世の中の正しい事は、大体は世の中の流れであって、常識においても然り、多分多数意見で決まるんでしょう。
戦争になれば、悲しいかな相手を徹底的に叩きのめす事が「英雄」扱いであり、敵に「情け」をかける事は「売国奴」であったりするんでしょう。
では今の社会も何でもありなのか、と言えばこう答えます。
何でもありのはずがない!
そもそも人がより良く生きたい(活きたい)と思うから、ルールを作り出した訳です。
例えば、ルールと言えば「信号機」があります。
これだけ人も溢れ、車も溢れてるのに、それでもスムーズに流れるのは、「赤」「黄」「青」を守る人達の「常識」があるからこそです。
「ルールを破ったから罰金がある」のであって、「罰金を払えばルールを破ればいいのではない」のです。
そういう自分勝手な論理を持ち出したら、社会生活が成り立ちません。
「金を払えば〓〓〓してもいいんだろ!」
この論理の出発点がそもそも間違ってるんです。
論理的に正しくても、出発点が間違っているから到達点を間違えてしまうのです。
こういう考えは「賢い」とは言いません。「ずる賢い」のです。
出発点を間違えてしまうのは仕方ない、のでは済まないのです。
出発点を間違えない為にも、「綺麗だなぁ」とか「心地良い」とかそういった「心」に響く感情を素直に大切にして行く事が大切でしょうね。
親子で手を繋いで歩いて、花が咲いていたら、少し立ち止まり、親が子供に「綺麗だね」と語りかける事。面倒くさがらずにそういった情操教育を(教育なんて固っ苦しいもんではないか)日々の生活の中で語り合う事が肝心なんでしょうね。
でも、もう遅いか。
ばかやろう。
自分一人じゃあないだろう。くそったれ。