summer diary

日記らしきページ

年を取ると言う事

2008年07月24日 | Weblog
 年を取り、身体が思うように動かせない自分を想像すると憂鬱になる。
今までどおりに動かない手足。 見えにくい目。 匂いや触感も鈍り、
敏感に物事を捉えることができない自分を想像する・・・。
思考と実際の自分が思っている動作ができないこと。
そんな状況になったら・・・僕は平常心でいることができるだろうか?
それとも、老人ということで納得することができるだろうか??

記憶が希薄になり、思考の中心が自分の中央からのみ解釈するような、
そんな老人になるのはごめんだ。

それでも、年には勝てなくて、過去を重んじ、今を軽薄な見方をするような
そんな老人にはなりたいと思わないけど。
でもでも、結局は世の中の流れには到底付いていくことなんてできなくて。

結局は生きてきた自分の価値観の中で順序立てが必要で・・。
人間の個々の価値観はそれ自体が個人としての位置づけとなり、
自分という存在意義へとつながり、自己という一人の人間の意識として
そのに存在し、ここに生き、ここにこそ自分を感じることのできる
唯一の空間ではないだろうか。

自分を不定することは=
現実を無視し、その存在そのものを無であるものとすること。


僕は今、仕事でつらい思いをしている。
毎日ストレスが溜まり、開放の時を毎日望んでいる。
でも、開放が夢であったとしても、それは現実として受け止め、
苦しさも逆に面白さへと変容していくことのプロセスすら
楽しもうと思っている。