songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

美しきかな大相撲 27代木村庄之助さんから玉治郎さんへ

2013-03-15 19:57:27 | Weblog
平成二十一年大相撲三月場所五日目その2 行司は木村玉治郎さん


何年前のことかはもう忘れてしまいましたが、まだ幕の内に入ってすぐぐらいの取り組みで、その時間に似つかわしくない、「高貴な」行司裁きの声が聞こえてきて、私は耳を疑いました。
27代木村庄之助さん?とうの昔に引退されたあのお方の声?

資料によると、弟子の玉治郎さんでした。血縁はないとのことですが、やはりあの行司裁きとお声に惹かれて立浪部屋に入門されたという変わり種の行司さん(もともとスポーツ少年だったそうです)。声の出し方も所作も師匠を意識して受け継いでおられるそうです。そして、27代木村庄之助さんも、長く玉治郎(4代目)を名乗っていたということで、現在のこの方は6代目玉治郎ということです。


感激です。


多少師匠よりも声が太いので注意して聞けば分かるのですが、あのすばらしい声が現在味わえるというのは、なんにせよ大変な幸せです。


自分の多感な時代、という加算は当然あるのでしょうが、自分が最も大相撲に熱狂した時代の象徴のような声です。
改めてその時代のビデオなどを見ると、やっぱり時代を超えて、心熱くなるものがあります。


蔵前国技館


戦後の混乱の中で、やっつけで作った国技館。両国に再建されるまでのおよそ30年間の「つなぎの」国技館と言われます。
栃錦の春日野元理事長は、昭和14年、入門したての頃の旧両国国技館で、双葉山の70連勝がはばまれた現場にいて、その大熱狂「大鉄傘を揺るがす大音声」が忘れられず、その再現とばかりに現在の国技館再建に奔走されました。はたして、現在の国技館で、それに値する素晴らしい音の世界は繰り広げられているでしょうか?



私の知る限り、音に限って述べても、蔵前の昭和50代前後が最高だったように思えます。
この時代は、観客の声も非常に熱い。
音響(マイク)の進化にもよるのでしょうが、当時の取り組みでは、大一番になると観客の声で音が割れに割れて、もう実況も何を言っているのかわからないぐらい。
でも、それが視聴者の心を熱くさせたのです。

割れる観客の声。
寛吉の呼び出し。
27代庄之助の裁く声。
そして、北出アナウンサーの実況。
江戸ノ華の弓取り式。

これらの声と名調子が流れると、もうそれはそれは至福の時間でした。相撲は、格闘技であるのと同時に、芸能であり、芸術なのです。

そういうことを、私たちの世代は自然に体にしみこませていました。
だから、「相撲は単なるスポーツではない」という話も、自然に理解できるのです。
一つの美学だったからです。

きれいごとでは済まされない、醜い部分も山ほどあったことでしょう。しかし、大相撲の世界全体が一つの美学を貫けていた時代は、視聴者も純粋にその美しさをタダで享受できた、幸せな時代でした。

コメント (3)
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幾多の復興支援ソングよりも…キャンディー(Candy)_佐藤亜美菜_柏木由紀_増田有華

2013-03-10 00:26:52 | 音楽
キャンディー(Candy)_佐藤亜美菜_柏木由紀_増田有華


ずっと前、「未曾有だけど未曾有じゃない」という内容で、
黒柳徹子さんが歌った「星の流れに」のことを投稿したことがあります。

間もなく震災から2年を迎えます。
復興のための長い長い道のりで、何もできない私ではありますが、テレビなどで映像を見るたび、いろいろ考えさせられます。

戦後間もなくの日本とは違う現在、不幸中の幸いか、音楽の世界では、音楽によって何かができないか、多くの活動が行われています。それだけ日本が豊かになったということかもしれません。いい曲もいっぱいあるようです。


ですが、私には、なんだかどこかが、非常に失礼ながらあざとく思えて仕方がないのです。

そんな時に出会ったのが、上記の動画AKB48の「キャンディー」。
どういうわけか現在、オリジナルで歌っているバージョン(河西智美さん、佐藤亜美菜さん、増田有華さん)の「フルバージョン」が見当たらなかったので、こちらを載せました。

この曲は決して復興支援ソングではありません。

能天気なかわいい女の子の歌のようにも聞こえます。
隠喩法により、ちょっと色っぽい香りも漂わせています。

しかし、音楽的には文句なく非常にハイレベルなこのアイドルソングを聴くうち、(この動画に投稿した内容とかぶりますが)ある時突然、止めどもなく涙が流れてきたのです。


この歌に出てくる主人公の女の子(と言っても社会人であろう)は、能天気に享楽的な刺激を探しているわけではないのだ

本当は、どうしようもない苦しさ、つらさ、むなしさや悲しさで押しつぶされそうになっている
人前では明るくふるまうけど、もう我に返ると耐えることのできないつらさでいっぱいいっぱいなのだ、と解釈した瞬間、堰を切ったように感動の涙が。

「女の子は楽天的」…現実はその反対の自分に言い聞かせている。
幼いころ、自分が泣いていた時、一粒の飴が私を慰めてくれた。

そんな「飴」が、今ほしい。
どうにかすると、くしゃくしゃに泣いてしまいそうな自分を少しでも慰めている「飴」が、今ほしい。
人生、何とかなる、と思わせてくれる瞬間を、どうか私に与えてください。


そういう歌詞なんだ…

それは邪推かもしれませんし、拡大解釈と言われればそれまでかもしれません。しかし、そう受け止めてこの曲を聴くと、なんとはかなく美しく、でも力強く私たちの心にずしんとくさびをさしてくれることか。


まあ作詞家秋元さんもそんなつもりで作ったのではないでしょうし(震災前にできた曲です)、歌っているご本人たちもそんなに重く解釈していたら歌っていられないでしょう。
でも、星の数ほど作られた幾多の復興支援ソングよりも、この曲のほうが、数百倍ずしんと心に響いてくるのです。


こんなメッセージが届くかどうかは甚だ疑問ではありますが、
2年たっても押しつぶされそうな皆さんにこそ、私はこの曲をお届けしたいのです。
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