◇どうして内面に向けた集中が大切なのか◇
以前から何度もここで書いていることですが、悟りの道を歩む際にどうして内面に向けた意識の集中が重要なのかについて改めて書いてみたいと思います。
悟りの道が深まるに連れ、意識を内面に向けて強く集中し、いわば極限まで凝縮させるような意識の使い方が有効になっていきます。
浅い悟りの段階では、ハートを共鳴させるなどして、意識をいわば拡散させる手法が有効である場合もありますが、それはあくまで浅い段階に限ってのことなのです。
意識をいくら拡散させても、せいぜい到達できて、悟りの行程の中間地点までだろうと思います。
意識を拡散させる手法では、中間地点より先に進むことは困難です。
それはなぜかと言いますと、悟りの道を歩むということは、私という自我が握り締めた考えである囚われに気づき、それを一つずつ手放していくことだからです。
囚われに気づくためには、囚われに基づいて感情や思考等が起こっている現場を直視する必要があるのです。
考えが起こっている現場は、どこにあるのかというと、内面の奥深くにあります。
内面の奥深くに、モヤモヤっとした感じがあれば、そこが現場です。
このモヤモヤ感を伴う現場は、相当強い集中力がないと直視できないのですが、そこをなんとか強い意志と集中力を持って直視して頂きたいと思うのです。
何となくでもモヤモヤ感を捉えることができたら、食らいついて放さないように徹底的に意識を向けて直視して頂きたいと思います。
後悔しないよう、悔いの残らないよう、全力で直視して頂きたいと思います。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
※次回の講話セッション、個人セッションは7月31日(金)です(上のリンクを参照ください)
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
哲学・思想 ブログランキングへ
以前から何度もここで書いていることですが、悟りの道を歩む際にどうして内面に向けた意識の集中が重要なのかについて改めて書いてみたいと思います。
悟りの道が深まるに連れ、意識を内面に向けて強く集中し、いわば極限まで凝縮させるような意識の使い方が有効になっていきます。
浅い悟りの段階では、ハートを共鳴させるなどして、意識をいわば拡散させる手法が有効である場合もありますが、それはあくまで浅い段階に限ってのことなのです。
意識をいくら拡散させても、せいぜい到達できて、悟りの行程の中間地点までだろうと思います。
意識を拡散させる手法では、中間地点より先に進むことは困難です。
それはなぜかと言いますと、悟りの道を歩むということは、私という自我が握り締めた考えである囚われに気づき、それを一つずつ手放していくことだからです。
囚われに気づくためには、囚われに基づいて感情や思考等が起こっている現場を直視する必要があるのです。
考えが起こっている現場は、どこにあるのかというと、内面の奥深くにあります。
内面の奥深くに、モヤモヤっとした感じがあれば、そこが現場です。
このモヤモヤ感を伴う現場は、相当強い集中力がないと直視できないのですが、そこをなんとか強い意志と集中力を持って直視して頂きたいと思うのです。
何となくでもモヤモヤ感を捉えることができたら、食らいついて放さないように徹底的に意識を向けて直視して頂きたいと思います。
後悔しないよう、悔いの残らないよう、全力で直視して頂きたいと思います。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
※次回の講話セッション、個人セッションは7月31日(金)です(上のリンクを参照ください)
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
哲学・思想 ブログランキングへ