昨夜、映画 「そして父になる」を見てきました。
じーんとじーんと心がじーんとしながら家に戻りました。
帰りつくと同時に空も帰ってきました。
「空ちゃん、おかえり」
空がつぶらな瞳でみつめます
抱きしめました。
先日の病院行きで4歳と思い込んでいたのが5歳と判明。
5年も一緒に暮らしたんだなあ...
たとえば、空が赤ちゃんのとき、今度みたいに病院に行って、たまたま同じ色の
同じ年のプードルがいて、看護士さんが間違って、いま、私の胸の中の空がよその家の
ワンコだったことが判明して..も、空を手放すことは出来ない、決してできない....
空を抱きしめながらこんなこと考えました。
人間であろうと、動物であろうと、共に家族として過ごしたかけがえのない時間。
この時間は宝ものである。
映画の中で
大人の事情を何も知らず、親の苦しい葛藤の果てに交換された子供たちの無垢な瞳は宝 ものの時間を求めている。
セツナイ。
血が繋がっていてもいなくても温かい愛情に包まれているなら子供は幸せだと思う。
その幸せは宝ものの時間の中でしか得られない....と思った。