受験における不正」について。

私は結構憤りました。人間、ずるい面もあるからあちらこちらで不正はある。しかし、あの人生の一大事である受験の場を、あの学生は不正という方法で乗り越えようとしたのか、と思うと、何とも情けなかったのです。しかも、その方法は、下手すれば今後幾万ものフォロワーを生みやすい方法であり、試験会場での無駄な労力を増やすもとを振りまいてしまったということ。いろんな意味で許せない気持ちでした。

ところが世間では同情論も多かったようです。生活や家族のことを考えると、彼にとっては、もう、それ以外に方法は残されていなかった、という供述に心動かされた方々。


私にとっては、これ以上ひどい「ゆとりの弊害」はないと思ったものです。うちのかみさんは言いました。「今のご時世、3浪なんてまずいない。2浪さえいない。あんたはうちの子が2浪以上になったら、この子がどんな気持ちで毎日を過ごすのか、想像できるの?」


大学の入学式まで、保護者が見に行くようになった時代です。ほっとけばいいのに。
18歳過ぎたら、大きな壁にぶち当たった時にだけ真剣にアドバイスを送るのが親の務めだと思っている私としては、転ばぬ先の杖こそ大事と考えるかみさんとは意見が合いませんでした。私はそんなものは愛情の履き違えと考えております。



そうこうしているうちに、大震災が起こりました。私はのほほんと生きておりますが、改めて、「生きていくこと」の重みを考えさせられる毎日です。
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