私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

為すべきことは常に目の前にある

2013年08月28日 10時03分10秒 | 悟り
実はここ数日、また仕事が手に着かずに苦しんでおります。
昨日、自分が仕事をすることにどうしてこれほどまでに手こずるのかと不思議に思い、もう一度自分を見つめてみようと自覚に入りました。
すると、半ば内面から沸き上がってくるようにして、あるいはどこから降りてくるようにして、メッセージのような文章が浮かんできました。

表層意識の私としては、その内容をまだ消化しかねる部分があるのですが、ここ数ヶ月の間ずっともやもやしていた部分の霧が少し晴れたように思います。

ここに来られる方の中にも、この文章が役に立つ方がおられるかも知れないと思い、今日はその文章をできるだけそのままにここに書かせていただきます。

なお、下記の文章中の「対象」は、ご自分がいま置かれている立場、仕事(役目)、環境など、ぴたっとくるものに置き換えてください。
そして連想を働かせてください。
私の場合は、仕事(役目)がその対象でした(しかし、これにはもっと奥があるようです)。
また、「自覚」とは、自分を観ることです。


◇為すべきことは常に目の前にある◇

何をやるかは重要ではない。

いかに自覚しているかが重要なのである。

感覚は当てにならない。

感覚はエゴのテリトリーである。

感覚に惑わされてはならない。

目の前の現実に向き会え。

そしてそれに取り組め。

お前の為すべきことは、常にお前の目の前にある。

お前は目の前の現実から逃れようとしている。

苦しいから逃れるのか?

他にやりたいことがあるというのか?

仮にお前が取り組む対象を、目の前の対象から別の対象に取り替えたとしよう。

お前はそれで本当に楽になれると思っているのか?

残念ながらそうはならないのだよ。

お前はいずれその対象からも逃げ出したくなるのだよ。

そうやってお前は延々とそれを繰り返してきたのだよ。

言ったではないか。

何をやっても同じだと。

いかに自覚しているかが重要なんだと。

それがすべてと言ってもいい。

何をやっても同じなら、目の前の対象に取り組めばいいのだ。

わざわざ取り組む対象を替える必要はないのだ。

お前の対象に対する無用な分別がなくなったとき、お前は自然と次の対象に導かれるだろう。

次は今週金曜日にでも書かせていただきます。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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