森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

Brainにアクセプト!!!

2016年07月24日 00時45分13秒 | インフォメーション
我々の半側空間無視に関する下記の論文が先ほど、Brain誌(Impact factor 10.103)にアクセプトされました。「Intentional gaze shift to neglected space: a compensatory strategy during recovery process after unilateral spatial neglect(Takamura Y, Imanishi M, Osaka M, Ohmatsu S, Yamanaka K, Tominaga T, Morioka S, Kawashima N) 」


これまで数々の重要なデータが公表されてきたインパクトのある雑誌Brainであることはもちろんめちゃめちゃ嬉しいですが、この研究は、これからの半側空間無視の臨床の方向性を決める(一律的なあり方を変える)力をもっているものであり、それが世界的な雑誌(そしてその査読者)にある種承認されたことは、大変心強く、そして、今なお続けているその流れの研究を推進していくはげみになりました。

なおかつ、この研究は日本全体を視野にした(巻き込んだ)共同研究(臨床ー研究ー教育)のある意味幕開けのように思えます。

やっと講演で推測でなく、きちんとしたデータを話すことができます。それも嬉しいです。
二日酔いの頭だけど、いまは相当にHappyです!もう一度いいます!Happyです!大学院生の高村(高知医療学院の後輩:1992年生まれの現在は臨床四年目の理学療法士)の淡々とプログラムしたデータを集積、分析し、英語で論文を書く姿、そして則天(国リハ)の論理の構築の仕方と粘りに、今度の日曜日は祝杯です!ノリと出会い五年(とある福岡での講演が最初)。感慨深いですな。

のちに、皆さんにはCAの河島氏などから「プレスリリース」などで内容をお知らせします!

AMED会議に!

2016年07月17日 00時43分36秒 | インフォメーション
AMED会議(複合性局所疼痛症候群(CRPS)の汎用的で客観的な重症度評価技術の開発:代表 平田 仁 名古屋大学大学院医学系研究科総合医学専攻運動・形態外科学 教授)終了。



途中から隣の席が真下節先生だと気付きました。今は市立豊中病院の総長?愛知医大の牛田先生と、真下先生が評価者としてこられ、会がしまりました。

阪大の寒さんの進捗状況を聞き、saliency networkはchronic painを考える上で一つの切り口かなと思うと同時に、脳分析だけでなく、sensory-motor integrationに関する運動分析が、CRPSだけでなく、Painのバイオマーカーに入ると、運動器疾患の理学療法が飛躍的に進む可能性があると思いました。この辺りは東大の住谷研とコラボで色々と打ち出せればと思っています。もちろんこれのアルゴリズム構築には友人のノリの援助も大いに必要かなと思ってます。たぶん私が生きている間にはいけるんではないかと、、青写真を描いております。やらないといけないことは目白押しです。

いずれにしても、簡単にsocial behaviourに流されず、うちでやっているsensory-motorの研究を速やかに公表し、どこの施設でも客観的評価ができるよう、評価プログラム開発をしないといけないと思ったところです。クリニカルリースニングだ!といい続けるだけでも汎用性はないですからね。

講演でなく、一人10分やそこらで話題提供しディスカスするスタイルがやはりいいですね。学会が講習会・セミナー化しているのをなんとか食い止めないとですね。また学会発表するだけ(ことが目的となれば)ではあまり創発は起こらないので。知の生産のためにも。

整形外科の医師や麻酔科の医師とコラボすることで知らない病態を知ることができ、そしてメディカルスタッフとして対等に協力関係をつくることがてきていい感じです。
さて、鈴木先生にお会いするために、難波に向かいます!もはや新幹線が家のよう。

New Paper Accepted!!

2016年07月12日 00時41分39秒 | インフォメーション
New Paper Accepted!!

博士後期課程の石垣 智也君の筆頭論文が国際雑誌Neuroreprtに本日受理されました。
Ishigaki T, Imai R, Morioka S. Cathodal transcranial direct current stimulation of the posterior parietal cortex reduces steady-state postural stability during the effect of light touch
この研究は、彼が修士課程の時に行った姿勢バランスの安定化に貢献するLight Touch効果時の脳活動(Ishigaki T, Ueta K, Imai R, Morioka S. EEG frequency analysis of cortical brain activities induced by effect of light touch. Exp Brain Res. 2016;234(6):1429-40 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26758719)の責任領域に迫ったものです。



修士課程時に調べた研究では、後頭頂皮質の活動(EEG)がLight touch効果に関連している(あくまでも相関関係)ことを示しました(http://www.kio.ac.jp/nrc/kio_ishigaki_press)が、今回は後頭頂皮質の活動を陰極tDCSによって一時的に抑制すると、姿勢バランスが不安定化することを明確化しました。同時に感覚皮質においてはその影響はなく、Light touch効果は体性感覚入力を与え感覚皮質の興奮性を高めることによる効果でなく、姿勢定位に貢献する感覚統合による効果が大きいと結論づけられました。この知見は姿勢バランスを向上させるための臨床メカニズムに大いに貢献できると考えています。
この研究は博士学位申請論文のメインとはせず(あくまでも修士論文の延長線のreportなので)、彼は今やっているそれを発展させたユニークな研究(博士学位申請)を行うことで、私たち療法士が何気なくやっている手続きを明確にするつもりです。これがはっきりすれば、私たちの「手」はとても大事な情報源として認知されると思います。楽しみです。
先ほどまで行われた大学院ゼミ。彼は先週所用でいませんでしたが、本日、臨床を終え、ゼミに来るだけで、場の空気を優しくも厳しくも安定させるという力をもっています。彼はどこにでも出せますし、その反面、手放したくない人材でもあります。

氷室のライブ引退に思う

2016年05月24日 05時30分18秒 | 日記
「青春が終わった」という喪失感な東京です。ライブ終了後、しばらく呆然と立ちすくんだのは初めてかもしれない。



氷室の姿を最初にみたのは、もちろん高知でのライブ。グリーンホール(小ホール)ではちゃめちゃになり、しばらく来ることができなくなり、2年ぶりに来たオレンジホールでのライブ(ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR)ではすでにチケットがなかなかとれなく、とても往生しながらGETした記憶がある。

自分の中学時代に、彼らがベルリンでレコーディングしたアルバムBOØWYのBOØWYから聴き始めた。それからJUST A HEROに行き、INSTANT LOVE、MORALにさかのぼり、15歳の時に、彼らのコピーを始め、髪をちょっとさか立てたりしながら高校に通った。松井のダウンピッキングを真似て、どんな時もオルタネート・ピッキングにはせず、ダウンを極めようと必死だった。暴威だったころのLOFTのライブに憧れ、GUELLIRAやGIVE IT TO MEを弾いたりした。その後、BEAT EMOTIONが出て、PYSCHOPASSとなり、彼らは解散した。そして、巷はBOØWYのコピーバンドばかりになり、なんとなくそれがカッコ悪く見え、知らないうちに一歩引いてみてしまう自分がいた。洋楽に戻ったり、PERSONZやRED WARRIORSのコピーなどをしたりしながら。。。それから30年。

BOØWYの曲も氷室の曲も全く聴かなく過ごしてたけど、どっかにLAST GIGSということにひっかかっていた。そんな中、同僚やかつての同僚が「チケットありますけど、一緒に行きませんか?」と声をかけてくれた。忙しい自分を思うと1日迷ったが、これは「何かなんだ」と思い、そのまま「行かせてもらう!」と返答した。
時間がたって、改めてもっていたアルバムを聴かせてもらうと、完成度の高さに驚いた。そして何よりもくさいけれども、氷室はヒムロックを演じている、矢沢がE.YAZAWAを演じるように。これこそが、ボーカリストであるといわんばかりに。なんだかんだ自分のボーカルスタイルも影響を受けているんだよな、と思いつつ。そして、なんて醜い体型なんだろうと自分を反省しつつ。民生のように自然体で生きる中年もかっこいいけど、氷室のようにいつまでも男の色気を意識する中年もかっこいいと思った。ドームに来ている屈強な男連中が多いライブと思うと、なおさら。いずれにしても、自分の見せ方(演じ方)のメタが効いているだと思う。



BOØWYから遠ざかり、どことなく距離を置いていた自分。次のライブは全曲BOOWYでもいいかな、と思ったりもしています。。。笑
どう生きるか、どのように生きるか、それが大事なんですね。最後はなかなか席を立てない寂しい意識が生まれました。
今は青春が終わった、って感じです。そして感謝です。姫路講演後、東京へ。そして早朝の新幹線で帰り、授業に!
追伸:東京ドームと目と鼻の先の文京区の出版社、一足先に、新しい本をいただきました。この本のスタイルは、私のロック魂みたいなもんです。




5~7月の講演スケジュール

2016年05月02日 10時02分17秒 | インフォメーション
The 1st International Symposium on Embodied-Brain Systems Science
日時 5/8(日)
タイトル Characteristic of visual feedback delay detection in apraxia
口頭発表 森岡 周
場所 東京大学伊藤国際ホール

株式会社geneセミナー
テーマ 脳を学ぶ -リハビリテーションのための神経生物学入門-~東京会場~
講師 森岡 周
日時 2016年5月15日(日)10:00~16:00(受付9:30~)
会場 国際ファッションセンタービル(KFC Hall & Rooms)3階 KFCホール

トライデント医療専門学校特別講義
日時 5/20(金)
テーマ 脳・神経学に基づく理学療法 ―痛みを含む
講師 森岡 周
場所 トライデント医療専門学校

第5回TAF研修会
テーマ:高次脳機能障害に対するニューロリハビリテーション -半側空間無視・失行症の評価と治療戦略-
講師:森岡 周
日時:平成28年5月22日(日)10:00~16:00
会場:姫路商工会議所 新館201研修室

第51回日本理学療法学術大会
日時:5/27-29

いわて運動療法研究会 春期特別研修会
日時:平成28年6月4日(土) 10:00~16:00
場所:岩手県高校教育会館 (盛岡市志家町)
テーマ:最新の脳・神経科学によるニューロリハビリテーション
    「高次脳機能障害に対するリハ戦略へ向けて」
講師:森岡 周

ニューロリハビリテーションセミナー機能編A
日時:6/11-12
テーマ:注意の神経機構、他

聖路加国際大学大学院看護科学研究科特別講義
日時:6/17(金)
場所:聖路加国際大学
講師:森岡 周
テーマ:ニューロサイエンス看護学 特論Ⅱ

第20回静岡県理学療法士学会 
日時:6/18(土)
テーマ:脳機能と姿勢・歩行
講師:森岡 周
場所:プラサ ヴェルデ(沼津市)

日本理学療法士協会講習会(基本編・理論)
テーマ:認知神経科学とリハビリテーション
日時:2016年6月20日(日)
場所:徳島文理大学2号館2階 アカンサスホール
講師:森岡 周、樋口貴広

Resta Next 研修会
日 時:平成28年6月25日(土)10時00分-16時00分
テーマ:高次脳機能障害のメカニズムとニューロリハビリテーション戦略
講 師:森岡 周 氏 
会 場:電気ビル 本館 

第33回日本脳電磁図トポグラフィー+第15回釧路ニューロサイエンスワークショップ
日時:2016年7月1日~2日
場所:釧路プリンスホテル
テーマ:未定
講師:森岡 周

第17回日本認知神経リハビリテーション学会
日時:2016年7月2~3日
場所:エルガーラホール(福岡市)
演題:感覚運動の不協応が筋活動の変調と主観的知覚に及ぼす影響
発表者;森岡  周

株式会社geneセミナー
テーマ 高次脳機能障害の脳内機構とニューロリハビリテーション~東京会場~
講師 森岡 周
開催日時 2016年7月10日(日)10:00~16:00(受付9:30~)
会場 全電通労働会館 2階 ホール 東京都千代田区神田駿河台3丁目6

AMED研究ミーティング
場所:名古屋
日時:平成28年7月16日

身体運動制御学とニューロリハビリテーション研究会
高次脳機能学とニューロリハビリテーション研究会

日時:平成28年7月30日~31日
場所:畿央大学

崇拝と尊敬

2016年04月03日 22時17分09秒 | 脳講座
本日は名古屋で5時間講演



USN、身体失認、失行、前頭葉障害の神経メカニズムと、そのメカニズムから考える臨床推論について話しました。既存の治療理論からロジックをつくるのではなく、評価結果(行動・現象)、そして脳画像の事実から、治療を選択(意思決定)することの手続きを神経ネットワーク(例えば背側経路、腹側経路)から説明しました。

これに類似した内容で、USN、失認、失行に絞ったものは、今度東京で話します。https://tap-labo.com/events/detail/86

1週間前の運動障害の講演の5時間と比べて、少々疲労感が少ないのは、どうやら今自分が興味をもって研究したり、臨床を考えたりしている事柄だからでしょうか。。。
時に治療理論や手段・方法から考えてしまう臨床ベクトルは、いつしか、その治療理論や、それを提唱する人を崇拝するとった意識におちいってしまいます。今日の帰りの近鉄列車で、友人の奥埜氏とメールのやりとりしていた中で、彼からは「尊敬することとと崇拝が混同しているのが問題だ」という強いメッセージをもらいました。

講演を聴いた方々からしばしば生まれる「あの(カリスマ)先生がそう言っていた(からそうにちがいない)」という崇拝的意識は、「絶対視・神格化」を作り出すことになったりします。こういう志向性は、地球上の生物で唯一宗教を生み出した人間らしさ(宗教は最高の高次機能)でもありますが、その際、問題となるのは、善悪の判断の責任を、自分自身でなく、それを提唱する他者や理論(もの)に置き換えてしまうことです。

崇拝でなく尊敬するレベルに止め、公平的視点を捨てず、あくまでも起こった事実の責任は、物や理論・手段に擦るのではなく、自分でとらなければなりません。むしろ、自分で責任をとる、あるいは随時判断を下さなければならないという恐怖を隠すために、人間は崇拝、絶対化という志向を作り出すのかもしれません。そういう意味で、今の事実(例えばサイエンス)を知るという志向性は忘れてはなりませんね。



帰り際、多くの若い療法士(鹿児島から来られている方などからも)から質問をもらい、ちょっとだけど時代が進むんじゃないかと期待しました。報酬価値ですね。
金山に泊まったことから少し時間ができ、名古屋ボストン美術館に寄ることができました。ルノワールのダンスはオルセーにある「都会のダンス」「田舎のダンス」しか鑑賞したことがなかったのですが、今回、米国ボストン美術館の「ブージヴァルのダンス」を初めて鑑賞することができました。この経験が(フランス好きの私にとっては)ひょっとすると疲れを少し和らげたのかもしれません。脳はある種、簡単に騙せるわけです。パラドックス的に捉えれば、下降性疼痛抑制なども含めて、報酬系作動はある意味要注意なわけです。

待つということ

2016年04月03日 22時16分33秒 | 脳講座
本日は教職員会議のオンパレードでした。新任の方々を迎え、新しい顔を見るということは、嬉しいことだなあと思う反面、退職した方々のお顔が見れなくなるということは、寂しいことだ、と会議に出ながら思った次第です。

それと同時に、定年を全う(勤め上げる)して退職された方々も今回は多く、そういう人生って良いなと「強く」思うところもありました。
とかく現代は、派手な(勢いのあるように見えて我慢できない)人生に憧れる嫌いがあり、地道に生活に土着しながら生きようとする姿勢を軽視するような気がしてなりません。

100人いたら100人意志や意見を発してしまえば、混乱必至です。脳幹や小脳、はたまた基底核のような存在が組織には必要なわけです。前頭葉ばかりだと若い組織はイケイケでいいのですが、年数とともに息切れし朽ちてくるかもしれませんね。

さて、4月1日は、我々研究機関は科研費採択の日でもあり、twitterではそのことに関する記載が満載でした。科研費取得のために研究を行うというのは、学会発表するためだけに研究を行うと同じぐらい本末転倒なのですが、それでも仲間が採択されると嬉しいものです(私は継続なのでただの4月1日でしたが。。)。
こうした税金によるオフィシャルなお金をいただけば、それ相応に、社会に貢献しなければならないというスイッチが入り、そうした意識は研究者にとっていいことかなとも思っています。

軽い研究にならず、じっくりと丁寧に行い、数ではなく、社会的にインパクトのある質の高い研究にしていきたいですよね。
とかく現代は、「待つこと」ができなく、すぐさま発信することに主眼が置かれています。例えば、今は「メールの返信も待てない、だから待てずにまた送る→カップルが喧嘩する」の図式が成り立ったりしますが、昔は「戦争で帰ってくるかもどうかもわからないが待ち続ける」という心の持ちようがあったように思えます。
(学生の成長を)待つということ(やたらめったら自分の経験に持ち込むような介入をせず待ち続けるということ)は我々教育者にとって最も大事な意識かつスキルだと思っています。

少々、大げさで古い人間の思考・たとえだとも思われるかもしれませんが、人の思考や心の熟成にも大いに時間がかかり、これは知識やスキルの涵養も同等であると思っています。

そしてそれは若い私達の業界においても、20~30代そこらで「やたらめったら」(借り物で)発信せず、地道に丁寧に取り組む時期がないと、40代こえると、その軽さが明白になってしまうかもしれません。

根拠のない自信という言葉は、時に行動を起こす原動力になり、かっこよくも思えたりしますが、私たち医学や健康を取り扱う仕事にとっては大いにミスリード(時にメディアのように)になってしまいます。営業とは大きく違うことを、そして、器の大きさと根拠のない自信は異なるということを、(私自身も含めて)肝に銘じておく必要がありますよね。このようにfacebookに記事を書いていることも、実は待てていないことになりますから。。。

学長交代にあたって

2016年04月03日 22時15分23秒 | 脳講座
別れの季節ですね。自宅前の桜も膨らみ始めました。昨日の教授会にて、冬木智子 学長が退任・勇退されました。御年94歳です。「健康でいられるということが幸せである」という、昨日の言葉は、その人生の遍歴から、相当に重く真摯に受け止めることができました。

http://www.kio.ac.jp/fuyuki/kokoro/index.html

畿央大学に着任してから、たかが12年ですが、着任前の桜井女子短期大学での面接でのインパクトは、今なお心の中に残っています。
「ある着任予定の方が県外から通われる(それ以外は臨床)ということで、2~3日間ほどしか大学にいないと言われ、断りました。それでは教育はできません。」

この言葉は非常にシンプルですが、(学生に寄り添い同じ目線で見ようとする)教育は臨床の片手間にはできない(その逆もしかり)ことをほのめかしています。いかにも怪しそうな大学立ち上げの人しかみていなかった私は、その心に打たれ、縁もゆかりもない奈良にうつろうと決心したわけです。この心が伝搬し、手前味噌ですが、畿央大学の今の教育にいかされ、国家試験の合格率をはじめ、いろんなところに影響しているのではないかと思っています。

その後、縁あって、大学広報誌のカトレア通信で、冬木学園60周年記念対談を行わせていただきましたが、後の雑談で、私のFD評価(学生からの授業評価)に触れられ、「あなたのこの得点は愛嬌があるからですよ。」と、私にとっては変化球的な考察に驚いたことを覚えています。その後、人が人を嫌悪に思わず、好きで入られるのは、かっこよさでもない、きれいさでもない、まさに愛嬌(赤ちゃんをみればわかります)なんだと腑に落ち、これは今の私の教育方法や生き方に大いに活かされています。

米寿を超えられ、私の研究室が3階にあるときは、何度か突然に研究室に立ち寄られ、「記憶力が最近落ちてきたんですが、脳からみてどうすればいいですか?」→「そういうメタ認知ができていて十分です。卒業式でもまだ原稿なしでスピーチできるので大丈夫です」、「腰を痛めたのですが、整形外科の医師はヒールは駄目といわれたが、どうもヒールじゃないとしっくりこない(重心が安定しない)」→「脳のなかにはボディイメージがあって、長年履いてこられたものに意識は定着しています」などと、このやりとりを今思うに、フラットな精神をもたれている方だと改めて思うわけです。

そして、もう6年も前になりますが、国際ソロプチミスト連盟での、私よりも年配の女性の方々に対する講演など、いろんな経験をさせてもらいました。それは女性の会なのですが、学長自身は女性だの男性だの境界線を引かないニュートラルな意識をもって教育に携わっている(いた)と記憶しています。人間は知らず知らずにして、国境と同じように、性別(ママとかパパも含めて)や「~~~家(者)」と、線を引きたがりますが、境界は自分を慰めるのには便利ですが、その境界によって、発展を阻害する対立や、ひいては区別(差別)される人ができてしまうことを忘れてはいけないですよね。

幸福感の惹起とは?

2016年03月31日 22時14分21秒 | 脳講座
福岡で5時間講演(今日は何度かトークしている最中に意識が飛び、主体感を喪失する瞬間に遭遇しました、それを操作しようという自己意識がさらに講演中に生まれ、今は相当の疲労です)を終え、新幹線に乗り自宅に向けて帰っています。博多駅は年度末の観光客でごった返し、ただいま広島を過ぎたところですが、ベイスターズファンと鉢合わせ、「日本はいいね、幸せだね、こういう空間と時間の共有が明日も明後日も起こるよね?!と」と思っている時間です。

今日は上肢運動制御の知見を述べたのち、一部、機能回復は運動学習で説明できるが、説明できない(どっちやねん)という視点を皆さんに提供しました。
時に狭義の回復という視点は前の状態に戻るという後ろ向きの視点になってしまいます。脳は時制を獲得し、それに基づき発達していきます。紛れもなく脳は記憶装置でありますが、その記憶は将来の予測のために蓄えるわけです。

私たちにしばしばおこる幸福感の惹起は、今現在から未来へのベクトル(前向きモデル)に現れ、そのベクトルに向い、不確実、不安定性の中でも、自らに(行為)主体感を持てるといった認知的志向(差分、誤差)と、それと同時に生まれる情動惹起に伴う希望(今でなく将来に対する報酬価値)といった感情を持てるかに由来しています。
だから、元に戻りたいという後ろ向きのベクトルでは、幸福感の惹起は極めて難しいわけです(ノスタルジー感情はまた別です)。発達途上の幼児が「乳児の時が幸せだった」なんて言わないですよね(そんな子供がいたら子供らしくないと思います)。もしその程度の生物だとすれば、私たち人間はここまで発達してこなかったでしょう。
だから、骨の折れる作業ですが、脳損傷が起こった場合、過去の自分(病気前)を一度リセットする作業工程が必要になってきます。学習とは未来に向かうもの、これに対して、回復とは過去に向かう意識が強い。機能回復と運動学習は類似し、神経基盤も共通したりしますが、心理社会的には異なり、報酬感覚としては大きく変わってくるわけです。

そして、脳は差分しか情報化(認知)できない特徴を持っています。普段の定常化した行為はなんら認知されないし、報酬価値としてもなくなる。しかし、私たちの機能・能力にはある程度の限界があり、永続的に発達し続けるわけでもありません。脳は筋肉のように巨大化させることはできませんから。

だから、絶え間ない増加方向のベクトルによって差分を作り出し続ければ、いつか失速し破綻してしまいます。組織・会社が破綻するシステムと脳のシステム破綻は似ています。だから、患者さん自身でなく、私たちもささやかながらリセットする必要があります。去年の自分をリセットする、今日の自分をリセットし、ささやかな差分(増加分)を感じる余裕をつくる、そういうちょっとした切り替えが幸福感をつくったりするわけです。そして、ささやかな差分が「できたという結果のみ」であったり、「儲けたっていう結果のみ」という外の意識へと放出したりすると、そうならなくなった場合、いわゆる「不幸」の意識が生まれます。

報酬学習を字義的に理解するだけでなく、このような人間らしさ(人間とはなにか)を考えることはとても大事ですよね?という類のことを最後は話したつもりです。
この図のcomparator modelの理解がセラピスト教育の根幹になるように、ちょっと頑張らないといけないな、と思った私の休日(講演・仕事)でした。しかし、5時間講演はいつまでたっても適応できない、、疲労感満載、寿命が縮む感覚が生まれます、、涙、笑。それでも、家に帰れることを報酬に変え、リセットします!

リハビリテーションのための脳神経科学入門改訂にあたって

2016年03月29日 22時12分32秒 | 脳講座
1週間ほどの遅れですが、自分が自分の誕生日を祝う意味で(最近は血圧の関係で家では禁酒をしていましたが)、久しぶりにワインセラーからごとごとと取り出したピノノワールをいただき、そのパワーをもとに、途中まで書いていた英文原著を仕上げ(明日カバーレターを完成させる予定)、先ほどまでかけて、単著である「リハビリテーションのための脳・神経科学入門(第2版)」のまえがきとあとがきを一気に書きあげました。もう初版の原稿は1割程度の全面書き下ろし改訂本になっています。

まえがきが3400字で、あとがきが4200字とちょっとバランスが悪いのですが、これでfinishさせます。残りはもう1回校正作業をして5月に刊行する予定です。
まえがきはパースペクティブ的内容ですが、あとがきでは一人称的に初版を書いていた33歳からの12年を振り返っています。むしろ改訂が12年と干支のように一回りしたことでよかったと思っています。というのは、科学の進歩だけでなく自己の成長も感じることができたからです。
大局的に概観すれば、当時は脳・神経科学を積極的にリハビリテーション医療に取り入れようとする意識はほとんどなく、関連する学会で発表しても、論文を書いても「脳の研究や脳科学の考え方なんかリハビリテーション医療(特に理学療法)に必要ない」「なんでそんな学問が必要なんだ」「あなたのやっていることは変わっているね(わからない)」などと(遠い人にも近い人にも)揶揄されることがしばしばあり、そのちょっと前まではなかなか受け入れてくれなく、国内でなく国際誌に厳重な封筒にフロッピーディスクを入れ、editorに手紙を書き、着いたか着いてないかもわからないAir Mailで論文を郵送したりすることを続けていました。が、今日では揶揄もほとんどなくなり、おかげさまで講演にも招待され、若い方々が積極的に研究成果を出し、そして関連諸氏の力のおかげで、嬉しいことに、今ではリハビリテーション科学が学際的な脳・神経科学の一端を担おうとしています。

この10数年、一人称的にはものすごいスピードで経過してきましたが、こう振り返ってみるとそれなりに意味があるのがわかります。やはり意味は後付けですね。今回の改訂作業を通じて、自己の人生のみならず、リハビリテーション科学の動向を概観することができてよかったと思っています。
初版はついにamazonでは在庫切れ、出版社でも品切れになったようです。これはこれで貴重な本になるかもしれません。もはや第2版は影も形もなくなりつつ、、、なので。笑。ただし、33歳の攻撃的な自分(の表現)ともお別れのようで少し寂しい気がしています。

初版が出版された時のようなインパクトはないかもしれませんが、まずまずの情報を提供できていると思いますので、それなりに期待しておいてくださいm(_ _)m
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