加納朋子の作品というタイトルを付けたけど、正直に言うとそれほど多く読んでいる訳ではない。 以前からNHKのラジオ文芸館で「トオリヌケキンシ」を聞いた時に、一度加納作品を文体で読んでみたいと思っていたのがきっかけである。 そもそも、若い頃は日本の著名な作家の小説や海外の著名作家の本はかなり読んでいた。ほとんどは文庫本で読み、長い間本棚に飾ってあったのだけど、(飾ってあったというか、とりあえず場所があったので、置いてあったわけだ。)読み返してみることはほとんどなく、やはり読んでいない小説を読みたいのだ。 同じ小説を読んでいる時間がもったいないと言うのが理由である。
で、ある年齢になってから(社会人になり、仕事に追われる日々を過ごしていると読書する時間が無い。)はウインドサーフィンやスキーに休日の全ての時間を費やしていた時期もあり、さらに彼女が出来るとデートで休日は終わり、さらに結婚してからは子育て、もちろん、仕事も相当ハードな状態である。 じっくりと読書をする時間はほとんどない。 でもそれだけが理由でもなく、所謂、純文学を読んでいたこともあり、現代作家の物語性への違和感を感じて居たのだ。 ただ、星新一の短編集などは以外にも読んでいて面白く、星新一さんの本は相当量読んだ記憶がある。
で、読書する時間が勿体ないと言うことで、NHKのラジオ文芸館で耳で聞くことが出来る所が気に入ったのだ。 洗濯物をしている時間でも、洗車をしている時間でも、掃除をしている時間でも土曜日の朝の8時から放送していたラジオ文芸館は楽しみの時間だった。 最近になって、番組は終了してしまっている様子。 最近はほとんど聞くことが出来ないでいたけど、本を再び読み始めてからちょっと聞きたくなったのだ。 でも、やっぱり番組は終了しているみたいだ。
再び本を読み始めたのは、今の仕事に就いてからだ。 何しろ、何もすることがない(TVを見る以外には何もすることが出来ない)、寝る以外には3~4時間もの間ジッとしているしかない時間がある仕事なのだ。 当初はTVを観たり、寝ていたけど、最近はTV番組も毎日同じ報道を連日繰り返しているだけで、一度見たら飽きてしまう。 ならば、本を読もうと思ったのだ。 実際に数十冊の読んでいない本が家に放置されていた。 これは読書好きな妻が読む心算で買ったり、息子が妻のために購入してきたものだ。 その妻は仕事で本を読んでいる時間がほとんどない。 家で家事などをしている時間以外はほとんどは寝ている状態だ。 夜勤勤務なども有り、常に眠気が襲って来るらしく、いつも眠たい~眠たい~とこぼしている。 そんな訳で、まったく読み手が無い本がこの2年ぐらい棚の隅で静かに眠っていたのだ。 それで、その本を適当に端から会社へ持って行って読み始めたのである。 東野圭吾が数冊、池井戸潤が数冊、恩田陸が数冊、村上春樹が数冊などをこの2,3か月の間に全て読み終えてしまった。 そこで、本を新しく買うことになり、その始めに購入したのが、加納朋子「ななつのこ」「ささら さや」「モノレールねこ」の3冊である。もちろん、文庫本でAmazonで購入した。 「トオリヌケキンシ」を最初に買う予定だったのだけど、どうせなら一度も読んでいない(聞いていない)加納作品を読んでみたいと思ったので、あえて読みたいなと思った「トオリヌケキンシ」は買わないでいた。 でも、その3冊ももう少しで読み終えることになるので、もう何冊かは加納朋子の作品を読んで見たいと思っている。
今後は月に数冊の本を文庫本で十分なので購入して読んで行こうと決めている。 少なくとも、今の仕事をしている間は時間もあるし、さらに言えば、65歳の定年を過ぎたらもっと時間は出来るだろうと思うのだ。 さらに言えば、先日NHKのTV番組でAIと健康に関する番組内で健康に必要な物、健康的な行動と言うかそうしたことに結びつく事柄をAIで集めた情報をもとに分析すると、健康維持のためには運動や食事など以上に読書が最も効果的な要素だと言うことが解って来たと言う内容だった。 もちろん、読書だけしている状態ではないだろうけど。 それでも、読書する事に結びつくのは図書館へ行ったり、読書によって繋がっている仲間との交流なども健康を維持する要素らしい。 確かに、毎回本を購入するのも大変だし、費用も掛かる。 図書館で借りる方がよほど費用が掛からない。 そのために図書館への往復の移動や図書館で本を選ぶ事などは自動的に運動をすることに繋がっている。 それも大きな要素だろう。 もちろん、本を読むと言う作業自体も脳を活性化させる要因だろうけど、読むことでいろんな想像力を生まれさせるのは確かだし、文字を脳内で映像に変化させる要素もある。 絵や音楽もそうだけど、そうした脳を刺激する時間を沢山持っている方がやはり認知症予防につながるし、脳が活性化することで躰全体の機能を正常に維持することが出来る仕組みなんだろうと思う。
これはまっ、実証されているデーターではないので、どこまで信憑性があるのかは解らないけど。 私は特にその効果を期待している訳でもないので、本を読むことが億劫になったら読むこともないだろうと思って居る。 こうして時間を自由に使うことが出来るようになったので、今後は本を読むことを辞めることは無いだろうけど、読みたい作家が見つからなければその時は読書は止めてしまうだろう。 雑誌や漫画や週刊、月間などの情報誌なども読むつもりもなく、あくまでも小説、エッセイ、詩などが私の読みたい分野である。 推理だろうとSFだろうと恋愛だろうと理工系だろうと歴史、時代物でもそれは関係なく、その作家の文体やその作品から得られる物が私の感性と結びつく物であれば物語そのものよりも大切な要素なのである。
さて、今日は日曜日で夜勤明け日だ。 帰宅してから2時間半程度の睡眠を取り、起きてから洗濯をして、シャワーを浴びて、さて、これから買い物に出かけないといけない。 それとも、グロムをちょっと乗ることにしようかな? 来年の春頃にはCB250Rに乗り換えようと思っているので、そのCB250Rをバイクショップに見に行きたいと思ってもいるのだ。 今年購入したばかりのグロムであり、購入する際にはもう2度とバイクは乗り換えないと意気込んで購入したのだけど、やはり、125ccのネックとなる専用道路、高速道路を走れないと言うのは大きな問題であることを実感している。 スピードは問題ないし、小回りも効くし、楽な取扱いはこの上なく重宝するのだけど、やはり、トルク不足は否めない。 それならいいのだけど、やはり専用道路を走れないのは息子とツーリングする際にもネックになるし、今後、足を延ばして京都や四国(四国はちょっと気合が必要だけど、やっぱり行きたい)京都なら高速道路を使用すれば2時間も掛からないで着ける。 そうしたこともあり、今後は神社、仏閣の御朱印を頂きに行きたいと思っているので、やはり最低、最大で250ccという選択が必要不可欠になるだ。 まっ、来年4月まではグロムでお遍路を続けるのだけど。