Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

古い服を着て立派に見えないような人を信用してはいけない

2018-02-20 |  その他
全体はそう見えませんがよく見ると袖口など擦り切れた服を着ていて、その視線に気づいたように「ようやく自分のものになってきた」というふうな言いまわしをする外国の方がいます。



今回のタイトルは、帽子の話で引用したA.フラッサーの本に紹介されているトーマス・カーライルという人の言葉だそうです。
久しぶりに読むとこの本にはいろいろ面白いところがあって、



「ごく稀にはまったくセンスのないと思われる人(こういう人を教育するのは残念ながらほとんど不可能です)もいることはいますが、ほとんどの人の場合は正しい装い方を勉強することによってセンスを磨くことができます。
生まれつき良い趣味とスタイルのセンスをもち、何が自分に一番よく似合うか知っているという人は稀です。ほかのすべてのことと同じように装うセンスも後天的に培われます。しかしそのためにはすべての学習と同じく、興味をもって取り組み、経験を重ねていかなければなりません。そしてそれにも増して重要なのは、その学習が良い趣味を作るための基本的な原則と、しっかりとしたルールに基づいていなくてはならないということです」



「これらの原則は1930年代に発展し、それからずっと父から子へ、そしてテイラーから客へと受け継がれてきたものばかりです。しかし1960年代に入ってこの伝統は崩れてしまいました。若者は自分より年上の人のいうことに耳をかさなくなってしまったのです。今まで受け継がれてきた知識はほとんど失われてしまうところでした。しかし今また人々は装うことに関心をもち始めました。過去の伝統を再び取り戻す時がやってきたのです」



「今日アメリカの男たちはやっと過去のあやまちから学びつつあります。そのあやまちの多くは今だに洋服ダンスの隅に掛かっていますが、ある意味では高い授業料を払って貴重な勉強をしたといえるでしょう。今では人々は洋服を選ぶのにもっと慎重になりました。洋服の値段がとても上がったからです。それに自分の求める商品に対する知識もずいぶんと増えました。そしてファション業界もそれに応えています。自動車業界と同じくファション業界も、自分たちのあやまちから学んだのです。デトロイトが機能的でシンプルなモデルの自動車を作り出したように、ファション業界も機能的でシンプルな洋服を作り始めました。極端なスタイルはほとんど姿を消し、再び質の良い服が求められるようになってきたのです。
当然、1930年代に続く時代にもその当時の流行に流されず、自信をもってエレガントな装いをし続けてきた人たちは、少数ながらいました。彼らの例は特筆に値します。1930年代にはその他の時代に例を見ないスタイルとエレガンスが確立されました。そしてそのスタンダードは現在でも、われわれの努力を測る尺度として立派に通用するのです」



「わたしの信念は礼儀にかなったやり方で自分らしさを表現するということです。そして自分らしさとはデザイナーや、店、あるいは雑誌などのいうことを鵜のみにしないでいられるだけのセンスをあなたが育てた時初めて生まれるものなのです。今のオートメーションの時代にあって、装うことは人間がコントロールできる数少ない分野の一つではないでしょうか」(水野ひな子訳)



「1930年から36年にかけて創造された何種類かの基本的な型は、すべての男性が自分自身の個性とスタイルを打ち出す上で、表現の尺度として今日でも十分通用するものである」というイブ・サンローランの言葉も引用されています。

'80年代に書かれたものですから、もちろんその後や現在の流行は予測できなかったと思いますが、それを顧みることのできる今の私たちは「歴史は繰り返す.....二度目は喜劇として」という言葉が過去のものでないことを知らされます。



また主旨と関係ありませんが、
「生来的なものなのか、生まれてからの教育によるものなのか、男というものは買い物が嫌いです。確かに買い物は疲れますし、時間もかかります。ほとんどの男性が買い物は出来るだけ早く、効率よくすませてしまいたいと思っていることでしょう」
というくだりを読んで、A・E・ホッチナー著「Papa Hemingway」の一節を思い出しました。

「ニューヨークの買い物にたいするアーネストの態度は、映画見物にたいする態度とおなじで、何日もあれこれ考えあぐねたあげく、最後に、いやでたまらない難行にとりくむのだった。店のなかでほど生まれつきのはにかみぶりが発揮されることはなかった。カウンターや店員を見ただけで、どっと汗がふきだしてしまって、いちばん最初に見せてくれたものをすぐ買うか、店員が商品を棚からとろうとするよりさきに逃げ出してしまうか、どちらかだった。こうしたショッピング症候群のただ一つの例外は、アバークロンビー・アンド・フィッチで、それもとくに銃砲売場と靴の売場だった。しかしこのデパートでも、衣服売場の店員が、彼に背をむけてラックからトレンチコートをとるときには、まず彼の袖をしっかりつかまえておくようにいわれていたとしても、ふしぎではない」(中田耕治訳)
ヘミングウェイだけじゃなく、こういう男性は多いですね。


(ニューヨークで七つ折りのタイも売られ、通販対応していたという1936年の広告)
Comments (2)
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