3日目
朝食も早々にホテルを出た私は、叔母宅に向かい すぐに2番叔母の貴重品をチェックした。
叔母の通帳のカードと同じ入れ物に JCBのマークが見えた!
叔母に訊ねると ヨーカ堂のカードだという。10年くらい前に作って何度か使ったことがあるというが
通帳を見ても、ここ数年は年会費だけの引き落としで使った形跡はない。
誰かに貸したこともなく、落としたこともないと本人は言うが、よく忘れ物をして歩いているし…
でも なぜカードがここにある??? どうやって使われたの??? 謎は深まるばかりだった
すぐに本人をそばにおいてカード会社に連絡し事情を説明 退会届と停止を願い出た。
その日は、病院に行く日でもあり 兄が来てくれ二人で連れて行った。
病院では病気の経過などの説明が先生からあったが、余命についても触れられ 辛い宣告だった。
本人は、「おまかせするわ~」と廊下で待っていたが、あまり深刻には思っていないようだった。
病院での治療はできないとなると、その後のことについてソーシャルワーカーの方に相談にいった。
ホスピスと 介護施設ですぐに入れてもらえそうなところを、そこで紹介してもらった。
兄の車があるうちにと、介護施設を見に行った。
車中でも兄と私はカードや通帳のお金のことを話していたが警察に届けたほうがいいのでは、ということになり
その施設のすぐ近くに警察署があったので相談に行った。
カードが手元にあるのでは盗難にはならないし、家に出入りしている人が疑われるだけというような話でそのまま帰ってきた。
そのあと訪れた介護施設は、こじんまりとした小さな家を利用した通所介護施設だった。
叔母は「ここは、私あまり行きたくないわ・・・」と言ったが「せっかくだから見ていこう~」と中に誘い入れた。
ソーシャルワーカーの方から連絡があったと、ケアマネージャーと施設長の方が笑顔で待っていてれた。
そこで出会った、お二人には その後何かにつけて大変なお世話になることになったのである。本当に良い方と巡り合えた。
難色を示す叔母を傍らに、翌週初めての ディサービスをお願いする手はずを整えた。
限りある時間内にやらなければならないことが山積みだった。またお昼もたべないままに3時が過ぎていた。
その日の夕方の新幹線で帰る予定になっていたので、兄と叔母と三人で食事をしながら姉に携帯で連絡。
私も混乱しているので、姉にはとりあえずソーシャルワーカーの方との窓口になってほしいと病院やホスピスのことをお願いし
ケアマネージャーを通した介護関係は私が担当することにした。
疲れもピークに達していた。神経がすり減ってしまい新幹線のなかでも眠れないまま 雪の秋田に到着した。
今年は例年にない大雪
夫の留守中ということもあり 緊張感と 毎日の雪寄せの作業の疲労もあってヘロヘロだった。
翌週も行く約束をしてきたものの、大丈夫だろうかという不安もあり近くの循環器内科の先生に診ていただいたが
異常はないと言われ 家に帰ってからは極力体を休めて備えた。
翌週 1日目
5日目にして また上京した私。まだ疲れはとれていなかった。
羽田で夫と待ち合わせをして わずか20分くらいの面会だったが 留守宅のことは任せられるのでホッとした。
その夜は8時ごろ 私の一番くつろげる場所である姉宅に着いて 心臓の動悸も落ち着いて 安心した。
翌日は叔母宅に市役所の方が10時に介護認定の面接にくるので朝6時に起きて電車で移動することになった。
2日目
大宮の駅で朝食をとり叔母宅に着いたら、もう係の方がみえて 二人の叔母の調査を始めてくれていた。
あとで聞いた3番叔母の話によれば、1番叔母のほうが受け答えはしっかりして2番叔母は今何月?とか季節を問われても
とっさに答えれなかったようである。
午後には、1番叔母の補聴器をもらいに病院に予約も入れていたのでその前に、大切な用事を済ませることになった。
前回の郵便局に連れて行った時の様子や家での二人の叔母の様子から、このままでは預金を引き出すのも難しくなることが目に見えていた。
3番叔母やその娘 R嬢とも相談の上 定期預金の解約をして これからの介護費用を準備することは急務であると。
1番叔母は名前を書くのがやっとだったが 、なんとか書くことが出来た。
しかし印鑑が違っていたり本人の顔写真がついた証明書がないなどの理由で、さんざん待たされた他、付き添いの姉は免許証のコピーをとられたり、なんだか犯人扱いのような後ろめたさがつきまとい本当にいやな思いをした。
逆の立場から見れば、なりすましなどの犯罪が多い中 当然なことではあるのだが・・・
自分のお金なのに、下ろすとなったらこんなに大変だなんて!
「歳をとってから 貯金なんてしておくもんでないね!するお金もないけれど」・・・と姉とふたり
老人とお金の問題 では、いやというほど辛酸をなめてきた私。複雑な思いもあった。
でも、それだからこそ 力になってやりたいと思う原動力になっているのでもある。
その後、姉と1番叔母は病院へ。
補聴器を付けて帰ってきたが まだ慣れなくて、音を拾うのが難しそうだった。
「聞こえなくて都合のいい事のほうが多いけど、テレビの音なんかまわりが迷惑だしね・・・」と下の二人の叔母。
私は、再発行をお願いしカード会社から送られてきていた明細書を調べていた。
22件にも及ぶその内容は、コンビニやガソリンスタンド・カーショップ・レストランなどなど、およそ高齢者には無縁のお買いものばかりである。
この1週間のあいだ 姉や叔母たちと謎解きをしていたが 心当たりはあるものの 確たる証拠はない。
あっという間に日は暮れて・・・・その日も お昼は食べ損ねてしまったが、
その夜は姉と二人 先日泊まった大宮の駅前のホテルで さまざまな今後の問題の対応や翌日の打ち合わせをしながら食事をした。