百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

老子道徳経を読んで (3)

2013年03月21日 13時52分19秒 | 世界

  歩 い て 世 界 一 周  3月21 (木) 晴れ 

 

日 数「日」

総歩数(歩)

総距離(m)

平均歩数(歩)

今  日

        1 

17,919

12,543

 

今  月

21

365、789

256,052

17,419

今  年

80

1,347、556

943,289

16,844

2005年から

3,011

42,666,275

29,866,393

14,170

70歳の誕生日から

6,543

124,616,411

87,231,488

19,046

イツ・オランダ、ベルギー.、フランス.イギリスを経てアイスランドのレイキャビックに向かう、後 76,471m

 老子道徳経 (第4章)

  道冲、而用之或不盈。淵兮似萬物之宗。挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵。湛兮似或存。吾不知誰之子、象帝之先。

 道は沖(ちゅう)なり、而うして(しこうして)之を用うるに或(あるい)は盈たず(みたず)。淵兮(えんけい)として万物の宗なるに似たり。其の鋭を挫き、其の紛(ふん)を解く。其の光(こう)を和らげ、其の塵を同じくす。湛兮(たんけい)として常に存するに似たり。吾、誰の子なるかを知らず。象(しょう)は帝の先にあり。

 意訳

 『道』は空虚(空っぽ)な容器であり、これを用いる場合には中身を満たして上げる必要はない。道は底(限り)のない淵のようで、万物の宗祖(祖先)に似ている。道は、すべての鋭い性質を鈍くして、すべての紛糾を解きほぐしてしまう。すべての光は弱められ、(弱まった光は)塵埃(じんあい)の中に埋もれていってしまう。道は満々と水を湛えた池のようで、いつもそこに存在している。私は、道が誰の子であるのかを知らない。『道』の捉えどころのない象(すがた)は、中国の歴史のはじまりである三皇五帝の時代よりもずっと前から存在しているのだ。

 ※ このパソコンのバッテリーのリフレッシュを行った。

   バッテリー使用開始 2008年4月23日

   バッテリーの種類   リチウムイオン電池

        診断結果   性能は良好