◇ハートの自覚ワークについて(2)◇
昨日の記事の続きです。
今日は、このハートの自覚ワークのかなり踏み込んだ部分について書きます。
今日の記事では、このワークを使って大悟(真我の完全覚醒又は空の覚醒)を得る方法についてご紹介します。
なお、私(慧空)は主にこのワークを使って昨年10月に大悟を得ました。
前回の記事で、このワークを行うためには、ハートの中心にある「わたし」という感覚を捉えることがまず必要ですと書きました。
確かに、このワークを使って自覚を進めていくには、ハートの中心にある「わたし」を捉えられればそれで問題ありません。
しかし、このワークを使って大悟を目指すときには、ハートにある「わたし」に対してよりシャープな感覚が得られている必要があるのです。
まずは、そのよりシャープな感覚を得るための方法について説明します。
まず、両方の手の平を重ねた状態で胸の中心付近に当てて、ハートの中心にある「わたし」という感覚を感じてみてください。
そのとき、その「わたし」という感覚の中心に、その感覚の密度が周囲よりも高くなっている塊かコアのようなものが無いか探してみてください。
そのコアの大きさは、大凡直径が1センチから2センチ程度です。
コアに対するハッキリとした実感がなくても、ぼんやりと何かあると感じられれば大丈夫です。
あるいは、ぼんやりと何かあると感じられなくても、「わたし」という感覚の中心がハッキリと分かるのであれば、それで問題ないです。
なぜ、そのコア(あるいは「わたし」という感覚の中心)を捉えることが大切なのかと言うと、そのコア(あるいは、ハートにある「わたし」という感覚)を滅せれば、自ずと大悟が得られるようになっているからなのです。
では次に、そのコア(あるいは、ハートにある「わたし」という感覚)を滅するための具体的な方法について説明します。
その方法はとてもシンプルです。
そのコア(あるいは、「わたし」という感覚の中心)に、ただひたすら自分の意識を集中するだけなのです。
そのとき、「わたし、わたし、わたし、...」とゆっくり声を出しながら、コアに意識を向けると効果的です。
そして、私の意識はこの世界そのものというか世界全体なのですが、その世界全体であるすべての意識を、「一点」、すなわちコア(あるいは、「わたし」の感覚の中心)に集中してください。
このときとても大切なのは、意識の集中度合いなのです。
これ以上集中できないという極限まで意識の集中レベルを高めて頂きたいのです。
これ以上集中したら、意識がおかしくなってしまうかも知れないと思うほどの極限の集中を行って頂きたいのです。
しかも、その集中レベルを出来るだけ長い時間持続して、コアに意識を向け続けて頂きたいのです。
手の使い方については、例えば、手を使ってコアに対する感覚をより高めるようにして、あるいは、コアを両手で包み込むような感覚で、胸の中心付近に重ねた状態で両手を当ててください。
あるいは他の例として、手の平よりも指先の感覚の方が鋭敏な方は、左右の手の各指先でコアを感じるようにして、あるいは各指先から出る意識のエネルギーをコアに当てるような感じで、左右の手の各指をコアの上に当ててもいいです。
このワークによるコアに対する意識の集中は、自我を溶かすとても強力な力があります。
このワークを行う際の意識の集中度合いや、このワークをどれくらいの時間行ったかや、自我の厚みがどれくらい残っているかや、また真我の第一段階の覚醒が得られているか否かなどによって異なりますが、短い人だと、ワークの開始から数日程度で大悟が得られるケースがあると思います。
私の場合は、このワークを一日あたり5、6時間程度のペースで2、3週間続けてやった段階で、大悟が起こりました。
なお、その2、3週間の間は、ほぼ毎日休まずこのワークをやっていました。
以下は、補足です。
ハートに「わたし」という感覚が少しでも残っていると、大悟には至りません。
ハートに「わたし」という感覚が全く無くなるまで、このワークを続けてください。
大悟に至った際、自分が大悟に至ったことは直ぐに分かります。
それが分からないということは決してありません。
まず、それまでハートにあった「わたし」という感覚が忽然と消失しますから、そのギャップ感だけでも直ぐに異変に気づきます。
また、考えである客体と私である主体の合一が始まりますので、目の前の物(例えば、PCディスプレイ等)を見たとき、その対象物に「わたし」の意識が一体化したような感覚が得られます。
つまり、「見るものは見られるもの」という感覚になります。
大悟を得た後は、ハートに「わたし」という感覚が完全に無くなりますから、このハートの自覚ワークを自覚のツールとしては使用出来なくなります。
しかし、自我が滅せられたという訳ではなく、薄くなったとは言え、滅すべき自我はまだしっかりと残っています。
大悟後の自覚は、私に意識を向けながら、起こってきた考えを自覚するという普通の自覚をやっていくことになります。
<補足です(2014年10月10日)>
上記のように、ハートで感じる私という感覚に中心に意識を集中させるときの注意点について補足したいと思います。
ハートの私への意識の集中度が上がってくると、自然と私という自我の意識が薄れていき、思考の無い無我(無心)の方に行ってしまいます(そのままいくと、無我や禅定に入ってしまいます)。
このとき、無我に入ってしまうことがいいことだと誤解される方がおられると思いますが、このワークはあくまでも私に意識を向ける自覚であり、無我に入ることが目的では無いのです。
ですから、安易に無我に入るのではなく、「私」という考えをしっかりと維持して、その「私」に意識を集中し続けて頂きたいのです。
そのときのコツとしては、例えば、「わたし、わたし、わたし、...」とゆっくりと声に出して、あるいは心の中で唱えながら、つまり「私」という考えをハートの中心につくり続けながら、その「私」に意識を集中してみてください。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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昨日の記事の続きです。
今日は、このハートの自覚ワークのかなり踏み込んだ部分について書きます。
今日の記事では、このワークを使って大悟(真我の完全覚醒又は空の覚醒)を得る方法についてご紹介します。
なお、私(慧空)は主にこのワークを使って昨年10月に大悟を得ました。
前回の記事で、このワークを行うためには、ハートの中心にある「わたし」という感覚を捉えることがまず必要ですと書きました。
確かに、このワークを使って自覚を進めていくには、ハートの中心にある「わたし」を捉えられればそれで問題ありません。
しかし、このワークを使って大悟を目指すときには、ハートにある「わたし」に対してよりシャープな感覚が得られている必要があるのです。
まずは、そのよりシャープな感覚を得るための方法について説明します。
まず、両方の手の平を重ねた状態で胸の中心付近に当てて、ハートの中心にある「わたし」という感覚を感じてみてください。
そのとき、その「わたし」という感覚の中心に、その感覚の密度が周囲よりも高くなっている塊かコアのようなものが無いか探してみてください。
そのコアの大きさは、大凡直径が1センチから2センチ程度です。
コアに対するハッキリとした実感がなくても、ぼんやりと何かあると感じられれば大丈夫です。
あるいは、ぼんやりと何かあると感じられなくても、「わたし」という感覚の中心がハッキリと分かるのであれば、それで問題ないです。
なぜ、そのコア(あるいは「わたし」という感覚の中心)を捉えることが大切なのかと言うと、そのコア(あるいは、ハートにある「わたし」という感覚)を滅せれば、自ずと大悟が得られるようになっているからなのです。
では次に、そのコア(あるいは、ハートにある「わたし」という感覚)を滅するための具体的な方法について説明します。
その方法はとてもシンプルです。
そのコア(あるいは、「わたし」という感覚の中心)に、ただひたすら自分の意識を集中するだけなのです。
そのとき、「わたし、わたし、わたし、...」とゆっくり声を出しながら、コアに意識を向けると効果的です。
そして、私の意識はこの世界そのものというか世界全体なのですが、その世界全体であるすべての意識を、「一点」、すなわちコア(あるいは、「わたし」の感覚の中心)に集中してください。
このときとても大切なのは、意識の集中度合いなのです。
これ以上集中できないという極限まで意識の集中レベルを高めて頂きたいのです。
これ以上集中したら、意識がおかしくなってしまうかも知れないと思うほどの極限の集中を行って頂きたいのです。
しかも、その集中レベルを出来るだけ長い時間持続して、コアに意識を向け続けて頂きたいのです。
手の使い方については、例えば、手を使ってコアに対する感覚をより高めるようにして、あるいは、コアを両手で包み込むような感覚で、胸の中心付近に重ねた状態で両手を当ててください。
あるいは他の例として、手の平よりも指先の感覚の方が鋭敏な方は、左右の手の各指先でコアを感じるようにして、あるいは各指先から出る意識のエネルギーをコアに当てるような感じで、左右の手の各指をコアの上に当ててもいいです。
このワークによるコアに対する意識の集中は、自我を溶かすとても強力な力があります。
このワークを行う際の意識の集中度合いや、このワークをどれくらいの時間行ったかや、自我の厚みがどれくらい残っているかや、また真我の第一段階の覚醒が得られているか否かなどによって異なりますが、短い人だと、ワークの開始から数日程度で大悟が得られるケースがあると思います。
私の場合は、このワークを一日あたり5、6時間程度のペースで2、3週間続けてやった段階で、大悟が起こりました。
なお、その2、3週間の間は、ほぼ毎日休まずこのワークをやっていました。
以下は、補足です。
ハートに「わたし」という感覚が少しでも残っていると、大悟には至りません。
ハートに「わたし」という感覚が全く無くなるまで、このワークを続けてください。
大悟に至った際、自分が大悟に至ったことは直ぐに分かります。
それが分からないということは決してありません。
まず、それまでハートにあった「わたし」という感覚が忽然と消失しますから、そのギャップ感だけでも直ぐに異変に気づきます。
また、考えである客体と私である主体の合一が始まりますので、目の前の物(例えば、PCディスプレイ等)を見たとき、その対象物に「わたし」の意識が一体化したような感覚が得られます。
つまり、「見るものは見られるもの」という感覚になります。
大悟を得た後は、ハートに「わたし」という感覚が完全に無くなりますから、このハートの自覚ワークを自覚のツールとしては使用出来なくなります。
しかし、自我が滅せられたという訳ではなく、薄くなったとは言え、滅すべき自我はまだしっかりと残っています。
大悟後の自覚は、私に意識を向けながら、起こってきた考えを自覚するという普通の自覚をやっていくことになります。
<補足です(2014年10月10日)>
上記のように、ハートで感じる私という感覚に中心に意識を集中させるときの注意点について補足したいと思います。
ハートの私への意識の集中度が上がってくると、自然と私という自我の意識が薄れていき、思考の無い無我(無心)の方に行ってしまいます(そのままいくと、無我や禅定に入ってしまいます)。
このとき、無我に入ってしまうことがいいことだと誤解される方がおられると思いますが、このワークはあくまでも私に意識を向ける自覚であり、無我に入ることが目的では無いのです。
ですから、安易に無我に入るのではなく、「私」という考えをしっかりと維持して、その「私」に意識を集中し続けて頂きたいのです。
そのときのコツとしては、例えば、「わたし、わたし、わたし、...」とゆっくりと声に出して、あるいは心の中で唱えながら、つまり「私」という考えをハートの中心につくり続けながら、その「私」に意識を集中してみてください。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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忘れるまでは、忘れないようにやってみます(笑)
コメントありがとうございます。
>忘れるまでは、忘れないようにやってみます(笑)
はい、お好きなようにどうぞです(^^)
こんにちは。はじめてコメントします。
ハートのコアをはっきりとはわかりませんが、みぞおちの奥のほうにあるような気がします。そこに手を当てて、集中してみるのですが「意識を集中する」ということが、できているのかできていないのかがわかりません。
「意識を集中する」というのは、そのコアになりきるような感じなのでしょうか。それとも、コアに意識線のようなものをぶつけていくような感じでしょうか。ハートのコアとは別に、頭にも「自分」のようなものがあります。その自分からハートのコアに向けて、意識を移動するようなイメージでしょうか。
このあたりのアドバイスをいただけると幸いです。
よろしくお願いします。
>ハートのコアをはっきりとはわかりませんが、みぞおちの奥のほうにあるような気がします
せっかくハートのワークに取り組んでおられるのに、まことに心苦しいのですが、けいさんはまだ、ハートのコアの位置をお分かりでないようです。
ハートのコアの位置がお分かりでない方が、ハートのコアへの集中するのは無理なのです。
まずは、普通の自覚(考えの自覚や行為の自覚)をされることをお勧めします。
今世の望みはあとは真我に気づきたいなと
思っていて、ブログに辿り着きました。
このワークとても、いいです!
集中できて、思考がなくなり、
なんだか清々しい心地にもなりますね。
まだ続けて2日ですが、気長に毎日私を呟き続けてみます。
為になる記事をありがとうございます!
気に入って頂けてよかったです。
ぜひ続けてやってみて頂きたいと思います。
重さがなくなってきたなと感じることもあれば、またどーんと重くなってきたなと
感じることもあります。
私私と呟くことで、自我の私部分を活性化させて浄化してるということもあるのでしょうか。
サラさんの着眼は当たっています。
「私」に意識を向けることの効果には、自我を活性化させ増強させる面と、それと同時に自我を焼き払うというか、溶かすというか、そういう面があります。
これらの2つ面は、両輪のように作用しながら進んでいきます。
この感覚でいいのですね!!
なんだかまたやる気がでてきました(^-^)
そして、人と会うことがあっても、
心が静かになり、意識離れて上から見てるような心地になりました。
内側が静かに大きく現れてきたような。。。
表現難しいですが、このまま根気よく続けてみます。
教えて頂き心より感謝しています。
またよろしくお願いします。