妹背牛の広報誌に「人ネットワーク」といコーナーがある。
そこに掲載された方が次の人を紹介するのというのがルール。
1月号が本校の保護者で、次は僕にということになり、先日、広報担当者から取材を受けた。うれしかったことは、保護者の方が僕を指名してくれたこと。また、担当者が取材に当たって、これまでの本の出版にかかわる記事や、ブログ等に目を通してきてくれたこと。とっても人とのかかわり、つながりを感じます。
さてさて、このような機会に本について話したり、先日も読み返したりしてみると、今更ではあるが、この本を出した気持ちや、託した想いがはっきりしてきたような気がするね。
登場する子供たちは生きる力、夢の力、豊かな心の塊で、無限の可能性があるということ。その無限の可能性を信じてエールを贈ることなんだということ。僕ら教師はそれを引き出すのが仕事。可能性を引き出すために、自己指導能力(適切に判断する能力)を育てるんだということ。
南先生は、強く正しい人。自分の納得できる解答を出し、それに向かって猛進する。正解のない、この時代にあって、自分の能力を駆使して答えを見付けること、その答えに向かって、粘り強く正しくやっていくことが、人生だと思っている。
入院生活は、体験によるもの。その思いは、今、まさにこのブログで綴っていること。
また、「生死」にかかわっても、様々な思いもあるのですが、それをここに書くのは、ちょっと……。
ただ、ここ数年、僕がついついつぶやく言葉が、「今度は、こうきましたか?」。困難な出来事、それが些細なことであっても、思わず、「今度は、こうきましたか?」。
困難な出来事は、現状の自分に対して、自身のダメさを正すために、誰かが僕に課題を与えてくれたと考える。朝の忙しいときに鍵が見つからない、「今度は、こうきましたか?」とつぶやきながら、昨日は酔って決めたところに置かなかった反省したり、調子にのって飲み過ぎたこと反省したり、とりあえず、探しながら、見つかるまでの解決方法を考えたり……。こうなったのは自分の行いのためであり、解決することが自分の試練だとね。
解決の段階では、随分、他者の力も借りてしまうけど。
「出会い」も、そう。「どうして、この人と出会ってしまったんだろう?」と考えることも多々。
結局、とりとめなくなってしまったね
そこに掲載された方が次の人を紹介するのというのがルール。
1月号が本校の保護者で、次は僕にということになり、先日、広報担当者から取材を受けた。うれしかったことは、保護者の方が僕を指名してくれたこと。また、担当者が取材に当たって、これまでの本の出版にかかわる記事や、ブログ等に目を通してきてくれたこと。とっても人とのかかわり、つながりを感じます。
さてさて、このような機会に本について話したり、先日も読み返したりしてみると、今更ではあるが、この本を出した気持ちや、託した想いがはっきりしてきたような気がするね。
登場する子供たちは生きる力、夢の力、豊かな心の塊で、無限の可能性があるということ。その無限の可能性を信じてエールを贈ることなんだということ。僕ら教師はそれを引き出すのが仕事。可能性を引き出すために、自己指導能力(適切に判断する能力)を育てるんだということ。
南先生は、強く正しい人。自分の納得できる解答を出し、それに向かって猛進する。正解のない、この時代にあって、自分の能力を駆使して答えを見付けること、その答えに向かって、粘り強く正しくやっていくことが、人生だと思っている。
入院生活は、体験によるもの。その思いは、今、まさにこのブログで綴っていること。
また、「生死」にかかわっても、様々な思いもあるのですが、それをここに書くのは、ちょっと……。
ただ、ここ数年、僕がついついつぶやく言葉が、「今度は、こうきましたか?」。困難な出来事、それが些細なことであっても、思わず、「今度は、こうきましたか?」。
困難な出来事は、現状の自分に対して、自身のダメさを正すために、誰かが僕に課題を与えてくれたと考える。朝の忙しいときに鍵が見つからない、「今度は、こうきましたか?」とつぶやきながら、昨日は酔って決めたところに置かなかった反省したり、調子にのって飲み過ぎたこと反省したり、とりあえず、探しながら、見つかるまでの解決方法を考えたり……。こうなったのは自分の行いのためであり、解決することが自分の試練だとね。
解決の段階では、随分、他者の力も借りてしまうけど。
「出会い」も、そう。「どうして、この人と出会ってしまったんだろう?」と考えることも多々。
結局、とりとめなくなってしまったね
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