新年1発めの授業は人間発達学。今日は言語の発達でした。言語における意図・身体の重要性を理解してくれたかな?なぜ私たち日本人が日本語がネイティブなわけを。。
さて、先ほどまでの、今日の院ゼミはにぎやかでした。1月8日が修士論文の提出ですので、今日はうちの研究室のM2の9名がそろい踏み(あ、長野の保屋野は来てないか。。。)でした。今日はM1 10名の中で3名の研究計画・結果をみんなでディスカッションしましたが、片山君のデータは2つの仮説の決着をつけることができる成果になるかもしれません。これによって、疼痛の臨床を少し前進させることができそうです。HarisやFink以来ですから15年かかりましたね、笑。
研究とは未来のためにあるもの。研究ができる臨床家は今(オンラインの臨床)と未来(研究成果)をつなぐ存在になることでしょう(時制をもった臨床家)。メディアに出たりすることが一見華やかに思え、時代をつくってそうに見えますが、それは一瞬な一過性のものであり、結局は消え去る。それよりも、目に見えないもの、その成果を作品・原著に残す事。自分がなくなってもその作品は残り続け、それが真実であれば、使われ続けるわけです。会社を残すということもそういうことですよね?ただ研究成果が残るということは、一部の人達のためでなく、世界の人々を対象にしています。
いずれにしても、現行、カオスのようにやられている臨床を整理するためにも研究の成果は大切になります。時制の役得は脳の本質的な意味ですからね。
今日確認したD3の大住の研究成果、D1の大松の研究成果もあっとおどろくものになりました。これも臨床を1歩前進させる基礎的知見ですが、介入研究の母集団に基づく数字遊びと違って、人間・病態の真実を捉えたものになるかもしれません。追試される研究を世に出して行きたいですね。
リーダシップをとれる人間、ハブとなる調整役の人間、ムードメーカー、様々な人間達で創発される研究センターのメンバーになりました。
腰痛が醜い状態ですが、1時間ほど原稿に向き合います。「仕事が趣味であり、趣味が仕事である」「研究とはノルマではなく、発見の連続が起こる趣味でもある」