森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

日記:出直してきなさい...

2011年07月20日 20時10分05秒 | 日記
先日,ある学会で発表を終えた院生からの伝達で,
いくつかの指摘を受け,
さまざまな意見をいただき有意義であったとの報告を受けました.

この学会はリハではなく,
運動制御に関する学会であり,
神経科学者なども多く参加するものです.

さて,院生のNIRS発表に対して,
さまざまな意見をいただいた中で,
批判的吟味をしていただき,
例えば,こうすればこのようになるかもしれないとか,
このデータはこのように処理したほうがこうなるとか,
良い意見をいただきました.
その人たちはもうすでにNIRS研究にて,
国際雑誌にも掲載されている方であり,
よく把握しているからこその助言です.

一方,NIRSを使用しているあるセラピストから,
NIRSは,データが曖昧だとか,
何を計測しているのかわからないとか,
ダイナミックな動きを行った場合,
例えば歩行など,データが変わるとか,
さらに我々はNIRSを移動させながら計測しているのですが,
これではデータの信頼性がないなど,
云々を院生にいったようでした.
まあ,ここまでは許せるのですが(しょうがない),
そのあとの発言がよくない.以下に記します.
「我々もNIRSを使用してたんですが,最近はデータの信頼性がないから,NIRSを用いて計測するのをやめてますと・・・」

この文句は自分がユーザーであることを忘れています.
計測の問題はいくつもあれど,それをうまく使うことで信頼性をあげることを忘れているのです.
我々の仲間,例えば,Dの信迫,谷口,中野らは,前述したさまざまな問題をクリアしながら計測の準備をしています.
そのデータはとても信頼のおけるものです.
だから,逆に言いたいのです.
下手ではないのですか?と.

先日,対談したバイオリニストの飯島さんは,
ストラディバリウスを使用していません.
確かに,ストラディバリウスは名器かもしれません.
けれども,演奏者によってそのい名器は生きるか,死ぬか.
一方,名器といわれないものであっても,
演奏者によって生きるのです.

演奏者はバイオリンのユーザーであって
製作者ではありません.
ユーザーは製作者に意見は言いますが,
その楽器がよくないからと言って使わないなどとは言いません.

ユーザーと製作者が協調することで,
さらに発展するのです.
われわれにとっては,島津製作所と私たちです.
島津の技術担当者なくして,
私たちの研究は成り立ちません.

ユーザな者が,機械の性能が悪いから使用しないとはいってはなりません.
家のクーラーのききがわるけば,
そのクーラーのききが最大限になる方法を生み出すのが
研究者なのです.

セラピーも同様です.
手技が悪いわけではありません.
それを使えない,使いこなせない人間がよくないのです.

使いこなせてこそ,本当の意味での欠点がみえ,
それこそが技術員が待ち焦がれていた意見なのです.

いずれにしても,NIRSやMRIはしょせん・・・といっている人には,
「ところでおたくの業績は?」「国際雑誌は?」と私は問い返すでしょう.
なぜなら,そのような装置を使ってちゃんと成果を挙げている人がいるのだから.

そういう人には「業績なくして発言なし」ともいうでしょう.

そして,NIRSやMRIは解釈学なのですが,
「解釈するための知識を相当につけて出直しなさい」ともいうかもしれません.
解釈するためには相当の神経生理学,特に動物のニューロン研究の知識が必要なのです.

勘違いしてはなりません.
私たちはユーザーなのです.
その機器を開発するものではないのです.
だから,使いきることがとても大切なのです.
車といっしょです.
性能が悪いからと言って乗り換えることはできません.
なぜなら,脳機能イメージング装置を超えるものは
現在のところないのだから.