人生もすでに折り返し,
毎日毎日が目まぐるしくすぎていきます.
1年の速さというのはまさに,年齢を重ねるごとに「べき関数」のように速度を上げています.
ある原稿を書こうと思い,
過去のパソコンのフォルダを整理していると,
あ,この学会の講演資料,もう3年も前かと・・・
まだ1年前のような感じもするが,
それだけ,月日の流れがはやいのでしょう.
就職して1年目とか,2年目とかの速さに比べ,
ここ数年は1年があっという間に過ぎてしまいます.
もう社会人となって20年.
畿央大学に来て8年目.
前の職場は9年,その前は3年ですが,
その時の方が心的に長く感じ,
30代から40代に行くにつれて,
短くなってきました.
これが50代に向かうこの10年足らずは,
もっと早く感じるのかもしれません.
そのようなことを感じると,
自分の人生を考えることがしばしばあります.
その道しるべには必ずターニングポイントとなった
心理的な媒介(環境)があったように思えます.
それは人との出会い,
書物との出会い,
環境との出会い,
論文との出会い,
音楽との出会い,
そしてかけがえのない社会人後に出会えた友人と.
そうした媒介に心から感謝できるようになったのも
この数年かもしれません.
それと負の相関があるように,
自分を向上させる意識というのは少なくなったように思えます.
もっと成長したい,
もっと学びたい,
もっと向上したい,
人に勝ちたい,自分に勝ちたい,負けたくない,
という本能的な欲求は少なくなったように思えます.
以前は上司をみると,
もっと自分を追い込めよ,
もっと背中を見せてくれよ,
とか,時代がわかってないな~とか,
上を見る目がアンチテーゼとなり,
それを乗り越えないといけない,
とも思ったりして.
けれども,この年になって,
様々な身体機能の低下を感じ,
一方,それとは反比例するように,
心の余裕を得て,
あせらず,ゆっくりと事象を考えるようになってきました.
そして,それと共に,
あと何年,自分はこの調子で頑張れるのか,
あるいは,どのように自分がしてきた仕事をまとめるか,
どのように後輩にそれを託すのか,
そして託した後の自分の基盤は...などなど.
と考える時もあります.
私にとって,今のラインでの大きなテーマはあと3つ.
けれどもその道半ばでたえるかもしれないし,
一方ですぐさまできあがるかもしれない.
達成したら,いまのラインを歩かず,
違う道を歩きたいのかもしれません.
このように思えるのは,
人生は一度きりしかないということをここ数年やっと感じ始めたからかもしれません.
若い時はどのようなことをいいつつも,
それはキャッチフレーズにしかなく,
自分を鼓舞したり,履き違えた自由を意識していのにすぎなかったのでしょう.
この年齢になって,
いよいよ人生は一度きり,
そして,せいぜい今の延長は,あと10年~20年.
そう考えると,やっとのこさ,
人生を楽しもうと思いはじめたのです.
それはやっと,自分が何者かということが,
うっすらわかってきたからかもしれません,
そして自分が何のために生まれ,
他人のために,社会のために,この世に何を残していくのか,
といった自分の人生の刻印を意識しながら.
毎日毎日が目まぐるしくすぎていきます.
1年の速さというのはまさに,年齢を重ねるごとに「べき関数」のように速度を上げています.
ある原稿を書こうと思い,
過去のパソコンのフォルダを整理していると,
あ,この学会の講演資料,もう3年も前かと・・・
まだ1年前のような感じもするが,
それだけ,月日の流れがはやいのでしょう.
就職して1年目とか,2年目とかの速さに比べ,
ここ数年は1年があっという間に過ぎてしまいます.
もう社会人となって20年.
畿央大学に来て8年目.
前の職場は9年,その前は3年ですが,
その時の方が心的に長く感じ,
30代から40代に行くにつれて,
短くなってきました.
これが50代に向かうこの10年足らずは,
もっと早く感じるのかもしれません.
そのようなことを感じると,
自分の人生を考えることがしばしばあります.
その道しるべには必ずターニングポイントとなった
心理的な媒介(環境)があったように思えます.
それは人との出会い,
書物との出会い,
環境との出会い,
論文との出会い,
音楽との出会い,
そしてかけがえのない社会人後に出会えた友人と.
そうした媒介に心から感謝できるようになったのも
この数年かもしれません.
それと負の相関があるように,
自分を向上させる意識というのは少なくなったように思えます.
もっと成長したい,
もっと学びたい,
もっと向上したい,
人に勝ちたい,自分に勝ちたい,負けたくない,
という本能的な欲求は少なくなったように思えます.
以前は上司をみると,
もっと自分を追い込めよ,
もっと背中を見せてくれよ,
とか,時代がわかってないな~とか,
上を見る目がアンチテーゼとなり,
それを乗り越えないといけない,
とも思ったりして.
けれども,この年になって,
様々な身体機能の低下を感じ,
一方,それとは反比例するように,
心の余裕を得て,
あせらず,ゆっくりと事象を考えるようになってきました.
そして,それと共に,
あと何年,自分はこの調子で頑張れるのか,
あるいは,どのように自分がしてきた仕事をまとめるか,
どのように後輩にそれを託すのか,
そして託した後の自分の基盤は...などなど.
と考える時もあります.
私にとって,今のラインでの大きなテーマはあと3つ.
けれどもその道半ばでたえるかもしれないし,
一方ですぐさまできあがるかもしれない.
達成したら,いまのラインを歩かず,
違う道を歩きたいのかもしれません.
このように思えるのは,
人生は一度きりしかないということをここ数年やっと感じ始めたからかもしれません.
若い時はどのようなことをいいつつも,
それはキャッチフレーズにしかなく,
自分を鼓舞したり,履き違えた自由を意識していのにすぎなかったのでしょう.
この年齢になって,
いよいよ人生は一度きり,
そして,せいぜい今の延長は,あと10年~20年.
そう考えると,やっとのこさ,
人生を楽しもうと思いはじめたのです.
それはやっと,自分が何者かということが,
うっすらわかってきたからかもしれません,
そして自分が何のために生まれ,
他人のために,社会のために,この世に何を残していくのか,
といった自分の人生の刻印を意識しながら.