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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

何故、創価ブログ『私の知らない創価学会』は挫折し失敗したのか?※長文失礼

2023年12月07日 13時12分53秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 以前、創価ブログで、「私の知らない創価学会」という、人気ブログがあった。たしか、アメーバブログであった。 
 そこでは、毎日、隔日で、ブログ更新が行われ、個人的な、創価への内部からの疑問を投げかける、という風刺のきいた、形態をとっていた。
 そして、その当時は、読者のコメント欄を堂々と設けていた。その時或る時、これは創価学会員女性信者と思われる人から、こんなブログ、さっさと止めて消し去ってしまえ、という、ケンカを売るに近い、コメントが寄せられて来た。
 そこで繰り広げられるブログ記事は、素直で率直な、現在の創価学会に対する、一、末端・未活女性による、素朴な疑問であって、私もちょくちょく、そこに入り浸り、日蓮正宗側からの、折伏も兼ねて、私自身も、コメント欄にコメントの意見を述べたりしていた。
 しかし、前述の、ある、女子部員と見受けられる、ふざけた、バカにするような意見に、売られたケンカを買う形で、その、ブログ主さん(たしか、「とも」さんと言ったか?)は、その時の年末を限りに、このブログを閉じる。そうして、今までの記事を、別の運営のブログに全て移して、アーカイブ化すると言い出して、それをそのまま即、実行に移してしまった。
 今現在は、そこでは、コメントを大っぴらには受け付けずに、ただ、アーカイブと称する、今まで書き綴っていた記事と、最新のつぶやきに似た、ごく最近の著者の意見、特に創価学会への意見が載るばかりである。
 その時、ブログ主は、今年の十一月初頭だかに、創価学会脱会届を、自分と一緒に暮らす「パートナー」と共に、内容証明郵便で書き送り、「(ニセ)本尊」も、その後送り届けた事。その後の、十一月中旬頃の、池田大作Xデーに、簡単に触れて、今では、それに対して、大した感慨もない、どうぞご勝手に、もう今となっては、よそ事、他人の宗教の事(趣意)、と言った、妙にサバサバとした、感想を述べている。
 しかし、私は、この人、この女性は、大いにいまだに、創価の洗脳の呪縛からは、立ち直っていないと観ているし、思っている。
 創価では、かなりタチが悪いとこちらが思う程、日蓮正宗の事を、「日顕(上人)宗」などと言って、非常に毛嫌いする。それらを今でも、聖教新聞、創価新報などを使って、いまだに吹聴して、まるで悪魔の団体の如く、「洗脳の完成」を目指して、非常に悪辣に悪質になって、大騒ぎで執り行っている。
 私だって、自分自身の自殺未遂事件が無ければ、そんなに悪く言われた、「日蓮正宗」になど、果たして、宗旨替え、宗門へ帰伏したかは、果たして疑問だ。
 まあ、私の一家、我が家の父が、この今の我が家の菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺の納骨堂に眠っている関係で、この日蓮正宗との太い絆は、切れずに済んだ。この縁を、ひとえに大切にした、私、及び、母、それから、七年前の当時の勧誡式でお世話になった、我がお寺の、初の女性トップだった、G元講頭、その他の信徒の皆様、それから、何と言っても大事なのが、私のみならず、母の勧誡をも勧めて下さったお寺の御住職様、多くの皆様に支えられて、今の大なる幸せに包まれた私がある。
 この、勧誡式の前日には、私は絶望の淵、極致にいて、死を念じ考えていて、それを実際に実行に移した時、母に見つかってしまい、私の生への希望がその時、非常に湧き、そのまま、次の日の、私の菩提寺、お寺、日蓮正宗無量山寿海寺への道、帰伏、宗旨替えへの第一歩が築かれたのである。2017年平成二十九年二月七日から八日への、私の人生のベクトルが転回し百八十度変わった瞬間であった。(平成二十九年二月八日が私の日蓮正宗入信記念日)。
 正に、死から生へと、「妙とは蘇生の義なり」(新編御書)との大聖人様の御金言そのままに、私はその後、見事に再生・蘇生する。
 だから、この、他人事ながら心配するが、ここで、この、「私の知らない創価学会」の著者のブログ主さんも、万が一にも、自分が死ぬ思いをしなければ、「日蓮正宗」には入り直しはしないのではないか。
 決して、私共家族の場合は、昭和の頃に日蓮正宗創価学会時代に於いてお寺で御授戒を受けたから、「勧誡」だったが、この人達の場合、平成以降の入信の場合は、創価は邪教時代なので「御授戒」となるが、この人達の強情さが変わるのは、命と命を懸ける程の、命を亡くす寸前の、それ位の想いをしなければ、今の書いている文章も、何ていう、人生の深みの無い、甘い、軽佻浮薄な、今の自分らさえ良ければよい、刹那的な、「パートナー」とやらとの、欲と淫行にまみれた、汚らわしい関係を書き連ねているに過ぎない。(何故に、「パートナー」などと相手を呼び、正式に「結婚」に踏み切らない?この不純な関係性に、どうして踏み留まるのか?)。
 このぬるま湯の様な人生を抜けだすように、必死になって自身の人生とあがき闘い向き合うひと時、一生を左右する、大事が、この二人に、或いは片割れに確実に訪れて起こらない限り、全く有り得ないと思う。
 勿論、平成以降の創価入信者などは、それ以前の、戸田先生時代から受け継いだ、日蓮正宗の清新な息吹など完全に消え失せ果て、とっくに失われているのでほぼ日蓮正宗入信は絶望的だが(我々とて、まだ折伏を諦めた訳じゃないよ!)、こちらとしても、救いの手は、ネット上でしかこの人らとのコンタクトは採れないが、何としてでも、救い出して、行なわなければならぬ。
 とにかく、今現在は隠棲したかのような、力強い生命力もほぼ絶えた、この、ブログ「私の知らない創価学会」は、確実に失敗した。それは、一創価女子のコメンターの言い寄る意地悪な嵐に、炎上までは行かなかったが、その心ない意見に付き従ったばかりに、自身の財産を失った。
 幾らアーカイブ化が成功したと豪語しても、私達共のそのブログへのコメント文章群をかなぐり捨てて、捨て去り、平気の平左でいられる。
 他人がどんな気持ち想いで、それらコメントを、文字をもって、時間をかけて書き綴った日々を、無視した暴挙。
 そのまま、その、狂った価値観、今までの愛読者に向けた傲慢さ、尊大さ、慢心さ、夜郎自大な、勘違いした感覚は、その女性のブログ主の、全ての過ちの元は、そこから発し起こった、としか、これは、今では私にはそうとしか、かたじけなくも、言えないのである。
 合掌。南無妙法蓮華経。
以上。よしなに。長文失礼。wainai

創価ブログ「創価の森の小さな家通信」を破折、善導する

2023年12月05日 08時14分02秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 インターネットで、創価学会のブログを検索すると、その代表格として、いくつかの創価系ブログが散見される。
 その内で、私が創価時代から、時々見ていたブログが、「創価の森通信」とかいう、欺瞞に満ちたブログであった。
 このブログ、私は、同信者の為、文句は言えずに、その矛盾点を突く事は無かった。
 しかし、我が家では、創価系新聞、「聖教新聞」を取らなくなって、十年以上の、隠れ、未活動の、その代わり同中、同時衛星中継にはその券がうちには人数集めの為、いつも配られていたので、同中には必ず参加した。
 その、創価の我が家の微々たる活動の中で、私の、創価教義に対する疑問点が噴き出すキッカケは、いつの間にか、それが決まった半年か、一、二年の間の後に私は気付いたのだが、とっくに、五座の勤行から、一座、のみの、しかも、長行の如来寿量品が省かれた、方便品と寿量品自我偈のみに限定された、簡略化された代物のお経典に決められ変わっていた点だった。私は新聞も取らず座談会にも出ていなかったので、それを知ったのが今言った通りの事であった。
 それで、私はおかしいと思いつつ、その、創価を代表とするブログ数件に、アクセスしてみた。
 大抵は皆、自画自賛に終始していた。スッキリした、あれだけ長い勤行とおさらばできて、本当に良かった、と。(これには私は不満で、そんな権限が、我々創価という団体には本当にあるのかな、幾ら仏意仏勅の団体、などと名乗ったって、その証拠はどこ?本当に、創価は仏意仏勅の団体なのか?自称に過ぎず、詐称ではないのか?自分で名乗っているだけの、はすっぱな、宗門に破門された強がりを言い募った、新興宗教教団団体に過ぎないのでは?と自分なりに疑問に思っていた。)
 その、「創価の森通信」も、今回の決定は、良かった、とこれも、虎の威を借るキツネの類であり、諸天善神への祈りを無くしたりしたのも良かった。
 長行を無くしたのは、世界広布への布石となる、三師供養で、日目上人がいなくなったのは、これもむしろスッキリして、前よりもより拝み甲斐がある。(そんな事やって、罰が出ないの?幾ら宗門と別れてから、十年以上経ったからって。教義や本尊がコロコロ変わるのは、昭和の頃、それに類した、「立正佼成会」を非難していたのが、自身にブーメランで帰ってこないのかなあ?)
 そうして何より、三師供養よりも、創価にとって大事な、三代会長、牧口・戸田・池田、の歴代会長並びに、創価の万代の繁栄を祈る、などと自己満足、自分勝手、手前味噌、自画自賛の狂態には、この男、「創価の森通信」の男は、諸手を挙げて賛成していた。(大体、三代会長、歴代の内の、池田センセーをも祈願の対象として迎え加え入れるということは、その当時から、池田はその創価版勤行要典では祈っていないのではないのか?自分の名前の記入された経本などに頭を下げて自ら毎日祈りを捧げる池田の姿を想像するだけで、虫酸が走り、笑われるだけの、噴飯ものであり、この時には既に、池田は完全にこの新しい経本の観念文では祈っていないと軽く当時から思っていた。不可能だ。いくら池田神格化を自分が中心になって進めていても、祈りの対象が初代牧口、二代戸田までが関の山であり、池田も当時、私の名前など載せなくても良いと事前に学会内で語り言っていた位だった。私の想像では、誰もが薄々思っただろうが、おそらく植物人間状態か、存命ではないな、と。要するに、創価は泥船だったんだよ。)
 私は、そんな、一応、我が家には、日蓮正宗宗門のお寺から御下附頂き御貸し下げし頂いた、昭和三十年代の日寛上人の御本尊様と、創価のニセ本尊とがうちにはあったが、そんなにいとも簡単に、創価の教義がコロコロコロコロと代わるのを目の当たりにして、何か身が千枚通しで切り刻まれるような痛み、心許なさ、気色の悪さを感じざるを得なかった。何か心がざわめき、落ち着かず、おかしい、という念慮をまずは抱(いだ)いた。
 「創価の森通信」とは、ただの創価幹部のイエスマン、言いなりの部下、配下としか見受けられず、人気取りをそのブログでしていて、今までの「創価マンセー(万歳)!」の記事からも、そうやって、自身の心ない事、矛盾点を指摘されても、言い訳も出来ない程、思考が停止しているのであろう。 
 それも或る一面、可哀想な、ここにも、創価の大なる被害者がいる。救ってやる必要性が、緊急度が増して余りある。
 現世にいる内に、早く、創価の謗法に、気付かせてやらねばならぬ。どんなに本人が、創価の池田や幹部に洗脳されて、御宗門、日蓮正宗を毛嫌いして、大嫌いなのは百も承知。
 その、独善的な態度を、動執生疑を起こして、帰伏させねばなるまい。諌暁して、その非を悟り、判らせるには、これだけのブログ記事を書いて来た手前、かなりの困難を、彼自身、抱えているだろうが、間違っているものは、間違っている。これは、鉄則である。
 その間違いを、その人の人格は護りつつ、その頭の考え方、教義、信ずる心情を、その間違いを指摘して、変えさせる。それを、これこそが正に、日蓮正宗が説く、「折伏」という。
 結局、創価は、昭和の頃の生まれの仇花(あだばな)、新興宗教教団の一団体に過ぎなかったんだ、と気付き思ったのは、それから、又、何年も掛かって、私が自殺未遂という、人生の根本を考えるキッカケが訪れない限りは、私自身、在り得なかった。これが、最終決断に至る、自身の極み、創価を切り捨て、辞めにしたいと切に思い望む、よすがとなった。
 要するに、創価など、その「創価の森通信」なる、愚者の集まりで、ただ、一緒になって同じ傷をなめ合う、今という時を一緒に群れていたいだけの、弱虫共の集まりなんだと思った。こんな時代に、池田という、師匠にするのもはばかられる、実には張りぼての、極悪人間がその、イケダ本人だったとは、後世に、私の場合は、気付くのを譲らねばならなかった。
 しかし、自分でキチンと、自己自身を反省して、見直して、日蓮正宗の御宗門の軍門に帰し伏し、還って来られただけでも、天晴(あっぱ)れ、見事であった、と自分で自分を褒めたくもある。小さな、否、大なる幸せがここにある。
 とにかく、不信謗法、懈怠謗法、慢心謗法、折伏しないのも、これも何かの謗法なんだろう。
 世の不正、世の邪師による、邪義邪説邪道邪法邪教邪宗邪行邪淫を貪り耽り構えた、己心の魔にも、それら邪宗教団(凶弾)にもそれらに、加担するがあまり、塗炭の苦しみに喘いでいる人々の助けとも充分なり得る、法華経の良薬、詰まりは、日蓮正宗の御本尊様が、我らのバックには付いている。
 それには無論、これは全てを代表とする、大御本尊様、御本仏宗祖日蓮大聖人様、歴代上人様方、現御法主上人猊下様、末寺の御住職様、と幾重にも、我ら正宗信徒には、後ろ盾がかなりある。
 それら邪宗邪教の方々にとっても、これこそ、まさしく、日蓮正宗こそが救いの道なのである。これを知っているのと知らないのとでは、天地雲泥の差がある。御利益・功徳が必ずある。それを言い切っても良い。必ずあり、必ずまします。
 それに比べて、創価など、今は亡き、イケダの亡霊の他は、頼るすべもない。全くない。
 今後は集団指導体制に移行するのか、全く五里霧中で、先が見えないが、今後も、大聖人様の仏法僧の三宝観の、仏宝から、僧宝への格下げ、これは、創価が身延化する事を意味する。それだけ、今の創価は、危ない橋を渡ろうとしているのだ。
 これは、創価が、創価大学教授の、とある人間に(名前も忘れた、たしか宮田とか言ったか?)最高幹部たちが、今後の参考に、として、「仏法僧」という、創価が現時に於いて最も悩ましている問題についての考察を、大聖人様を僧の代表とする考え方に立ち、持とうと呼びかけていた、それら代表幹部たちが有難がって講義を受けていた事実は、今後の万人が知る所である。
 創価側も、臆面もなく、それらを公表している。詰まりは、近い将来、御本仏は日蓮大聖人ではなくなり、仏の位は、釈尊、釈迦が占める事を意味し、これからの創価のトレンドとして、その創価大学教授の肝いりで、成し遂げて、教義を、出来るだけ、日蓮正宗色を薄めて行こうとしているのだ。
 そうして、日蓮宗身延派と、結託し、手を結ぶのか。「身延問答」という、私は「人間革命」の中でその事実を学び、戦後の学会の壮大な金字塔ともなった、昭和の頃の創価が日蓮宗身延派にディベート、論争で勝利した、その場の一司会者が、「池田大作」氏その人であった。
 この、自ら打ち負かした、一度は創価の勝利により身延をひれ伏せさせた、その軍門に、果たして今度はどの面下げて、創価は身延に近づき降(くだ)ろうとするのか。
 それに、この時の勝利は、「三大秘法の戒壇の大御本尊」の存在の有る無しが論争の勝利の行方を決定し左右した事実。
 三宝論でも、創価は日蓮正宗の教義を最大限に利用して行使したから、結果勝てた。
 その勝利の現実に泥を塗る。現在の学会の教学等ではたかが知れていて、今、現代で、日蓮正宗と法論を交えても負ける運命であり、日蓮宗身延派とも同じく負けるかひれ伏す運命であろう。
 むしろ、仲良しこよしで、持ちつ持たれつ、迎合に迎合を重ねて、処世術を身に着けた積りの、自己矛盾、自家撞着、自語相違の、最たる、日本を代表する、サギ集団、ウソツキ集団として名を為し残すのが、創価の最期の末路だろう。
 それ位の事、今の創価ならば、思い切って、やったっておかしくはない。充分今から考えられる事だ。
 こうなったら、何でもありの様相を呈してきて、創価自身の自滅化、自らの身を滅ぼす結果となる事は、火を見るよりも明らかであり、その教義の変遷に戸惑う者達は、特別に中央の幹部としてお金をもらっている甘い汁を吸う官僚的職業職員の者だとか、余程の凝り固まったバカでもない限りにおいて、その教団から大量脱会へと向かう道が、それしか学会には残ってはいない事だとは、想像には難(かた)くない。
 すぐさま見通せる、想像、イマジネーション、イマジンに於いても。
 その時、もしも、日蓮大聖人が、仏の地位から、一介の僧侶の地位まで貶められたとしても、それだけ、大聖人様がバカにされても、創価のバカ共は、果たしてそんな傲慢で矛盾に満ち満ちた教義や組織にいつまでも、どこまでも、自語相違なのを納得づくで付いていく積もりなのだろうか。今の創価には大義などは何も何処にもない。公明という、一政治団体も、池田センセー亡き後大義名分を失い制度疲労して確実に壊死し政治寿命が来ているのでは?
 今言った、「創価の森通信」の愚劣者も、創価の寄らば大樹の陰で、日蓮正宗とも、誰の言うことも聞かずに、ただ闇雲に創価上層部のイエスマン、言いなりになり、無駄な人生を過ごしてゆくのが、目に浮かぶようだ。そこには、人生の破滅が待っているだけだ。
 「日蓮を悪しくうやまはゞ、国亡ぶべし」(新編御書一0六六頁、「種々御振舞御書」)との、大聖人様の御金言、御聖訓を反故(ほご)にして、今の日本の、世界の災厄をもたらすのかが、現在の、今後の創価の動向に帰趨して、全てはその双肩に掛かっている事は、言うまでもない。
 それらは、同じ異流義の、顕正会、正信会にも言えるのだが、今日は、創価の事のみの問題提起にして、まずは、筆を、キータッチを止めて、とどめ置く事にする。
以上。よしなに。長文、非常に詫びいるが如く失礼。wainai

Xデー迎えた創価学会。さて、今後は?!Come Together ! 一緒に行こう、さあ!創価未来予想図

2023年11月19日 19時02分11秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 まずは初めに、この文章が、長文となる事を失礼しつつ、申し上げます。

 二〇二三年令和五年十一月十五日水曜日に、東京新宿信濃町で亡くなった池田大作氏。その辺の事情は、詰まり、本当にこの日に亡くなった、正確な日なのか、正確な場所なのか、これは置いておいて、(実際、充分な検証が必要なのは言うまでもない。年金詐取、遺体遺棄の疑い等々、刑法他、年金関連の法律に触れる怖れのある疑いを例え掛けられても、何も文句は言えまい。それだけのウソ位は、平気な、無様で厚顔無恥な団体なのであるから)、その実態、というのか、そのXデーを迎えた後に創価学会が辿るであろう、「未来予想図」を、ここで、箇条書きにして、書き出してみたい。
 
 一、今よりもはるかに、二倍三倍と、どんどんと、創価の信者が増え出して、創価学会員が大賑わいとなる。「池田の夢を後追いの、人口減少で現実的に無理な教勢拡張拡大路線派・説」「かなりヤバい、この考え方は、未だに昭和の栄光を、日蓮正宗の教義のお陰だったとは気付かぬ、愚者の勘繰り・説」
 答え:これは有り得ないと思う。教勢を伸ばした、池田大作氏が存在した最後の晩年、否、平成が始まった、日蓮正宗との確執が起きた時以来、教勢は衰えていく一方であった。創価学会が支持母体の、公明党も、この間、大幅に得票率が、ダダ下がりで、地盤沈下を起こしている。幾ら、池田氏が死んで、弔い合戦だ、などと意気込んでも、死んだ者は帰らないし、誰か、合戦と言うからには、敵、仮想敵でもいいから、が必要である。
 しかし、今は、自民党とズブズブの下駄の雪の状態、下駄の石、と言った方が良かろう。どこまでも、自民党に付いてゆこうとする公明党には、それ程の求心力が集まるとも思えない。それは、数パーセントの、実質上の、票数の上積みがあろうとも、それを境にグッと得票率は「センセー」が健在だった時よりも、必ず、公明も、創価も、今以上に、特に今は少子高齢化であり、日本の経済が停滞していて、暗黒の三十年、四十年と言われたこの長期不況、大不景気の中で、必ず創価・公明は沈没する。日本での立場は悪くなる。これだけは言って置くから。
  
 二、創価は、退潮現象が止まらず、宗教人口が四分五裂に分裂して、日本での主導的立場にあった自民公明党政権も、自民党から、その議員数の下落傾向に拍車が掛かり、国会議員数、地方議員も減った時点で、自民から見棄てられる。「創価四分五裂・衰退・説」「創価退潮現象、人生黄昏派・説」
 
 二のうちの①、今のままの状態で、集団指導体制で、原田稔、谷川一派が創価を指導してゆき、何の波風も立たずに、創価は愚民化政策を採り続け、やがて、犯罪集団化して、自滅の一途をたどる。 「愚民化何もやらずに堕落派集団指導体制自滅組・説」

 二のうちの②、今の状態のまま、創価は、ゆるやかに、やがて自然消滅してゆく。「自然消滅説、自然淘汰派・説」

 二のうちの③、特に、原田、谷川ら、東大や京大、早大慶大等々の、エリート軍団に象徴された一部の者達が今の創価の実権を握って牛耳っている現状に、最早、我慢が成らぬと、以前、数年以上前に、創価学会中枢から追いやられた、創価大学学閥の生え抜き、正木正明一派の、左遷組の、創価での復権を狙う者達が大反乱を起こして、池田先生の教えへ返れ、とばかりに、日本中を巻き込んで、創価の分裂騒動を起こして、創価のダメージ、イメージダウンに余計に拍車を掛ける。「創価大学学閥派独立復権大反乱大分裂騒動・自界叛逆難・説」
 
 三、それに加えて、今現在の執行部の間違いを指摘するのみならず、その、戦争法案、PKO法等々に賛成を決めた公明党とも別れを告げ、党を手放し、政教一致の憲法違反との、言われなき差別を今まで受け続けて来たと信ずる、創価学会内外の批難、批判、矛盾の解消を受けた上でそれらを見事、汚名返上、退けて、潔く普通の宗教団体の体裁を整えて、敢えて、二度と政界へは舞い戻らず、政治から脱却して、政治団体公明党を見限る事で統率を取ろうとする者達の分派活動化。「政治からの自由を謳う、宗教にのみ特化した集団としての一から組み立て直し再生潔癖派・説」

 四、むしろ、創価学会自体を、宗教団体ではなく相互扶助団体として、政治団体として、開き直り、公明党員として、全ての会員を振り分けて、政治団体と化した学会は、誰からも文句は言わせない、憲法違反でもない、とする者達。「宗教団体から政治団体へと鞍替え、変更を経ても、宗教が熱狂を生んだ力がやがて削がれて、これも一時的熱狂で、消え去る運命。元々宗教団体から政治団体化移行・説」

 五、その他、今まで提示した予想図は、これらの派閥の領袖・ボスは、皆、池田センセー・先生マンセー(万歳)と、池田信奉者、池田教、池田を信じ抜き、信頼するのが、その池田崇拝ポーズのみを取った者達ばかりだったのだが、頭一つ飛び越えて、考え方を改めて、素朴な疑問で、池田指導体制の時代に全ての疑問符を投げ付け投げ掛けて、大反省しつつ自己批判を盛大に盛り込み試み、池田会長の指導が全ての誤り間違いの根本だったと振り返りつつ、諸悪の根源が池田大作本人だったと気付き、自分の一途に信じた百年の恋も一人相撲だったとようやく覚め、悟り切りやっと自ら認めて目覚めて、池田の洗脳が解けた者達で再結成しつつ、池田の存在自体を全否定しつつ、元々の、創価学会の原点、初代・二代会長の、牧口・戸田両会長が築いた黄金時代に帰れ戻れとばかりに、王政復古、原点回帰の、むしろ、日蓮正宗の、お山へ帰りたい、総本山富士大石寺へ還ろう、とばかりに、一大ムーブメントと成り、そのけなげな心で、日蓮正宗宗門へと回帰志向をひたすらに向けて、その分派活動により、元いた地点へと戻ろうと言う者達。「スタートライン復帰新傾向原点回帰修正改革革命派・説」
 それが、日蓮正宗の猊下様、御僧侶方、一般信徒、皆に認められ得ると判断された暁には、脱会届を皆が出して、日蓮正宗に大挙して戻る事を誓う人達。  
 こんな人達ばかりならば、我々も大歓迎なのだが。

 そうして、日本国、全世界での、日蓮正宗・人法一箇の大御本尊・日蓮大聖人の御教え、折伏への、方途を考え直して、又、一からやり直し、猊下様が先頭に立って御指南遊ばして、宗門と和合した時代へと戻り、ニセ本尊は総本山へ全てお返しし返還して、新たに、日蓮正宗御宗門の御本尊の御下附を各菩提寺の御住職様方から、御貸し下げ、お戴き致して、奉掲して、正真の御本尊様へと元創価員の各家庭に行き渡らせる。
 勿体なくも、有難き、大御本尊様への真に直結直通の、真の本物の御本尊様であらせられる。
 そうして、その、戸田会長も申していた、各家庭の電球を光らせる、電気を行き渡され得るのは、根本の電気の発電所、総本山多宝富士大日蓮華山大石寺の現在は奉安堂に御安置され厳護された、弘安二年十月十二日に宗祖日蓮大聖人様が御建立遊ばされた、三大秘法の戒壇の大御本尊様へ、皆で一同、懴悔滅罪、罪障消滅をこの時、祈るのだ。これは、再度の、日本国、全世界に於ける、現在に於いて、大折伏戦を再開させ得る好機となる。沈滞した日本国、世界への、もう一度立ち上がるチャンス、好機と成り得る。
 日本のみならず、世界も、「雨つちくれを砕かず」の「法華独り大繁盛」の「大地を的とする為るべし」との、大聖人様の御金言を、元創価員の一人一人が、我ら日蓮正宗へと戻るチャンス、好機とすべきなのだ。
 池田氏死去により、悲しんでいる前に、一応の、義理は果たした、との、もっと、ドライに、というか、ウェットじゃなく、或る程度、クールに割り切る事も必要である。
 我ら日蓮正宗法華講では、創価学会員のお一人お一人が、漏れなく、この大法の御慈悲に浴しつつ、塗炭の苦しみに喘いでいた人々・物事が、目の前から悩み苦しみが「ぱっと消へ」過去へと代わり得る、快方、解放への道がここにあるのだ、との、物の道理を説いて申し上げている。
 変わるのは簡単だ。良く変わるか、悪く変わるか。そのどちらかが全てだ。或いは、努力をせずに、何も変わらないのか。それは縁としか言いようがない。その縁により、良くも悪くも、結果がかなり変わり得る。原因を作り出すのはあくまで自分自身だ。原因を他のせいにしてはいけない。自業自得。万事、自分が一切を決めているのだ。その点を、充分考えて!その極意極説が、宗祖日蓮大聖人様の大仏法仏教哲学だ、日蓮正宗が説く所の。
 その袋小路と言うか、二つに分かれた、大事な分かれ道に、貴方方、創価学会員の皆様はおられると言う事。
 どうか、一人でも、真実に気付いた人達の連帯を、日蓮正宗へと目を転じ、向ける心掛けをもって、もっと自分自身の心に正直素直になって、正宗に帰って来て欲しい。それだけを、ただ、ひたすら、吉報を、信じつつ待っている。

 悩んでいる(いた)のは、あなた一人だけじゃない。私達、日蓮正宗法華講員も、元をたどれば、時代をさかのぼれば、大多数、元創価学会員だった者も多いのだから。その他に、元顕正会員。元正信会員。その他の元新興宗教構成員だった者。元爾前権教の伝統宗教者。元キリスト教者他。世界的に見れば、元イスラム教徒他。皆、元が付いた者で溢れかえるのが我が宗の実情だ。
 でも、しかし、それに対して、誰からも文句も言われず、皆が皆、正々堂々と、日蓮正宗信徒として、再生復活を果たして、生き直し、生まれ変わり、気分良く過ごせる。心配は要らない。
 我々も、気持ちは、充分に理解している。正に将棋の駒のように、王将が、宗祖日蓮大聖人様であり、現在は、第六十八世御法主日如上人猊下様。その手駒の一つに、あなたも成ってみませんか。自由に、この世で振る舞い、邪宗教撲滅の為に、あなたも我らと共に闘ってみませんか!かなり、やりがいはあります。生き甲斐になり得ます。カンタンに、物事の苦悩、悩み、争い、人生の悲惨さが、この信心で解決した者は、五万と居ます。
 一つ、あなたも、やってみませんか? 日蓮正宗と言う大船、大道、恵まれた、この世の別天地、人々のつながりが凛々しく麗しい環境下で人生をもう一度、謳歌して見ませんか。昭和時代の、戸田先生の夢の続きの日本一国広宣流布、世界広布を私達の手で、もう一回、やってみましょうよ!
 
 みなさん。時代は変ったのですよ!時代は変る、変えられるのですよ!皆、大挙して。我々の手でも見事に変えられ得る。この世を仏国土として建設し直せる。「総本山富士大石寺」へと、お山へと、皆で帰ろう!

 財(たから)は身近な所にある。財とは、勿論、大御本尊様、分身散体の各家庭の御本尊様の事である。少なくとも、ニセ本尊では全くない。

 正に、大聖人様御生誕から八百年。これら慶賀の年々に我々が生まれ逢わせたのも何かの不可思議な奇遇の今生の縁に他ならない。
 
 Come Together !  いっちょ、やってやろうぜ!一緒に行こう、さあ!
(ザ・ビートルズ「カム・トゥギャザー」ジョンレノン作、レノン=マッカートニー作詞作曲・作品の題名の曲、歌の歌詞の一節でもある)

以上。よしなに。wainai

池田大作創価学会名誉会長が死去。巨魁、逝く!

2023年11月18日 16時40分19秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 創価学会は、池田大作名誉会長が、本日発表した所によると2023年令和五年十一月十五日、老衰の為、享年95歳で死去を発表した。(まあ、今となれば、本当にこの日に亡くなったのかも怪しいが)。
 公明党を作って政界に進出し、創価学園を作り、政治、教育、文化、宗教界、等々を牛耳り、力を尽くしたが、ここ、十何年間というもの、音信不通で、消息が全く伝えられずに、その行方が注目されていた。

 とうとう、来たるべき日が来た。巨魁、逝く!この、魔物が消え去り、その後の、創価学会、公明党は果たしてどう進み、どうなってゆくのか。それのみが、私の気がかり。元はと言えば、こ奴が全ての、宗創戦争の火種となった張本人なのであるからして…。先日の顕正会浅井昭衛会長、共々、何たる体たらくか?今年、これら二人も相次いで、カルトセクトの教団の巨頭巨悪が二ヶ月続けて二人もの代表が逝くとは。これも何かの縁か。今年の四月頃には、幸福の科学の大川隆法総裁も急逝しているし…。今年は何かがあった年なのだろう。そうとしか思えない。
 丁度、日蓮正宗御宗門では、今年は大々的に、宗祖日蓮大聖人様の御生誕八百年の慶賀の御祝いを盛んに行い、そんな、法盗っ人の、小物達の相手等する程暇じゃない。まるで、大聖人からの大罰を敢えてそれら大謗法者は必殺で受けているのではないのか。「日蓮を用ひぬるとも悪しく敬はば国亡ぶべし」(種々御振舞御書1066頁-新編御書)の御金言の如くに。
 この男の為に、どれだけ日本の政界だけじゃなく、その宗教の正義・正法の本流たる、日蓮正宗にとっても、最大限に大迷惑を被ったこの根源の人間、極悪人の被害者であった事か。人非人。この、宗教界の無責任男の、この現世からの退場、堕地獄行きにより、その後が非常に注目に値する。これから、一波乱もふた波乱もありそうな、きな臭い感じがプンプンだ。
 池田大作創価学会名誉会長、正に逝く。その甚大なる堕地獄の所業は、断罪されて余りある。
 創価学会員の一日も早い、創価からの洗脳が解け、長い眠りから覚め、創価脱会へと向かう事を祈るのみ。そうして、私の望みは、皆が大挙して、富士の清流、日蓮正宗へと舞い戻って頂きたい。
 私は、以前からブログ上で申し上げた通り、今日の日を寿ぎ、家で赤飯を食べる積り。来るべき日が、とうとう来たのだ。

 一応、冥福のお題目を祈らせて頂く。合掌。南無妙法蓮華経。

以上。よしなに。wainai

 一応、仁義を尽くして、赤飯おにぎりを二つ買ったが、一つは食べてしまったので、お祝いとしての、残りの一個の赤飯おにぎりです。
以上。

創価学会員の過ち間違えた勤行姿勢

2023年11月03日 07時04分07秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私が、以前、元講頭さんから聞いた事がある、その方の創価学会の親戚は、とんでもない、勤行をしているという。
 それは、その方が目に耳にしたのは、何と、勤行を始める時に、テレビだか、ラジオのスイッチを最初に付けた上で、うわの空でそれらテレビラジオと勤行とをながらで同時進行で進める、というものだった。
 これは、私は日蓮正宗の書籍に載っていた写真画像で確認済みだが、あの、稀代のペテン師、邪師の池田大作が、これも同じく、彼の文化会館であろうと思われる場所での勤行中の写真を見た事がある。
 それには、御本尊に池田は向かってはいたが、その経机には、ご飯だか、お茶の類の、飲食をしながらの、会長にあるまじき、ふざけた勤行を行なっていた、というものである。
 会長が会長ならば、会員も会員であり、皆、ミニ池田化していた、という他はない。
 もう、彼らにつける薬は無いと見えた。こんなおぞましい、悪徳集団は、金輪際、この世から消え去って頂きたい、と切に思い願う。
 神聖な、信徒にとって最大限の祈り、即ち勤行を、ここまで汚(けが)して、平然としている、会長池田、並びに幹部やその他大勢の会員一同達には、それ相応の、大仏法の自業自得の、堕地獄行の鉄槌が下る事、必定(ひつじょう)であることは、論を俟たない。
 仏様大聖人様は、学会の会長・幹部及び末端会員の集団共の束になっての悪業を、悲しんでおられるのを、汝らは、何故気付かず分からぬのか?大慢心もここまで来ると甚だしい!大謗法、大仏罰必定だ。

以上。よしなに。wainai

今日は甚だ気分を害した!以下、その、反論文。

2023年10月13日 10時53分54秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
この文章は、前回、私のコメント欄に乱入して来た、創価共のコメンターに対する反論である。これにその書き逃げして行った張本人が、言う事があれば、いつでも相手にしてやる。
まあ、どうせ、Unknownなどと、自身の名前も名乗れぬ、名無しの所業であるので、こちらもまともには相手にはしてはいない。
しかし、随分と、こちらを馬鹿に出来得るものだな、とは感心した。
こちらが大恩人と、この元となった記事にも、私が書いているにも関わらず。
とにかく、これは、私の、そしてその大恩人、S楽さんにとっても、名誉棄損もいい所であり、私に対する、ケンカを売る行為と同じだ。それに対する、謝罪一つない。自分が正しいと今でも思っているのか?正々堂々と名を名乗って法論、論を戦わせる気概すらない。男として、人としても、恥ずかしくないのか?それでも人間か!
それが、たまたま、名無しのお陰で、私からの直接の反論が無いだけ。
それが手なのかも知れぬ。
とにかく、今後は、名無しは徹底的に削除したい、私も腹が立つ記事、コメントがそれらを読む度に記憶上に思い出し、腹立たしい極みであるからだ。しかも書き逃げ。名も名乗らない者にこれだけの仕打ちをされている私はマゾか?
今は少し冷静になっていますが、この度の、名無しの勝手な振る舞いに腹が立ち、こちらの本記事へと、転載致します。
今後、名無しのこれらの文章は、即、コメント削除致します。削除に踏み切ります。
以下、その、それに対する私の文章群です。長文失礼。その元となったブログ記事もURLで。


今日は甚だ気分を害した、人を許せる気分では今はない!それでも、ここに載せ続けているんだから、有難く思いなさい。以下、その、反論。
 (wainai123753)2023-10-13 10:46:22
2023-10-13 10:35:20
『仏壇を捨てさせた癖に、今ではあべこべに父が仏法の守護者の如くに菩提寺の寿海寺に眠っているのは何か腑に落ちない、と以前、広布推進会でいわき市の大華寺に向かう道すがら、車中でS楽さんに言うと、』(私の記事引用終)
Unknown (Unknown)2023-09-29 00:53:39 さん、
此の引用文章を見ても判らないんですか。この御方、S楽さんは立派な日蓮正宗法華講信徒、それも、昭和の五十二年路線を過てる創価が引き起こし、惹起して居った最中、この御方は、颯爽と創価を去り、日蓮正宗へと、新興宗教創価から、日蓮正宗御宗門へと、颯爽と自身が気付き、寝返った、その当の本人なんですよ。
大体、そんな、このお寺の重鎮でもあるべき御方に対して、「邪宗」「邪教」の発想だ、などと、その御方の思想信条まで思いやりを気付けずに、私共の仁義を尽くした先輩後輩同志の友情など露も知らぬ、赤の他人の、貴方にはそのままで済むとお思いなのでしょうか。勝手な物言いだと、思わない、無責任さ。無慈悲の極み。
S楽さんは、第一次創価学会問題が起こった頃からの、いち早く創価の異常性に気付いた、昭和の頃の生き証人でもあります。
その御方を謗る事は(邪宗教だと)、自分にそれらの言葉がそっくり返って来ます。
還着於本人です。
それに、随方毘尼という言葉を貴方は知らないのですか。
それに、御本仏宗祖日蓮大聖人様は、御書、「太田左衛門尉御返事」(一二二二頁)に、
「予が法門は四悉檀を心に懸けて申すなれば、強(あな)がちに成仏の理に違はざれば、且(しばら)く世間普通の義を用ゆべきか。」
現代語訳、『通解』
「私の法門は四悉檀(仏の教説を四種に分けたもの。①世界悉檀②為人悉檀③対治悉檀④第一義悉檀)を心に懸けて申す法門であるから、必ずしも成仏の理に違わなければ、少しは世間一般の義(厄など)も用いてよいのである。
(以上。出典『御聖訓一読集』令和四年度版・奉祝 宗祖日蓮大聖人御生誕八百年)[諸難を乗り越える信行])
とありますように、多少の、時代に合わせ、その時の風俗に合わせ、その場、その時、その場合に合わせても一向に構わない、その場その場での、御教えの改変、改革、等々を認めているのが、本来の踏襲の教義です。
それを認めないならば、今、現今の創価の言う、言うなれば「途中の人師論師は認めない」との言説と、同一ではありませんか。
私は、一見、このような、日蓮正宗信徒を思いやった風の貴方が、最初から、我々日蓮正宗の信徒の一分であると、思って居りましたが、どうやら、私の買いかぶりであったと思い直しました。
あなたは、当宗信仰者ではない。日蓮正宗信徒を名乗る、エセ信者、おそらくは創価の回し者である、と見抜いた。
それは、その後の二度目に登場した、創価信徒丸出しの情けないコメント欄のコメンターと軌を一にする者であり、やはり、時間的にも、正真正銘の同一人物、それが、いわゆる、Unknown (Unknown)を名乗る、一連の名無し氏による、自作自演のパフォーマンスであったと、今は喝破して見抜きました。
人を騙そうったって、そうはゆかない。どんなに日蓮正宗信徒を名乗るが如くの、見せかけの、御立派に見せた所で、その所属性、在所、身分はすぐばれる。どうだ、思い知ったか、此の創価の名無し野郎めが。
とにかく、これからは、名無しは一切、コメント欄に表示されたら、自身を名乗る勇気すら持ち合わせていないとこちらが判断を下す以上、削除に次ぐ削除へと、私を駆り立て発動してゆく事を、ここに於いて宣言させてもらい、これを掉尾として、この文章の幕引きとする。

以上。非常に腹立たしい、胸糞悪い、気分を害した気持ちを抑えつつ、この文を結ぶ。よしなに。wainai123753

※追記:同コメント欄から追っての私のコメントの転載。

unknownは、削除一掃致しました。 
(wainai123753)2023-10-13 11:17:10
とても目障りなので、これからのブログ綴り、作成上も問題となり、気分を害するので、全てのunknownは削除致しました事、ここに表明宣言致します。どうせ、創価の連中の、炎上作戦、嫌がらせの類でしょうから。
それゆえに、名前が名乗れない、卑怯者である訳、理由がその体を顕わしているのですからね。
報告がてら、事実を書き残して置きます。
以上。

日本が戦時中、米国と停戦協定を結んでいたら~たらればの話になるが…。創価という悪の元凶・一凶についての話へ

2023年10月04日 12時15分45秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 或る方のブログを覗いていて、日本国が、敵国の、英米中ソ仏等との第二次大戦の戦いにおいて、甚大なる被害を、この場合、東京を始めとする都市の絨毯爆撃、二度の原子爆弾の投下、等々を迎える前に、変な意地を張らずに、敢えて前もって、事前に、停戦協定を結んでいれば、今よりも、より良い条件で敗戦を迎えられ、無駄に兵士や一般市民を巻き込んだ戦死者、被害者も出さずに済んだのに、とあり、成程、そういう考えもあったんだ、と、歴史の「逆算」論だと、今更ながら、思い致した。
 その通り行けば、今、憲法改正で苦しんでいる、日本国憲法(昭和憲法)なども制定されずに済んだかもしれないし、自前の軍隊もそのまま、存続させ得ることも出来たかもしれない。
 何よりも、甚大な被害者を出した、莫大な死者、被害者の命、特に、沖縄戦などは、沖縄県が皆焦土と化し、決戦場となった訳であり、日本は沖縄にはその被害の全責任がある。その他、全日本国土の一般民衆、軍人たちへの無駄になった死傷者への責任も同様に重大重要事項だ。
 私は、今の日本は、それらの犠牲者の上に成り立つ国家だが、戦前戦中と、「大本営発表」に騙された当時の日本人たち、ダマした軍部政府にも問題が大ありだと思う。一般日本人には、その、ウソの情報の本質を何一つ見抜けなかった、誰一人として。その責任を問われる。騙されて、かわいそうな気もするが。しかし、一般理念からすると、その責任は重い。要するに、悪、ウソを見破る、賢い智慧が当時の国民には全く無かった。「赤信号、皆で渡れば怖くない」➡「赤信号、皆で渡れば皆が死んだりケガをする」となる。

 しかし、その戦争が真に間違った戦争であり、それに抗い戦争に反対し闘った人も少なからず当時にはいたが。(創価はそれには当たらない、その対象者対象団体ではない。当時、牧口会長、戸田理事長は、盛んなる、絶賛、戦争賛美、戦争に非常な協力体勢者であったから。それが知りたければ、その当時の資料が一杯たくさん残っているから、ネット等でご自身でお調べ下さい)。
 これ、昭和の軍部の大政翼賛体制と大本営発表との、似た構造にあるのが、今現代で、宗教界に当てはめてみると、「創価学会」という組織に他ならない。
 「聖教新聞」「創価新報」等の、大本営顔負けのデマ、プロパガンダ機関に騙され、言いくるめられた、一般会員、それをこれ見よがしに煽る創価学会の幹部、現会長ふくむ、今は無き、特に十数年前の中心者トップだった、筆頭格の池田大作氏。
 こんなに騙されやすい会員などは全て、幼稚臭く、今どきのオレオレ詐欺顔負けの悲しい様相を呈している。
 騙されている方もその間違った教えの応援者である以上、そのデマを拡散する張本人である以上、尚更、罪深い。
 これら人々の、この大罪は、幾ら今は日蓮正宗から破門され、解散勧告が布告され、別団体、新興宗教の一団体となったからと言って、決して許されない事である。
 いまだに「日顕(上人)宗」、などと、この世に有り得ない、存在しない宗教団体名として、日蓮正宗を蔑視して蔑称で呼び習わし、悪口罵詈の罵倒の限りを尽くしているのだから。その罪業、大罪は計り知れない。幹部・一般会員共に、正に堕地獄行だ。
 とにかく、「謗法与同」といって、それら歪んだ教義の創価などの大謗法団体に一日でも籍を置き、属している限り、同じく公明党などという、邪政治団体にフレンド票として一票を投じた者共も、その山ほど積んだ罪障は非常に重く、それら方々の身には重すぎて、正真の日蓮正宗の信仰に改心し戻り還らない限り、帳消しとはならない事共を、学会員他は肝に銘ずべきである。
以上。よしなに。wainai

私の言いたい事を、ここで吐き出さんばかりに、話し書き綴り、申す。

2023年09月29日 19時23分50秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
私の言いたい事を、ここで吐き出さんばかりに、話し書き綴り、申す。 (wainai123753)
2023-09-29 19:18:03 

「頭と体を負傷し、大けがで半身不随となる。本人も私達家族も、大変に難儀を極め、非常に苦しんだ。」(ここまで、私のブログ文章、抜粋、引用)

『とありますが、創価学会の御本尊を謗ってお父さんが仏罰を受けたわけなので、創価学会を誹謗するのはおかしくないですか?』(ここが、コメンター、unknown氏の全ての言い分、引用)

ここには、分かって本人が言い募っているのか不審ですが、「創価学会を誹謗するのはおかしい」と言っていますが、為にする議論であり、その時代性が判っていない。
その当時の創価学会は、今とは全然違い「日蓮正宗創価学会」という、正に共同体であった。だから、御本尊を拝めばバンバン御利益も出たし、その今のunknown氏が言うように、その御本尊を謗れば、大罰も受けた。あくまでも、平成二年までの、昭和の頃の話だ。
そうして、しかし、それは、今の創価の、ニセ本尊を、文化会館経由で有難味も無く味気なくもらうのと違い、当時の、昭和の頃の創価学会は、ちゃんと、お寺、日蓮正宗寺院を通して、御本尊様を、格式を持って、御授戒にて、御下附為されていた。
だから、それを謗れば、謗法と成り、罰も出たであろう。
しかし、今回登場して来た、unknown氏は、創価を誹謗するのは、創価の本尊を謗った結果だから、誹謗するのは、おかしい?と、こういった論述論法である。
まず、時代性が、今現在の一新興宗教団体に成り下がった創価と、この、昭和の頃の偉大なる、それこそ、池田会長の前の、第二代戸田城聖先生率いたあの頃の創価とは、勢い、功徳の勢い違いが多すぎる。正に、日本の高度成長を支えたのは、日蓮正宗創価学会の発展抜きには考えられない程の、レベルの高い、それこそ、今では創価は「折伏」などとは呼ばずに、「仏法対話」なる、空疎な響きの勧誘をちんけにも行い、本尊も、正に「ニセ本尊」であり、今の創価の本尊を謗った所で、魔の通力以外、なんにも有り得ない。そうでしょう。そうじゃないんですか。そう考えられない方が、おかしいんじゃないでしょうか?
それに、その本尊だって、栃木県の浄圓寺に所蔵されていた、日寛上人御書写の御本尊をコピーし、更に、御本尊にしたためられていた、「本證坊日證授与」という授与書きを抹消して、作り上げたものです。
そのニセ本尊には、怖ろしい事に、お筆を勝手に伸ばしたり、シミを消したり、だいぶ本尊の印象を代えてしまった、本当の意味で、「ニセ」「贋作(がんさく)」以外の何物でもないのです。
皆、創価学会の皆さんは、本尊ならばどれでも同じ、と思い、感じ、信じている人が余りにも多すぎます。
本来の、日蓮正宗の御教えならば、その教えに則れば、戸田先生も申し上げた如く、「発電所が総本山富士大石寺の大御本尊」、そして、各家庭の、分身散体の、個々の御本尊は、それらは各家庭の、電気が中央の大御本尊様から送られてきて、その電気の最後の流れの各家庭の電気のランプ。支流を経て、最後に各家庭に電気が届いた、その結果が、その各御家庭に御安置の、御本尊様であるべきなんです。
その定理、定石を、根本から、池田創価学会は、くつがえし、変えてしまいました。
私は、昨日の0時過ぎに私にコメントした方と、貴方とは、違う人だと、現時点では思い考えております。詰まりは、unknownを名乗る成り済ましの別人だと。
その文体、そのもののいい方等々、コピペ多用等、まるっきり違うのが判ります。
けれども、私の不徳と致す所、見過ごしであり、若しも仮に、これが、同一人物ならば、昨夜0時に書き込んだ者、日蓮正宗信徒を名乗らんばかりの人の勢いで語ったのが、無意味にはならないのかな、とは半ば心配し呆れもして、思いますが。

とにかく、私のブログのコメント欄に何かモノを言いたい方々は、同時に必ず、何か他の人と見分けられ得るような、名前を敢えて名乗ってから、モノを書き、言って下さい。お願いします。
それでなかったならば、即刻、その、コメント投稿文を、削除する事もやむを得まい、有り得る、とこの欄にて、訴えるものです。
どうか、コメント欄では、何か、何でもいいので、名無し、unknown,ではなく、名前を名乗るように徹底してください。私がこういうのも押し付けがましくて何なんですが、見分けが非常につかないのも、その方にとっても、勿体ない、不幸な感覚も、せっかく書いた文章が、勿体ない、自己アピールが無駄になる、詰まり私により削除の憂き目に遭っても、詰まらない、悲しくはありませんか。私ならば、もっと、自分が書いた文章に、誇りと自信を持って、この世に、自身の意見を、説く為の努力は惜しまず、ちゃんと名前を名乗る、それが、人のブログに来た者のエチケット、礼儀だと思います。決して、今回のような人々が、常識外れだと、看做す訳じゃ有りませんが、この次は、気を付けて、必ず徹底して、名乗って下さい。それが「文章愛」、自分が綴ったせっかくの文章への、贈る言葉となる筈です。もっと、unknownなどと名乗らずに、自分の語る言葉に、名前、ペンネームに、自信と、誇りを持ってください。
これは、注意徹底させて行きたいと思っています。名無しはなし、の方向で、この通り、私のブログ内では、進んでゆきます。
他の方のブログを見かけても、名無しは非常識、の扱いの筈ですよ。その点、お忘れなきように。
とにかく、名無しであり、しかも、為にする、私の気に障る、侮辱、脅迫、恐喝、強要、ストーカー行為等々、刑法等、違法行為が見られた場合は、私はそのコメントを、容赦なく、削除し、そうでなくとも、削除の権限は、私に全権が握られているのであるのですから、その時の事情を鑑みて、削除等も有り得る事共を、ここで宣言させて頂きます。
以上。よしなに。wainai

お断り書き。wainaiより。
読者の皆様へ。 (wainai123753)2023-09-29 19:23:20

今回のこのコメント記事、かいつまんで、本ブログ記事に、私がこのブログを主宰するのであり、著作権、権利は私にあるものと見えて、この記事群を、転載する事を、読者諸賢には了とせられたい。


以下にその、私の今回の論駁の根拠、となった私のブログ記事についてのURL。

日蓮正宗に背を向け、帰伏しない長井秀和氏、ちっとも偉くない!

2023年08月04日 07時30分06秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 長井秀和氏は、今まで、創価学会員として、幼少から、創価の両親の下、創価系の学園を卒業して、宗教二世として、学会員として振る舞い、長年、創価の信仰を、自身、疑問に持ちながらも続けて来た。
 そうして、その疑問が爆発して、長井氏は、創価を脱会するに至る。
 今は、東京西部の、地方自治体の、市議会議員となった。
 そういった彼を、池田創価学会の洗脳が解けて、宗教に頼らずに、自立した、と、周りのマスコミ、ネット上でも、賛美、讃嘆で、押し切られている。
 私は、彼が、日蓮正宗に戻っていない時点で、片手落ち、中途半端だと思っている。
 確かに、反創価・アンチ創価では、彼の様な声が、影響力を持ち、我々日蓮正宗信徒にも心強い。けれども、創価を辞めたのならば、その、根源の、大本の、日蓮正宗に舞い戻ってくるのが、筋ではなかろうか。
 マスコミや、ネットの声、の中には、創価を辞めて、又、今度は別の宗教に「頼る」のは、まるで、ルール違反、の如くの自説を唱える、ちょっと、考え違いの人達が一定数いる。
 元統一教会問題で、信者を、親が脱会を視野に入れる時、最も助かる率が高いのが、同じ系統の、純正・正統派キリスト教会の牧師等の力付け、助けが、かなりの効果を上げている、というのを聞いた事がある。
 同じ論理で、創価を辞めて、その後、何の、信ずるものを得ない、宙ぶらりんで、そのまま、数年間を過ごすのも、何のしがらみもなくて、良いように見える。
 しかし、それは、あくまで、根無し草の如くの、信念の無い、何の為に、その本人、その両親共に、日蓮正宗創価学会に、昭和時代に、入信を決めたのか?それが、その一点が、ブレている。
 創価では、怖ろしいくらいに、日蓮正宗への憎悪を彼らの頭に埋め込んだ。自身の宗教信条を代えるにあたり、日蓮正宗へ入る位ならば、その他の、キリスト、神道、なんなら、顕正会、等々への、転向を強いられ、逆向き、逆立ちした、傾向性があるのかも知れない。それは、見事な、池田大作氏、及び学会首脳部に植え付けられた、「洗脳」以外の何物でもない。
 私のお寺の、日蓮正宗無量山寿海寺に、栃木県から通う、Kさんという人も、その、長井秀和氏に、ツイッターで、日蓮正宗への翻意を促し、日蓮正宗に入らないあなたは、その信念は、創価を辞めて立派だが、片手落ち、中途半端ですよ、と訴えたと言う。
 その後に、返信があったかは判らないが、とにかく、現在も、長井氏は、今度は、議員となった今は、無宗教を決め込んでいるのであろう。
 私も、当初は、彼、長井秀和氏を応援しようと、ツイッターのフォロー者となったが、今年の初めだか、宗教二世の、今はアンチ、反対者の、幸福の科学の創立者の大川氏の息子と、オウム真理教の麻原のその実子だか幹部だかなんだかと、対談のような事をやっていて、これは、この、長井氏は、こじれている、何か、路線が間違えている、と思い致し、即座に、ツイッターの購読者、フォローを残念ながら、辞めた。
 少し、長井氏は、議員にもなり、慢心を起し、鼻の高い、天狗になっているのではないのか?
 私の前述の、栃木のKさんも、あの人、長井氏は、ダメだ、話にならない、と仰っていた。
 私も、せっかく、反創価では、一致を見たが、日蓮正宗を見捨てた長井氏には、ガッカリ、絶望している。
 Kさんと、私で、電話を通して、話が一致したのは、中々、創価の人も、日蓮正宗の良さが判らない。そのまま素知らぬ顔で目の前を素通りしている人が多い、との一点で話しが合い、こちらも電話を切った。

以上。よしなに。wainai

戸田先生のお言葉集

2023年08月02日 07時20分10秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共

 創価学会第二代会長戸田城聖先生(1900-1958)は、誠に日蓮正宗の外護に努められた。その御言葉を、何度でも、現今の創価の分からず屋たちの為に、再掲する。以前の、このブログの開始の初年度に、発表した筈である。
 一人でも多くの、創価員が、目を覚ます事を、願うものである。
 これらお言葉が、戸田城聖先生の、信条、真情、最も言いたかった、この世に遺した御言葉集である。 

戒壇の大御本尊を信じない者は謗法
 本門戒壇の大御本尊を信じ奉らない者は、すべて謗法として禁じなければならない(戸田城聖全集五-一五六ページ)

戒壇の大御本尊は大聖人の出世の御本懐
 僅か小勢百数十人の僧侶が愚僧悪僧邪僧充満の悪世によく耐えるもので、大聖人の「御出世の御本懐」たる弘安二年十月十二日御出現の一閻浮提総与の大御本尊を守護し奉って、七百年間、塵もつけず敵にも渡さず皆々一同代々不惜身命の心掛けで一瞬も身に心に身心一つに御本尊を離れずに今日に至ったのである(中略)かくも法体を守護し、且化儀連綿たる功績こそ称えねばならぬことである(大白蓮華・昭和二六年六月号巻頭言)

 余は二十七年なりとは弘安二年十月十二日の総与の御本尊の出現をさしての御仰せであって、この御言葉によって本仏出世の御本懐は此の御本尊の出現にある。世の不幸を救ふ一大秘法は此の本尊にありと信じなくてはならぬ(大白蓮華・昭和二六年六月号二頁)

 弘安二年十月十二日の本門戒壇の御本尊は究竟中の究竟本懐の中の本懐で真に尊き事と拝さなければなるまい。この御本尊こそこれ三大秘法の随一であり、一閻浮提総与の御本尊である(大白蓮華・昭和二八年二月号三頁)

本門戒壇の大御本尊
 弘安二年十月十二日の御本尊様が、究極中の究極の御本尊様なのです。大御本尊を拝すると、花押の下に「本門戒壇也」と、チャンとおしたためになっている。その次に、願主弥四郎国重とありますが、本門戒壇の願主ですけれども、この御本尊は本門戒壇だ、ということが、キチンとおしたためになっている。争う余地がない。絶対にない(大白蓮華・昭和三四年三月号七頁)

戒壇の大御本尊は大聖人の御当体
 御本仏は、生きていらっしゃるときには、日蓮大聖人、亡くなられては本門戒壇の大御本尊と仰せられ、その仏のお名前と年月はちがいますが、同じくわれわれを化導して下さるのである(日蓮正宗方便品寿量品講義二〇六頁)

 日蓮大聖人はいつも、この娑婆世界に住んでおられる。現在は富士大石寺におわします戒壇の大御本尊として出現されているのだが、多くの邪宗のものたちは、近くにいながら、かわいそうにも日蓮大聖人の御当体とは気がつかないでいるのである(日蓮正宗方便品寿量品講義二一三頁)

 戒壇の大御本尊は広宣流布の根源
 学会は今大聖人の命うけて弘安二年十月十二日に御顕しになられた一閻浮提総与の御本尊を日本に流布せんことを誓う(聖教新聞・昭和二六年一一月一〇日付)

 「明鏡」とは、弘安二年十月十二日に宗祖日蓮大聖人が御建立あそばされた本門戒壇の大御本尊であり、「向かって」とは、われわれがこの御本尊を唯一最尊の大御本尊なりと信じたてまつることである(戸田城聖全集七ー125頁)

 戒壇の大御本尊は根本の御本尊
 御本尊様は一つしかありませんが、無量義経に分身散体の法というのがあります。この分身散体の法というのは、創価学会を除いて日本広しといえども絶対に説いておりません。分身散体の分け方により種々分けられますが、すべて一閻浮提の御本尊に帰一するのです(戸田城聖先生質問会集二一頁)

 われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺されてある。これは、弘安二年の十月十二日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安二年の十月十二日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。(戸田城聖全集四ー349頁)

 「大白法」とは何か。それは本門の三大秘法であり、就中三大秘法随一の本門戒壇の大御本尊こそ、一切の教典の帰趣するところであり、あらゆる生活、あらゆる学問の根源である(大白蓮華・昭和二四年八月号二頁)

 大御本尊に向って、御本山のしきたり通りの化儀によって、題目を口唱する、その時こそ、口に心に身に御本尊を受持したことになるのである(大白蓮華・昭和三二年六月号一頁)

 この本尊論がまことに大事なところなんです。これが狂ってくると、一切が狂ってくる。ただ、富士大石寺の文底深秘の大御本尊、これより他にはない。これが根本なのですよ。(大白蓮華・昭和三四年四月号九頁)

 大聖人の教えの究極は戒壇の大御本尊
 日蓮大聖人の真実のお教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の大御本尊を根本としたお教えでなくてはならない。この教えは、今日末法においては、富士大石寺にこそあれ、ほかにはないのである(戸田城聖全集三ー83頁)

 日蓮大聖人おおせの、もっとも根本は、弘安二年十月十二日御出現の大御本尊であります(日蓮正宗方便品寿量品講義八六頁)

 大石寺は本門戒壇建立の霊地
 本門戒壇の建立されるべき地を大日蓮華山という(戸田城聖全集七ー69頁)

 創価学会は戒壇の大御本尊を信ずる団体
 日蓮大聖人様から六百余年法灯連綿と正しく続いた宗教が日蓮正宗である。もっとも完全無けつな仏法が正宗なのである。この仏法こそ私達を真に幸福に導いてくれる宗教であることを私達は日夜身をもって体験してゐるのである(中略)
 私達は無智な人々を導びく車屋である。迷ってゐる人があれば車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内して行くのが学会の唯一の使命である。宝の山に入って宝をとるかとらないかはその人の信心の結果であって、たゞ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが我々学会の尊い使命なのである(大白蓮華・昭和二四年一二月号一頁)

 日蓮正宗の教義を弘めよ
 日蓮大聖人以来の正しい歴史と教義を、世に弘めるべく大いに努力しなければならない(戸田城聖全集六ー404頁)

 戒壇の大御本尊を信じよ
 なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。今後も、できるだけ多くの会員を登山させるよう、計画を立てたいと思っている(戸田城聖全集三ー490頁)

 絶対の幸福をうるためには、一閻浮提総与の大御本尊様を拝む以外に道はない(戸田城聖全集四ー78頁)

 私の願いとするところは、この弘安二年の十月十二日の大御本尊様を信ずるということです。しかし、理論がわかっても、わからなくてもいい。だんだん、そのうちにわかる。絶対だということがわかる。この日蓮正宗の哲学ぐらい、きちんとなっているものはないのです(戸田城聖全集四-350頁)

 世の為人の為に富士大石寺にいます「大御本尊」を一人にでも多く授けたいと努力するのが即ち折伏と言ふのである(大白蓮華・昭和二六年六月号二頁)

 当門に於いて観心とは受持即観心と云って弘安二年十月十二日の一閻浮提総与の大曼荼羅を余行もまじえずひたぶるに信心し奉る事である(大白蓮華・昭和二八年一二月号巻頭言)

 現代に於ては時刻相応の教と云うならば、富士大石寺にいます一閻浮提総与の御本尊を信ずる事である。大聖人の御命たる大曼荼羅を信ずる事でありその大曼荼羅中の極説中の極説たる弘安二年十月十二日御出現の総与の御本尊こそ真の民衆救済の御本体であらせられる(大白蓮華・昭和二九年七月号巻頭言)

 大聖人は実践方法として、弘安二年十月十二日の大御本尊を中心として、これに南無することによって、一切の悪い宿業が消えて、よき宿業が生まれるのであると結論されたのである(大白蓮華・昭和三二年一〇月号一頁)

 大聖人様は三十二の御年に、南無妙法蓮華経と、清澄山でお唱えあそばして、二十七年で、今のお山の大御本尊様を、御建立なさった。それが十月十二日です。その大御本尊様を、われわれは拝んでいるんです。(中略)『余は二十七年なり』とおっしゃって、おしたための御本尊様こそ今の奉安殿の御本尊様であらせられるのですぞ。御立派なものですよ。あの大御本尊様を拝んだら、生命が延びるとまで、いわれているのです。立派な大御本尊です。そりゃ、拝まにゃわからんぜ。拝んでもわからんかも知らん。聞いてもわからんかも知らん。ただ無二の信心で拝すべきです(大白蓮華・昭和三二年一二月号三頁)
 
 御本尊書写の権能は御法主上人にある
 大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ(大白蓮華・昭和三四年七月号九頁)


 この他、創価学会、牧口初代会長、三代池田大作、が、その当時から、学会草創期は、「大御本尊」賛美を、繰り広げていたが、途中で、池田が脱落して、反・大御本尊へと回った。

 三代会長を至上永遠の師匠とする創価。その三代とは、牧口、戸田、池田、の三代を指すのか、第三代会長池田大作個人のみを指すのか、果たして疑問だが…。

 ついには、更にと言うか、第六代会長原田稔は、
「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」
と、聖教新聞紙上にて、平成二十六年十一月八日号にて、宣言した。

会則改変に関する原田会長の説明(聖教新聞・平成二十六年十一月八日付)
 「創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
 したがって、会則の教義条項にいう『御本尊』とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。世界広布新時代の時を迎えた今、将来のためにこのことを明確にしておきたいと思います。」(前後の文、及び、挨拶部分および前文省略。「大御本尊」部分のみ、要文抜粋。筆者による。) 

(資料:大御本尊への信仰を捨てた創価学会をただすー矛盾のスパイラルにおちいった創価学会ー、編集・日蓮正宗宗務院、発行・KK大日蓮出版、の著作を参考資料とした。作者、私、wainai123753、による。)

※編集後記
 「世界広布新時代」って何?「大謗法の地」とは何処(いずこ)か?邪教・創価学会のある、東京新宿信濃町が、「大謗法の地」というならば、かなりの確率で、判る。しかし、日蓮正宗御宗門、大御本尊の在る土地、総本山富士大石寺を、そう呼ぶとは、不見識、無礼、失礼、不躾極まりない。そうは思わないのかね?池田サン!創価学会の皆さん!
 池田田吾作が、全てを命じたが、その張本人が、どこへ隠れたか、雲隠れ状態じゃあ、責任の詰めよう、取りよう、責任の所在が、ハッキリしないわな。
 この、現在の創価学会の現状、現在の全てを生み出す元凶となった、池田氏が、ハッキリしないと、こちらの、日蓮正宗としても、なんとしょう、如何(いかん)とも出来ずに、ただ時間の浪費となる。
 早く、池田氏は、雲隠れ状態から脱して、早く身元を明かして、ハッキリとした、自身の学会員を指導するなり、何か、言いたい事共を言うなり、何とか方法があると思うのだが、それも、幹部の厚い壁に阻まれて、意見も通らない。
 よって、選挙での、邪政党公明党、も、山口那津男氏が、永遠に党首に君臨する如くに、十何年も前に池田氏に指名されて以来の、マンネリ化をしている。
 最近の、創価学会、公明党も、元気がなくなったと、よーく、聞くし、方々で聞かされる。もう、それら組織自体が、そこにいる人種自体そのものも、時代遅れの感も拭えない。
 今時、創価や公明やって、活動してますなんて、じゃあ、その大元締めの、池田サンは、どうしてるの、と訊かれても、何にも答えられない。幹部の言う通り、お元気にして居ります、じゃあ、ウソをついているようで、実体が判らないだけに、自身も不意に不信感を懐く。
 私は日蓮正宗信徒として思い、問いたい。この後の、池田大作Xデーの日が来たら、それを機に、時間が経つにつれて、今までの建前を外して、池田死去の報を聞いた学会員の中からは、「一応の義理は果たしたのだから」との、大量の脱会者が出て来るのではないのかと。内部崩壊が始まるのではないのかと。そうなり得るのではと思い致している。
 それ程の求心力が、魅力が、今の創価に果たしてあるのかと?内部にいたって、損する事ばかりではないのか?いるだけ損ではないのか?
 戸田先生逝去後の、当時の創価学会と、今現代の池田創価は、理念から、その生い立ち、お金の集め方、信者の取り扱い方まで、真逆になっている。今の扱い方は、信者に対して、最悪ではないのか?とても、一人を大切、大事にする創価、とは言えまい。創価得意の、互助会的制度も、超高齢化、官僚化ビューロクラシーにより、消滅化している。
 果たして、どうなるか。Xデーも、いつになるやら。高みの見物。左うちわで、事の移り変わりを、世の趨勢を、私としても、かつて創価学会員だった、ケジメとして、一つの成り行きのきっかけ、結論、落とし所はどこか、どこがどうなんだと、どうなるんだと、まじまじと、見詰めている。
 分派分裂的行動等も、創価自身、有り得るかも知れぬ。今はどうなるか。海のモノとも、山のモノとも、判らないが。
 そこが日蓮正宗信徒としての、着眼点、注目、耳目を集める、一つのところ、といった所である。(一種の野次馬根性的色彩も、一つの、一人の人間、悪党、巨悪の最期を見たい、という、結果を追い掛けてみたいと言う、願望も手伝う。敵対する謗法の中の大謗法の、悪徳宗教団体の邪教・創価のトップの生死、消滅が味わえる。正宗信徒にとれば、一種の仇討ち、壮大なる、悲劇の終焉、ドラマの最期・終幕、エンターテイメント、お祭り、ともいえる。言っちゃ悪いが。それだけ、見苦しくも、張本人のえばり腐った彼、池田氏本人には、こちら側もあちら側の人間両方共に、巻き込まれ、ぐちゃぐちゃ、ぐだぐだにされて、悲惨な戦いを強いられ、付き合わされた、多くの人を不幸に突き落として巻き込んだ、ただ、その結末の、責任を、彼にはとってもらいたい、絶対に。それだけです。言いたかった事は。皆、誰もが、それらを、金輪際、終わりにしたいと、本来ならば、人の心を持っている人種ならば、必ず、思っている筈ですよ。)。

以上。よしなに。wainai

戸田先生は、元々慈悲深く、優しいお方。池田の出る幕じゃない

2023年07月24日 06時51分54秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 以前、私が創価学会員だった頃、創価の幹部たち、本部の、どこだか、聖教新聞だか、ネットの情報だかで得た話は、戸田城聖創価学会第二代会長は、それはそれは、怖ろしい方であり、池田先生が、その、戸田先生が、瞬間湯沸かし器の如くに、怒れる方であり、後の池田会長が、その防波堤となり、私達、まわりの幹部の学会員を守って下さっていた。というのは、けれども、それはポーズであった。池田センセーは、誰よりも、戸田先生の薫陶を受け、事実上の、相思相愛の師弟関係にあった、というのも、デマ、であり、私などは、創価自体から吹き込まれていた。
 そもそも、それは、池田自身の素行の悪さを、戸田先生は指摘し、その悪辣な、権威にも平伏(ひれふ)さない、池田の傲慢さを、戸田先生は、第一番に、御注意なさっていたのだ。
 それを、池田がまるで、私達、一般学会員や、幹部を守って下さった、などの、尾ひれがつき、池田賛美には、格好の話題作りなのだろうが、いっつも思うのは、創価学会では、必ずと言っていい程、事実を捻じ曲げる根性、根っこがあると思う。
 それだけの、池田の当時の素行の悪さは、戸田先生の目にも余る程のものだったのだ。創価学会の正史では、池田と戸田先生の師弟関係がクローズアップされ、それをその関係を、元の私達会員や、一般学会員にまでも、大風呂敷を敷き、敷衍して、真似をさせよう、という、訳が判らないこの感覚。
 池田は、自画自賛して、戸田先生の直弟子、愛弟子を自称し、皆に吹聴するが、実体、実際は、本当の戸田先生の後継者の目途(もくと)は、後の公明党委員長になる石田幸四郎氏の兄弟の、石田次男氏にこそあったと言う。しかしけれども、石田次男氏は、学究肌であり、教学では誰よりも抜きんでていた。しかし、戸田先生程の、カリスマ性、指導力、人望が無かった。そこを、戸田先生死去後、池田大作氏に、皆、いいように持って行かれた格好、形となってしまった。
 池田大作名義の小説・人間革命で描かれる、戸田先生と、池田大作こと、山本伸一青年の、あの、師弟愛、師弟関係は、まるっきりの、大ウソ、信じる方がバカを見る程の、信用が全くできない、出来損ないの小説だったのだ。
 私は、全十二巻を全部読み、今度は、新人間革命にまで、第六巻くらいまで読み耽ったが、文体が、旧人間革命と、新人間革命では、まるっきり、全然違う。これは読みづらいなあ、とは思うが、洗脳の為せる業、池田先生の書いた、ものした書物だからと、しばらくは読み耽っていた。
 けれども、その内、その、「新人間革命」からは、私は自然と遠ざかった。何か、嘘くさいのである。自然と、噓だと判るのである。
 この、執筆者が、前回の、旧人間革命と、新人間革命では、書き手が変わったな、との、現実を、突き付けられる思いがして、何故か、それ以上、読み進める事が出来なくなった。
 その後の、急転直下の、私の、今から、六年前の、日蓮正宗帰依、帰伏であった。
 私は、創価のタチの悪い、何でもウソで塗り固める、信じる者達だけの「お花畑」の世界観には、もう、ついてはいけなかった。ウソはもう、止めて欲しかった。
 今は、日蓮正宗の信仰、信心に励み、学会のウソを、手に取るように、第三者の目をも持って、正宗側の言い分を聞くと、成程、学会はウソつきだ、まあ、ボタンの掛け違いも多少あったが、悪いのは全て、学会じゃないか、との念慮を深くした。
 余りに意図的なのである、創価学会は。この嘘つき体質は、この団体が、解散し、粉々に組織がぶっ壊れて、この地上から無くなる日が来るまで、その悲劇、惨劇が、これからも続いてゆくのだろう、と思うと、身震いというか、空恐ろしさ、この世の地獄を見たような、その一般会員の、池田をトップ、頂点として、幹部に至るまで、それから、それら、末端会員達の、末路、後生は、どうなるのだろうか、との、疑問点、不審点、とにかく、胸騒ぎがしてならない。
 話しが冒頭に戻るが、戸田先生は、創価内で言われた程の、コワい方ではないよ。本当に優しく、慈悲深い御方であったよ。
 それを、池田大作の目、姿勢、姿かたちから見詰めるから、こうした、誤解が浮かび上がって来るんだよ。
 池田の、個人的な、戸田先生への、本当は隠しておきたかった、うらみつらみも、勿論あるのだろうけれどもねえ。

 ともかく、日蓮正宗御宗門を裏切った時点で、創価の賞味期限は、ついえた。今までの善行、功徳は、全て、消し去った。それ以降の、創価のやりたい放題は目に余る。とうとう、「新興宗教・創価学会」の旗揚げ、「池田教」の確立、宣揚が、ここにきて、現実となり、今はその、エンジンのぶっ壊れたか無くなったかの、飛行機か自動車が、墜落か交通事故か、暴走飛行途中途上の、その後の落ち着き所はどこなのか?悪辣な教えを振りまく、害悪宗教、現時に於ける、大それた、最もやってはいけない、日蓮正宗御宗門に盾突く悪徳謗法団体、謗法の中の大謗法が、池田創価学会なのである。
 そういった、悪行、悪徳な行いが、最期、どういった結末、末路を辿るか、日蓮正宗に矢を向ける等、これは、この世の掟、最大限の、最もやってはいけない事共を、実際に実行に常に今現在移している創価学会の、その後の発展などは勿論望めずに、ただひたすらに、没落の一途をたどるのは、火を見るよりも明らかである事に、今現在も学会員である人々は、心して、聞きなさい。
 「ただ、後生を畏れよ!」

以上。よしなに。wainai

創価学会よ、人をバカにするな、人を見くびるな!

2023年06月21日 07時54分33秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私は、去年、おととしから、母の仕事仲間だった、今年で八十をとっくに越した、高齢女性を折伏していた。
 それで、私が去年、(任意)入院した、と私から正直に言うと、それ以来、彼女の方から、私を憐れみ、私に、何と、私が日蓮正宗の書物や新聞を手渡そうとすると、自身の、創価の出版物、新聞等を、後ろ手に忍ばせて、あなたも可哀想に、と実際に言って、私にそれら出版物を、渡そうという気苦労を、彼女、母の元同僚は、何ともしているらしいのだ。
 私は、今現在も、創価が、そうやって、「仏法対話」なる、何にもならない、むしろ害悪としかならない、ムダな悪あがきをしているのを、逆にこちらが可哀想に、何にも判っていないんだ、と判じているのに、何ら恥じる事無く、それら行動をとる、この女性も、どうかしている、と思わずにはいられなかった。
 創価が、立派に、日蓮正宗の、本物の仏法を頑なに信ずる人に「仏法対話」?私は、聞いて呆れてしまった。
 逆だろう。こちらが、飽くまで、指導をする立場であり、従うのは、創価側である筈だ。それが、この女性は、創価が主で、日蓮正宗が従、だと思って信じ込んでいる。
 アホくさくて、話にならない。相手は真面目みたいだが、私は、この家に、折伏に行くのも、気が滅入ってしまい、もう、行きたくは無くなってしまった。
 後は野となれ山と成れ。もう、この一家は、私は知らない。勝手に創価の、新興宗教ごっこをやってろ、としか言えない。
 新興宗教・創価学会。その深淵を覗くと、おぞましいまでの、気持ち悪さ、気色悪さが、私共の心持ちに深く残る。
 創価だけは、私は、イヤだ。気持ちが、気色が悪い。こちらの気分まで害して、悪くなる。あの、池田大作の、肥満体質、傲慢体質。裸の王様の如くの、まるで豚の様な醜い体型が、それら全てを物語る。
 あの団体だけは、信用が成らない。決して許されない新興宗教政治屋団体だ。
 
 問答無用で、それら団体の、勧誘は、断る。お断りする。私も、見下げられたものだ。

以上。よしなに。wainai

※編集後記 ~今日の決心、発心。
 だが、宗祖日蓮大聖人様の御金言「懲りず候」であり、創価であろうとなんであろうと、折伏の火を絶やさず燃やし、むしろ、水の信心、プラス、水に、火を混ぜた、「お湯」の信心、日亨上人様の御説の通りの、折伏弘教を、大々的に実践して、こんな程度の妨害には、決して屈せず負けずに、心は高みから俯瞰しつつ、同じ土俵には決して立たずに、むしろ、教導、教え導いてやる立場がこちら側、日蓮正宗僧俗一同である事を肝に銘じつつ、これからも、諦めないで、折伏してゆきたい。「懲りず候」!
 
以上。wainai

創価はヤバい、マズいですよ!

2023年05月06日 14時28分36秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 創価はヤバい、マズいですよ! (wainai123753)
 2022-10-25 06:46:57

(或る方のブログに寄せたコメント。もう、半年以上、記事も更新されず、御返事が全く無いので、自身、諦めて、改めて、ここで、自身のコメントの主義主張として、コピペ、コピーアンドペーストして、載せる事にする。自身の、創価への自戒と、その創価自身の間違いへの警鐘として。)

 私も、三毛猫さんと同じ立場で、
 創価は、邪義邪説邪道邪法邪教の邪師、池田大作さん、そもそもの話、牧口(常三郎・初代会長)さんから、初期の時代から、そもそも間違いから出発していった、こう私は個人的にとらえて居ります。
 戸田第二代会長は、立派な方です。この方は、御宗門に多大なるご尽力、素晴らしい卓越した御教示、大なるカリスマを発揮し、昭和二十~三十年代初頭を、あっという間に駆け抜けてゆきました。
 問題は、この後、二年の空白期間を経て、権力闘争を経て、ジャジャジャーン、池田さん登場です。
 相当、宴会をぶち上げたりして、当時の大幹部をもてなしたり、自分が気に入られる為に、あの手この手で、誑し込んだのでしょうね。
 人心掌握の池田さん、当時、武闘派で知られた池田さん、当時の幹部は、三十台の若き池田大作さんに魅入られてゆきます。
 というより、これだけ、カネかけられて、下手したら、自分もこの池田某にいじめられかねないですから、権力を握ってゆく池田氏には、誰もがイエスマン、文句も言えなくなる雰囲気です。
 この二年間を、戸田先生亡き後の二年間を、小説の「人間革命」では、実に美談で師弟の絆を語るが、実際は、あれは、あくまでも、「小説」創価学会のまるっきり本当本物の「史実」ではない訳です。
 相当、脚色され、美談話に勝手に盛り、盛り上がった、勝手気ままな、今ではそちらの方が、真実の、客観的に見た史実の方よりも、池田センセーの手柄話に、会員たちは拍手喝さいを送る「正史」となり、されて居る、現今です。
 でもねえ、学会員さんたち、あなたがた、この、美談で持ち上げられた、巨大な、誇大な妄想とも言うべき、言わば、作り上げられた世界、学会員だけのお花畑の世界、学会員御用達ファンタジーの世界、全てが、「想像」「捏造」「偽造」「偽物」の世界だと言う事。
 これが、まだ、ノンフィクション、リアルで現実的な、ルポルタージュの、鎌田慧さんや、これはもう知の巨人、立派な方で、立花隆さんだったら分かるんですが、
 まるっきり「偽」「嘘」の世界ですからね。
 噂によると、旧人間革命を書かれたのが、どこぞの出版社社長の、篠原善太郎さん、この人であり、だから、新人間革命とは、文体も、文章の構成も、何もかもが全く違う印象でした。
 これも噂ですが、「新」の方は、聖教新聞ライターチーム、元々出版関係に明るい、書き物の得意な方々が書かれているとかいないとか。
 篠原氏、篠原さんは、旧人間革命執筆後、もうとっくに御存命ではあられないですからね。

 これを、これは、これが、池田大作さん、彼もカリスマだけはある人だったが、あの人一人で、ここまで、旧革命十二巻、新革命三十一巻、本当に自身の手で、実際に書けたのでしょうか。晩年は、十数年間以上、公の場には姿を現しては居りません。
 この整合性の取れない付かない、矛盾だらけの膨大な書物、一体、誰が読むんですか?読むとすれば、狂人の沙汰、域ですよ。金と時間と手間、労力のムダ、です。(ハッキリ言えば、産業廃棄物、産廃と同じ扱いです。)

 読むだけで、頭がおかしくなる。私は、旧は全十二巻全て読みましたが(あの豪放磊落な、戸田先生がまるで主人公でしたからね!)、新は、たしか、六巻か七巻までで挫折致しました。新は全二十何巻までは揃えては居りましたが。
 それら全てを、私の場合、福島県郡山市にある、日蓮正宗のお寺、無量山寿海寺に、その他、邪宗邪教の手の染まった、キリスト教の旧新約聖書全一巻を、三冊も四冊五冊も、新約だけで二、三冊(註・実際には十冊近く。)、キリスト教はこの他にも、祈りの本、キリストは十年近くやったから邪教の害毒で沢山の本をこのお寺で処分した。その他、禅の本、臨済録、鈴木大拙の本類、他、浄土真宗歎異抄、伝統宗教が多かった。
 その中で、一番を占めたのが、私の場合は、新興宗教教団の創価学会系列の出版社による、出版物の類であった。
 ゴルバチョフとの対談、松下幸之助さんとの対談、世界中の博士との対談、対話対話、と、まるで、仏教仏法の安売り。しかし、その中では、ちっとも池田さんは、仏教の話なんか、ちょこっとしか出てこない。何じゃこりゃ、の世界。
 一番多かったのが、創価の本。この、無造作に、ただ乱造に、腐る程集めた所業、罪業罪障に、只今の私は、深く怯え、怖れ、コワい、助けて―と、祈るような気持ちで実際に、今は祈っている。

 日蓮正宗の、富士大石寺奉安堂に厳護された、七百五十年、八百年の伝統を保持し、実際に大聖人様が御建立遊ばされた、三大秘法の戒壇の大御本尊様に、今はコロナ禍で中々、まみえず、お逢い、お慕い申す事が叶わないが、(行ける人たちは今でも行ってるが)、是非とも、最低でも、一年に一度は、せめて御戒壇様には、御目通りが叶うよう、自身、立派に信心してゆこうと決めている。

 何が、創価であって良かったのかは、自身、さっぱり判らぬ。
 ただ、そこで受けた、集団教育、池田さんの世界文学者・世界哲学者の話、等々、冗長には過ぎた。
 しかし、中には、非常なヒマつぶし、私の人生の反省に於いては、多少は、文学、哲学の素養には、中には、万に一つでも、役立つものがあったのかな、程度である。
 それも皆、池田さんの自分の趣味の世界、域を出ず、毎回、衛星中継(同中)ではけむに巻かれたが。

 しかし、当時は健康健在だった(今も車いすで施設で非常に元気だが)母と夜行った、夜中の母の車運転の同中は、最高に楽しかった。母と一緒の同時体験がそうさせたのは言うまでもないが。創価の異常性は、相変わらず、であったが。
 ここに、母との体験上の、思い出話等で、良い思い出として、この文の幕を閉じたい。

以上。長文失礼。よしなに。wainai

創価学会が、人生の、最終形の、究極、極説では全く無い。日蓮正宗御本『諸宗破折ガイド』と共に、語り尽くす。

2022年12月21日 07時40分44秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 私は、以前は、創価学会員であって、創価学会を大々的に信奉していた。それは非常に(財務以外は)熱心な信徒であった。書籍はほとんど手に入れて、自ら、創価学会の教え、教義は身に着けていた。だから、その信者、学会員達の気持ちは、痛い程、分かる積りだ。

 創価学会の文化会館で行われる同中(同時衛星中継放映)の時は、喜んで馳せ参じて、母と一緒にその場で、池田大作さんの最後に出て来る学会指導を、今か今かと待ち続け、その、池田さんの説法の間は、私などは、ずーっと正座で居て、足がしびれても、池田さんの話を聞き続けた。

 私は、書籍は、旧人間革命全十二巻を読破し、何度も何度も読み返した。勿論、新人間革命も。池田会長の、著作はほとんど、目を通し、読んで感動もしたが、後に、それら池田さんが書いたものは、すべて、学会聖教新聞記者や、旧人間革命などは、篠田善太郎さんという、或る書籍出版社社長が書いた、代作書物、皆が皆、ゴーストライターが書いた、嘘っぱちだと判る日が来る。

 しかし、或る時、創価の座談会に出た時、ある婦人部の、私より十歳位上の方が言っていた。「この信心しかない。この信心が、世界でも、日本はもちろん、絶対に真理で、他はみーんなニセモノ。偽信心。これが最上の、最終形の究極の宗教なんだわ!」と。

 私もその時は、確かにそれに賛同する気もあった。そう私も信じていた。その時を限りの場面に於いては。創価は世界に百何か国も広まり、日本最大の宗教団体と、自他ともに認め、政界には、公明党という、心強い、我ら創価学会員を応援してくれる、政治家たちが大挙して国会に今も集い、今では、天下の政権政党、自民党とも手を結び、「自公政権」として、政権与党とまでなって活躍してくれている。

 それに比べて、旧宗門、日蓮正宗、日顕(上人)宗は一体なんだ、C作戦で、我々学会員や、池田センセーをカット(cut)して、平然としている。今では、学会が八百万余世帯なのに、日顕(上人)宗では、その十分の一にも満たない。情けない宗門と、池田会長の世界からの顕彰、表彰され、大学教授資格受賞、一杯勲章などもらっているのを、妬み、嫉妬に狂った日顕(上人猊下)。

 とそれは、それは、モノ凄い勢いで、昭和の頃の、あの、創宗和合の、麗しい、素晴らしい日々を、創価学会自らの手でぶち壊し、打ち壊し、破壊、破戒、破滅、残滅して、残虐の限りを尽くして自ら亡ぼし焼く尽くした。

 決して、創価は、「宗教界の王者」などでは全く無かった。無慙なまでに、それらは、嘘と偽りに満ちた、欺瞞の言説に他ならなかった。

 創価は、実際は実数が少ない。八百万信徒というのも実態を無視し、実数は、およそ、二、三百万人位が信者の実態であろう。神社本庁が、日本人口、一億二千万、一億一千万の内の、五、六、七千万人が、神社神道の、信者、神道なのである。創価学会など、この国内ですら、その後塵を拝する以外に全く無い邪宗教教団・弱小教団である。神社が果たして本来の、本義の宗教に値するのか、只の形を借りた儀式儀礼ではないのか?という問題はここでは置いておいて、話しを抜きにする。(神社神道も、神社の周りの街の総人口を、そのまま、氏子としてカウントしているので、実数・実態は全く度外視・無視されている)。

 大体、創価が世界宗教だというのもどうかしている。創価の世界広布など、全世界百万人かそこらだろう。そんな数、世界大宗教の、キリスト教カトリック・プロテスタント・東方正教会、イスラム教、ヒンズー教なんて言ったら、それこそ、何億人、何十億人が信仰する、モンスター・怪物級の大宗教教団群ばかりである。

 そんな、何百、何千分の一の、弱小宗教が、創価の実態である。

 第一、創価の折伏など、昭和四十年代で、終わりを告げている。彼らは、決して折伏などは、しては居ない。もう、彼ら、創価の、折伏の季節は、終わった。

 何故か。丁度昭和四十年代中頃、出版言論妨害事件というものを、創価は犯す。それに対して、世の議論が沸騰して、創価が大々的に叩かれる。

 それに対して、創価は、「折伏」という言葉を封印して、「仏法対話」なる、軟化路線を打ち出し、創価の折伏行、破邪顕正の、破権門理の、自行化他に亘る折伏教化弘宣の行為、即ち、広宣流布という、それらを目指した一連の一大行動は、この時、終わった。

 それ以後は、会員は、爆発的には増えずに,昭和以降、ジリ貧、横ばいが続いたままである。

 創価にとり、昭和時代の、あの、第二代会長戸田城聖先生から空白の二年の後、その、戸田先生が築いた、盤石な折伏体制に、自身、権力闘争に打ち克ち、周りの幹部たちを金や女で誑し込み、只で乗っかり、自身の権威権力を確立した、青年・三十代の池田大作、その人が、後は、地獄の創価の苦しみへと、創価を暴走爆走自爆運転へと、やがては導いていく。

 つまり、創価学会とは、昭和四十年代の、あの頃の爆発的な会員の増加を見たが、それ以後は、極めて大人しくなり、こじんまりとした邪教団となったに過ぎぬ。数は、その頃のまま、日本の広宣流布など、この団体には、手には負えない程なのかと勘繰る程の、やる気の無さである。

 かつて、日蓮正宗御宗門第六十六世日達御法主上人猊下様の当時の御指導では、およそ、日本人口の三分の一、三千万?位の人々が、日蓮正宗・創価学会(当時)の真剣な真面目な信徒になった時点が、日本一国広宣流布の時、時代だ、と仰られて居った。それに、全然、足りてはいないではないのか?

 創価は、今では、全く、「折伏」に身が入らずに、今までの創価自身の古株の教団内の会員たち、今までの馴染み客相手に、今まで通りに、その宗教内においてのみの、囲い込み・宗教ビジネス・商売をしているに過ぎぬ。

 言ってみれば、只の、時間つぶし、金つぶし、労力つぶしの、三ない尽くしの、やってられない、目も当てられない惨状が、創価の真の実態である。

 やるだけ、やってるだけが、ムダばかりなのである。無駄しかない。

 ほとんど、宗教というよりも、政治団体か、何か得体の知れない、人生修養団体、新興宗教の類ではないのか、全くの話が…!!

 これでは、組織が上意下達、トップダウンの、官僚制・官僚主義ビューロクラシー、管理主義、文書主義、権威主義、形式主義、秘密主義、縄張り主義(セクショナリズム)、事なかれ主義、法律万能主義等々、組織内の硬直化、今現在も突き進む少子高齢化により、人々は組織の歯車に過ぎず、疎外感を増し、やがては主体性も失くしてゆく。

 この創価学会という団体、邪教団に、絶対に未来などは全くと言っていい程、有り得ない。

 それもこれも、全ては、あの、創価学会第三代会長・名誉会長・池田大作の、過てる指導の結果、結論、独裁、直裁、裁断、裁量の全てが間違えていたからだ。池田の指導が全て、狂い、間違えていたに過ぎぬ。

 それを、あの男、池田は、昭和の頃から、一切の自覚の有る、意図的に、野心野望を持って、既に画策しつつ、いつ断行するか、いつ実行するか、と、自分自身に誓い、次第に宗門を裏切り逆恨みに思い、会員を振り回し、日本一国に、我が独立国家「池田王国」の実現、自身が大魔王・国王・国主になる日をいつ来るかと、手ぐすね引いて、待ち構えていた。

 今の創価員たちは、宗門が良かれと思って教導して来た事などを聴く耳も持たない、そんな、池田の個人的な逆恨み、私怨、怨恨、怨嗟を、池田に成り代わって、代理の戦争・闘争に明け暮れているが如くの、全くの時間のムダ、生産性のない、非情な論理で池田の操り人形になって居るだけである。

 それら謗法は、以前、平成の頃から、噂では上がって来ていた。平成二年に、池田さんが、「謗法スピーチ」、というのをやったのだ。

 (実際は、「昭和五十二年路線」という大謗法を、昭和の頃・時代に、トップの池田大作が行い、それも酷い話なんだが、後に日達御法主に特別に許されて、「お詫び登山」という形で幕引きした事件から、尾を引いていた。そう、それ、自身が、日達猊下様に謝らされた事が、後の積年の恨みつらみとなり、それが、日達上人亡き後の、猊座に登られた第六十七世日顕上人猊下様による支配下に於いて、池田が又、暴れ出す始末・所業に至るのである。池田曰く「オレの十年後を見て居ろ、見て見ろ、絶対に許せねえ!!あの坊主共めが!!」これである。元々、池田には、御宗門との確執、個人的な意図的な、勝手気ままな恨みつらみ、全ては自身が悪く、全てが私怨、逆恨み、個人妄想に基づく、精神異常者の狂った者の様なのの権化の塊が、池田さんと言う事の謂れの、実際、事実上の話の全てである)(まるで、オウム真理教の如くの、情けない新興宗教・洗脳教団が、今の、創価学会である)


 <平成の分離独立路線>
 平成二年一一月一六日、池田大作は全国の学会員に対し、衛星放送を通じて、法主上人への誹謗と宗門蔑視のスピーチを行なった。その内容は、
 「猊下というものは信徒の幸福を考えなきゃいけない。権力じゃありません」
 「五〇周年、敗北の最中だ。裏切られ、たたかれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ」というものだった。
 (これ以外にも、猊下の話は、ドイツ語みたいに難解で、何言ってるのか、さっぱり分かんねえんだ、など、謗法路線を敷いて、歯を剥き出しにし出したのは、創価学会側が、最初であり、当初から、宗門に立てつき、歯向かっていった。)
 これら発言は、法華講総講頭(昭和五九年再任)にあるまじき発言であるばかりか、「お詫び登山」(昭和五三年一一月)に於ける反省懺悔の言辞を全て反故にするものであった。

 <教義・信仰の逸脱>
 平成三年初頭から創価学会は、全組織を挙げて法主・宗門僧侶への誹謗・中傷・嫌がらせを開始し、日蓮正宗の信仰の命脈である下種三宝や血脈相伝の否定、僧侶不要の友人葬の執行など、日蓮正宗の教義・信仰から大きく逸脱する謗法を犯すに至った。
 これに対して宗門は、日蓮正宗本来の信仰姿勢に立ち還るよう訓戒を重ねたが、創価学会はまったく聞き入れず、さらに宗内に対する誹謗を繰り返した。

 <宗門から創価学会への解散勧告と破門>
 謗法行為を重ねる創価学会に対し、平成三年一〇月、宗門は「通告文」を送って強く反省を促したが、学会はこれに反発し、法主上人及び宗門に対する誹謗・中傷をますますエスカレートさせた。
 そこで宗門は、もはや創価学会は本宗の信徒団体として認められないと判断し、同月二八日、海外組織である「SGI」とともに「創価学会」を破門した。これは、あくまでも組織そのものに対する処置であり、個々の会員については日蓮正宗信徒としての資格を残す、というものであった。

 <池田大作の信徒除名と「ニセ本尊」作成>
 創価学会は勤行時に於ける観念文を改変し、独自の過去帳を作るなどして、独立路線を露わにしていった。そこで、宗門は、実質的責任者である池田大作個人に対して、弁疏(べんそ)の機会を与えた上で、平成四年八月一一日、信徒除名に付した。
 翌年、九月七日の本部幹部会に於いて会長の秋谷は、浄圓寺(平成四年一一月一二日に日蓮正宗より離脱)所蔵の日寛上人の御本尊を、コピーして会員に授与する旨を発表し、ついに創価学会は『ニセ本尊』を販売するに至った。

 <創価学会員の信徒資格喪失>
 宗門は創価学会の組織破門より約七年後の平成九年九月三〇日、「宗規」の一部改正を行い、「本宗の檀信徒が本宗以外の宗教団体に所属したときは、その資格を喪失し除籍される」こととした。そして二カ月の猶予を設けた同年一一月三〇日を期限とし、創価学会にそのまま籍を置く者は信徒資格を喪失する旨、学会員に通告した。しかし学会は、会員がこれに応ずることのないように指導し、ついに多くの会員が日蓮正宗信徒の資格を喪失し、除籍されるに至った。これによって創価学会に所属する会員は、すべて日蓮正宗とは無縁の身となった。

 <「会則」「規則」の改変>
 創価学会は、平成一四年三月に「会則」を改変し、それを受け、文部科学省の認証を得て「規則」を変更した。その内容は、本尊や教義の裁定はすべて会長が行い、実質的には池田大作を「永遠の指導者」に定めるというものであり、本来、日蓮正宗の信徒団体として認可されながら、日蓮正宗と完全に分離した集団に改変するものであった。
 かくして創価学会は、日蓮正宗とはまったく無縁の新興宗教集団となったのである。

(『諸宗破折ガイド』大日蓮出版発行。p162~164、参照、引用。一部、字の改変あり。()括弧書きで、私独自の言葉挿入あり。一部省略箇所あり。これら水平線以後、後半の全て日蓮正宗の御本「ーガイド」大文字表題の引用以降文章になり、よる。より、前半、水平線以前のみは、その全文(前文・上文)は、私自身個人独自の著作、見解、文章群発表論文論説記事による)

 以上。よしなに。wainai

創価学会からの脱出 連載 第79回 機関紙 『慧妙』

2022年08月18日 07時56分29秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
学会には陰口と愚痴が渦巻いていた
破門後の学会に入会して見た現状
総本山塔中・理境坊所属妙観講 星 紀子(東京都青梅市在住)

邪宗遍歴を経て、破門後の学会に
サークル活動の様な入会の手順

 私は、邪宗まみれの家に生まれ育ちました。代々の宗旨は真言宗で、家の中には大日如来と神棚があり、庭には稲荷と金毘羅が祀られ、その上、祖母が立正佼成会を熱心に信仰していたのです。
 当然のように邪宗の害毒は私の人生を蝕み、若い頃からずっと、常に精神的に張り詰めたようなストレスを感じ、また、タチの悪い男性と付き合った事で一日中、働き詰めの生活を十五年も続けなくてはならなかったり、さらにまた、他人に騙される事も少なくありませんでした。
 そのような心身共に疲れ果てた生活の中、今から二十年前の四十二歳の時、乳がんのステージ3と診断されて手術を受けました。その十年後に腋窩(えきか)リンパ節に転移が見つかり、放射線治療をしたのですが、その後遺症で右腕の神経がマヒし、更には、鎖骨にもガンが転移してしまいました。
 当時は、不幸の根本原因が邪宗にあるなどと思いもよらなかった私は、日本神霊学研究会や、大山ねずの命(みこと)神示教会、更には統一教会と、次々と邪宗に関わって、重い罪業を積み重ねてしまいました。
 そして、現在の青梅市に引っ越して間もなく、内縁の夫が病気で急死した事で傷心し、家に引き籠っていた平成二十六年四月、高校時代からの友人の妹の強い勧めで、創価学会に入会してしまったのです。
 入会の時の事は今も覚えていますが、学会の会館のロビーで入会の用紙に記入した後、仏壇のある広間に連れて行かれました。その広間には学会員が二十人位待ち受けていて、手作りの「入会おめでとう」と書かれたポスターみたいなものと花束で歓迎され、仏壇に向かって唱題しました。まるで何かサークルにでも入ったかのような賑やかさで、それが創価学会の入会の儀式だったのです。
 その際、学会版の本尊(ニセ本尊)を渡されて青梅市の自宅に持ち帰った所、地元青梅市の幹部が来て、唱題しながら御厨子(おずし)に”入仏“し、どういう意味かは知りませんが、「これで、仏様の命が入りました」と言われました。
 その後、学会でいう私の「育成担当」になった人から学会のあれこれをおしえてもらったのですが、勤行は一度も教えてもらったことはなく、別の幹部が一度だけ一緒に勤行してくれたのみで、あとは自分で唱題会等に行きました。

会合のほとんどが過去の録画の上映
学会員同士の陰口やうわさ話にうんざり

 入会後は、誘われるままに、まじめに会合に参加しました。
 まず、月に一度、地域の大きな会館で大きな会合がありました。その時にはビデオ上映のような事が行われ、世界各国の学会員によるスピーチやら歌やら踊りやら……過去の催し物か何かを流すのですが、新しいものは少なくて、二〇〇〇年代前半のものが多かったように記憶しています。
 また、地域の中心者の家で行われる、小さな会合にも行きました。そこでは、やはり過去のDVDを見せられたりして、「池田センセーはすごい!」とか「センセーが歩いている姿を見て、感動して動けなくなった」とか、「車に乗っているお姿を見て、涙が止まらなかった」(編集室註=池田が表舞台から姿を消してすでに一〇数年、これらの話はそれ以前の思い出話と思われる)など、とにかく「池田センセー」という名称が頻繁に出てきました。
 また、個人宅での会合で印象に残っているのは、とにかく愚痴や学会員同士の悪口・陰口が多かった事と、イジメのような事もあって、とても正しい宗教団体とは思えない姿だった、という事です。
 たとえば「○○さんは、また仕事を辞めて、お金を借りに来た」とか、「△△さんは不倫をしている」というような話で盛り上がり、個人情報などダダ漏れ状態です。中でも、「◇◇サンは毎日五時間も唱題しているそうだけど、それだけ唱題してもアレじゃねえ……」という話が出た時は、創価学会の信心ってそんなものなのか、と驚いてしまいました。
 その他にも、「聖教新聞を一人で何部もとって、その支払いが大変だ」と愚痴をこぼす人もいました。
 また、イジメという事ですが、中心者にとって気に食わない人が参加していると、座る場所を何度も移動させて隅っこに追いやったり、会合の終わりに一人だけお茶菓子を配らないといった、じつにくだらない、それでいて明らかに悪意とわかるイジメが、常にありました。
 私は、前述したように、ガン治療の後遺症で、右腕の神経がマヒして不自由になったのですが、それを見て、「あんた、手が悪いんだ、カタワ、か」「障害者は障害者同士で話が合うだろうから、紹介してやるよ」などと心無い事を言われて、傷ついたりしていました。 
 私は、こうした学会員同士の醜(みにく)い人間関係や、人間性を疑うような行動・言動を見聞きするたびに疑惑を感じ、だんだん気持ちが冷めていくのがわかりました。
 また、ガンの病状も変化がないばかりか、新たに直腸ガンが見つかって手術になったり、家の中で急に気を失って倒れ、ろっ骨を二本も骨折するなど、次々と不幸な現証が顕れてきました。今にして思えば、謗法団体の創価学会にいてニセ本尊に手を合わせていたのですから、幸せになる道理などなかったのです。
 しかし、学会では、私のガンが緩やかに進行するタイプだった事で、表面上は元気に見える事に目を付け、大小様々な会合に私を連れまわしては、”学会の功徳だ“として発表させられました。
 
法華講員の訪問折伏を受け、劇的展開へ
初めての登山で実感した功徳

 やがて、学会の異常な体質に嫌気が差して、会合から足が遠のき、徐々に学会と距離を置いていた頃、訪問折伏で回っていた法華講員の佐々木啓子さんが、私のアパートにも来てくれたのです。
 宗教にうんざりしていた私は、最初はまじめに取り合わず、世間話でかわしてはお帰り願っていました。
 ところが、そんな私の所に、佐々木さんは二年間、何度も何度も足を運んで来て折伏してくれたのです。そして私は、令和元年十一月、ついに日蓮正宗に入信いたしました。
 過去に関わった宗教が全て邪宗だった、ということは、理屈では理解しての入信でしたが、それでも宗教に関わってイヤな思いをしてきたトラウマから、余り入り込みたくない気持ちがあり、入信後一年位は、朝夕の勤行もやったり、やらなかったりが続きました。そして、令和三年の一月には、完全に勤行をやめてしまったのです。
 すると、その直後の令和三年の二月、ガンが急激に進行し、家族が主治医に呼ばれる事態となってしまいました。
 その状況を佐々木さんに伝えた所、佐々木さんは、遠方からすぐに駆け付けてくれました。医療関係の仕事をしている佐々木さんは、「厳しい事を言うけど、今回の検査の結果は良くないと思います」と指摘したうえで、「勤行をやめてしまえば、御本尊様から御力を頂けなくなって生命力がしぼみ、自然治癒力もしぼんでしまうのですよ。今度こそ真剣に信心をしていきましょう」と言われました。
 私は内心、たかをくくっていたのですが、佐々木さんから言われた通り、検査の結果は最悪のものでした。超音波とCT検査で肝臓と肺に多発転移が見つかり、いずれも変異した進行の速いガンで、遺伝子治療もホルモン治療も新薬も、何一つ効かないガンに変貌していたのです。
 今まで二十年間、このガンと付き合ってきましたが、こんな最悪の事態は初めてでした。医師は、「とりあえず既存の抗ガン剤を飲んで下さい」と、気休め的に言うばかりで、完全に手の施しようがない状態でした。
 しかし、佐々木さんは、「過去に邪宗に関わった事と、これまでの不真面目な信仰姿勢を御本尊様にお詫び申し上げ、『何としても助けて下さい』と真剣に祈っていきましょう。一緒に頑張りましょう」と言って下さり、四月には日蓮正宗総本山富士大石寺に連れて行ってくれて、初めて登山し大御本尊様を拝する事ができました。
 すると、登山させて頂いた直後から、明らかに体調が良くなったのです。倦怠感が薄れ、薬の副作用も軽くなった事を感じるようになりました。
 私は御本尊様の功徳を実感した事で、やっと、「素直に信心していこう」と決意する事が出来ました。そして、朝夕の勤行を欠かさず実践し、これまでは後ろ向きだった会合参加も前向きになり、五月には御本尊様をわが家にお迎えする事が叶いました。
 さらには、苦手だと思っていた折伏も、積極的にやってみようと思い、家族、友人、知り合いの学会員と連絡を取り、佐々木さんに手伝って頂きながら折伏を進めていきました。
 まず大切な家族からと思い、母を折伏した所、母は入信決定には至りませんでしたが、謗法が不幸をもたらすことは理解したようで、後で、「家にある謗法物を全て処分した」と自分から話してくれました。家族の折伏を継続し、必ず救っていきたいと思います。

医師も驚いた、肝臓のガン消失!
正法に巡り合えた喜びをかみしめて

 そのように、今までの信仰姿勢を改めて前向きに仏道修行をさせて頂く中で、崖っぷちであったガンの状況が好転してきました。
 令和三年三月の時点では、ガンの指標となる腫瘍マーカーの三項目が基準値を大きく上回っていましたが、同年六月には二項目が正常値となり、残りの一項目(NCC|ST|439)はまだ高いものの959から153と、驚異的に下がったのです。つらい倦怠感などの抗ガン剤の副作用もほとんどなくなり、これが何より嬉しい事でした。
 こうした功徳の体験を通し、私は心から御本尊様の御力を実感できるようになり、更に唱題の時間も増やしていきました。また、有難い事に、御住職様の御計らいで御秘符を頂戴する事もできました。
 そして迎えた、令和三年八月の定期検査では、予想もできない事が起こりました。なんと、多発転移していた肝臓のガンが全て消えてしまったのです。肺のガンも、数個を残しただけで消えており、医師も首を傾(かし)げて何度も画像を見直す程でした。
 講中の会合で、「あったはずのガンが消えた」という体験を聞いた事がありましたが、私は自分の身にそれが起こった事に驚き、本当に心から御本尊様に感謝申し上げました。
 そして、この御本尊様の有難さを教えてあげたいと強く思い、周囲の友人・知人を折伏した所、今では七名の眷属と共に仏道修行に励むようになり、充実した毎日を送っています。
 振り返って、学会は、愚痴と悪口だらけで、功徳など何もない、本当に変な所でしたが、今、本当に正しく仏道を行ずる日蓮正宗法華講にめぐり逢い、正しい御本尊様を拝ませて頂ける事を心から感謝しています。
 かつての私のように、創価学会で苦悩している多くの方に、謗法の怖さと正しい仏法の功徳を伝えていきたいと思います。
(令和4年2022年 8月16日 火曜日 毎月1・16日発行 1部55円 『慧妙』第711号 )より転載。