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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

『諌暁八幡抄』から、今日の御講とその後の私共の仏様の御使いについて

2024年04月14日 17時12分23秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
『諌暁八幡抄』から、今日の御講とその後の私共の仏様の御使いについて 今日の御報恩御講は御住職様から、『諌暁八幡抄』の御説法を賜った。その甚深の懇切なる御指導と、その後の、役員の皆様との、「仏様の御使い」を私達が引き受けたいきさつを語る。それから、或る御方との和解の第一歩となっためでたい日でもあった。以上。よしなに。wainai 

講頭さん・あいさつ、日蓮正宗無量山寿海寺、四月十四日日曜日、午後十三時~!

2024年04月14日 16時04分56秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 講頭さん、あいさつ。

 皆さん、こんにちは。
 今年は、二月があたたかく、三月は違って寒く、
 四月はどうなる事かと。

 ようやくあたたかくなった。
  
 話は変って、
 広布推進会(法船寺)にて、
 特に心に残ったお話は、
 副支院長様(会津若松)のお話し。

 真剣な唱題とは?
 一時間の唱題が短く感じられるお題目。
 
 ポイント七つ。
 一、御本尊様に向かう時、総本山の大御本尊様のお姿を思い浮かべる。
 二、謙虚で素直な心。
 三、おごり、慢心、誹謗等をなくす。
 四、報恩感謝の心でお題目を唱えられるか。
 五、世界平和。
 六、自分の事より、自分に縁する人、方々、等への祈り。
 七、リズムよく、朗々と、声も大きからず小さからず、中音で。
 これらを首尾よく守れば、日常的に唱えてゆけば、たくさんの功徳があふれてくる。
 
 その推進会の日、四人の方が決意。我が菩提寺からは、Y田H郎さんが登壇。
 末法に妙法弘通、広める者は、男女を問わず、地涌の菩薩じゃなければ、唱え難いお題目。信心。
 我々は、大聖人様がそういうのだから、そうなんだろう。

 又、講頭さん。
 我々は勤行でどういった祈りをしているのか。
 祈り、ただ、人様への祈り。
 人を親切にすれば確実に自分に還って来る。
  仏法は違う、人にやってやっているのでも、
  人の為にが自分に還って来る。
 又、明日から、仏道修行に励んで参りましょう。
 以上。
文責・私こと、wainai123753

ここ一か月にスマホで撮った写真、総本山と菩提寺、開成山の桜

2024年04月14日 09時01分54秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 ここ一か月間に写真に撮って収めた、画像です。こちらは窓から見た富士山。
 日蓮正宗総本山富士大石寺の坊の窓から携帯スマホ(スマートフォン)から撮った写真。以下も全てスマホで撮影。
 私の菩提寺、お寺、日蓮正宗無量山寿海寺の門。
 同、入り口と桜。
 開成山公園の桜。訪看さん、訪問看護師さんから、最近どこかへ出かけましたか、と問われて、私はこの所、役所や法務局に出向く事が多く、この写真にある通り、市役所前の開成山公園の前も昨日、通ったんだ、と言った。
 すると、今、開成山公園は、改築改装が進み、何か店が出来たり、色々と、以前とは全く違う、人が寄り付きやすく、全然変わってしまったという。
 そんな事など、一切、分からず仕舞いの私ではあった。
 私は、その前だけを通って来て、桜の満開の写真を撮っただけだ、と言った。
 そうして、そういう話ならば、出来れば、そこに寄りたかったとも言い、ずっと、役所から役所の往復、行き交うだけであり、そういった、花鳥風月とは無縁の生活がこの所続いている。もう少し、自然や、そういった、新たな冒険も自身、必要かな、と反省もした。
 本当に、この一週間は、余裕が全然ない日々であった。
 今日は、私のお寺で、月に一回の、御報恩御講がある。この機会に、もっと自然に親しみ、花鳥風月を自分のこの身で感じたい。
 上記の写真は、お寺での今年の、まだ開花したばかりの桜花の写真。今は満開か、散り際か、といった所だろう。
 今日、お寺に行ったら、皆さんと、サッパリとした御挨拶を欠かさずに、元気に私なりに振舞おうと思う。
 以上。よしなに。wainai

谷村新司・堀内孝雄「遠くで汽笛を聞きながら」アリス~或る人への恨みを乗り越える

2024年04月06日 18時17分14秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
谷村新司・堀内孝雄 「遠くで汽笛を聞きながら」
 私は、或る人(お寺の同信関係者)から、自分の不用意な誤解を受けたのか、私自身の意固地さに相手が私を振ったのか、その辺はわからない。いまだに無視をされたままになった。
 そうして、私はそれが機縁となって、その人を、今までずーっと恨み続けて来た。
 否、むしろ、お寺以外にも、まだ沢山の恨みたい人々もいた。 

 しかし、その恨みが、場違いで、間違いであった事を、今日、「アリス」の「遠くで汽笛を聞きながら」を聴いている内に、それに自然と気付いた。
 私の出すべき答えは、小説「青い鳥」の如くに、意外な身近な所、我が家のPCの中に、その他CD盤の中にあったのである。
 ここでは、直接CD音源からは出せない関係から、ユーチューブ動画を通して、小出しにして、演奏を聞きたい。
 もう、恨むまい。恨むのは、止めにしよう。 

 遠くで汽笛を聞きながら アリス
作詞=谷村新司 作曲=堀内孝雄
(第一番・略)
第二番
 俺を見捨てた人を
 恨んで生きるより
 幼い心に秘めた
 むなしい涙の捨て場所を
 さがしてみたい
 遠くで汽笛を聞きながら
 何もいいことがなかったこの街で

 この詞は、私が買い求めた、CD「アリスーベストー」に収められた、正当なものである。

 以上。よしなに。wainai

本日、五時間唱題会、於:日蓮正宗無量山寿海寺、ダイエットが必要

2024年03月16日 16時38分28秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 五時間唱題会が、無量山寿海寺にて、行われた。
 私は、九時過ぎから参加した。皆さんは、途中で来られた方、最初から居た方、最初からスタンバイして、おられた方々のほうが、多かった。
 私は、次第に空腹になり、十一時過ぎには、近所の「はま寿司」でまぐろサーモン丼を持ち帰りで買って来て、その場に置いておいて、しばらく本堂で唱題をしていた。
 十二時十五分前には、もう、お腹が空いて、食べにあずまやのような所で食べた。
 女性のY口H美さんが、いつもその方にはそのどんぶり物を食べている所を見られるのだが、いつも、食事がおしゃれだない、と言われる。
 その女性は、うちから持って来た、銀紙に包まれた、おにぎりに、ペットボトルの水、と相場が決まっているみたいに、いつもおんなじ風である。
 他の方々も、皆、スタイルは同じで、ラップにおにぎり、それにおかずの唐揚げ、卵焼き、等々、それはB場さんちの食事であり、私も、要らないかい?と聞かれて、おにぎりと唐揚げを有難く食べさせて頂いた。
 私は、一人暮らしだから、すぐに、店屋物というか、外食に偏っているが、家族がいる方々は、皆、食事を自前で作って工夫しているんだな、と思い致した。
 その後、又、唱題行に戻ったが、何だか、食べたのが拍子抜けしたみたいになり、急に帰りたくなり、帰る、とY口H美さんに告げて、私は一人帰って来た。他にも、私以前に、帰ってしまった人もいれば、私より後から来て、そのまま、14時まで続行をしようとする人もいた。
 そして、私は、帰りに、パン屋さんがあるのを目星を付けて、そのまま、吸い込まれるように店に入って行った。まだお腹が空くのである。
 そこで、カレーパン、あんぱん、チーズとハムが入ったフランスパンサンド、の三つを所望した。
 私は、訪看さん、訪問看護師さんにも忠告されているのだ。私の体重は今や、70キロを超えて、身長の割には、太って来ている。適正体重は、60キロ前半位だろう。
 訪看さんは、今まで一番太っていた時期の体重は幾ら位ですか、と聞かれて、八十キロはあったかなあ、いや、そんなには無くて、78キロ前後だったか、その後、急にと言うか、それを境に、いい所まで落ちて来た。それが私の二十歳代の頃だったかなあと答えた。
 訪看さんが言うには、年を重ねると、段々、体重を落としにくくなる。だから、体重を減らしたいならば、食べるのを少なくするか、或いは、運動を心がけるか、どっちかしかない、と言う。
 これは、私みたいな物ぐさの者にとっては、死活問題である。太りたくない。だけれども、それが嫌ならば、食事制限or運動推奨。
 確かに、運動不足である。それに多食。過食まではいかないとは自分では思ってはいたが。それも浅はかなのか。
 困った問題がまた一つ、増えて来た。ダイエットの問題が、ここへ来て、到来している。困った話ではある。
以上。よしなに。wainai

講頭あいさつ、代読・副講頭、於:日蓮正宗無量山寿海寺、時:令和六年三月十日、日曜日、午後一時~

2024年03月10日 22時52分09秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 御指名に預かり、副講頭として、一言申し上げます。
 信心強盛で参詣頂き、有難く、本来は、H田講頭が為すべきを、本人所用の為、代読いたします。
 
 本日は町内会と御講がぶつかった。町内会では、二人の方を折伏しつつ、神社には近づかず、その他の行事で忙しい。

 今年三月末の支部登山、
 一、マイクロバス二台。
 二、来月四月二十一日日曜日、第三十回地方部総会(寿海寺)。沢山の皆様のご参加を。

 お正月に新たな気負いを持ち、出発を誓った人も多いでしょうが、三月も反省すべき所は反省し、四月への新たなスタートへ。
 それが出来ないと、又、同じ失敗を繰り返す。
 折伏誓願129人?(内、20名?達成)、23.6%(達成率)
 今年の折伏目標123名。

 支部総登山。
 御講参加者を増やす。過去最大の参詣者数150名。現在は60名。
 目標は100名へ拡大する。

 下種先が決まるという事は、下種先を広げる。
 先日の会合でも、関野委員長は、「道ですれ違う方、仕事先の方と仏法の話をして折伏成果となる」
 私(H田講頭)は社交的な人ではない。
 皆様に薦めるのは「あいさつ」から。
 信頼関係を作る事。
 新しい人へあいさつ。
 近所の人へあいさつ。
 同級生、親戚等へも同じくあいさつ。
 最初は向こうは拒んでも、いつかはあいさつが返って来る。
 必ず御本尊様に祈れば結果が現れる。
 桜花らんまんの日々が近づいている。
 一人が一人の折伏。
 講頭H田・代読B場副講頭

日蓮正宗、朝の勤行の作法。大体のあらまし。お鈴(りん)の打ち方など

2024年03月04日 10時29分56秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
日蓮正宗、朝の勤行の作法。大体のあらまし。お鈴(りん)の打ち方など 日蓮正宗の朝の勤行に於いての、大体のあらましをお伝えするべく、お鈴の打ち方、勤行の五座の意義、作法を伝えています。詳しく知りたい方は、日蓮正宗寺院末寺の御住職様に直接お聞きに御参詣なさるのが一番だと思います。これが日蓮正宗の伝統法義であります故。以上。よしなに。wainai 

※編集後記 
ユーチューブ読者、視聴者様の仰る通り、三如是ではなく、十如是を三回くりかえす、で間違いありません。私が言い足りませんでした。すいません。それから、私の作法には間違いがあり、乱暴そうにも見える所も、早く伝えたいと焦った為かとも思います。これも失礼致しました。以上。再度、よしなに。wainai

本日もお寺の後、ツタヤみどり書房桑野店へ

2024年03月01日 21時27分29秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 本日、我が菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺での、夕べの「御経日」にあたり、夕方六時前には既に、お寺に着いていた。
 そこで、私は自前の、音楽のメトロノームを持って行き、事前にそれを儀式が始まる前に、自分でお題目を唱えていた。
 最初は、H田講頭さんが珍し気に見に来たが、しばらくすると、私の所にまた来て、こう言った。
 「それは、邪宗的なお題目の様だ。全然、言葉が一音一音、な・ん・みょう・ほう・れん・げ・きょう、との、言葉が貴方の場合、聞こえていない。それに、早口で言われたら分からない…。」
 と言うので、そっかー。でも、総本山では、こんなもんじゃないよ。もっと早いよ。と言うと、講頭さんは、
 「しかし、総本山の音声(おんじょう)の、発音は、バッチリ、しっかりとした音声であり、こんなに濁ったような、発音じゃない」と私に言われた。
 成程、人様から御忠告を受けると、自分の至らなさが判る。そこは盲点だった。
 それで、講頭さんは、早口でやる前に、御経文、御題目がハッキリ聞こえるようになってから、早くやるようにした方が良い、今のでは、何を言ってるのかがさっぱり分からない、と。
 私にとっては、こういった、私の至らぬ点を指摘して下さる方は、大歓迎である。今の今まで、全く分からずに、井の中の蛙、であったからだ。
 そうして、メトロノームを持って行ったのは良いが、余りに早い、一分間に168から180位のスピードでは、そう言われても当たり前だと思った。
 今度からは、一分間、60前後で、御題目の声がハッキリしっかり発音するように、家でもお寺でも、従おう気を付けようと思い致した。
 実際に、私のお寺の、或るお方がいた。その方は、朝の四時前に起きて、一時間をかけて、ゆっくりゆったりみっちりと、その一時間を、妙法蓮華経の、御経を唱える。それから、また時間をかけて、御題目の、唱題にとりかかる、と言う言葉を、総本山へ行った時の帰り道で、私は小耳に挟んだのであった。
 それからしたら、私など、何と味も素っ気もない、短い特急電車のような勤行唱題であろうか。
 総本山の読経唱題は、確かに速い。しかし、それも、前述の講頭さんの言う通り、音律に乱れは一切ない、むしろ小気味良い。自由闊達な、時間厳守の、戒律を重んじたが如くの、御題目だ。あれを目指すには、私はまだまだ、アマチュアであろう。
 幸い、私のお寺の御住職様は、初心者にもやさしく、ゆっくりと勤行唱題を唱えて下さっている。
 これを以前、栃木から来ているKさんに聞くと、これは、我が菩提寺の慣習であり、先代からも、ずっと引き継がれて来た伝統と言っても良いという。
 しかし、そのKさんが仰るのは、Kさんが、墓前に弔い、御住職様も読経唱題された時の、御住職様の読経は、とても速かった、と言う。
 とにかく、御住職様の御題目は、ちゃんと、対機説法になっており、その場の皆の経験に基づいた、かなりの熟達した、慈悲の行いなのである。
 そうして、私は今日は、御先祖様、主に父親の卒塔婆を立てて、回向を願い祈った。今日は、本当に、お寺に来て良かった。
 私は大変に有難いお寺にいるんだなあ、と思い致した一日であった。

 その後、私はツタヤみどり書房へ行ったのだが、それは後の記事に続く。
 以上。よしなに。wainai

今では、H田講頭さんのお気持ちが、痛い程、染みて判る!

2024年02月14日 12時44分23秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 今から、二年前の十月過ぎに、私は、星ヶ丘病院の帰り道で、主治医の女医先生が出したお薬が増量されたのを内心怒り、そのまま、イトーヨーカ堂で大量の食品を買い込んだ。
 その商品袋を持ったまま、今度は、ツタヤみどり書房桑野店になだれ込み、その場のガラスの商品ケースから、ゲーム機器、この場合、「任天堂スウィッチ」の中古品を、黙ってしばらく見ていたら、何だか、畑違いの私であったが、何か、新たな地平が開ける気がして、お店の人に話しかけた。
 そこで、私は、それ以前から、新聞記事で知っていた、「どうぶつの森」がそのゲームで遊べる、この一点で、その他の沢山のゲームも遊べるのだから安い値段だ、と勝手に踏んで、御財布の全てあるお金をはたいて、それらゲーム機器を買った。
 うちに帰って来て、真っ先に、自慢がてら、日蓮正宗無量山寿海寺のH田講頭さんに電話かメールで、その買い物の事を、これも暢気(のんき)にも知らせた。
 その時の、講頭さんの、烈火のごとくの怒りに触れて、私は、普段のあの優しい講頭さんとは異質のものを感じたし、何か、障碍者がやるべき代物ではない、との断定口調に、私は、障碍者差別と受け取った。私個人の被害妄想も勿論あった事だろう。
 そして、私と講頭さんとは、これは水掛け論となり、話しは平行線になった。
 それから、私は、子供のいない夫婦の講頭さんに、子供がいれば、当然、子供がかわいいから、買ってあげるでしょ、と話を向けた。
 すると、その、講頭さんのメールには、同じ講頭さんの兄弟の親としての、子供がまるでゲームに人質に取られた如くの、学校の勉強を全然しなくなったりした子供達の、悲惨な苦悩が書かれてあった。
 それでも、私は大人であり、意にはその頃は一切介さなかったが、その後、私達、講頭さんと私は、関係修復不可能と言えるまで、仲が悪くなり、険悪な仲となり、どちらからも、携帯、PCのメールの類の交換は全くなくなった。
 それが、今から冒頭でも書いた、二年前の突如の事であり、私も、その頃は、独自路線をゆき、お寺でも孤立化、一匹狼化してしまった。
 その後、紆余曲折を経て、何とか、お寺では、講頭さんは私の面倒は見てはくれたりする事も非常に多かった。ほんの一時期、一時的な関係の悪さであったのだ。
 そうして、私の心の中でも、あの頃の、講頭さん自身の兄弟の子供達の話を聞くにつけ、あの時、H田講頭さんは、私の親と言うか、兄弟の兄としての役回りを買って出てくれて、あれだけの、私に対する御心配をして頂いていたのだと、これは今となり、非常に遅すぎたが、得心し、気付きを得た事であった。
 全ては私が悪かったのである。それら、ゲーム機器のお金だって、幾ら中古品だからと言っても、一、二万円以上はするものだし、そんな事にうつつを抜かすならば、我ら日蓮正宗信徒にとっては、勤行唱題、自行化他行の、折伏行唱題行、他、各種行事、お寺ではやる事が沢山あるのだから、それらに対して一つたりともなおざりには出来ない筈だったのだ。
 何も、H田講頭さんは、自分ばかりがゲーム機器を買っていい思いをして、などと言う、そんなケチな性分から、私に文句を言った訳じゃなくて、正に親心、兄の如くの振る舞いから、私の時間がただでさえルーズな時間の使い方しか出来ない、いわば、これは自身の侮蔑の意味でも言うのだが、「ポンコツ」の人間の私が、そんな、ゲームなどと、時間感覚が無限に忘れてしまい、判らなくなってしまう、その怖ろしさを、講頭さんは述べたかっただけだったのだ。
 だから、私は、もう、講頭さんが悲しむような事はしたくはない、と念じて思っているし、ゲームも、飽きた訳じゃないんだが、あんまりやる気も全然起きないのである。ゲームをやったとしても、10分~30分がいい所であり、それが不思議にも、今年に入ってからも、去年の十月位からも、一切、ゲーム機器にはタッチはしていないのである。
 しかし、ゲーム機器のネット上での扱い方の説明書では、半年に一度は、内蔵充電池の為にも、バッテリーを充電して下さいとあるので、今とは言わないが、もうそろそろ充電しなきゃな、とは思っている。
 その時に、ゲームを動かすかは分からないが、ハッキリ言って、私がやってもいつもゲーム相手でも負けるのが嫌で、ただでさえ勝気な私が負けるのが悔しいと言うのが何というのか、ガッカリであり、余りやりたくはないのである。私には趣味は多趣味であり、他にもやる事、やりたい事は、沢山、時間が足りない程、一杯ある、有り過ぎる位あるのだ。
 だから、ゲームになどは、目を向けている時間がないのが正直な所の今の気持ち。
 その時の、詰まりは、講頭さんとの争いの悲惨な思い出や、福祉関係者さんたちの、ゲームの課金制のコワさ等を聞かされてから、私には手に負えないな、とはずっと買った時から思い、もう嫌だ、とも思ってきた。
 本当は、こんな無用物、売ってもいいんだが、二束三文であろうし、その時の、一万円以下のこちらの売値を見たくないから、敢えて、それらがぶっ壊れるまで、じっとうちで寝かせて置こうと思っている。
 人から見れば、何て贅沢で無駄な、と思われても、何一つ、言い訳も出来ない、私である。
以上。よしなに。wainai

日蓮正宗無量山寿海寺・二月度御講、御住職様御説法、要旨、後ハモニカ

2024年02月11日 17時28分05秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
日蓮正宗無量山寿海寺・二月度御講、御住職様御説法、要旨、後ハモニカ 私の菩提寺の、日蓮正宗無量山寿海寺で、御住職様の御説法を聴かせて頂きました。大変有難い御説法なので、ご紹介致します。その後はいつもの複音ハーモニカC調で、君が代、童謡唱歌、です。以上。よしなに。wainai 

本日、菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺の御報恩御講にての私の感想と、講頭さん挨拶

2024年02月11日 16時27分25秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 本日は、お日柄も良く、晴天に恵まれ、日曜日の祝日ともあって、福島県郡山市土瓜にある菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺の、御報恩御講に参詣する事が出来た慶び。誠に有難く、御住職様の御説法に耳を傾けた。御説法にも、グッと来るものがあった。
 それから、御説法が終わり、最後の締め、というか、講頭さんが挨拶をした。

 講頭さん、挨拶。(2024年2月11日・日曜日午後十三時~)
 
 みなさん、こんにちは。
 受付に出しておいた、能登半島地震があり、日蓮正宗としても、義援金を設置した。
 額の多少、多寡に関わらず、宜しくお願いいたします。

 二点目、として。

 支部総登山。三月と九月。三月は、三月三十一日。
 御住職様とのご臨席の下、実施。

 本日の御住職様の御説法において、皆さん、どう思ったか。
 
 世間の善悪=この世で生きている間は、バレなければ大丈夫、自分のエゴに支配された生活。汚辱にまみれた世俗世間の作法、始末。
 
 仏法の善悪=過去世・現世・未来世、三世に貫きわたる考え方。現在の境遇は、皆、過去世の結果。
 それを世間に訴え教えてゆくのが、我らの使命役目、仏道修行。来世まで、この福徳・功徳を引き継ぐ。
 
 功徳とは、確実に自分の中に積み上がってゆくもの。

 世間の人は、三世永遠の生命など有り得ないと、バカにする。
 皆、不安の中、将来に希望が持てず、やがて、無知なまま、亡くなってゆく。

 確実に積み上がっている功徳を感じて、
 もうすぐ、そこまで、春が来ている。今は少し寒いが、
 少し待てば、必ず春はやって来る。

 希望の兆しを待ちましょう。

(文責・wainai123753による。聞き書き、メモ書きしたこれは一部です。)

以上。よしなに。wainai


栃木のKさんとの電話での会話

2024年02月09日 19時13分33秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 今日は、栃木のKさんと、電話でお話しした。
 そうして、Kさんは、本日のお寺の僧俗指導会に出席後、郡山市文学の森資料館に行き、そこで今、開催されている、郡山市出身・県立安積高校出身の文学者、久米正雄は俳人でもあり、俳号を三汀と名乗り、Kさんも俳句を志す関係から、それらを見て来たとの事。
 その後、私との電話で、私が、年上の元講頭の高齢女性のGさんといまだに仲が悪く無視されて、これは許されるのがいつまでかかるか分からない、と言うと、いつもその事で御本尊様に祈っているの?と聞かれて、私は、あいまいな祈り、祈る時もあれば、祈らない事もある。祈らない事の方が多いかな、と言った。
 まあ、Kさんも、それでは、それだけの関係だったのかな、と私を諭し、私も祈らない訳じゃないが、そこまでではないのだ、と私は打ち明けた。私の覚悟の浅さが浮き彫りと鮮明とになった。
 私が思うのは、その時の電話で仲たがいした時のような、あんな、あっけなく人を傷つけるのでなく、今年は今年こそは、「平和主義者」で行きたい、生き抜きたい、との大きな望みがある。これを山をも動かせる程の、大きな志、待望の夢を懐き、今年は大いに乗り切り、頑張ろうと私は今、思い立っている。
 以上。よしなに。wainai

昨日の節分、豆まき

2024年02月04日 17時46分20秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 昨日の節分の豆まき。我が家では、母がいた頃からずーっと続いてきた我が家の風習である為、これは欠かさずに、正月のお節は忘れても、この豆まきだけは決して忘れない。子供の頃からの我が家の習わしである。

 これに加えて、日蓮正宗の総本山、末寺の菩提寺でも、豆まき、節分会は執り行っている。

 しかし、私は、肝心のその行事には、いつも何故か、参加が出来ない。行く気はあるのだが、いつも何かしら、行けなくなってしまい今年で、入信七、八年目なのに、行った事がない。恥ずかしい限りだ。

 日蓮正宗の節分会、豆まきは、「鬼は外」は言わない。何故かと言えば、法華経を守る神々の一つ、というか、鬼も、鬼子母神が、法華経を守るという、御本尊様にも、鬼子母神が書き表わせられていて、その関係から、一切、鬼にも、善鬼と悪鬼が居り、善鬼の鬼子母神の事への配慮から、絶対に「鬼は外」とは言わない。

 その反対で、ただ、「福は内」としか言わない。ここが日蓮正宗の面白い所だ。

 そのような行事に参詣できない私は、まだまだ信心が足りない、甘ちゃんだな、とは自身でも痛い程、わかっている。ここが、自分のウィークポイント。

 日蓮正宗の全ては、私はまだ知り尽くしてはいない。そこを、追いかけてゆく、ゆこうとする私は、正に自由人の一人の境地であり、時の旅人でもある。

 私は、無知の知であり、知る事への喜びが分かる人間であり、それが基で、幸せで良かったと思う。知る事で、自分の至らなさが、他人との比較抜きで、わかる事で、人間としても、人格上も、成長してゆくんだと一人思う。それで、何一つ、間違ってはいないのだと。私なりのこれは、自己判断である。

 私の旅は、これで終わらない。何か、お寺に行かない事を賛美した訳ではない事をここで申し開きをしたい。

 必須事項として、私は行ける限りにおいては、お寺に必ずや、参詣し、詣でて、今年の年頭の目標「私は平和主義者として歩んでゆく」、「感情家という自身の心の在り様を出来るだけ抑えて、人様並みに、感情の起伏を起こさないで、平穏無事に、心を平らかに、穏やかに過ごす事」等を、実現を図り、行動で示す。それが、本当の、私の生きる道であるのだ。

 頑張ってみる。

 以上。よしなに。wainai

伝言ゲームとは、ホントに怖ろしい‐お寺での出来事(於:日蓮正宗無量山寿海寺)

2024年02月04日 15時54分35秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 「伝言ゲーム」を、みなさんも経験があるとも思うが、私の場合は、小中学校の遠足のバス旅行で、バスガイドさんに教えられて、最初に、一番バスの前列にいる人が、或るメモを渡される。そうして、それを段々とうしろの人に小声で伝えてもらう。そうして最後には、どういった言葉が伝わったのか?

 それはそれは、まるっきり、最初にガイドさんから渡されたメモ用紙とは真逆の、皆が皆、違った風に、最終的には取り違えて、最後尾の人たちには伝わった、そういうゲームである。

 私のお寺での、それに類似した事を、ここで申し開きたい。

 私はお寺で、唱題会の後、お寺の受付で、母がお経本と数珠をどうしても失くして仕舞い易い為、改めて、買い求めていた。

 それを見ていた、同志の高齢女性の、Y口H美さんが、私が新たに、折伏でもして、改めて、お経本と数珠を買い求めているのか、と私に尋ねた。

 すると、私は前述の通りの話を言って聞かせると、Y口さんが、○○君(私)も大変だない、と普通に、むしろ心配し同情して言ってくれた。

 それを、そんな事私も早くに忘れてしまえば良かったのに、何故か、その話を、今度は電話で、S楽さんに話した。その時は、確か、自分の記憶では、私は幾分か、気が滅入っているというか、暗い感じで話をしていたようだった。

 すると、S楽さんは、そのY口さんの発言に憮然として、あの女、そんな事言ったのか?!と憤っていた。その発言のS楽さんは、これも、私の事を最大限に心配されて、悪意など微塵もなく、そう思い、正直に仰られただけなのだ。

 これに、私はその時ちっとも気付いていなくて、そのまま流されるように、じゃあ、私はY口H美さんに意地悪く、いじめられたんだ、と受け取ってしまった。

 その事は、そのまま、普段の事に紛れて、しばらく忘れていたが、その後、私はその、S楽さんの発言を聞き、そして、母の認知症の病状の事をも、先の事を悔やむという、どうしようもない感情に捉われてしまい、ある日、以前女性としてのG元講頭さんに、今度もその件について話している最中に、私としては居ても経っても居られずに、泣き出してしまった。

 それに対して、Gさんは、そんな、涙を流すなんて、そのY口さんに対して、勿体ない行為だ、泣くだけ損だ、そんな人間の為に、何で貴方(私)が流さないといけない、その涙は、あなたの為にはならない、等々言って、私を慰めた。

 そして、G元講頭さんは、その事をお寺の御住職様に話したのかい、と聞くので、今から話してみます、と言って、電話を切った。

 それから、最終的にお寺にお鉢が回って行った。電話を掛けると、電話口に、御住職様が出られた。

 私は、事のいきさつを包み隠さずに、話し始めた。又もや、私は電話口で、情けなくも、泣きじゃくっていた。

 すると、御住職様は、Y口さんの人柄を知る立場から、普段から、そんな事を思ったり言う人ではない事を弁えた上で、そもそも、最初に、Y口さんは、そんな重大に、意地悪く、○○君(私)の事を言ったんじゃなくて、個人的に心配してくれて、そんな言葉掛けをしたのではないのか、と言う風に、申し添えて下さった。

 そうすると、その以前の、Y口H美さんのその日の態度対応は、微塵も、私に対する、意地悪な態度などは決してしてはいなかった事に今更ながら気付き、私は泣いている場合じゃない事に段々、思いが及んだ。

 とにかく、私の受け取り間違いに気付かされて、私は、御住職様にその気付きへの感謝の弁を述べて、その後、真っ先に、G元講頭さんに電話を再度して、Y口さんは悪くはなかった事実を述べた。

 全ては私の個人的な一人相撲であったのだ。これが、もしも、御住職様が機転を利かせて執り成して下さらなければ、私達の信徒間の、これはわだかまり、異体同心の信心にも悪影響を与える、不信謗法でもあり、破和合僧にもなり兼ねなかった。

 結局、これは、小さな頃、子供時代に遊んだ、「伝言ごっこ」「伝言ゲーム」と同じ事になってしまったのが、今回の、顛末・結末・結果なんだと、思った。

 とにかく、皆、善男善女、善意の人達ばかりなのである。それに最終的に気付かせて下さったのは、勿論、御住職様だが、こう、話しがこんがらがる前に、自分で何故、気付けなかったのか、と反省もした。

 人は、人のうわさもそうだが、かなり誤解しやすい生き物だとも思った。他人に振り回されたり、悪意に受け取ってしまったり。群集心理は怖ろしい。私自身の、どこで覚えて来たのか、変な想像力、妄想心も如何にも本当にコワいと思った。

 一人一人は、皆、極めて良い人、良い方々ばかりなのである。それが、この伝言効果で、人から人へ伝わると、こうまで受け取り方が違ってしまうのかと。

 結局は、誰も悪くはなかったのである。悪いと言えば、私の頭の記憶が、変な所まで、良く覚えすぎている、記憶が良すぎた、と言った所か。

 私のこれは、不用意な口伝えが招いた、何とか最終的に、人を意地悪く受け取る前に、それを未然に防いだ部類の例だが、こうした間違いは、世界の戦争状況、状態に置かれた、それら各国の状況も、こんな些細な事から、きっと、戦争の端緒が開かれ得るものだとも、思い致すと、空怖ろしくもなる。

 私は、十界中の、怒れる地獄界も、我が胸中に収まっているのだと思い致すと、これも何ともいえぬ、コワいと思える感慨・感覚がある。

 仏教の法華経「妙法蓮華経随喜功徳品第十八」で説かれる、日蓮正宗でも説く所は、「五十展転」と言って、最初に法華経を聴いた人、その後、五十番目に語り伝えられて聴いた人、その五十番目の人の随喜する人の功徳でさえ大きい、ましてや、最初に聴いて随喜した人の功徳たるや、それに比較にならぬ程、大きい、との仏説である。

 とにかく、この場合、受け取り違いにいち早く気付けなかった私が一番の問題だが、その謎解きをして下さった、我が菩提寺の御住職様には、一番に感謝申し上げて、この長文を毅然として書き納めたい。読者の方々にも、ここまでお付き合い頂いて、誠に感謝に堪えません。有難う御座いました。

 以上。よしなに。再度、長文失礼。wainai

五時間唱題会に参詣、於:日蓮正宗無量山寿海寺、それについての反省も含む

2024年01月28日 14時42分35秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 日蓮正宗無量山寿海寺にて行われた、五時間唱題会に、私は今日は朝寝坊して九時過ぎに起きて、それから朝食、朝のおつとめ、勤行と時は無心に過ぎてゆき、十時過ぎに、私はお寺につき、早速、唱題行に励んだ。
 しかし、食べたばかりなのに、パン一枚にチーズクリームを塗り、コーヒー一杯という、けれど、これが私の毎日の流儀なのだが、これを、我がお寺の講中の方々に言うと、決まって、私ならそんな簡単すぎる食事じゃあ、持たないわ、と言われるのがオチなので、今は誰にも言わないが、この時、十二時を回ろうとするその寸前の、十一時三十分、四十分頃にはすでにお腹が空いてきていて、私は、近くのコンビニで、これも既に、おにぎり三個と、カルピスウォーター、みたらし団子を買い求めていたので、早速、お寺のあずまやのような所で、私と副講頭さん、O合さん、後には、その他、その副講頭さんの奥さん、外国系のRさん、しまいには講頭さんまでが私たちのテーブルに来た。
 それ以前に、私は、何故かパソコンなどを持ち込んで、八代亜紀の演歌を、その場で流していた。そうすると、最初にいた、O合さんや副講頭さんなどは、そのBGM代わりの、食事の最中でも、一切、文句なども言われず、「演歌だわ!」といった具合で、O合さんなどは「○○君(私)は、本当に、この人は音楽が大好きな、趣味人なんだ」といい、その場は和んだ。
 しかし、その後、講頭さんや副講頭さんの奥さんが来たら、ここはどこだと思う?仏道修行の場、なんだよ。皆がお題目を唱えている時間に、こんな事をするのは、ダメだよ。と言って、講頭さんは、PCに詳しいのをいい事に、私にこの音楽ソフトを使う、その音楽の止め方を私から教わり、早速、私の音楽を止めてしまうと、どこかへ、きっと、食事でも摂りに出かけて行ったのであろう。いなくなってしまった。
 私は、周りの、特にその、副講頭さんの奥さんには、魔にやられているのかも知れない、と私が言い、だから、お寺に通う意義が私にはあるんだ、と言うと、意外にも、その奥さんは、○○君(私)自身が、その、「魔」に成り代わって皆を惑わしているんだ、と言われて、これは、一本取られた、私が「魔」かあ、との思いで、その発想はなかったわー、と言って、その発言に感心して聞き入った。
 皆さん、そんなに、そんな音楽が聴きたいならば、お寺に来ないで、うちで一人でその音楽を聴くなりを、やるべきだ、との正論を発していて、私も反省をした。
 そして、私は又、食べ終わってから、本堂に行って、お題目を唱えたが、もう、こう言っては謗法かも知れないが、お題目はお腹一杯であり、もう沢山だ、申し訳ないけれども、五時間は、私には遠い一里塚であるとの念慮が深くなって来て、正味一時間半程の、唱題行で、今日の所は、途中で帰らせて頂いた。何とも情けない、私のこの愚行、愚か者とは正に、私の事だな、と思わせられた一日、何か、拍子抜けした如くの一日であった。
 でも、また、今度の機会に、何度でも挑戦させて頂こうとの、奮い立つような、意気込みも同時に湧き上がって来た。これは、仏法は水の信心、日蓮正宗第五十九世日亨上人猊下様は、水の信心プラス火の信心で、即ち、お湯の信心で、と、昭和の頃、仰っていたが、私もお湯の信心で行こうと、この所の暖かい毎日がやけに続く一月大寒をとっくに迎えた日々を過ごしつつ、時々それでも寒波はやって来ますが、私も、一生懸命になって、この世を死に物狂いで祈って祈って祈り抜く。生きて生きて生き抜きたいと思う、昨今です。
以上。よしなに。wainai