しゃちくんは野良猫ブログ

30年以上前になりますが自分探しのためにバイクで日本一周。
そして今、会社を畳んで田舎暮らしの準備中です。

頑張る うりずん

2024-01-17 14:50:40 | 日記

昨日入院した 家猫のうりずん。

何時、病院から電話がくるかビクビクしながら過ごしてました。

先程動物病院へ行きました。

意識は戻らず寝てるだけの状態ですが低体温症からは脱出できたそう。

昨年からウィルス性胃腸炎や風邪をこじらせて咳が続き声が出なくなった私は面会もかなわず。

うりずんの体調不良は私が原因だったのかもしれません。

声が出ないとうりずんの状態を説明できないから耳鼻咽喉科へも行きました。

強い薬が胃を荒らし食べた物を消化できません。

獣医の先生も「効かない薬よりも効く薬の方がいい」と笑われました。

朝から悪寒も酷く、昼食後に薬を以前のものに戻しました。

声は出にくいけど寒気が収まり眠気に襲われた。

吐き気も治まりましたよ。

 

 

 

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希望を失って 人は生きていけるのか?

2024-01-17 00:10:20 | yahoo!ニュースより

孤立した地域が既に限界集落だったら復興は諦めて移住させる。

心に傷を負った被災者に今、そんなことを言うべきではないと私も思います。

 

被災者と心を一つにして困難を乗り越える!そんな気持ちで東北に向かいました。

いざ津波で壊滅した街を観た時の衝撃はとんでもないものでした。

もしかして自分は既にこの世に居なくて死んでいるのかもしれない?頬っぺたを引っ叩く。

全ての建物がぶっ壊れてしまったこの町の復興なんて出来るはずがない!

このまま引き返そうと思ったが足が震えて動けないのです。

夜の東北道をひたすら走ったのは何のため?

とにかく被災者に一目会ってから次の事を考えようと心を落ち着かせてなんとか動けるように。

自衛隊員が沸かしたお湯の支援をしている。

そのお湯を貰いにやって来た被災者が笑いながら自衛隊員と話をしている。

この時の自分は不安で一杯の顔をしていたのだろう。

被災地で笑顔を見せてはいけない!なんて誰も言ってない。

全てを失った人たちが前に一歩を踏み出せるように自分は乗り込んだのを思い出す。

トラックで来たのは引っ越しの支援をするためです。

ボランティアセンターで説明を聞く迄は具体的にどんな引っ越しなのか見当もつかず。

5月になっても新学期が始まらない高台にある小学校、体育館が避難所になってました。

そこに身を寄せる避難住民の引っ越しなのです。

荷物(全財産)は支援された衣類だけ そんな住民ばかり。

指揮をするのは校長先生。

震災後から休みなしで避難所を守っている。

受け止めきれない現実を目の当たりにしてボランティアさんはみんな無口になる。

「これしか運ぶ荷物はないの?」避難者に聞こえてしまい(-_-;)

でもこれがきっかけで普通に会話が出来るようになる。

「私たちの為に遠くから駆け付けてくれて感謝してるよ!」

その言葉に勇気100%になれました。

昼間なのに真っ暗な校舎はまだ電気が復旧してません。

校庭では仮設住宅の建設が始まった。

 

能登半島地震“復興より移住”投稿めぐり物議 ひろゆき氏「今は話すタイミングではない」 米山隆一氏「むしろ今話さないでいつするのか」

配信

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