平成二十一年大相撲三月場所五日目その2 行司は木村玉治郎さん
何年前のことかはもう忘れてしまいましたが、まだ幕の内に入ってすぐぐらいの取り組みで、その時間に似つかわしくない、「高貴な」行司裁きの声が聞こえてきて、私は耳を疑いました。
27代木村庄之助さん?とうの昔に引退されたあのお方の声?
資料によると、弟子の玉治郎さんでした。血縁はないとのことですが、やはりあの行司裁きとお声に惹かれて立浪部屋に入門されたという変わり種の行司さん(もともとスポーツ少年だったそうです)。声の出し方も所作も師匠を意識して受け継いでおられるそうです。そして、27代木村庄之助さんも、長く玉治郎(4代目)を名乗っていたということで、現在のこの方は6代目玉治郎ということです。
感激です。
多少師匠よりも声が太いので注意して聞けば分かるのですが、あのすばらしい声が現在味わえるというのは、なんにせよ大変な幸せです。
自分の多感な時代、という加算は当然あるのでしょうが、自分が最も大相撲に熱狂した時代の象徴のような声です。
改めてその時代のビデオなどを見ると、やっぱり時代を超えて、心熱くなるものがあります。
蔵前国技館
戦後の混乱の中で、やっつけで作った国技館。両国に再建されるまでのおよそ30年間の「つなぎの」国技館と言われます。
栃錦の春日野元理事長は、昭和14年、入門したての頃の旧両国国技館で、双葉山の70連勝がはばまれた現場にいて、その大熱狂「大鉄傘を揺るがす大音声」が忘れられず、その再現とばかりに現在の国技館再建に奔走されました。はたして、現在の国技館で、それに値する素晴らしい音の世界は繰り広げられているでしょうか?
私の知る限り、音に限って述べても、蔵前の昭和50代前後が最高だったように思えます。
この時代は、観客の声も非常に熱い。
音響(マイク)の進化にもよるのでしょうが、当時の取り組みでは、大一番になると観客の声で音が割れに割れて、もう実況も何を言っているのかわからないぐらい。
でも、それが視聴者の心を熱くさせたのです。
割れる観客の声。
寛吉の呼び出し。
27代庄之助の裁く声。
そして、北出アナウンサーの実況。
江戸ノ華の弓取り式。
これらの声と名調子が流れると、もうそれはそれは至福の時間でした。相撲は、格闘技であるのと同時に、芸能であり、芸術なのです。
そういうことを、私たちの世代は自然に体にしみこませていました。
だから、「相撲は単なるスポーツではない」という話も、自然に理解できるのです。
一つの美学だったからです。
きれいごとでは済まされない、醜い部分も山ほどあったことでしょう。しかし、大相撲の世界全体が一つの美学を貫けていた時代は、視聴者も純粋にその美しさをタダで享受できた、幸せな時代でした。
何年前のことかはもう忘れてしまいましたが、まだ幕の内に入ってすぐぐらいの取り組みで、その時間に似つかわしくない、「高貴な」行司裁きの声が聞こえてきて、私は耳を疑いました。
27代木村庄之助さん?とうの昔に引退されたあのお方の声?
資料によると、弟子の玉治郎さんでした。血縁はないとのことですが、やはりあの行司裁きとお声に惹かれて立浪部屋に入門されたという変わり種の行司さん(もともとスポーツ少年だったそうです)。声の出し方も所作も師匠を意識して受け継いでおられるそうです。そして、27代木村庄之助さんも、長く玉治郎(4代目)を名乗っていたということで、現在のこの方は6代目玉治郎ということです。
感激です。
多少師匠よりも声が太いので注意して聞けば分かるのですが、あのすばらしい声が現在味わえるというのは、なんにせよ大変な幸せです。
自分の多感な時代、という加算は当然あるのでしょうが、自分が最も大相撲に熱狂した時代の象徴のような声です。
改めてその時代のビデオなどを見ると、やっぱり時代を超えて、心熱くなるものがあります。
蔵前国技館
戦後の混乱の中で、やっつけで作った国技館。両国に再建されるまでのおよそ30年間の「つなぎの」国技館と言われます。
栃錦の春日野元理事長は、昭和14年、入門したての頃の旧両国国技館で、双葉山の70連勝がはばまれた現場にいて、その大熱狂「大鉄傘を揺るがす大音声」が忘れられず、その再現とばかりに現在の国技館再建に奔走されました。はたして、現在の国技館で、それに値する素晴らしい音の世界は繰り広げられているでしょうか?
私の知る限り、音に限って述べても、蔵前の昭和50代前後が最高だったように思えます。
この時代は、観客の声も非常に熱い。
音響(マイク)の進化にもよるのでしょうが、当時の取り組みでは、大一番になると観客の声で音が割れに割れて、もう実況も何を言っているのかわからないぐらい。
でも、それが視聴者の心を熱くさせたのです。
割れる観客の声。
寛吉の呼び出し。
27代庄之助の裁く声。
そして、北出アナウンサーの実況。
江戸ノ華の弓取り式。
これらの声と名調子が流れると、もうそれはそれは至福の時間でした。相撲は、格闘技であるのと同時に、芸能であり、芸術なのです。
そういうことを、私たちの世代は自然に体にしみこませていました。
だから、「相撲は単なるスポーツではない」という話も、自然に理解できるのです。
一つの美学だったからです。
きれいごとでは済まされない、醜い部分も山ほどあったことでしょう。しかし、大相撲の世界全体が一つの美学を貫けていた時代は、視聴者も純粋にその美しさをタダで享受できた、幸せな時代でした。