競泳空想科学

聞いたことがある。
人間が思い描いたことは実現できると。
あとは行動するだけだ。

定番昇格

2008年05月23日 | 食事
ごちそうさまでした。
チャーシュー美味しかったぁ!
豊田にまた足繁く通う店が出来ました。
修を連れて行きたいなぁ。
店内写真撮影は禁止でした(笑)

汚い言葉でごめんなさい。

2008年05月19日 | 個人ネタ
世の中の正しい事は、大体は世の中の流れであって、常識においても然り、多分多数意見で決まるんでしょう。
戦争になれば、悲しいかな相手を徹底的に叩きのめす事が「英雄」扱いであり、敵に「情け」をかける事は「売国奴」であったりするんでしょう。
では今の社会も何でもありなのか、と言えばこう答えます。

何でもありのはずがない!

そもそも人がより良く生きたい(活きたい)と思うから、ルールを作り出した訳です。

例えば、ルールと言えば「信号機」があります。

これだけ人も溢れ、車も溢れてるのに、それでもスムーズに流れるのは、「赤」「黄」「青」を守る人達の「常識」があるからこそです。

「ルールを破ったから罰金がある」のであって、「罰金を払えばルールを破ればいいのではない」のです。
そういう自分勝手な論理を持ち出したら、社会生活が成り立ちません。
「金を払えば〓〓〓してもいいんだろ!」
この論理の出発点がそもそも間違ってるんです。
論理的に正しくても、出発点が間違っているから到達点を間違えてしまうのです。
こういう考えは「賢い」とは言いません。「ずる賢い」のです。

出発点を間違えてしまうのは仕方ない、のでは済まないのです。

出発点を間違えない為にも、「綺麗だなぁ」とか「心地良い」とかそういった「心」に響く感情を素直に大切にして行く事が大切でしょうね。

親子で手を繋いで歩いて、花が咲いていたら、少し立ち止まり、親が子供に「綺麗だね」と語りかける事。面倒くさがらずにそういった情操教育を(教育なんて固っ苦しいもんではないか)日々の生活の中で語り合う事が肝心なんでしょうね。

でも、もう遅いか。
ばかやろう。
自分一人じゃあないだろう。くそったれ。

2016 「See You Again」

2015「繋心」

2015「HAC」

for you , to me