summer diary

日記らしきページ

読書・・・

2024年02月15日 | Weblog
 何度か書いているが、バイトを始めてから読書は欠かす事が無い物になった。 特別に本を読む事が好きとか、本好きと言う訳でもない。 逆に言えば、本を読む事は面倒だと思っている程である。 
ある意味では、仕方なく読んで居る・・と言えなくも無い。 それまで、(バイトを始める以前は)契約社員で5年間勤めていた仕事では少しは本を読む事もあったが、今に比べると1割にも満たない程度である。 
今は月に4冊は読む事が普通になった。 バイトは週2回程度なので、2回に1冊程度のペースで読んでいる。 以前は絵画関連の専門書や解説書を読んでいたが、今はそうした内容の本で読みたいと思える本が図書館では見つからない。 
今は時代小説を読んでいる。 時代小説の良い所は、背景がほとんど江戸時代の平穏だが、武士や商人、百姓などの生活が今とは違って居る所だろう。 現代のように自由な振る舞いや、生きる価値観、生活環境はもちろんだが、人間の思想が時代に大きく影響されている。 それと、現代の背景を物語にした小説はやはり、いろんな意味でも自分の今の生活との比較をしてしまう。 
物語に対して、批判や賛同に先入観も出て、さらに、なんだかフィクションである・・・事に興味が無くなる。 
言葉にしても、その登場人物の行動や言動にしても、現実にここに生きている者として考えてしまうので、どうも楽しく無い。 
特に時代小説の醍醐味ははやり刀剣による物語の楽しさもある。 代官から同心、商人、その他の庶民による人間模様は時代を超えた愉しさもある。 
もちろん、武士などはほとんど登場する事が無い時代物も面白い物がある。 ただ、歴史に忠実に記述したような小説はあまり興味も無くなる。 そうした、史実を元とした小説は歴史上の著名人が多く登場するが、私は特に史実などどうでも良いのである。 どうも時代小説を読んでいると、そうした歴史好きだと思っている人が居るようだが、実際には歴史などどうでもいい。 
それよりも、当時の時代背景の中であくまでもフィクションの物語の方が登場人物が作家の描きたいように書ける。 そうした、ある意味では架空の人物像の方がより、鮮明に、逆にリアルに写るのである。 
前回借りた葉室麟の2冊を読んだが、この作家の小説はどうしても実在の著名人を主人公にしたり、その他の登場人物も歴史上の人物を描いている点で、少し物語にも面白くない。 それと、どうしても登場人物を作家の思いで描いていない点でも、興味を注がれるような人物像になっていない。 
さらに言えば、この作家は一体何を小説の中で表現したいのか? 作家の表現では無く、歴史上の人物の言葉を多用しているのは理解出来るが、では、作家の思いや表現する意図が見えないし、感じない。 
実在した人物好きな、歴史好きな読者には好評だろう。 しかし、物語としての面白さには欠けると実感した。 今後は読む事がないと思えた作家である。 
もちろん、たかが2冊程度読んだ程度で早計に結論づけるにはどうかとも思うが、好感が持てない作家の本を何冊も読むつもりは無い。 
所詮、バイトの時間(何もする事がない余裕の時間)をやり過ごす為に読書をしているに過ぎない。 暇なので読んで居るのに、その暇な時間をさらに面白くない本を読んで過ごすつもりは毛頭無いのである。 
さて、その前回借りた本の中で次も借りようと思ったのは 梶よう子の時代小説はまっ、面白い内容だろうと思った。 ただ、所謂、剣客の話、剣を交えるような戦いの場面は皆無の作家だ。 
そうした愉しさは無いが、登場人物の面白さや人間性は好感が持てる。 まっ、今日は3冊の本を返却して、再び2冊程度を借りて来る事にしている。 辻堂魁も面白いが、Audibleで多く聞いているので、なかなか読んで居ない本は残されて居ない。
藤沢周平ぐらいを借りようかな・・。 山本周五郎はほとんど読んだので、読んで居ない本が図書館に残って居ないだろうし。 
まっ、本は読んでみないとなんとも解らないのは仕方ないのであるが。 何冊か借りて(4冊程度)半分読めたら良しとする程度でも良いだろうか? 少し読んで、面白く無いなら読まないで、次に本を読むのも悪くないと思った。 今回も1冊は半分まで読んで読む気が無くなり、読まなくなった物もある。 
澤田瞳子の「腐れ梅」、それと、前回も葉室麟「蝶のゆくえ」も途中で読む気が失せた本である。 
これはあくまでも私の評価であるので、作家に対する悪評ではない。 おそらく、好きな人にはこうした小説を好む人も多く居るだろうし、作家として、膨大な資料から、又は取材などで構築する物語だろうと思うが。 ただ、私にはそうした史実などどうでも良いし、興味ない。 
歴史上でどんなに著名な人物だろうと、そんな物は興味ないのである。 問題は小説の中の人物像であり、物語の面白さがすべてなのである。 
時代の解説書を読むつもりもないし、小説と言う物語(フィクション)にある意味では実在した人物が登場するのは少し面白みに欠ける。 
もちろん、信長とか、秀吉とか、家康とか・・・その他の家臣なども登場する事もあるだろうが、そうした誰もが知る尽くしている名前が登場するのは別に良いのであるが。 
ほとんど専門家しか知らない様な実在の人物像などをある意味では忠実に記述する意図が私には意味がない。 作家の趣向そのものを読まされている様な物は要らない。 葉室麟もそうした傾向が強く感じる。 作家の趣向をいろんな資料で調べた結果を書いている様な物は面白くない。





弦交換

2024年02月14日 | Weblog
 昨日ギターの弦交換をした。 サバレスのクリエイションノーマルテンションに交換した。 前はミクストテンションを張っていたので、その音色の違いを思ったが、ほぼ変わる事も無い気もする。 少し、音量的に弱くなった気もするが、気のせいだろう。 実際にサバレス弦をこれまでにいろいろと使用して来たが、ほとんどその違いを感じる事がない。 
ハイテンション、ノーマル、ミクスド、アリアンスでもカンティーガでも、ニュークリスタルでも、ほとんど違いが無い。 ただ、やはり少しテンションの違いだけは感じる事はある。 
弦の劣化もほとんど変わる事も無いし、弾きやすさもほとんど変わる事は無い。 
まっ、今後はあまり弦の種類を変えるつもりは無いが、結局、どの弦を使い続けるのかはまだ少し検討しようと思う。 
ただ、弦のチューニングの落ち着きの早さや、音色の安定感から考えると、やはりハイテンション弦が一番良い気もする。 
今回はCordoba45limitedの弦交換に使用した。 もう一本のEstesoSPにはハイテンション弦を使用していて、次回交換する弦もすでに購入済みで、次回はアリアンスプレミアムハイテンション弦である。 この弦も以前に使用した経験があるが、今のギターに使用した事はない? 印象はやはり音量が増す事、高音が明瞭であること。 低音に関してはそれほどの差を感じる事は無い気もした。 もちろん、ギターとの相性で音色はかなり違う物になるので、次回交換してからが楽しみでもある。 
この弦よりも今のクリエイションプレミアムハイテンションの方が良ければ、今後はハイテンションクリエイションにしようと思う。 
さて、来週にギター発表会があるので、弦をその1週間前には交換して置きたかったので、丁度間に合うだろう。 
間に合うと言うのは、弦は交換してからチューニングが落ち着くまでにはしばらく時間が掛かるし、真新しい弦よりも少し弾き込んだ弦の方が音色や音量やサスティーンの伸びなども良く成る。 
人によっては交換時が最も良いと言う人も居るが、私はそうは思って居ない。 やはりチューニングが安定する頃からその弦の特徴や良さが出てくると実感している。 これはギターと馴染む事もあるだろうし、弦自体が若干劣化する事で、本来の音色に艶が出る気がする。 ギターでもそうだが、新品のギターよりも、数年間弾き込んだギターの方がより音色はに艶が増すし、奥行きが出来る気がする。 もちろん、これも個人的な趣向の問題なので、なんとも評価は出来ないだろう。 
よく、動画でもギターの弾き比べなどで数万円のギターと数百万のギターの音色を弾き比べている動画あるが、その差はほとんど感じない。 もちろん、若干の差を聞き分ける事は出来るが、では・・・どちらが音色も奥行きなども良いのか?と評価する時に、果たして、客観的に評価出来るだろうか? 音色の善し悪しはあくまでも個人的な感性であり、個人の趣向に基づく物だろう。 
数万円のギターの音色の方が好きだと言う人も居るだろうし、数百万のギターの方が良いと思える人も居る。 楽器の音色はバイオリンなどでは良く言われるが、ストラスバリューや所謂名器と言われるような数億円もするようなバイオリンと数万円の音色の違いは果たして聞く人の耳にどの程度の差として聞こえるだろう? プロの演奏家や評論家などはその差を聞き分ける事で、なにやらその人の技量などが勝っているような評価をするが、果たして、聞き分ける事が楽器の評価に繋がるか? そして、楽器の評価と演奏の評価とは全く異なるだろう。 演奏の技量が勝っている人はどんな安価なギターやバイオリンでも音楽的にも演奏にもそれほどの差を出さない。 おそらく、一般の人には全くその違いを実感する事は不可能だろう。
少なくとも、私はある程度以上のギターの音色はほとんど変わらないと思って居る。 これまでもいろんなギターを弾いてきた経験からもそうである。 
ただ、1万円程度のギターや、5万円程度のギターと20万以上のギターとの違いは素人の私でもその違いは歴然と分かる。 
なので、やはり、ある程度以上のギターを選ぶ事はとても大切だと思っては居る。 どうしても、より良い音色のギターの音を常に聞いて練習する事はとても音楽的な感性や技術的な要素も含めて、上達するには必須条件かもしれない。 ただ、20万から30万程度のギターでも満足出来ないレベルに達するには、おそらく、プロレベルの人だろうと私は思う。 
それは、例えば、コンサートホールで弾く経験がある人や、それなりのホールで弾く人などは、自分の部屋で弾いて居る様な時には感じる事が無いレベルのギターの良さが解るのだろう。 
通常のアマチュアレベルの人なら少なくとも2~30万円程度のギターであるなら、ほとんど違いを感じる事は無いだろう。 








随筆

2024年02月12日 | Weblog
 随筆・・・。 所謂エッセイと言う言い方の方が今風だろうか。 AmazonのAudibleでは時代小説を聴き続けて居るが、随筆などはほとんど聴かない。 と言うか、Audibleにはあまりそうした朗読が無い事もある。
今朝はNHKのらじる文庫を覗くと、山本周五郎の随筆があったので、聞いて見た。 山本周五郎は以前から時代小説作家の中でも大好きな作家なので、聴くつもりになった。 1話がほんの5分程度の短い話が10話ほどあり、順次自動再生だったので、全て聴いて過ごした。 その後も随筆作家の朗読が続き、石川欣一の随筆をやはり10話程聴いた。 
まだ随筆作家の朗読は続きそうだが、一旦はそれで再生を停止して、今はこうして私が随筆(エッセイと言うか、私の日記であるが)を書いているのである。 
1903年(明治36年)6月22日 生まれのこの作家は満63歳で死去している。 
私はすでに満66歳の高齢者仲間になった年齢であるが、当然だが、生まれた時代背景は昭和と明治では異なっている。 しかし、時代小説の面白さは現代小説とは違って居て、今の時代で読んでも、当時の時代で読んでも感じ方はそれほどの違いもないし、明治生まれなら江戸時代の実際の空気を知る事もないだろう。 私が山本周五郎の好きな点は、第17回直木賞に「日本婦道記」が受賞したが 辞退している点。直木賞を辞退したのは彼が初めてのことである。 これにはいろんな意味や内実があったろうが、彼の権力に対する強い反骨精神と言うか、庶民に対する深い愛情と言うか、所謂、名声を得て何か一般の読者以上の者になるつもりはないし、いつまでも1人の庶民として居たかったのだろうと思うのである。 
まっ、それは私の身勝手な思いなのであるが。 石川欣一の随筆も面白く聴いた。 山本周五郎よりも少し年上の作家である。 アメリカの外交官を経て、ジャーナリストとして活躍した作家だ。 小説などは見当たらないし、今回、私は初めて知った作家である。 らじる文庫では、「ささやかな幸福」からこちら10話ほどの話である。 
作家のある意味は日常から感じる物、その感性を知る事に繋がったりするので、エッセイもたまには良いなと思った。 
しかも、1話5分程度の短い文章は気軽だし、特に後味も残らないさっぱりとした感じも好感が持てる。 
これからはらじる文庫も聴いてみようと思った。 Audibleのように、いろんなジャンルや、多くの作家、多くの小説を聴ける訳ではないので、どうしても聴きたい作家が無い方がほとんどなので、あまり覗く事もないのであるが、忘れた頃になんとなく見てみるのも良いだろう。 

さて、今日も天気は悪くない。 夜間は雨が降った様子だが、朝はすっかりと雲も消えていて、陽射しも暖かく差し込んでいる。 少し風があるが、外出しないのであれば、風の強さに気を奪われるような事もない。 
昨日の午後はギアー講座の練習があったが、結局、私は欠席して家でのんびりとビールを飲んで、ギターを弾いて、昼寝も少しして、夕方には早々に風呂に入って、再び酎ハイとウイスキーを飲んで、いつも通りに寝たのである。 ただ、昼寝をした事が災いしてか、23時頃に目が覚めてからは寝付きが悪く、しばらくは暗闇で目を閉じて、寝返りを繰り返して、様々な思いに駆られていた。 ギター講座に行かなかったので、来週の発表会の二重奏の練習が出来なかった事。 残り1回程度は機会があるものの、後は本番で演奏する事になる。 まだ、完全に合わせて居ないので、当日は失敗も覚悟で挑む事になる。 まっ、特に入場料を頂いて発表する訳でもなく、素人のギター仲間の演奏なので、観客だってそれほどの期待もしていないだろう。・・・っと。 それぐらいに思って居た方が気軽に演奏出来るし、これまで発表会では緊張して、思うように指が動かない事がほとんどなので、こうした機会を繰り返しながら、経験を積む事で、普段通りの演奏が出来るようになれば良いだろうと。 
3月にも発表会があるし、この二重奏も再び弾く事になる。 今回失敗しても、次にはリベンジも出来るのだと思えば良いだろう。 
さらに、この発表会は毎年開催されるので、回を重ねれば、そのうちに自分の満足出来る演奏が出来る日も来るだろうと思ってはいるのである。 

なので、今日も用事もないし、家でのんびりと過ごす日々で、ギターの練習もしっかりと出来るので、まっ、なんとか発表会の曲は熟せるだろうと思う。 
上手く演奏しようと思うとどうしても自分でプレッシャーを掛けてしまって、緊張する。 そもそも、自分の力量以上の演奏など出来る訳ではないので、失敗は当然と思った方が気が楽で、その方が流暢に弾けるのである。 
素人の演奏なので、失敗は織り込み済みだと言う態度の方が良いだろう。 観客はお金を支払って見に来ている訳でもなく、特に詫びる事もないし、下手なギター演奏を覗きに来た人程度に思えば良いだろう。 

ギターの練習は午前中から始めるが、それでも10時半ぐらいから始める事がほとんどである。 早朝から、いや、10時前から弾く事はほとんどない。 朝はこうして何時もブログを書いて過ごすか、Audibleで小説を聴いて過ごすか、買い物に出かけて居るか、数ヶ月に1回の歯科検診に出かけて居るか。 
ギター講座に出かけて居るか。 旅行に出かけているか、孫娘達と遊びに出かけて居るか・・・である。 
ブログを書き終えると、しばらくタバコを吸ってのんびりとした後にギターをケースから出して、チューニングをして、アルペジオ練習をして、基礎練習をして、それからカルカッシ教則本の曲を練習して、今回は発表会の曲を練習して、講座の課題曲を弾いて。 それで一旦は休憩に入る。 昼ご飯を済ませてから、しばらくはのんびりと過ごし、夕方までギターを弾いて過ごすのである。 2本あるクラシックギターのどちらを先に弾くのかはその時の気分であるが、日に2本のギターは必ず短時間でも弾く事にしている。 
ギターは弾く事により、音色が良くなる事は誰もが、ギターを弾いている人なら知って居る事だろうけど、楽器は長い年月を経て、木が成熟して密度が増して、さらには音を鳴らす事で振動を続けながらより効果が高くなる。 なので、弾けば弾くほどに音色は奥行きが増して、魅力的な音へ変化するのである。 ギターの表板は松か杉が一般的だが、松は年月によって、年々その色味が濃くなる。 杉は元々色目が濃いので、そうした事を感じる事が少ないと言われて居るし、制作時からすでに奥行きのある音色が出る傾向もある。 
2本とも松単板のギターなので、杉との違いは無いが、(去年は杉単板のギターを購入したが、やはりどうしても気に入らないので、売却した)音色は違うし、弾きやすさや、サスティーンの伸びも違う。 どちらかと言えば、去年買ったギターはその価格もそうだが、やはり音色も見た目も、弾きやすさも1段上だと実感している。 もちろん、すでに購入してから4年半が経過している最初の1本は今でも私のお気に入りのクラシックギターに違いない。 
このギターは講座にも持って行っているし、発表会でも使用しているギターである。 ある意味では気楽に使えるギターだ。 もう一本は、これはまだ人前で弾く事が無いギターである。 私の技量がもう少し上がって、ソロで人前で弾けるぐらいになったら、来年か再来年ぐらいに発表会で使用しても良いかも・・・と思って居る。 










のんびりか・・・。

2024年02月10日 | Weblog
 今日ものんびり。 夕方にはバイトに出かけるが、日中は朝からのんびりと過ごしている。 妻も休みだが、少し買い物に出かけたが、昼も一緒に家で食べてから今はリビングでうたた寝をして過ごして居る。 
私は朝から特にやる事も無く、ギターを少し弾いて過ごした。 午後も少しギターを弾いて、明日は日曜日の講座で発表曲の練習を全員(金曜日講座の受講生も含めて)で最後の練習をする。 明日はバイト明けの日だが、練習は午後からなので、まっ、体調も悪くないだろうし、時間も気にする事が無いので、最後まで練習に加わる事になる。 おそらく、時間は3時間程度やるだろう。 全体練習は発表会の21日までは明日で最後となるので、講師もおそらくは制限時間までやるつもりだろう。 
昨日の金曜日の練習も日曜の講座の受講生も加わって練習をした。 ただ、明日は全員が揃うのかはちょっと解らないが。 

発表の曲もこれまで練習してきたので、ある程度は弾ける様に成った。 まだ、完璧とは言えないが、それでも、duo曲もあまり心配ない程度にはなったし、アンサンブルは完璧じゃなくても、それほど心配は無い。 もちろん、音を外したり、演奏自体を間違えるのは目立つので、可能な限りは弾けるようにする事が肝心だろう。 

何時も書いているが、家ではAudibleで本を聴いている。 自分で読む事はバイト先だけである。 今日も残り半分程度の本1冊と、もう1冊も半分程度読んだ本を持って行くか、それとも、まだ読んで居ない本を持って行くか。 
途中まで読んでいる本だが、途中まで読んで次の本を読み始めたのは、前の本があまり感じないと言うか、話が思っていないような本では無かった。 澤田瞳子の「腐れ梅」である。 怪しげな巫女2人の話であるが、どうも時代小説と言うのとは毛色が違って、江戸時代よりも少し前の時代、京の時代の話出あることもあるが、主人公やその周りの人間模様や人間性がどうも好きになれない。 表現にもよるのだろうと思うが、やはり私の好きな時代小説は江戸時代の人間関係や武士や町民の生き様と言うか、その時代を彷彿させるような人間模様が好きである。 
Audibleでも時代小説を聴いて居るが、今の所は気に入っている朗読をシリーズで聴き続けている。 
これからもバイトを続ける限り、読書は続けるし、Audibleも聴き続ける事になるだろう。 私はTVはあまり見る事がないので、ギターを弾く時間以外は朗読を聞き、こうして日記を書いて過ごすのである。 
3月と4月は妻と一泊で旅行に出かける。 今年はどの程度旅行に行けるだろうか。 バスツアーでも良いし、自分で宿を取って、車で出かけるのも悪くない。 車で出かける場所は出来る限り近い場所が良い。 
まだまだ車の運転は問題無いし、ゆったりと休憩を取りながら行くなら、特に遠方でもそれほど疲れるような年齢でも無い。 
それでも、若いときとは比較にならないので、片道3時間以上の場所は少し億劫になる。 私の住む愛知県からなら、関西地方なら大阪、神戸辺りまでだろう。 関東地方なら伊豆半島程度、日本海側なら駿河、若狭、小浜ぐらいがせいぜいだ。 東京ディズニーランドには若いときには何度か車で行った事もあるが、今はさすがにちょっと車では行こうとも思わない。
今は東海地方の愛知県内はもちろんだが、岐阜県、三重県、静岡県ぐらいが丁度良いのである。 それ以外ならバスや電車や飛行機でツアーで行く方が気楽だし、旅費もリーズナブルに済むだろうと算段する。
仮に伊勢神宮に日帰りで行くとして、高速料金だけでも往復8000円以上で、ガソリン代も往復なら3000円以上はするだろう。 さらに、昼ご飯も1人3000円と考えると、最低でも2人で15000円は最低費用になる。 そうなると、日帰りのバスツアーで牡蠣の食べ放題と伊勢神宮参拝のバスツアーが8000程度で行ける事を思うと、自分の車で行く事の方が疲れるし、費用も嵩む。 
もちろん、出発時間や到着時間はツアーの時間に合わせる必要があるので、自分の都合では動けないが。 

さて、今日は午後からギター講座があり、いよいよ来週の発表会の曲の練習としては最後の日だ。 発表会に参加する受講生が全員集まって最終的に合わせる練習だ。 私も二重奏を合わせる最後の機会になるかも知れない。 アンサンブルはともかくとして、二重奏はどうしても練習する必要がある。 
金曜日にはその二重奏を練習したが、まっ、ある程度は出来る事を確認出来たので、まっ、そんなに気にする程度の事ではないだろう。 
アンサンブルに関してはそんなに心配は持って居ない。 少しばかり間違っても、聞いて居る観客は解る範囲では無いだろう。 

さて、今日はバイト明けで、午後からのギター講座の練習にはちょっと意欲が沸かないのは確かである。 もちろん、バイト明けや、夕方からバイトがある時でも出かけて居たが、その時の気持ちは何時も良いとは限らず、今日もやはり家でのんびりと過ごしたいと思う事もあるのである。 
しかし、発表の最後の練習なので、やはり行く事にした方が良いだろうと思うが、気持ちが向かないなら、まっ、今日は行かないで、家で練習して過ごす事も悪くないだろう。 私がギターを始めた(再開した)そもそものきっかけは、家でのんびりと時間を有意義に過ごす事が目的だった。 最初は特に上達したいとか、難しい曲を弾くとか、そんな意欲はそれほど無く、家でTVを見たり、映画を見たりする時間はそれほど面白くないし、飽きる事は明白だった。 バイクを乗って居たが、独りで走らせてもそれほど楽しく無い。 それ以上に年齢的な事もあり、安全面に心配もあるし、真夏や真冬の環境ではバイクに乗る気にもなれないし、雨なら当然乗らないし。 それと、仮に昼からとか、夕方とか、何時でも出来るような物でもない。 
それに比較すると、ギターは家ですぐに弾きたいときに弾ける。 時間は気にすることがない(もちろん、夜間の遅い時間は制限があるが)。 天候に左右されない。 維持費がほとんど無い。(3ヶ月に1度程度の弦交換程度)。上達していく課程もやる気が出る。 音楽は気持ちも和らぐし、気持ちも落ち着き、ストレス解消になる。 音符を読み解く事や、指先を使う事も脳の活性化には良いだろうと思う。 ギターを弾く仲間との交流も楽しい。(当初は家で独学で弾いてるだけで十分に満足していた)。 もちろん、今でも独学で独りで弾く時間の方が楽しいと感じる事もある。 
なので、特に発表会で演奏したり、ソロで観衆に聞いて貰ったりする事は想定していなかった。 だから、あえて、発表会に対してはあまり気持ちが盛り上がっても居ないし、そのために自分が練習したい曲や、教本の練習が疎か似なる方が気になるのである。 
今もギター講座の課題曲も弾きながら、カルカッシ教則本の曲、ギター基礎練習教則本、その他の教本などを弾く事などを同時に進めるのはやはり少し無理も感じるのである。 以前はjazzやアコギのソロギター曲やポピュラー曲のソロなどといろいろと欲張りに思って居たが、やはりどうしても無理が合って、今はクラシック以外はあまり気にする事が無い。
ピアノも弾きたいし・・・。 最近は年齢的な事もあって、日に弾く時間も短くなった事もある。 なので、無理をしてギターを弾く事は私の本位では無いし、無理する事は、楽しく無い事である。 楽しくないなら、ギターなど弾かない方が良い。 逆に言えば、楽しく無いならギターを弾く意味が無いし、上達も出来ないだろう。
あくまでもマイペースが何よりも大切なのである。 上達の為に無理をした練習を続けても意味が無い。 それは演奏に反映されて、聴く人に届かないだろう。 演奏(音楽は)は単なる技術だけでは表現出来ない物がある。 技術的な力が弱くても、弾き手の気持ちが込められている演奏にはやはり人を魅了する物が宿っている。 音楽を聴く耳を持っているなら、そんな演奏の良さを感じる事が出来るだろう。 
難度が高い曲では無く、簡易な曲でも演奏する技量で魅力的な物になることは、誰もが感じる事だろう。 
講座を受講している人の中にも技術的に高い人も居るし、難度がある曲をある程度は弾く人も居るが、やはりそれは単に弾いてるだけ音楽である事がほとんどだ。 プロとの違いは単に弾くだけではない音楽的な魅力が弾き手に備わっているかどうか。 それは単純に音楽的な表現の技術があるのでは無く、その曲に対するリスペクトと言うか、その曲に対する思い入れの強さから生まれる魅力のように感じる。 
私は今後もギター講座に通う事は続けるが、やはり講座での練習曲以上に、自分が弾きたい曲を納得出来るレベルに演奏する事を目指したいと思う。 

さて、そんな訳で、今日は午後からの講座練習はサボって見ようと思う。 
今日は午後からはのんびりと昼寝でもして過ごしたい。 










無駄使い

2024年02月10日 | Weblog
 一昨日は妻と2人で初詣に出かけた。 その帰りにスーパーに立ち寄り買い物を済ませた。 妻は自分が買わない物にはお金を出さない。 なので、私はみかんや、その他の物を買って、支払いは私の小遣いで済ませた。 バイトを始めてからは財布の紐が緩んでいる。 初詣ではお守りを息子の為に購入し、これも私の小遣いである。 その前日にはしまむらで服を3着買ったのも無駄である。 着る服が特に無いわけでもない。 もちろん、欲しい物は確かに無いとも言えないが、それでも十分に着る服は持って居る事も否めない。 
今後は無駄にしまむらとか、ユニクロとかには立ち寄らない方が良いだろうと思った。 どうしても見てしまうと欲しくなるのは人の煩悩。 そして、私の様に少し余裕があるとついつい物を買ったりしてしまう。 これまでも相当に無駄なお金の使い方をしている。 
なので、今後は無駄に使う事が出来ないように余裕のあるお金は妻に預ける事が良いだろうと・・・。 で、今月のバイト代から月に数万円を妻に渡して、旅行費用に積み立てる事にしようと決めた。 
3年後には妻も今の仕事を続ける事が出来るのかは解らない。 私と同様に年金生活になるだろう。 なので、妻と私の年金を合わせても生活には困窮する事はないが、今のように貯蓄が出来る事は無いだろう。 更に言えば、個人年金も70歳までの期限である。 その後はこの年金収入も無くなるので、やはり、今のような余裕がある生活は出来ない事は明白だろう。 
それでも、それなりに身体が動ける間は旅行にも出かけたいし、もちろん、私は今と同様にギターを弾いて過ごす日々には変わりも無いだろう。 
酒もたばこも、いや、酒は止めるつもりもないし、酒が飲めないなら死んだ方がましかも・・。 ただ、タバコはそろそろ止めにしようとも思うのである。 
これこそが無駄なお金の使い方だろう。 
百害あって一利なし・・・。 しかし、どんな物も一利無しとはならない。 無駄使いもそれによって得られる物はあるのである。 これまでギターを弾き始めてからは6本ものギターを購入したが、結局は5本は売却。 いや、7本買っただろうか。 アコギも買ってからすぐに売約して、さらに去年は同級グループとの練習の為にアコギを1本、アンプも買った。
クラシックギターもこれまで4本購入して、今は2本が手元に残っている。 こうして、ギターだけでも相当な無駄金を費やした。 端から見ると、これ以上のバカなお金の使い方もないだろうと見える。 
しかし、こうした経験は私のギターに対する思いが固まり、これからのギター人生に迷いは無くなった。 おそらく、この先、新たなギターは買わないだろう。 ただ、ベースが今は少し欲しいと感じて居る。 同級グループとの練習でベースがあったら良いと思うので・・・。 昨日はアウトレット店でベースを眺めた。 フェルナンデスの中古ベースである。 16000円。 ケースがあるのかどうかは不明だが、まだ使用感も少なく、かなり綺麗な1本だった。 
ただ、アコギでアンプを使用するとベースで使うアンプが無い。 仮にもう一つアンプを買うとなると、やはりもう少しお金が必要になる。 
いやいや、ピアノも今はサボっていてあまり練習をしていないのである。 教本も数冊買ったし、ネットでの練習動画も買った。 やる気で揃えて、はじめは気合いを入れて弾いて居たが、結局はギター優先であり、ギターの練習で時間を費やす事になる。 最近は筋トレも怠けていて、ほとんどやる気も失せて居る状態である。 これもやはり歳のせいかもしれない。 この先も新たに始める気持ちや、何かをする意欲は衰えるだろう。 ギターだけは弾く意欲は失せないが、ギター以外に何かを続けるには少し歳が過ぎているのだろうか。 






初詣

2024年02月08日 | Weblog
 今日は今年初めての初詣。 天気も快晴で、気温も高め、風も弱く、行楽日和である。 2月に入って初詣も遅いだろう。 毎年1月の1週目頃には行くのであるが、今年は妻との休みも合わない日が続き、休みが同じでも他の予定があったり、天気が悪かったりとなかなか行く機会が無かった。 結局は2月に入ってからようやくに行ける事になったと言うことである。 
バイトも始めたし、ギター講座や同級グループとの練習などもあり、以外と外出する機会も増えた。 1月には息子夫婦と孫娘と一緒にイチゴ狩りに行っていたが、今年は妻と私も都合が悪く、息子夫婦達だけで出かけたのである。 
妻もまだまだ現役で仕事を続ける事に決めて居るし、私もバイトは月9日程度はあり、ギター講座は4日、同級グループとの練習は月に2度程度。 4月からはギター講座は日曜日講座は一旦中止して、金曜日の講座だけに戻る事に決めて居る。 代わりに同級グループとの練習の予定を入れる事が容易になるように出来る事にしようと思った。 
バイト代は私の小遣いなので、私個人のお金になる。 小遣いとしては余裕がるので、少しでも貯蓄をして、旅行費用に充てる事に決めて居る。 3月には一泊で妻と2人でバスツアーに行くし、4月にもホテルを予約して、車で一泊で出かける。 ツアーは観光やバスの料金、宿の料金、食事の料金も含まれるので、個人で宿を決めて車で出かける事に比べると確かに安く済む。 ただし、出発時間や集合場所、帰宅時間などが決まっているので、駅の駐車場に車を駐車したり、集合場所までの交通費などを考えると、直接車で行った方が安いかも? もちろん、観光は自分達で決めたり、宿の予約を取ったり、ガソリン代、高速道路費用なども含めると、割高なのは否めないだろう。 
それでも、家から出かけて、直接家に帰る事も出来るし、出発時間や帰宅時間、観光なども自分達で決める事も出来る点は気楽だろう。 バスはどうしても狭いシートに長く座っていないと行けないし、トイレ休憩や、時間も気になる。 ただし、観光地での駐車場なども心配は無いし、そもそも事故になる確率は自分の車で行くよりも遙かに低いだろう。 
高速料金も意外と高額になるし、ガソリン代も今は高いので、2人で出かけて計算しても、バスのツアーの方が格安に違いない。 なので、車で行くホテルなどは本当に近場のホテル、旅館に限定して宿を取って、夕食、朝食を楽しみ、温泉でゆったりとくつろいで、観光は特に考えなくても宿代だけで気楽に楽しむ事を目的として行く事にしている。 4月はそんな風に考えて、車で1時間半程度の宿に出かけるのである。 
夕、朝の食べ放題バイキング形式の食事だけでも、宿代の7割程度は掛かって居るだろうと思うし、///// ここで、妻に呼ばれて出かけた。//////

初詣も終わって、帰りに何時ものラーメン店でラーメン(これも何時もの)を食べてから、イオンに立ち寄り、さらにベイシアで買い物を済ませて帰宅。
帰宅して、さて、今日はギターはちょっと弾く気になれない感じ。 
昨日もバイト明けであまり弾いて居ない。 明日はギター講座で午前中に出かけるので、発表会の曲を少し練習しておきたいが、今は腹一杯でそんな気も起きないので、のんびりと過ごす事に決めた。
こうして、たまにはギターの練習を忘れて、のんびりとサボる事も良いことだと思う。 そうすることで、明日からのギター練習に意欲が沸いてくるのである。 それは焦りとか、遅れとかの気持ちとは違って、ギターを弾きたいと言う思いが募るのである。 

今日は妻も休みで、洗濯物も取り入れたし、後は夕方に風呂に入って、それからビール、ウイスキーを飲んで寝るだけである。 今日はベイシアの買い物は私の小遣いで支払ったので、ちょっと無駄な出費だが、昨日の夜にはま寿司で食事をした支払い、ラーメン店での支払いは妻が支払って居るので、それは私が支払うつもりだったので、まっ、それに比べると安く済んだと思えば、気も楽だ。 昨日はしまむらで無駄使いしてしまったが、まっ、今はバイト代もこれまでより多くなった事もあり、少し財布が緩くなった事は否めない。 
それと、Amazonでも少し無駄な買い物をしたので、今後はそうした無駄な買い物はする事も無いだろうと思っている。 今はほぼ欲しい物は揃ったので、後はギターの弦交換の費用だけである。 
この先、服は当分の間買う事は無いだろうし、買わない。 ギターに関する費用は4月に講座の受講料があるが、それ以外には同級グループとの練習で使用する施設の使用料程度。 それと、タバコ代だ。 
タバコもいずれは止めるつもりであるので、そうしたら、小遣いはほとんど必要なくなるだろう。 
もちろん、たまに食べたい物(ビールの肴程度)を時折買う程度で済むだろう。 午前中は風も弱く暖かい陽気だったが、今は少し北風が強くなって来て、肌寒さを覚える様に成った。 
予報だと来週は春めいた陽気なるとの事で、気温も20度に迫るほどになる予報なので、いよいよこれで冬も終わりか・・・と思ったりする。 
最近の冬は早く終わって、春が早まって来た感じもする。 そして、春もアッという間に終わって、梅雨時の蒸し暑さが来て、真夏の記録的な猛暑が到来する傾向が強くなった。 
今年の五月でバイトを始めてから1年が経つので、これで、全ての季節を感じる事になるが、バイトは屋内の環境なので、あまり季節に関係無く、快適に過ごす事が出来るので、特に問題はない。 
この先も10年、15年、出来る限りバイトは続けて行きたいと思っている。 私の小遣いはバイト代が全てなので、バイトが無ければ、家計から支出して貰う事になり、今のような贅沢など到底無理になる。 
今はギター講座や同級グループとの練習で使用する施設費用、タバコ代、その他の服を買ったり、好きな食べ物を買ったりといろいろと無駄な物を買っているが、そうした事も出来なくなるし、旅行費用も家計から捻出する事になるし、旅先で好きなように食べたり飲んだり、お土産を買ったりと気楽に過ごす事が出来なくなるだろうと思っている。 
なので、バイトは頑張って続けて、身体が健全であるまでは旅行に行ったり、好きな事を続けて行きたいと思う。 
さて、少しのんびりと過ごしてから、風呂に入って上手いビールを飲む事にしよう。 









同級生の集い

2024年02月06日 | Weblog
 以前から書いている同級グループとの練習(演奏)は2月1度で終わった。 3月は2日間の予定で何時もの施設の予約も完了した。 ただし、この施設の予約はあくまでも仮であり、施設利用料を10日以内に支払わないと自動的に予約はキャンセルとなる。 日曜日の午後からと決めて居て、1ヶ月前ぐらいまでなら空きがある事がほとんどだ。 4人で利用すれば、1人300円で済む。 
ただ、今は4人が揃う事が少なく、420円(実際には私が470円を支払い、他の仲間は400円で済ませている)であることが多い。 
それでも、広さは余りある広さであり、テーブルや椅子もあるし、エアコンですぐに暖まるし、電源もいくつもあるので、不自由は無い。 施設はとても綺麗で、飲食も可能である。 が、午後からであり、食事を済ませてから集まるので、特に飲食はしてない。 今は冬場だし、喉が渇くような事も無く、何も持たずでも特に欲しいとも思わない。 もちろん、夏場などはおそらくは水や飲み物ぐらいは欲しいだろう。 施設には自販機もあるし、仮に何も持たずに出かけてもすぐにドリンクは買える。 
この同級生で集まって演奏して楽しむ事は去年から初めている。 ただ、その中で2人が離脱して、1人が新しく参加して、今は4人で楽しんで居る。 
今後はもっと人が増えれば良いけど・・・とも思うが、なかなか楽器を演奏して楽しむ高齢者(同級生)との接点も少ないので、当分は増える事も無いかも知れない。 2人が離脱して、その内の1人は仲間との関係が悪くなった事が要因でもあるが、練習場所としていた店の経営者が同級生で、その店はいろんなイベントとして発表会などをしている。 で、その経営者から発表会への参加を強く促されていた事もこの店での練習から、別の施設での演奏(練習)に切り替えようと判断したのである。 
その時点で1人は離脱。 この1人と仲良かったもう1人もやはり家を空ける事が難しいとの理由(おそらくは、この1人から離脱するように言われた?と想像できそうだが)で離脱した。 
先日、飲み会でその離脱した仲間(女性)とのやりとりで、私の愚痴が散見されるLINEのやり取りがあったことを見せて貰った。 この仲間との関係が悪くなったのは私では無く、今も一緒に演奏している女性である。 なので、私が何か愚痴を言われる謂われなどない。 逆に私はこの女性には以前から親身にして相談にも乗っていたし、食事やその他の事でも(飲み会にも参加していたので)ある程度の融通もしていた程だ。 それが、私に対しての愚痴、悪口を他者に吹聴している事を知ったので、以前なら連絡したり、電話したり、飲み会にも必ず誘ったり、参加者の配慮(この離脱した女性はいろいろと好き嫌いがあり、その人選にも配慮していた)などもしていたが、実は今回、そうした配慮から誘う事はしなかった。 飲み会に誘って居る仲間は一緒に演奏して楽しんで居る女性がいて、今回はその女性を誘ったので、その2人は以前からあまり良い関係でも無い事は解っていたからである。 
さらに、今も一緒に集まっているこの女性との関係が悪化した女性からは、以前から他の女性に対する悪口を吹聴していて、飲み会に参加している女性の悪口も平気で吹聴しているとの事を知った。 
やれやれ、この離脱した女性は独り身で、これまでも一度も結婚していない独身である。 仕事もほとんど無いような状態で、一緒に住んでいた父親が亡くなってからは、収入源もほとんど無くなっている。 これまでの貯蓄を崩して生活費に充てていると聞いている。 
それに比べると、たの女性仲間は経済的にも余裕がある人がほとんどで、中には経営者で社長職にある女性もいて、そうした事も彼女(離脱した女性)からすると、妬みなどの要素になったのだろうと察しが付く。 そして、やはり生涯独身で自由に気楽に生活して来た事も、他の人との関係を上手く作れない性格になった気もする。 もちろん、生涯独身だからと言って、皆がそんな性格になるとは言えないのであるが、どうしても、経済的な悩みや苦しみ、将来に対する不安や、独り暮らしの寂しさや心細さなども彼女の性格から明るさとか、気楽さとか、そうした物を忘れさせているのだろうとも推定しまうのである。 去年、他の仲間と一緒にコンサートに行き、その時に私の車で送迎して、帰りに食事をする機会があり、その時に独り身なので、知り合いから年上の男性を紹介されている事も話をしていた。 
歳は彼女よりも6歳程度上のじじいである。 私もすでに高齢者の仲間であり、じじいであるが、それよりもさらに6歳上の年齢だと言うことだ。 私は
特に話を進めた方が良いとか、辞めた方が良いとかは言わなかったが、彼女は今更、じじいと暮らすのも嫌だと言っていたのを思い出す。 じじいと言っても、彼女自身がそもそも、ばばあである。 自分では若いときと変わらないように感じて居る様子であった。 しかし、他人から見ればただのばばあには違いない。 紹介された男性の顔や姿を見たわけでも無いから、なんとも言えないが、すでに70歳を超えて居るようなじじいの容姿などはどれもほとんど同じだろう・・・と想像は難しい訳ではない。 
私も気持ちは若くても、確実に髪の毛は薄くなって居るし、白髪も増え、顔にもシミや皺(皺はまだないけど)皮膚の張りだって、もちろん、年齢を隠す事は出来ない容姿となりつつある。 
私からすると、経済的な問題を解決する為にも、その男性と一緒に暮らす方が良いだろうと思うし、この後の人生を考えれば、年齢や容姿を気にするなどはどうでも良いような気もする。 
これが、一度は結婚して所帯を持った経験があるなら、おそらく、判断が違っているだろと思う。 人間が暮らして行くにはどうしても最低限のお金が必要だ。 彼女の住む家は持ち家なので、家賃は必要ないだろうが、少なくとも毎年の固定資産税は来るだろうし、車を所有しているので、車検や税金だって来るだろうし、ガス、水道、電気料金だっていくら独りだからと言ってもそれなりに支払いはある。 そして、スマホ代や飲食費用だってそんなに切り詰める事も出来ないだろう。 父親の年金収入で生活して来たので、その親が亡くなった事で今は自分がアルバイト程度で稼ぐお金が全てである。 若いときから病気ガチで、これまでもほとんどまともな会社勤めや、仕事はしていないので、自身の年金もほぼ0に等しい。 そうした状況下で彼女がなんとか仲間との交流を続けていたが、人との関係を上手く作れない性格であり、過去の遺恨なども忘れずに、何時までも特定の人を憎んだり、羨んだり、蔑んだりする態度はやはり頂けない。 
で、今回は私の愚痴や悪口も平気で吹聴している事が知れたので、私は他の仲間達にも金輪際、私はこの仲間(離脱した女性)との交流はしないと明言した。 早々にLINEからも削除している。 電話番号も削除しようとも思っているぐらいである。 

さて、今日は少し愚痴を多く書いた。 やはり、胸の内がすっきりしない。 一言、言い返してやりたいとも思ったが、こうした人間に何を言っても始まらないし、逆に空しい気がして、こうして書く事で心の中から消し去って放り出して置こうと思ったからである。 
まっ、何を書こうが、この日記を彼女が見る事は無いし、家族やその他の知り合いも決して見る事がないので、気にする事も無く、言いたいことを書いている。 少しは気が済んだような気もする。 

さて、今日はバイトなので、バイトの日は何時も夕方には風呂に入って、軽い食事を済ませてから出かける。 今日は日中は陽射しも注ぎ、洗濯物も良く乾くだろう。 夕方には取り入れて片付けて、妻も仕事で午後からは出かけるので、私が家の戸締まりをして、火元を確認してから出かける。
今日は同級グループとの練習で使用する施設の本予約を完了する為に少し出かける予定である。 10日以内に使用料を払わないとキャンセルになるので、時間が時に出かけて済ませる事にしようと思う。 
今日は天気も良いので、午前中に行こうと思う。  















国民保険

2024年02月05日 | Weblog
 社会保険の適用から外れたので、今日は国保に加入手続きを済ませて来た。 支払いは銀行口座から年8回に分けて支払う事になっている。 2月末が最後の納期で、次は7月まで支払いは無いらしい。 その後は7月に2回、8月、10月、11月、12月、1月、2月である。 昨年度の収入に応じて金額が決定するらしいが、昨年度は年金収入以外はないので、おそらく、それほどの金額にはならないだろう。 まっ、いずれにしても、保険額は思って居るほど安くは無い。 がしかし、医者に掛かる事も当然あるので、保険に加入しないわけにはいかない。 歯科医での定期検診もある。 今の所はそれ以外に診療をする事はほぼ無いが、高齢者の仲間でもあり、この先は意外と保険を使う日も来るだろう。 
年々保険料が上がっている時節だし、その他の税は下がるような事は皆無だ。 特に介護保険の高額な事や、消費税だってこの先上がる事は間違いないだろう。 どんな物にも税金がついて回っている世の中である。年金はもちろん、 消費税は特に悪徳税の極みだろう。 ガソリン税が掛かっているにもかかわらず、さらに消費税も掛かっている。 タバコだって、2重に税が掛かっているし、酒の同じだ。 さらに、車の税は悪徳税の最たる物。 車を購入する際には取得税や自賠責保険(強制保険だ)、重量税、登録費用や、整備費用なども同じだろう。 
車には多くの税が被さっている。 2年毎の車検時にも多くの税金が課せられる。 宿泊施設や飲食などや、医療費にも掛かって居る。 
なので、実際に働いて貰う給料からは多額の税金が差し引かれ、給料ではなく、年金にすら税金が掛かっているのはちょっとどうなんだ? 本来なら年金は給料とは違って、ある意味では保険なのである。 死亡保険には一定の額以下には無税であるはずだし、そのそも、年金も毎年下がっている現状で、そこに税負担を強いる事は庶民をバカにしていると言えるだろう。 
特に政治家の裏金問題や、政党助成金の高額な税金の使途はどうなんだ? 議員が得られる年間の報酬も庶民感覚とかけ離れている高額な税金の使途ではないか。 今話題になっているパーティー券の売り上げのキックバックによる裏金が多額であることや、それを申告すらしていない現状を見ると、税金をまともに払う庶民が一揆でも起こさないと収まらない気もする。 
国民が一致して、国対して税金の滞納をする活動を進めるのも良いかもしれないと思ったりするのである。 所謂、税金納入のストでも起こして、国(特に自民党の輩)に思い知らせないといつまで経っても税金を無駄に取り上げられる時代が続く。 
江戸幕府の頃でも民百姓の一揆が勃発して、旗本が壊滅する事だってあったのである。 あまりの理不尽な取り立てに対して、昔はそれなりに反発する姿勢もあるのだ。 今は国に庶民の所得が把握されているし、納税もほとんどは口座から自動的に引き落とされて居るし、会社からは給料から自動的に天引きされて居るので、それを阻めないのは情けないのである。 
日本人は特にそうした税金に対する意識が低いし、そもそも、国政に対して、無関心な人が多すぎる。 議員を決める投票も減り続けている。 毎回の投票率を見ても、5割を下回る事も珍しい事では無くなった。 
国民の半数以下の投票で決まってしまう事自体がすでに異常なのである。 なので、自民党は長い政権を維持してきた。 特に裏金で人を操る事は他の政党に比較すると狡猾に上手いと言えるだろう。 あの詐欺以上に誠実な人から搾取する事が目的の旧統一教会(世界平和統一家庭連合 )も自民党を丸め込み、丸め込まれた自民党もその教会の恩恵を甘んじて来た。 選挙で優位に立つ一つの手段として活用してきたのである。 
安部政権下でかつての名称変更も承認されている。 旧名称世界基督教統一神霊協会 から世界平和統一家庭連合 に名称を変えてまで信者を募って、詐欺同然の献金を助長させたのは安部首相自らの手腕であるのは明白だと言っても良いだろう。 前川喜平元文部科学事務次官の話から察するように、本来なら変更出来ない事例であったにも関わらず、どのような経緯で変更を承認したのかも明らかにされていない事も当時の首相の圧力が明白にあったのだろうと推察出来るのは当然のことだ。 
こうしていろんな事が昔の悪代官が執り行って来た悪行がこの時代にも延々と引き継がれていて、今尚、庶民を欺し続けて、汗を流して働いて稼いだ物を当然のごとくに剥ぎ取り、自分達の利に変える手法は全く変わって居ないのである。 東京オリンピックでも発覚して問題になった賄賂なども同じだろう。 企業からの献金や賄賂を目的として、無駄な税金を惜しみなく流用する手段は昔の幕府の手法と変わらない。 さらに、武士のお役目を利用して、裏金を当然のごとくに要求する行為も変わって居ない。 これが今の自民党(国家)の政治手法なのである。 
所詮、こうして嘆いても、こうして問題にしても、奴らは全くそんな物を聞く耳など持って居ないのも、全く同じである。 
今の日本人はそうして、政治への関心を喪失しているし、関心を喪失してくれた方が都合が良いので、政府も政治への関心を促すような政策などは出さない。 選挙期間には選挙に行くように・・・などと宣伝している姿勢を見せて居るが、内心では選挙など行かないで欲しいとも思って居るのだろう。
自民党に投票する事が確実な旧統一教会の信者達や、賄賂で抱え込んでいる企業や団体の投票だけで良いと思っているだろう。
本来なら、5割を下回るような投票率での当選などは無効だと言っても良い。 国民の信を問うなら、投票率が最低でも7割以上になるまで投票を繰り返して行うべきだろう。 今はネットがやりとりの主流になった時代である。 そうした簡単にしかも若い人達でも気楽(気楽に投票して貰っては困るが)に投票する事が出来るシステムを構築する事が先決だ。 
マイナンバーを保険証に変えるなどとまともに出来もしない物を作っている体たらくをさっさと取りやめて、そうした投票のシステムを作る方が国民はよほど歓迎するだろう。 マイナンバーの交付時にも多くの不手際があったし、そもそも、その程度のシステムしか作れない国家など誰が信用に値すると思って居るのだろうか? 今の政権も全くその信頼が無くなっていて、国民は呆れているし、そもそも、今の政治に期待などしていないし、もうどうでも良いわと思っている人が多勢である。 
次期総選挙でもおそらくは自民党が政権を握る事だろう。 今や野党にも信頼は無く、昔からの高齢者の多くは自民党崇拝者が多勢なのである。 そして、投票に足を運ぶのは時間を余している高齢者達なのであるから、自民党は高齢社会を今は喜んで居るだろう。 
今の若い人達がもっと自分達の未来を真剣に考えて行動するなら、果たしてこんな政権が未来を豊かにするだろうか? と疑問視する意識が欲しい物だ。 私はもう高齢者の仲間であり、先が知れている命なので、未来の事は他人毎になりつつある。 それでも、毎回選挙では自民党以外の議員に投票を続けて居るし、人気集めの票を取るだけの似非政治家には入れる事もない。 人はどうしても容姿や社会的な知名度の高さに魅せられる傾向がある。 なので、政党の候補者も中には全く政治など皆目知らない輩でも候補者として名乗りを上げさせて、票の確保に奔走するのだ。 
そうして得た当選した議員の多くは、ほとんど何の役にも立たず、ただ税金で支払われる報酬を貰って居るだけの木偶の坊である。 

さてと、政治の話はどうでも良い。 こうして考えて居ると気持ちが穏やかでは無くなるし、今更、私がほざいたところで何も変わるような世の中でもない。 今は毎日ギターを弾いて、のんびりと過ごす日々を送る事が出来るので、平和な今の世の中が続いてくれる事を祈るばかりである。
平穏に過ごせる事が何よりだろう。 元旦早々に訪れた能登半島地震のように、突然人生が奪われるような災難に出会う事だって想定される。 仮にそうなった時でも、それが自分に与えられた運命だと諦める以外にはないだろうが、やはり、何事も無く、死ぬまで平穏な暮らしが続く事を願うばかりだ。 








同級グループとの練習

2024年02月05日 | Weblog
 昨日は同級生で月に1回か2回程度、ギターやエレクトーン、リコーダー、ウクレレ、金管、その他の楽器で主にポピュラー曲中心に演奏して楽しんで居る。 昨日は先日私がソングブックを2冊購入したので、それを持って行き、ページをめくりながらほとんど知って居る曲を何曲も演奏した。 このソングブックはギター用の弾き語りブックなので、ギターコードが載せてあり、カポを使って簡易なコードに変えてある。 なので、カポ指定の曲は他の楽器では調が違って居るので、少し問題もあるが、カポなしでそのまま弾いてもまっ、特に合って居ない事も無い。 
このブックを買ったのも無駄では無かったし、それどころか、かなり重宝する。 家でもたまには気楽に弾くのも悪くないだろう。 

さて、今日はこれから市役所に出かける。 健康保険の加入である。 これまでは仕事を辞めてからは妻の社会保険に扶養者として加入していたが、どうも年金とは別の収入の有無だけで加入条件を算段した様子。 しかし、私の年金額が解ったらしい。 そもそも、私が加入する時に確認したのであるが、それでも可能だと言う回答だった。 で、結局は扶養者としては無理だったようで、今月初めに保険適用が外された。 なので、国民保険に加入する必要がある。 早々に保険に加入しないと病院にも掛かれない事になる。 
保険料も払わないと行けないし、まっ、それは当然だが。 これまで1年間保険料が浮いた事だけでもまっ、良かったと言うべきだろう。





読書と朗読

2024年02月04日 | Weblog
 読書は時間を潰す為に必須の物になった。 バイトを始めてから読書をするようになった。 本を読む事は意外と疲れる。 高齢になって、老眼が進み、文字を目で追う事はこの歳になるとやはりちょっと面倒とも言えるし、疲れる。 
それでも、バイト先の時間をやり過ごすには読書以外には良い方法が見つからないし、漢字を忘れない事に役立つかもしれない。 
家では読書は全くしない。 読書はしないが、小説は聴いて居る。 聴いているので、これは朗読である。 AmazonのAudibleで聴き続けている。 これまでも多くの小説を聴いている。 聴き放題のサブスクで、月に1500円の会費が必須だが、この費用は決して高くは無いだろう。 ほぼ毎日数時間も聴いているので、3日に1冊程度のペースで聴いているので、月に最低でも10冊程度は聴いている事になる。 読書は月に4冊程度。 なので、読書と朗読を合わせると15冊程度を毎月読んで(聴いて)いる事になる。 
私は時代小説が好きなので、朗読も小説も時代小説がほとんどで、たまに近代から現代物も読んだり、聴いたりしているが、やはりあまり面白くない。 

時代小説を主に書いている作家は意外と多く居るが、物語は様々で、戦国時代から江戸末期頃の時代もあるが、ほとんどは江戸時代物の捕り物の話が多い。 
坂岡真の「鬼役」。 シリーズ物で今後もしばらくは楽しめる。 辻堂魁の「夜叉萬同心」、「介錯人、別所竜玄」のシリーズも聴いている。 
それと、幡大介「大富豪同心」もシリーズで面白い。 知野みさき「上絵師、律の似面絵」、井原忠政「三河雑兵物語」など。 
私の好きな山本周五郎はほとんど読んでいるし、聴いている。 藤沢周平も好きなので、かなり読んだ。 読書は梶ようこの小説を読んでいる。 他にも読みたい作家も沢山いるので、まだまだ時代小説を読む事が出来そうだ。 

さて、昨日は同級生の飲み会だった。 それほど飲んだとも思っていないが、日本酒好きに付き合ったので、今日は少し頭がすっきりとしていない。 普段は日本酒を飲む事が無いので、やはり飲み付けない酒は酔い方があまり良いとは思えない。 それでも、二日酔いでは無く、今朝もいつも通りに起きて何時も通りと変わらない。 
今日は午後から同級生グループの練習(演奏)があるので、出かける。 今日の集まりは1人が都合が悪く、3人である。 その1人は前回から参加したばかりで、仮にその1人が居なかったら今日は2人になった。 
こうして、同級生グループの演奏は少し寂しい感じになった。 それでも、まっ、今日は先日購入したソングブックを持って行き、弾き語りで楽しもうとも思う。 家ではアコギで弾き語りはほとんどしない。 これは近隣への迷惑に配慮する事もあるが、家ではクラシックギター練習で過ごすので、アコギを弾く時間がそれほど無い事。 
なので、こうして同級グループとの練習の時に気兼ねなく弾けるのも楽しい。