団塊世代という方が、若い人を相手に語っていました。
「若く見えるって?若く見えるってことは、もう年をとってるってことでしょ」
「若いうちは何着たって似合うんだから、我々が古着なんか着たら、そのまんまでキタナクなっちゃうよ」
「ダンディー?ダンディーなんかじゃないよ。年とってもキチンとしてると、素敵さがある。
そういう細かいところまで気がつくっていう素敵さなんだよ」
気がつくといえば、池波さんの「忘れぬうちに」と題されたエッセイに、「明君白川夜話」という本にある加藤清正の逸話が紹介されていました。
便所にはいっていた清正が、突然、ひかえていた小姓に家臣の一人を呼びに行かせます。
風邪で臥せっていた家臣は、殿の呼び出しに慌てて駆けつけました。
清正が言うのには「先般出掛けた先で、そのほうの草履取りをしていた者は、平時にもかかわらず危急に対する心掛けを忘れず、充分な身ごしらえをしていた。
小者にしておくには惜しい心掛けを今思い出したので、つい忘れてその心掛けを無にしてはいけないと呼び出したのだ。
ついてはその者を取り立ててつかわせ、しかし朋輩がねたむといけないから、いきなり高禄を与えてはならない」
と命じると、風邪をひいているその家臣をも気遣って、小姓に温かい酒を命じたそうです。
家臣もまた泪ぐみつつ、小姓たちへ「殿様のお躰がひえませぬよう、こころをつけてくれよ」と、しみじみいったそうな。
また池波さんの「殺陣」というエッセイには、
「むかしの新国劇には、宮本曠二朗という殺陣師がいて、私が書いた芝居の殺陣は、ほとんど、この人の手になるものだ。
宮本さんは殺陣師であるばかりでなく、全盛期の新国劇にとって、なくてはならぬ、うまい俳優でもあったから、彼がつける殺陣には、単に刀を抜いて斬り合うだけではない[演技]がふくまれている。
―中略―
いまは亡き先代の松本幸四郎(白鸚)が、テレビの[鬼平犯科帳]に引きつづいて、明治座で鬼平の[狐火]を上演したとき、連日の殺陣の稽古で、老いた宮本さんは疲れ果ててしまい、初日の、大詰の幕が開いたとき、舞台の袖で眠り込んでしまった。
そろそろ、立ちまわりの時間がせまってくる。彼は演技者として、幸四郎の鬼平へ斬りかからねばならぬ。
と、そこへ幸四郎さんがあらわれたので、宮本の書生が起こそうとするのを制して、『まだ、早い。疲れているのだねえ。あれだけ熱心にやってくれたのだもの、もう少し、寝かしておいてあげなさい』
こういった高麗屋の顔と声を、いまも私は忘れない」
こういう心遣いの人も好きです。
三月の震災一週間目くらいに、県外で買い出しをしていたらしい福島ナンバーの車の横に、「よかったら使ってください」とそこのショッピング・センターで買ったと思しきタオル等の日用品が詰めて置いてあったと、もらい手の感謝と共に紹介されていました。
ここまで神経がはたらくと、天上界クラスでしょうか。
私だったらナンバーで、そこまで閃かないと思います。
えっ、普通気づく?
そうですか、私の神経がいちばん鈍磨していたかもしれません。
「若く見えるって?若く見えるってことは、もう年をとってるってことでしょ」
「若いうちは何着たって似合うんだから、我々が古着なんか着たら、そのまんまでキタナクなっちゃうよ」
「ダンディー?ダンディーなんかじゃないよ。年とってもキチンとしてると、素敵さがある。
そういう細かいところまで気がつくっていう素敵さなんだよ」
気がつくといえば、池波さんの「忘れぬうちに」と題されたエッセイに、「明君白川夜話」という本にある加藤清正の逸話が紹介されていました。
便所にはいっていた清正が、突然、ひかえていた小姓に家臣の一人を呼びに行かせます。
風邪で臥せっていた家臣は、殿の呼び出しに慌てて駆けつけました。
清正が言うのには「先般出掛けた先で、そのほうの草履取りをしていた者は、平時にもかかわらず危急に対する心掛けを忘れず、充分な身ごしらえをしていた。
小者にしておくには惜しい心掛けを今思い出したので、つい忘れてその心掛けを無にしてはいけないと呼び出したのだ。
ついてはその者を取り立ててつかわせ、しかし朋輩がねたむといけないから、いきなり高禄を与えてはならない」
と命じると、風邪をひいているその家臣をも気遣って、小姓に温かい酒を命じたそうです。
家臣もまた泪ぐみつつ、小姓たちへ「殿様のお躰がひえませぬよう、こころをつけてくれよ」と、しみじみいったそうな。
また池波さんの「殺陣」というエッセイには、
「むかしの新国劇には、宮本曠二朗という殺陣師がいて、私が書いた芝居の殺陣は、ほとんど、この人の手になるものだ。
宮本さんは殺陣師であるばかりでなく、全盛期の新国劇にとって、なくてはならぬ、うまい俳優でもあったから、彼がつける殺陣には、単に刀を抜いて斬り合うだけではない[演技]がふくまれている。
―中略―
いまは亡き先代の松本幸四郎(白鸚)が、テレビの[鬼平犯科帳]に引きつづいて、明治座で鬼平の[狐火]を上演したとき、連日の殺陣の稽古で、老いた宮本さんは疲れ果ててしまい、初日の、大詰の幕が開いたとき、舞台の袖で眠り込んでしまった。
そろそろ、立ちまわりの時間がせまってくる。彼は演技者として、幸四郎の鬼平へ斬りかからねばならぬ。
と、そこへ幸四郎さんがあらわれたので、宮本の書生が起こそうとするのを制して、『まだ、早い。疲れているのだねえ。あれだけ熱心にやってくれたのだもの、もう少し、寝かしておいてあげなさい』
こういった高麗屋の顔と声を、いまも私は忘れない」
こういう心遣いの人も好きです。
三月の震災一週間目くらいに、県外で買い出しをしていたらしい福島ナンバーの車の横に、「よかったら使ってください」とそこのショッピング・センターで買ったと思しきタオル等の日用品が詰めて置いてあったと、もらい手の感謝と共に紹介されていました。
ここまで神経がはたらくと、天上界クラスでしょうか。
私だったらナンバーで、そこまで閃かないと思います。
えっ、普通気づく?
そうですか、私の神経がいちばん鈍磨していたかもしれません。