☆わんこと一緒の想い出と共に☆

シェルティと暮らしていたマールママの記録と記憶のためのページ

放射線治療

2011年03月28日 | 病気・健康

「やっと 終わった! 今日から 病院に行かなくていい!」 ワンズを傍らに ホッとした笑顔で朝食の夫 

先週末で 夫の32回に及ぶ 放射線治療が終わりました。

土日祭日を除く毎日 一日も延ばすことなく毎朝 通い続けることはそれなりに大変なことでした。

地震の影響によるガソリン不足も通院の足が奪われる不安もあり不用意な外出は控えて備えました。

特に地震があった日は金曜日だったので停電で翌週の治療がどうなるのか心配でしたが 

復旧し予約の患者の放射線は月曜日に予定通り受けることができました。

最後の日 主治医の先生から 検査結果についての説明も受けてきたようですが

上昇していた昨年暮れの PSAの数値は 確かに秋頃までの数値に下がっていました。

前立腺がんの手術を受けて、ちょうど3年。

昨年、春ぐらいから徐々にまた数値が上がってきていたのです。

放射線の治療は今回限りで、これからまた数値が上昇してくるようなことがあれば今度はまたホルモン療法になるのだとか・・・

手術を受ける前、1年間ホルモン療法をやって副作用に悩まされただけに、そのことが心配だったのですが

今はまた良いお薬もできているからと先生がおっしゃってくださったそうです。

放射線の治療も副作用が心配でしたが、照射する部位の関係なのでしょうか頻尿と痔のような症状がでているとのこと。

本人は血液検査の結果においても、いたって他に問題はなく、いろいろとチェックが多かった私より元気にしています。

 震災で命をなくした人の無念を思えば自分の治療がどうのということは言えない・・・と複雑な気持ちも。。

 

 

福島第一原発の放射能漏れの事故は大変深刻な問題となっています。

電気の供給など 便利さの裏での隣り合わせの危険

病気の治療の上でも、目に見えない放射線治療の安全性は技術の進歩と信頼に伴うもの

毒と薬も紙一重・・・何事も一筋縄ではいかないことばかりなのですね。

 

 東京の都心ではサクラの開花宣言がされたと 嬉しい 便りが聞かれましたが 

 こちらは、きょうも 10センチ以上の積雪がありました。

外の風は、とても冷たく寒いですが 室内では剪定で切り落とした枝の梅の蕾がふくらみ咲いています 

 

 

 

 

 

 


マイホーム

2011年03月24日 | 日々の暮らし

 

春彼岸も過ぎたというのに 今日は しんしんと雪が降り積もり午後には10センチほどの積雪になりました。

水分を含んだ春の雪は まもなくとけますが 天気予報はこの先も雪だるまのマークがならんでいます。

 

朝     

 

地震の暗いニュースばかりで気が滅入っていたのと、昨年暮れからの体調不良もあって何もやる気になれないでいたのですが

数日間の穏やかな天気に春の気配を感じて少し元気になってきました 

鉛色の空ばかり見上げていると、本当に太陽の明るさと青空が恋しくありがたく思います。

元気と勇気をもらえるのが天の力ならば、時として牙をむくのも天の力・・・自然の力に人間はなんと無力なのでしょうか。

津波で一瞬にして住み慣れた大切な我が家を失くしてしまった人達・・・

言葉では言い表せないほどの どんなにか悔しい思いをされているかと思うと心が痛みます。

 

今 私はその“大切な自分の家”に住んでいるのだということを あらためて感じました。

時に、掃除や維持することが重荷になっていた 家  マイホーム 

 

冬の間、換気も十分でなく埃っぽくなっていた部屋の隅々の掃除や、風呂場のカビとりなど始めました。

今日はバルコニーの雪解け後のタイルの汚れが気になっていましたが、湿っぽい雪で汚れが落ちやすくなっていたので

デッキブラシでゴシゴシやったら水を使うことなくきれいになりました。

 

 

 

また急に頑張りすぎないように、ブレーキをかけながら 少しずつ家をきれいにしていきたいと思います。

 

 

 


おひさま

2011年03月22日 | ある日の出来事

昨日 、今日と おひさま が顔を出しました。

久々の あたたかな小春日和に誘われて外にでました。

雪解けの 濡れた土のあちらこちらから 水仙の芽が出ていました。

いつもより寒く とてつもない災害に襲われた東北にも 少しずつ春はやって来ています。

この あたたかい おひさまが 被災地の皆さんにも元気を与えてくれますように・・・

 

 

 

 

大震災の津波に巻き込まれ 母方の従妹の旦那様が亡くなったことを知りました。

死者行方不明が2万人を超すこの大災害で親戚や知人が災害に遭われた方も多くいることと思います。

原発の事故も予断を許さない深刻な状況下、これからの生活の見通しが立たない大変な不安の中で

当面の居場所を求めて避難して来られる方々の受け入れが各地で進められてきています。

本県にも1000人以上の方が避難して来られたとの報道がありました。

被災者の受け入れについては こちら

県の被災者受け入れ窓口に連絡を入れて紹介された宿泊施設では宿泊と食事の支援が受けられるそうです。

どんなに大変でも家族や地域の人たちと一緒に居たいという思いや

学校・職場など様々な問題でなかなか決心がつかない人も多く居ることと思いますが

とりあえず 温かな食事とお風呂に入り、布団の上で休んでもらいたい・・・

そう願っています。

 

 


東日本大震災

2011年03月15日 | ある日の出来事

3月11日 金曜日 午後2時45分ごろ 三陸沖を震源とする M9・0の 

東北・関東に甚大な被害をもたらした 観測史上例をみない 巨大地震

災害に遭われ亡くなったた皆さんやご家族の方を思うといたたまれない気持ちでいっぱいです。

また不眠不休で現場での対応に追われている皆さんには本当に頭が下がります。

自分なりに何が出来るのか? 微力ながら考えていきたいと思います。

 

 

ネットが繋がらなく これまで無事を伝えることができずご心配おかけいたしました。

 

あの日 緊急地震警報の携帯ベルがなったあと 激しく不気味な長い揺れが続きました。

秋田は 震度5強  幸い我が家は物が落ちることもなく被害がありませんでした。

ワンズも ふつうに元気にしています。

ガス・水道は大丈夫でしたが 停電で暖房・お風呂がだめで、その日は吹雪が舞う とても寒い日

暖炉で明かりと暖をとり 焼き芋や お餅を食べました。

余震が続く中 携帯ラジオと懐中電灯をつけての2日目の夜 パッと電気が付いたときは思わず拍手し

すぐにお風呂を沸かし 体が温まったとき 普段の何気ない幸せを しみじみ思いました。

そしてラジオからは伝わってこなかったテレビの悲惨な映像に 言葉を失い・・・

次々と明らかになる甚大な被害と目を覆いたくなる惨状・・・

日々 繰り返し報道を目にしていて どんよりと暗~い気持ちになっていました。

 

被害の少ない私がブログをアップすることに、ためらいもありました。

たくさんのアクセスにご心配をいただいているのではと思い一部書き直しをしながら更新しています。

 

誰しもが家族を思い 安否を知りたくても 携帯や電話が通じないことはとても不安なことです。

そんな中 親戚や友人から たくさんの心配のメールをいただきました。本当にありがとうございます。

私のところは大丈夫でしたが仙台の弟の家族や 松島のアップルミントさんがとても心配でした。

弟家族は長男夫婦とナオトくんアイトくんも一緒に元気にしているとメールをもらいました。

アップルミントさんも無事のようですが3匹のワンちゃんとどうしているのかとても心配しています。

被害が甚大で広範囲に及びライフラインの復旧には時間がかりそうな被災地は原発の問題などまだまだ予断を許さない状況

こちらもスーパーなどでは物資・燃料が不足し、まだまだ寒い毎日ですが我が家は母屋が空いています。

いつでも 受け入れられますので避難して来てくださいとのメールを送りました。

避難所で暮らす皆さんには十分な食べ物も届いていないとのこと。

特に乳飲み子や幼い子を抱えている人たち ペットを連れている人たちが心配です。

一日も早いライフラインの復旧と 余震が収まって 安心できる日がくることを祈っています!

 

 

 

 仙台の弟宅にも夕方 電気がついたと 夜遅くメールが届きました。

   5日ぶりのお風呂に入り 弟は職場に詰めているそうですが

   食べ物もとりあえず足りて子供たちと一緒の賑やかな生活はそれなりの楽しみもあるようです。

 アップルミントさんも自宅で生活しているとのメールが届きました。

   3/16 ブログも更新されています。 こちら

    

なによりも 家族が一緒に居ることの幸せと絆 を この災害を通じて痛感した人も多いのではないでしょうか。

  

計画停電も始まりました。 みんなで 節電に努めましょう!

 

そして、この非常事態において不眠不休で最善を尽くしている方々に感謝の気持ちを忘れずに

口先だけで非難したり責めたりすることなく 力を合わせてそれぞれが協力できることに努めましょう。

 

 

 


お告げ・・・?

2011年03月06日 | 三婆通信

早朝 姉から メールが届いていた。

『今 夢の中でTmおばさんが出てきて お金を〇〇温泉で なんだかイロイロな使い方があるんだよと話してた

 

 

亡くなった叔母が 誰にも何も言わないまま あの世に行ってしまい わからないことがたくさんあった。

特に 昨年の暮れ 11月と12月 病気が発覚する少し前 多額の現金が引き出されカードの不正使用も発覚した。

病気にならなければ・・・私が上京し、気付かなければ・・・・ 預金の残高はすっかり無くなっていただろうと思う。

1の叔母が、いつも通帳を広げ「お金が無くなったしまったのよ・・・」と頭を抱えていたのを認知症の症状だと笑っていたけれど

3の叔母が、二人の居ない間に片づけて出てきた古い通帳や預かった通帳をチェックして驚いてしまった!

1の叔母が言っていたことは本当だったのだ。 

昨年になって急に引き出す額が大きくなって何度も下ろされていた。

1の叔母が、2の叔母に頼んで引き出していたらしく、その保管を頼まれていた2の叔母が失くしてしまうらしいのだ。

1の叔母に、それをいつも言われ続けていた2の叔母はそれがストレスになっていたのだと思う。

一人で出かける近場の 〇〇温泉だけが 2の叔母の解放される場所だったのかな?・・・と姉と話していた。

二人の通帳から引き出された多額の現金はどこに消えたのだろう・・・?

家の片づけもだいたい済んだが出てこないところをみるとオレオレ詐欺のような手口にでも引っかかったのだろうか?

 

大体の人は 歳をとるとお金に執着するようだが 認知症になると特に顕著になる。

田舎に帰りたいとやってきたころから、その兆候はみられた。

いつも手元にまとまったお金を持っていないと不安なようで、そのお金の置きどころを忘れてよく探していた。 

しかし、そのことを認めたくない2の叔母は「失くした」とは決して言わなかった。

 

幸い入院前まだ動けるうちに 残った預金も引き出しに行ったしカードの不正使用の手続きも出来た。

病床の叔母には「お金のことは心配しなくていいのよ!」と伝えると

「あなたが手続きしてくれたからでしょう?もう戻らないと思っていたの・・使ってちょうだいね」と言った。

 

本当に、あの時 私は呼ばれて行ったような気がする。

姉夫婦ともに、この間 10数回 叔母のもとに足を運んでいる。

さまざまなシーンが、まるで準備されていたように スムーズに運び 叔母は亡くなった。

 

 

無事にお葬式も済み あれから一週間

消えたおカネ のことで 様々な 憶測をしている私たちに 叔母は夢枕で

そのお金は私が使ったのよ!」とメッセージを伝えたのかもしれない。

そうだよね! 余分なお金は争いのもと! 

 これにて一件落着~~!

 

4月3日(日)に 法要と偲ぶ会 が行われることが決まった。

みんなで 仲良く 叔母を偲び 冥土の旅に送ることにいたしましょう。

 

姉は昨日から 孫のベビーシッターとして 忙しそうだ。

そろそろ わたしも フツーの生活 に復帰しなければ・・・

 

 

 

 

 


お誕生会

2011年03月05日 | 三婆通信

亡くなった後の さまざまな手続きを終えた私たちは 叔母のお世話になった施設を訪問しました。

少人数で アットホームな ケアハウス   

ここ2ヶ月の間  始終 我が身内の者が 実家にでも訪問するように 

代わる代わる何度も訪れ いつもそこに居る人たちとは 親戚のような気持ちになっていました。

初対面のとき無表情だった入所者の Yお爺さんも すっかり明るく笑顔で迎えてくれます。

壁には バレンタインのときの 二人の叔母の笑顔の写真が貼られていました。

 

 

亡くなる わずか2週間前 この日訪れた姉夫婦の持参した 桜餅を美味しそうに食べたそうです。

 

ちょうど私たちが訪問したその日 1の叔母の 89歳のお誕生会 がありました 

本当は 3月1日生まれの1の叔母と 3月30日生まれの2の叔母 二人の誕生会をやってくださる予定だったのだそうです。

ケアマネのNさんやホームの方からもケーキやお花をいただき みんなで ハッピーバースデー 

わたしたち三人も加わり 花束を持参 一緒に お祝いをしました。

 

大感激の 叔母から 

「きょうまで 89年間 生きてきて 最高の誕生日でした。皆さん 本当にありがとうございます」と

最大限のお礼の言葉が述べられました。

    

 

いただいたお祝いの色紙には バレンタインの日の二人の写真も入っています。

明るく 社交的な叔母は ホームの中でも 人気者らしく皆さんとよくうちとけていました。

家にいると 亡くなった2の叔母のことや心配ごとばかり考えて 暗い表情でいるのに

それなりの気づかいはあったにしても 皆さんにとても優しくしていただき 

本人も私たちも安心できる場所ができて本当に良かった!

スタッフの皆さまがたに 助けられながら これからも残された二人の叔母を支えていきたいと思います。

 

 

 


葬送のカタチ

2011年03月04日 | 三婆通信

余命 1~2ヶ月・・・ それよりも長いかもしれないが 明日かも わからない・・・

そのような宣告を受けたことは、ある意味 心の準備を与えられることでもあった。

その日が いつなのかは わからないけれど お葬式のことを決めておく必要があった。

送る人も 送られる人も高齢  手伝ってあげれる人も遠隔地

私たちは 葬儀は簡単にして 生きているうちに 安らぎ喜んでもらえることを精一杯してあげようと決めた。

 

 

近年 よく聞かれるようになった 直葬 (火葬式)を するにあたって

納骨する菩提寺の ご住職に前もって相談の電話を入れたのだが理解が得られず困ってしまったが 納骨の了承は得られた。

もうひとつの問題は そのような形のお葬式を見たことがない 1の叔母の心のケア

さまざまな問題や 自分の心の迷いで きちんとしたお葬式をやってあげるべきではないのかと悩んだ。

しかし、宗教や宗派によっては様々な葬送の形があってしかり・・・

いろんな人の意見を聞き、温かい心と気持ちが通じることが一番なのだと 納得した。

 

亡くなった翌日は 小春日和の日曜日

設備の整った斎場に運ばれ そこで荼毘に付された。

その間 出席した人たちで お清めの会食

叔母と関わりの一番深かった身内 10名での葬送

いつも叔母を訪れる日は お天気にも恵まれ一日延びると友引きで出来なかったし 本当に後生の良い叔母

 

お骨となった叔母を連れて帰り 叔母の部屋に収め 後日 四十九日の法要をして納骨することにした。

穏やかな笑顔の遺影は、3年ほど前 私と姉が遊びに来たときに撮ったもの

  

「ありがとう・・・心配かけてごめんね・・・」 なんども言っていた言葉が聞こえるようだった。

1の叔母の戸惑い・・・疲れながらも お骨に付き添って居てくれている 3の叔母

残された二人の叔母の心配は尽きないが お葬式が終わり

私と姉、R嬢の三人は 手を取り合って「無事に終わってよかったね」と 涙を共にした。

 

そして2日後、三人で市役所などの手続きを済ませ お世話になった方々へのお礼に伺った。

 

長過ぎず 短過ぎず 温かい人たちに囲まれて 旅立った2の叔母

天国の叔母から お礼の花束が お世話になった方々に届けられました。 

 

 

 ありがとう 』 の感謝の言葉が添えられて