☆わんこと一緒の想い出と共に☆

シェルティと暮らしていたマールママの記録と記憶のためのページ

危うい限界暮らし(その3)

2011年01月30日 | 三婆通信

2度目の3日目  

その日は土曜日 病気の叔母を病院に連れて行く日 

R嬢と兄も来てくれることになっていたので、今後の二人の叔母をどうするかについて皆で相談することにした。

叔母宅に行く前に待ち合わせをしてケアマネージャーの方から介護施設についてのなどの説明を受けた。

さしあったては痛みが出てきている叔母の問題。

その前の週に私が来て帰る日のころから「腰がはんぱじゃなく痛い」と言って座るのも歩くのも辛そうだった。

お世話をしている3番叔母から、ポータブルのトイレや紙パンツをいやがって間に合わなく後始末が大変だと聞いていた。

1番叔母もそれをみて「かわいそうに、どうして病院で入院させてくれないの?」となんども言う。

前日、銀行でお金をおろしてきたときも「これでおばちゃんを入院させてあげられる」と安堵していたのだ。

2人暮らしの支えあっている関係は、どちらかが弱くなるとどちらかがしっかりしてくるということはよくあること。

病院には姉と兄が付き添い、私とR嬢は残って1番叔母・3番叔母と話をしていた。

立場的に、ちょっと離れた関係の私は他の人が言いづらい大切な話も この機を除いたらもうないかも・・・と

いろいろ話をする中で「おばさん、このおうちはどうするの?」と私が訊いたら きっぱりと答えた!

「おばさん しっかりしている!すごいねぇ!こういう大切なことはきちんと書いておかなくちゃ!」と言うと

しっかりとノートに書いた!「自分でも書いて封筒に入れておこうと思っていたのよ」と言う。その日はとてもさえていた!!

法的にどうのという以前の問題で、叔母の気持ちを尊重した後始末には必要不可欠なこと。

重要な問題がひとつ解決した。そして、もう一つの問題。

「2番叔母は、ここの家のお墓に入れるの?」 「入れると思うよ」と答えた。

ところで2番叔母の本当の気持ちはどうなのだろう? 

むかし、私の家に手伝いに来てくれていたころ「私は子供もいないし迷惑かけたくないから ”献体”しようと思っているの」と言っていたことを思い出した。姉にも、そのように言っていたらしい。

しかし、それも本人が登録していたらできたことかもしれないが家族の承諾も必要なようだし今となれば・・・

           

                    

 

病院に付き添っていた姉から電話があり とりあえず入院させてもらえることになった との一報が!

みんな手を叩いて喜び「よかった!よかった!」と涙をながしながら「おじちゃんが守ってくれていたのよ!」と仏壇に手を合わせていた。

入院準備をしたり、サインが必要な書類があったり みんなで手分けしてもやることはたくさんあった。

とりあえずの入院の件も、いろいろあって大変だった。介護・病院・たくさんの書類は R嬢が 全部記帳してくれた。

要介護の認定はまだ先になるらいが、先日2番叔母が初めて利用したホームに1番叔母も週1・2回ディサービスの利用をさせてもらうことにし係の方もみえてくれた。

当のご本人は「私も、いずれはお世話になることになると思うんですけど まだね・・なんせ、この頭がガンコなんですよ」とかおっしゃっている。

3番叔母に一緒に暮らしてほしいと言っているそうだが「毎日一緒にいると、Tmさん(2番)がどんなに大変だったかよくわかる。私は、とても暮らせない」と言っていた。それでも今は自分が付いていてやらなければとがんばっている。

1番叔母に「ひとりになってどうやって暮らしていくの?」と聞くと「〇△さんが、なんでもやってくれるから」と答えたそうだ。

「何でも買ってきてくれるし銀行にだって行ってくれる」 と!     遠くの親戚より近くの他人 

お世話になっているご近所さんは、この老人たちにとって どんなにか心強く信頼されている存在だったのだろう。

もう戻ってはこないであろう 例の使途不明金も 犯人探しはやめた。

本人たちのやっていることも、訳のわからないことが多いうえ警察沙汰にでもしたら逆恨みで、なにされるかわからない。

そのほうがもっと怖い。

それにしても、頻繁に出入りしていたご近所さんは 最近叔母の顔がみえないけどどうしたかしらと?訪ねてくることもないというから不思議。

幸い、カードの悪用された件については 明らかに不正使用が認められたので全額口座に返金されるとの連絡が信販会社から入った

認知症の人の財産の管理は 後見人制度 というものがあることは知っている。

しかし、ここ数年のあいだに、すっかり目減りした叔母たちの老後の予備費は、そこに頼むほどのものではなくなっている。

乗りかかった船。あとは、わたしたち身内のサポーターが団結して残された老後を守ってやらなければ。。

セカンドライフの お仕事として多くの方がボランティアをやっている。

看護師さんのように、介護施設で働く方のように・・・大変なお仕事は私にはできないけれど、

せめて身近な年寄りの手助けだけでも力になってやりたいと思う。

叔母たちの暮らしから、これからの私たちの老後に 学び考えさせられることは多かった。

北へ北へとまっすぐ走る 帰りの新幹線の中で さまざまなことに思いを巡らした。

 

 

 


危うい限界暮らし(その2)

2011年01月29日 | 三婆通信

3日目

朝食も早々にホテルを出た私は、叔母宅に向かい すぐに2番叔母の貴重品をチェックした。

叔母の通帳のカードと同じ入れ物に JCBのマークが見えた!

叔母に訊ねると ヨーカ堂のカードだという。10年くらい前に作って何度か使ったことがあるというが

通帳を見ても、ここ数年は年会費だけの引き落としで使った形跡はない。

誰かに貸したこともなく、落としたこともないと本人は言うが、よく忘れ物をして歩いているし…

でも なぜカードがここにある??? どうやって使われたの???  謎は深まるばかりだった

すぐに本人をそばにおいてカード会社に連絡し事情を説明 退会届と停止を願い出た。

その日は、病院に行く日でもあり 兄が来てくれ二人で連れて行った。

病院では病気の経過などの説明が先生からあったが、余命についても触れられ 辛い宣告だった。

本人は、「おまかせするわ~」と廊下で待っていたが、あまり深刻には思っていないようだった。

病院での治療はできないとなると、その後のことについてソーシャルワーカーの方に相談にいった。

ホスピスと 介護施設ですぐに入れてもらえそうなところを、そこで紹介してもらった。

兄の車があるうちにと、介護施設を見に行った。

車中でも兄と私はカードや通帳のお金のことを話していたが警察に届けたほうがいいのでは、ということになり

その施設のすぐ近くに警察署があったので相談に行った。

カードが手元にあるのでは盗難にはならないし、家に出入りしている人が疑われるだけというような話でそのまま帰ってきた。

そのあと訪れた介護施設は、こじんまりとした小さな家を利用した通所介護施設だった。

叔母は「ここは、私あまり行きたくないわ・・・」と言ったが「せっかくだから見ていこう~」と中に誘い入れた。

ソーシャルワーカーの方から連絡があったと、ケアマネージャーと施設長の方が笑顔で待っていてれた。

そこで出会った、お二人には その後何かにつけて大変なお世話になることになったのである。本当に良い方と巡り合えた。

難色を示す叔母を傍らに、翌週初めての ディサービスをお願いする手はずを整えた。

限りある時間内にやらなければならないことが山積みだった。またお昼もたべないままに3時が過ぎていた。

その日の夕方の新幹線で帰る予定になっていたので、兄と叔母と三人で食事をしながら姉に携帯で連絡。

私も混乱しているので、姉にはとりあえずソーシャルワーカーの方との窓口になってほしいと病院やホスピスのことをお願いし

ケアマネージャーを通した介護関係は私が担当することにした。

疲れもピークに達していた。神経がすり減ってしまい新幹線のなかでも眠れないまま 雪の秋田に到着した。

今年は例年にない大雪

夫の留守中ということもあり 緊張感と 毎日の雪寄せの作業の疲労もあってヘロヘロだった。

翌週も行く約束をしてきたものの、大丈夫だろうかという不安もあり近くの循環器内科の先生に診ていただいたが

異常はないと言われ 家に帰ってからは極力体を休めて備えた。

  

             

 

翌週 1日目

5日目にして また上京した私。まだ疲れはとれていなかった。

羽田で夫と待ち合わせをして わずか20分くらいの面会だったが 留守宅のことは任せられるのでホッとした。

その夜は8時ごろ  私の一番くつろげる場所である姉宅に着いて 心臓の動悸も落ち着いて 安心した。

翌日は叔母宅に市役所の方が10時に介護認定の面接にくるので朝6時に起きて電車で移動することになった。

  2日目

大宮の駅で朝食をとり叔母宅に着いたら、もう係の方がみえて 二人の叔母の調査を始めてくれていた。

あとで聞いた3番叔母の話によれば、1番叔母のほうが受け答えはしっかりして2番叔母は今何月?とか季節を問われても

とっさに答えれなかったようである。

午後には、1番叔母の補聴器をもらいに病院に予約も入れていたのでその前に、大切な用事を済ませることになった。

前回の郵便局に連れて行った時の様子や家での二人の叔母の様子から、このままでは預金を引き出すのも難しくなることが目に見えていた。

3番叔母やその娘 R嬢とも相談の上 定期預金の解約をして これからの介護費用を準備することは急務であると。

1番叔母は名前を書くのがやっとだったが 、なんとか書くことが出来た。

しかし印鑑が違っていたり本人の顔写真がついた証明書がないなどの理由で、さんざん待たされた他、付き添いの姉は免許証のコピーをとられたり、なんだか犯人扱いのような後ろめたさがつきまとい本当にいやな思いをした。

逆の立場から見れば、なりすましなどの犯罪が多い中 当然なことではあるのだが・・・

自分のお金なのに、下ろすとなったらこんなに大変だなんて!

「歳をとってから 貯金なんてしておくもんでないね!するお金もないけれど」・・・と姉とふたり 

老人とお金の問題 では、いやというほど辛酸をなめてきた私。複雑な思いもあった。

でも、それだからこそ 力になってやりたいと思う原動力になっているのでもある。

その後、姉と1番叔母は病院へ。

補聴器を付けて帰ってきたが まだ慣れなくて、音を拾うのが難しそうだった。

「聞こえなくて都合のいい事のほうが多いけど、テレビの音なんかまわりが迷惑だしね・・・」と下の二人の叔母。

私は、再発行をお願いしカード会社から送られてきていた明細書を調べていた。

22件にも及ぶその内容は、コンビニやガソリンスタンド・カーショップ・レストランなどなど、およそ高齢者には無縁のお買いものばかりである。

この1週間のあいだ 姉や叔母たちと謎解きをしていたが 心当たりはあるものの 確たる証拠はない。

あっという間に日は暮れて・・・・その日も お昼は食べ損ねてしまったが、

その夜は姉と二人 先日泊まった大宮の駅前のホテルで さまざまな今後の問題の対応や翌日の打ち合わせをしながら食事をした。

 

 


危うい限界暮らし(その1)

2011年01月28日 | 三婆通信

子供のいない 一番叔母の旦那さんが亡くなり 同じく子供のいない2番叔母が一緒に暮らすようになったのはもう ずいぶん前のこと。

姉のもとで気を使い 一緒に暮らすんじゃなかった・・という2番叔母の声は よく聞かれたが

表面上は 互いを気遣い うまくやっているようにみえた。

そんな2番叔母は、どこかで誰かが病気をして困っていたりすると、よくお手伝いにきてくれた。

しかし叔母たちも年をとり 出かけることも少なくなって二人の暮らしを時々訪れる3番叔母と、

ご近所の 親切なお世話係 に頼っての日常生活。

今回の2回の訪問で 限界生活に潜む危険 を目の当たりにすることとなったが

最初の訪問は、私がひとりだったこともあり 詳しいことをそれぞれに伝えていないので

忘れないうちに なにがあったのか書きとめておこうと思う。

            

昨年秋に訪問し もう限界だし どうにかしてあげなくては・・・と思っていた矢先の出来事

病気の発覚も お正月に遊びに来た3番叔母が泊まり 初めて気がついたときは

すでに 手は腫れて胸には病魔が露見していたようである。

姉が一報を受け病院に付き添ったのはお正月明けの第一週 

乳腺外来が土曜日の診察だったので R嬢も同行して先生の説明を受けてくれた。

翌週の外来には 埼玉の私の兄が付き添ってくれることになっていたが 深刻な事態に私も急きょ行くことにした。

とにかく介護の手続きをしなければ・・・・ネットで事前に調べて行った。

1日目

新幹線で大宮に降り立ち、すぐに向かったのは 地域包括支援センター

事情を話し 相談に応じてもらった。まずは二人の介護保険の申請

その申請を受けて翌週 市の訪問調査 の方が見えることになり、そのときに立ち会うことも約束した。

その後、叔母宅に着いたのは 午後1時半を過ぎていた。

その日のうちに、やっておきたいことが 郵便局での定期預金の解約

昨年秋に 叔母から預かっていたものがある。三婆をひきつれて窓口へ。

まだ字をかける。 やっと歩いている。 認知症が出て同じことを何度も聞く。

タイムリミットだった。

これから入院するにも施設に入所するにも お金は重要なファクターである。

ふたりの叔母のまだあるかもしれない通帳や口座の照会も申し込んできた。

印鑑が違っていたり 書き間違えたり 何時間もかかった。お昼もまだ食べていない・・・

そのあと三人を食事に連れて行った。 

みんな 結構な食欲で 美味しそうに 食べていた。

1号叔母は 転んで倒れ時のあとで パンダのような目をしていた。

 

叔母宅に戻ると もう5時を過ぎていた。

ほんとは、その夜 病気の叔母を誘って一緒に ゆっくりしたいと思いホテルを予約していたのだが

本人の気持ちに行動が付いていけなく 結局 わたしが一人でホテルに泊まることになったが

結果からいえば やはり無理だったし 私自身も疲れを取る意味でもよかったのだと思う。

2日目

もうすでに 筆談でなければ 話が通じないほど 難聴になっていた 1番叔母

その日は  埼玉在住の従姉の S子さん夫婦が 補聴器のことで病院に連れて行ってくれることになっていた。

その間、私と3番叔母は 1番叔母の部屋を片付けることにした。

昨年暮れから 何度も お金が無くなった と騒いでいるらしいし実際 二人の通帳を見ても多額の現金が引き落とされている。

秋に来たときも大掃除をして お金の入った袋が見つかっているので、大方その辺にまた袋に入って挟み込んでいるのでいるのだろうと思っていたが、こたつ板の下から 少しまとまったお金はでてきたものの、その大金は見つからなかった。

ほこりにまみれての大掃除 どっと疲れが出た。 

2番叔母も銀行の口座からカードで最近も引き落としてきたというのだが 通帳は秋から記帳されてなかったので

借りていって記帳してくることにした。

その夜ホテルに向かう途中 ATMで記帳し 私は 青ざめてしまった!

11月と12月 カードでの現金引き落としが限度額で2回のほかに 

信販会社のカード払いでのショピング 12月と1月 合計で40万近く 引き落としされている!

明らかに、そんな大金使った形跡もなければ叔母がカードで買い物など使ったりするはずもなく 悪用されていると確信した!

その夜、私は幼馴染の K子と 食事の約束をしていたので まずは今更 騒いでもどうしようもないので

その時間だけは忘れることにした。

 

    

 

いつ 何年ぶりにあっても 笑顔で なんの気兼ねもなく 素のままで会える友と

ホテルの31階の 夜景を眺めながら ワインとイタリアンで 楽しいひとときを過ごした♪

怒涛のような3日間のなかに そんなひと時が あったことが 救われる。

ありがと~ k子 ! おみやげの スィーツも とびっきり おいしかったよん 

 

その翌日には また目の回るような 1日が待ち受けていた 

 

 

 


三婆 通信

2011年01月27日 | 三婆通信

先週 猛吹雪の中 上京した時 東京地方は さわやかな冬晴れで 青空がまぶしいくらいでした 

けさの 秋田は -7℃と冷え込み 霧が発生して とっても寒い朝

                 

 

そんな中を ワンズは 元気に おとーさんと おさんぽしてきました。

 

     

 

末期の乳がん とわかった叔母のホスピスの申し込みの手続きに姉夫婦が行ってくれましたが、待っている方が多く 

返答は、しばらく待たされることとなり今入院中の叔母の今後をどうするかが当面の問題となっています。

 

埼玉の 叔母たちの様子と今後のことについて きょうまた ケアマネージャーの方から連絡をいただきました。

入院中の2番叔母は 痛みも治まってきているので退院して訪問看護を受けるようにと病院からの指示があり

その看護師さんの事業所が決まり リンパのマッサージについて伝授されたそうです。

ただ在宅となると大変なので、先日通所した介護施設に泊まり、ときどき自宅にも戻るという方向で

プランを作成していただくことになりました。

しかし、医療と介護は別 で難しい問題もあり、現状を市役所にも相談してくださるとのこと。

1番叔母の 初めてのディサービス は、お食事もしっかりご馳走になりお風呂にもいれていただいたと

本人も満足のご様子で来週も行く予定でいるようでございます。

ただし、それは その日の気分と 冴え具合によって さまざまな反応があり一概に言えてることでもないようですが

ともあれ一歩前進!これも体験の積み重ねによって慣れていただくしかありませんが良い方向に進みつつあります 

2番叔母が、お世話になっている所だと言えば面会を兼ねて連れ出すのは容易なことで幸いです。

当面、留守宅を預かり一緒に居てくれている3番叔母も 1番叔母に翻弄されて疲れているのが気がかりですが

携帯を持つようになって 私たちとも連絡が取れやすく愚痴も聞いてあげれるのでよかったです。

何より ケアマネの方が親身になって相談に乗ってくださり 窓口になっていただいていることがありがたく本当に助かります 

遠方からの リモコン操作のような介護の現場ですが 身内や心配してくださっている皆さんにブログを通じてご報告させていただきます。

 

 三人の叔母の これまでの記事は 三婆通信 のカテゴリーに まとめました。

 

 


遠距離ヘルパー

2011年01月25日 | 三婆通信

先週 その前の週の3日間に引き続き 埼玉の叔母宅に駆けつけた わたし。

本当は今日まで滞在の予定でしたが、体調不安があり3日目に帰ってきました。

昨日今日と2日間 家から一歩も出ることなく 寝たり起きたりしながら体を休めておりました。

疲れがたまると、なかなか抜けません。。

前回の3日間 同様に、今回の3日間も フルに動き回っての叔母たちの今後のサポート

今回は姉も一緒だったのでだいぶ精神的にも楽でしたが、疲労困憊していたので

動悸・息切れ・めまい・・・はじめて『救心』なるものをポケットに。 姉にも心配かけました。

今日は、私の変わりに姉と一緒に旦那様が、ホスピスの申し込みに行ってくれています。

                                  

                 

 

現在の状況からいうと、2番目の病気の叔母は腰の痛みが出て歩くのもままななず

先週の土曜日 病院にお願いして とりあえず入院させてもらっています。

1番上の叔母には、3番目の叔母が付いていますが今日は、その叔母も病院に行く日。

ひとり残される1番叔母の初めての デイサービス をお願いしてありましたが

案の定 「行かない!」と ごねて 大変だったようですが お迎えの方がうまく連れ出してくださったようです。

さて、今ごろ どうしていますことやら。。

 

今回の事態で、本当に助けられたのは 良いケアマネージャーの方に 出会えたことです 。

遠方から駆けつけてサポートしている私たちに

「介護の問題になると、ご兄弟や身内の方が険悪になる場合が多く、今回はわたしも久々に、気持ち良いお手伝いをさせてもらえます。

私も手助けできることはできるだけのことをさせていただきますので、いつでもご連絡ください」と言っていただきました。

きょうも、訪問してくださり病院の叔母のところにも1番叔母を面会に連れてってくれるとのことです。

本当にありがたく感謝の気持ちでいっぱいです

                

               

 

今回のお出かけは、羽田で ハワイ帰りの夫 と会うことから始まりました。

成田から羽田に着いたのは 夕方5時過ぎ

私は、その日 猛吹雪の中タクシーで駅に向かい新幹線で上京 疲れ切った顔で夫を待ちました。

何も知らない夫  真っ黒い顔で手を振って現れましたが 隣りにいる いつもの連れの おじいさん にビックリ!

(あれっ?! あのおじさん こんなに年寄りだったっけ?!」 

78歳の連れのおじいさんは、ずいぶん前から毎年ご一緒していますが私は最近あまり会ったことがありません。

「◎◎さん!ここで待っていて!動かないで!!」 と 夫

私が姉宅に向かうリムジンバスの出発時間までの、わずかな時間内に留守中のことを伝え

夫が私に かいつまんで伝えた 2週間のハワイでの おはなしは・・・・

ハワイの空港に降り立ったその時から 車いすを借りての介護が伴っていたという 

「えっ?! ハワイに 介護にいってきたの?!」 

私の遠距離ヘルパーの 上をいく ハワイ介護ヘルパー だったとは!!

「それでもゴルフもやってきたし 無事に帰ってくることが出来て よかった! オレも今回はいろいろと勉強になったよ」と 

もう わたし・・・笑うしかありませんでした。 

 

 

 


留守番隊

2011年01月18日 | 三婆通信

 体験型 母子家庭の お留守番も残すところ 2日となりました。

毎年のことながら、大黒柱のいない冬の留守宅は 「何も無ければいいけど・・・」との緊張感が伴います。

 

やっぱり、今年も いろいろありました 

夫の留守中ではありますが、先週末 埼玉の叔母宅に行ってきました。

その前夜、ワンズを連れて階下に降りていったら 車庫のほうからバシャバシャと音が?!

見たら、天井から多量の水が、滴り落ちてきているではありませんか?!

一瞬、何が起きたのか わからず 

夫が出かける前に、念には念を入れ 母屋や仕事場の凍り止め やったつもりが

バルコニーの外にある凍り止めをやるのを忘れて破裂してしまったようなのです。

留守中のトラブルに備えての連絡先から水道屋さんに来てもらうことが出来、とりあえず凍り止めをして止めましたが

その後の処置は夫が帰ってきてからやってもらうことに。まずは私が家にいるときで良かった。。

 

きょうは、私の携帯が突如こわれてしまいました。 こんなときに・・・!

 

昨年の秋に大掃除をしてきた高齢の叔母二人暮らしも、いよいよ 限界

夫が出かけて間もなく知った2番目の叔母の病気

すぐにでも飛んで行ってやりたくてもままならず、気が気でない日々。

それでも藤沢の姉や従姉のR嬢と3番目の叔母の連携プレイで、

認知症が進み様々な問題を抱えてしまった二人の叔母を支えてやることにしました。

怒涛のような3日間、介護や入院の相談や手続きに奔走してきました。

ニュースなど見る間もなく動き回って飛び乗った帰りの新幹線でしたが数時間前までシステムトラブルで運転中止になっていたとのこと。

少し遅れての到着でしたが雪に埋もれた我が家に無事帰宅。

ほとほと疲れました。。。。

今の時代、実の親でもこんなにやってくれる人はいないのにと相談員のかたに言われましたが

子供のいない叔母二人には、私たちもお世話になってきましたからやれることをやってあげたいと思うのです。

3日間できることをやり、後のことは電話で連絡し合って今週また行くことになりました。

20日夫は何も知らないで帰ってきますが夜遅く帰ってくるので、その日に私が上京し羽田で会って

留守中のことを伝え、私は藤沢の姉宅に向かい翌日の介護認定の面接に立ち会います。

土曜日にはR嬢も来てくれることになっているので、今後のことを相談したいと思っています。

身内のみんなから、それぞれに心配して電話をもらうのですが

私自身が話をするのも疲れてしまってブログに書くことにしました。

叔母の病気は、炎症性の進行の早い乳がんで高齢の人には珍しいと言われました。

手術も抗がん剤もできないので入院はできません。ホスピスに申し込みすることにしていますが・・・

本人は痛みはひどくないと歩いていましたがリンパに転移したのか手はパンパンに腫れ腰が痛いと言い始めたようです。

どの程度、本人が病気の認識をしているのか定かではありませんが、あまり深刻になっていないので救われます。

ただ他人のお世話になりたくないという意識がとても強く、あまり他の人には来てほしくないようです。

私と姉とR嬢の3人と今付き添っていてくれている3番目の叔母に、ぜんぶ任せたいと言ってくれました。

そんなわけで3人と埼玉にいる私の兄にも手伝ってもらい 残された時間を安らいでもらえるように、できるだけのことをやってあげたいと思います。

きょう、藤沢の姉は横浜の叔父さんに、詳しいことを伝え、これから私たちがやろうとしていることの了承を得てきたそうです。

元気でしっかりしていたころ言っていたことが、今となれば確認の取れないことが多く・・・・

いずれ、これから私たちも通る道。  書ける範囲のことを伝えていきたいと思います。

 

 

留守番隊のワンズは元気です!

 

 

 

 

 


真冬日

2011年01月07日 | 日々の暮らし

きのうから 寒波が 吹き荒れています 

今日も 日中の気温が -5℃ という 冷蔵庫の中のような 一日

こんな日は窓から外を眺め どこにも出ないで 暖かくした部屋で過ごすに限ります 

 

 

今月 テレビ BS ハイビジョンでは イタリア特集 

足早に廻った 8日間の旅では 見れなかったところ 

あの時は よくわからないままに眺めてきたもの などなど

見どころいっぱいの イタリアの文化・歴史・芸術・・・奥の深さに魅せられています

 

 

モノトーンの外の景色とは、うってかわって澄み切った空の青 海の碧さ

 

 

いろいろと思いだしながら  感動を新たにしています

 

そして ハワイ の空や海の青さ 解放感に魅せられた 我が旦那様は 厳冬の地を抜け出し

今年もまた ロングバケーションに出かけました 

 

 


ボクたちのお正月

2011年01月05日 | ワンコ

今年のお正月はお天気も良く お散歩は皆勤賞だよ!

ボクたちは お年玉も おせちもいらないの。

お散歩 大好き!

 

おかーさんも 運動不足だからって毎日ついてきました。

 

きのうの朝は雪がふわっと積もってきれいだったよ

 

 

 

エッサー ホイサーと歩きました ♪

 

 

おとーさんが おかーさんに言っていました。

明日からは、お散歩には連れて行かなくてもいいから

外ではなにがあるかわからないから心配だ!

夜、寝る前には必ずアキレス1本やってくれ!

そしてボクたちに「おりこうにしてなさいよ~」と

特別に1本アキレスくれて大きなカバンを持って出て行きました。

今夜は帰ってきません。

また、どこかにいったのかなぁ・・・? 

 

 

それから、きのう おとーさんは、おかーさんにおこられていました。

去年の暮れポストに入れてと頼まれた一部の年賀状 出すのを忘れて持っていたんだって!

もう4日だよ! どうしよう・・・って、おかーさん 

 

そんなわけで、おそく届いた皆さん 本当に ごめんなさい