◇初めての自覚◇
大分以前から自覚ワークについてまとめ直そうと思っていたのですが、そのままになっていました。
やっとその作業に取りかかりたいと思います。
では始めます。
自覚とは、「私」に意識を向けることです。
私に意識を向けさえすれば、自覚です。
まずは、私に意識を向けてみてください。
私に意識を向けることに段々と慣れてきたら、可能な限り常に私に意識を向けた状態を維持できるよう努力してください。
また、私に向ける意識の集中度を段々と高めていくよう努力してください。
私に意識を向けることで、無用な感情や雑念が抑制されるとともに、それらに翻弄されることが減っていきます。
また、心と身体がしっかりとし、落ち着いて行動できるようになります。
そして、私に意識を向け続けることで、私が握りしめている考え(囚われ)に気づくようになっていきます。
身体のどこに「私」を感じて意識を向けるかについてですが、胸(ハート)でそれを感じる方、頭の中でそれを感じる方など様々だと思います。
場所はどこでも構いませんので、ご自分のやりやすい身体の部分で「私」を感じながら意識を向けてください。
「私」を感じないという方や、「私」がよく分からないという方は、自分の身体を頭頂から胸(あるいは丹田)あたりまで貫く中心軸をイメージしてみてください。
中心軸をイメージするだけでも自覚になります。
中心軸をイメージできるようになったら、その中心軸に「私」をいう名前を付けて、その「私」に意識を向けるようにしてみてください。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
哲学・思想 ブログランキングへ
大分以前から自覚ワークについてまとめ直そうと思っていたのですが、そのままになっていました。
やっとその作業に取りかかりたいと思います。
では始めます。
自覚とは、「私」に意識を向けることです。
私に意識を向けさえすれば、自覚です。
まずは、私に意識を向けてみてください。
私に意識を向けることに段々と慣れてきたら、可能な限り常に私に意識を向けた状態を維持できるよう努力してください。
また、私に向ける意識の集中度を段々と高めていくよう努力してください。
私に意識を向けることで、無用な感情や雑念が抑制されるとともに、それらに翻弄されることが減っていきます。
また、心と身体がしっかりとし、落ち着いて行動できるようになります。
そして、私に意識を向け続けることで、私が握りしめている考え(囚われ)に気づくようになっていきます。
身体のどこに「私」を感じて意識を向けるかについてですが、胸(ハート)でそれを感じる方、頭の中でそれを感じる方など様々だと思います。
場所はどこでも構いませんので、ご自分のやりやすい身体の部分で「私」を感じながら意識を向けてください。
「私」を感じないという方や、「私」がよく分からないという方は、自分の身体を頭頂から胸(あるいは丹田)あたりまで貫く中心軸をイメージしてみてください。
中心軸をイメージするだけでも自覚になります。
中心軸をイメージできるようになったら、その中心軸に「私」をいう名前を付けて、その「私」に意識を向けるようにしてみてください。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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これから自覚を始めようと思っています。
自覚ワーク等の紹介の記事を一通り読ませていただきました。
やり方について混乱していることがあるのですが、自分の体の中心軸をイメージして「私」に意識を向けるときの「私」と、考えが起こってきたときに、「これは私の考えなんだな」と自覚するときの「私」は大いなる「私」でしょうか、それとも自我の「私」なんでしょうか?
前者が大いなる「私」で、後者が自我の「私」かと思ってましたが、両方とも大いなる「私」かもしれないと思い始め、わけが分からなくなりました。
ご質問の内容はとてもハッキリしているのですが、答え方は簡単ではありません。
簡単にお答すると、両方とも大いなる「私」です、ということになります。
しかし、ことはそう簡単ではないのです。
自覚を始めた最初ころや、まだいずれの悟り階層にも至っていない方は、「私」について、日常的な私(普通に言う自我と言ってもいいです)しかご存知ないのだと思います。
出発的は「私」について、そういう感じなのだろうと思います。
それが、自覚を通じて悟りの道を歩んでいくに連れて、段々と未知の「私」について体験し、知っていくことになります。
私がブログ記事内で表現している大いなる「私」や創造主としての「私」は、そのような道のりの比較的最初の頃に体験することなのです。
また、真我と呼ばれたりする「私」を体験することもあると思います。
そのように種々の「私」について知っていくときに、大事なことがあります。
普通の私(自我の私)と、大いなる私(あるいは、創造主としての私)等とが別物であるかのように感じられるかも知れませんが、それは誤解なのです。
それらの私は、別物ではなく、一つであり、同じものなのです。
さらに重要なことは、それらの私の中で最も中心となるのは、大いなる私でなく、真我でもなく、普通の私(自我の私)なのです。
ですから、最終的な結論としましては、自覚をするとき、意識を向ける「私」は、普通の私(自我の私)ということにります。
特別な私をイメージする必要はありません。
普通の私(自我の私)に意識を向けるようにして、自覚を行ってください。
でも自分の知らない自分に意識を向けるのは難しいので、自我のほうがやりやすそうです。
瞑想や様々なワークも手応えがなく、この自覚法が最後の砦のような気がします。
心理カウンセリングなどで、一般的な囚われや苦しみが下手に解消されてるのが裏目に出てるのか、自分の中から湧いて出るのは他愛のない想念ばかりで、捉えて働きかけるべきネガティブ想念がめったに出てきてくれず、最近は少し閉塞感を感じてました。
自覚法もこれが足かせにならなければいいのですが。単に集中力や精神力が弱すぎるせいかもしれませんけど^^;
自覚もそうですが、悟りの道は、止めようしても止められないくらいの強い衝動が起こってこなければ進めません。
それまでは、普通の人生を歩まれた方がよろしいかと思います。