◇食べることと苦について◇
暫く、苦について徹底的に書いていこうと思っています。
今回は食べるということを題材に、苦について書いてみようと思います。
空腹感に気づいたとき、空腹という苦が発生します。
この空腹という苦は、何かを食べることでそれが満たされるまで続きます。
その過程をさらに詳細に観察していきます。
空腹時に何かを食べているときは、素直に幸福感を感じやすいものです。
しかし、ことはそう単純なものではないのです。
食べている途中は、食べることによる味覚や満足感が生じていますから、感覚がそれなりにプラス方向に底上げされており、苦を感じ難いことが多いです。
しかし、食べながらも、もっと食べたいとか、もっと美味しいものを食べたいとか、お金のことが気になったり、と私という意識は忙しく活動し、それが苦を生じさせます。
そして、食べ終わるのに伴い、満足感は喪失感に変わっていきます。
食べるということについて、さらに追及すると、私たちは生きるためには食べなければならず、生きている限り、この「食べる」ということに付き合わざるを得ない訳です。
ここにも、食べるということの苦の側面を見つけることができます。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。
◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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この空腹という苦は、何かを食べることでそれが満たされるまで続きます。
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空腹時に何かを食べているときは、素直に幸福感を感じやすいものです。
しかし、ことはそう単純なものではないのです。
食べている途中は、食べることによる味覚や満足感が生じていますから、感覚がそれなりにプラス方向に底上げされており、苦を感じ難いことが多いです。
しかし、食べながらも、もっと食べたいとか、もっと美味しいものを食べたいとか、お金のことが気になったり、と私という意識は忙しく活動し、それが苦を生じさせます。
そして、食べ終わるのに伴い、満足感は喪失感に変わっていきます。
食べるということについて、さらに追及すると、私たちは生きるためには食べなければならず、生きている限り、この「食べる」ということに付き合わざるを得ない訳です。
ここにも、食べるということの苦の側面を見つけることができます。
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一切皆苦だけは「人生は苦しいもの」と当たり前の解釈で終わってしまい、皆その真意をあまり追求することがないのでしょうね。
私としては誰しもが感じていることをわざわざお釈迦様が悟りの重要ポイントとして挙げるかな?と疑問があります。
そこで私も色々と解釈して真意はこうなんじゃないかなどと空想したりしています笑
一切皆苦の考察、期待しています。
ホント、そうなんでしょうね。