昨日はフルタイムの仕事で疲れたが、夜、生長の家関係のオン・ライン講話があり、それを視聴しました。
その中で「村八分」という言葉についての説名があり、それがとても良かったので紹介させてもらいます。
メモはしてなかったので、「村八分」について書かれていた本の題名や著者は覚えていないが、ともかくその方面の研究者であることは間違いありません。
その研究者によれば、「村八分」は「村八分」であって「村十分」ではないということらしい。
それはどういうことかと言うと、八分についてはお付き合いしないが、あとの2分については別である。あとの2分とは、一つは火事に見舞われたとき、一つは家族の誰かが他界したときで、この場合はお付き合いさせていただくというわけで、そこから「村八分」という言葉が生まれて来ているそうです。
だから、「村八分」と言うと、今までは「村からのけ者にされている」という「冷たい仕打ち」のイメージでしたが、この話を聞くとそうではなく、本来なら村からのけ者にされても仕方がない処だが、火事に見舞われたときとか、家族の誰かが他界したそんな重大事の場合は別である、と言うのだから、これは「仕打ち」というより、むしろ「やさしさ」のように感じられたのでした。それで、日本人はやっぱり優しいところがあるんだなと、嬉しい気持ちにならせてもらった次第です。
結論を言えば、「村八分」は「村10分」ではなく、どんな場合でも2分については別であると、そんなやさしさが含まれている言葉なんだと思いました。
話は少し変わりますが、思い出したので書かせてもらいます。
私が初めて船に乗ったころに比べて、今では税金対策でパナマ船籍とかリベリア船籍が多くなって、日本国籍の船はうんと少なくなっているし、また船員も、経費節減で外国航路に乗る日本人船員も本当に少なくなっていて、多くが東南アジアの船員によって運行されています。
それで20年ほど前のことになりますが、あるフィリピン人船員に「日本の船に乗っていてどうか」と聞いたことがあります。すると彼は凡そ次ように答えてくれました。
「日本人は吾々を差別せず対等に付き合ってくれるから、同じ乗るなら日本の船に乗りたい。だけど、お金が欲しい人はイギリスの船に乗る。でもイギリス人は吾々を差別するから、私は日本の船がいい」と言っていたのを思い出しました。
村八分の意味を初めて知りました。
昔の人たちはあとの二分を分かっていてキチンと対処されたかと思いますが、現代の人間は村八分のちゃんとした意味も知らないままなので村十分にしてしまうのではないかと。
でも火事とお葬式には助けてあげられる人になりたいです。どうかな?できると良いですが。
私も、この話を聞いて、mocamocaさんが感じられたのと同じようなことを感じて、とても教えられた気がしました。実際にどれだけできるかはともかく、そんな人間でありたいと思うし、教訓として覚えておきたい話だと思いました。
>火事とお葬式には助けてあげられる人になりたいです。どうかな?
mocamocaさんは、仮にご主人が「ホットケ」と言っても、ほっとけなくて助けてしまいそうな感じがしますが・・・。(笑)