Men's wear      plat du jour

今日の気分と予定に、何を合わせますか。 時間があれば何か聴きましょう。

The tracks of her tears.

2020-07-17 |  その他
疲れ果てて泣いたまま仮眠をとる看護師さんの映像が配信され、医療崩壊と言われた頃、イタリアは再生までどれだけかかるだろうと思われた方も多いと思います。

ところが、最近イタリアから送られてくる画像はみんなで思いっきり肩を寄せ合って会食するなど、超ミツです。
次を心配しながら、「何だかよく分からないけど、さすがの回復力」と感嘆しきり。

特に事態が深刻だったと言われるミラノの映像を見ると、どうしても昔のことを思い出します。

ある年、ブレラ絵画館方面へ向かっていた時のこと、交差点向こうの建物の2階に「A.Caraceni」とあるのが見えました。
まだパリのChristianiも存在してた頃でそんなに有り難いとも思わず、横断するとその1階にも服店があって、ウィンドウには良さそうな品が並んでいました。

とりあえず見せてもらうものを決めて店内に入ると、靴はエドワード・グリーンとジョン・ロブ、シャツはチチェリの既製、無造作に立て掛けたカルロ・リーバの生地がありました。
お会計を終えて、「上にあるのは仕立屋のA.カラチェニですね?」
と尋ねると、「そう、同じ会社なんだ。興味あるなら、社長を呼んであげるよ」
と紹介されたのが、カルロ・アンドレアッキオ氏でした。

まだベルルスコーニがブンガブンガなど話題を振りまく前でしたが、さすがに日頃そういう人を相手にしているせいか、アンドレアッキオ氏の物腰は年季を感じさせます。
フランス・フランもそうだったと思いますが、リラからユーロに切り替わる前の数年間、レートはすごい事になっていて、提示された3ピース・スーツの価格は日本円にすると現在の約3分の1でした。

そして、初めての方なら仮縫いを4回はお願いしたい、と言います。
「次はいつ来られます?」
と尋ねられましたが、その時つぎの年のことはまだ考えていませんでした。
色々喋ったり見せてもらったりして別れ際、
「ミラノに来たら必ず寄って」と言われ、結局毎年寄って4年後くらいに、「あの時作っていたら、もう出来上がったのに」なんてイジられたり、気さくで楽しい人たちでした。
何人もいるのに、着こなしが並以上の人が2~3人しかいないのも奥床しい。



ミラノの中心地サン・バビラから地下鉄なら一駅目、ベネツィア通りとパレストロ通りがぶつかる角にあったジャンニ・カンパーニャの店。
パラッツォ・カンパーニャと呼ばれたその贅沢な店内から、ベネツィア通りに向かって撮った写真が出て来ました。
その金満ぶりは地方の仕立屋にも伝わっていたのか、名前を聞いただけで眉をひそめる人もいたくらいです。

ある頃からアラブやロシアの富裕層がイタリアの仕立屋を自家用機で送り迎えして、まとまった注文をしているという話は聞いていましたが、ある年訪ねると、「さっきロシアから戻って、もう空港に着いたと連絡あったから、もう少し待って」ということもありました。
しかし一年毎に人がかなり入れ替わったり、従業員にとってはあまり良い職場環境ではなかったのかもしれません。

これはまたまた別の話ですが、その昔グッチ一族内で利権争いから映画顔負けの暗殺事件の現場となったのが、このウィンドウを左手に折れたパレストロ通りだったと思います。
結局自分たちはそのブランド名を名乗れない、という皮肉な結果をまねく凄惨な事件を聞いていたせいか、その通りをぬける時は何か臭うような気がしました。

と思ったらそれは犬ので、気をつけてないとすぐ踏んでしまうくらい、条例が出る前はけっこうヒドかったのでした。


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