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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

戸田会長の言葉と現在の創価学会-アーカイブ・過去記事から

2017年06月28日 21時39分43秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
02/13/2017 戸田会長の言葉と現在の創価学会
 
 戸田第二代会長は、日蓮正宗に多大の功績を残し、一信徒として赤誠の限りを尽くし、日蓮正宗宗門発展に寄与なされた。
 今日の創価学会は、戸田先生が余りに日蓮正宗の富士大石寺大御本尊様を根本に実践したものだから、それに学会員の目と耳をそらし、深い信心を拒絶し、戸田城聖全集を絶版にするなど、自身に都合の悪い事は、何でも覆い隠すつもりで暴走している。

 戸田会長の言葉。

 「余は二十七年なりとは弘安二年十月十二日の総与の御本尊の出現をさしての御仰せであって、このお言葉によって本仏出世の御本懐は此の御本尊の出現にある。世の不幸を救ふ一大秘法は此の本尊にありと信じなくてはならぬ。」(大白蓮華昭和二六年六月号)

 「弘安二年十月十二日の本門戒壇の御本尊は究竟中の究竟本懐の中の本懐で真に尊き事と拝さねばなるまい。この御本尊こそこれ三大秘法の随一であり、一閻浮提総与の御本尊である。」(大白蓮華昭和二八年二月号)

 「御本仏は、生きていらっしゃるときには、日蓮大聖人、亡くなられては本門戒壇の大御本尊と仰せられ、その仏のお名前と年月はちがいますが、同じくわれわれを化導して下さるのである。」(日蓮正宗方便品寿量品講義)

 「日蓮大聖人はいつも、この娑婆世界に住んでおられる。現在は富士大石寺におわします戒壇の大御本尊として出現されているのだが、多くの邪宗のものたちは、近くにいながら、かわいそうにも日蓮大聖人の御当体とは気がつかないでいるのである。」(日蓮正宗方便品寿量品講義)

 「学会は今大聖人の命うけて弘安二年十月十二日に御顕しになられた一閻浮提総与の御本尊を日本に流布せんことを誓う。」(聖教新聞昭和二六年一一月一〇日付)

 「われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し、遺されてある。これは、弘安二年十月十二日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです。弘安二年十月十二日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れてますから、絶対だめなのです。」(戸田城聖全集)

 「この本尊論がまことに大事なところなんです。これが狂ってくると、一切が狂ってくる。ただ、富士大石寺の文底深秘の大御本尊、これより他にはない。これが根本なのですよ。」(大白蓮華昭和三四年四月号)

 「日蓮大聖人の真実のお教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の御本尊を根本としたお教えでなくてはならない。この教えは、今日末法においては、富士大石寺にこそあれ、ほかにはないのである。」(戸田城聖全集)

 「日蓮大聖人様から六百余年法灯連綿と正しく続いた宗教が日蓮正宗である。最も完全無けつな仏法が正宗なのである。この仏法こそ私達を真に幸福に導いてくれる宗教であることを私達は日夜身をもって体験してゐるのである(中略)私達は無智な人々を導く車屋である。迷ってゐる人があれば車に乗せて大御本尊様の御もとへ案内して行くのが学会の唯一の使命である。宝の山に入って宝をとるかとらないかはその人の信心の結果であって、ただ宝の山たる大御本尊様へ案内するのが我々学会の尊い使命なのである。」(大白蓮華昭和二四年一二月号)

 現代現在の学会は、人師論師の説に過ぎぬと、あれだけ三代会長と謳っていながら、初代二代会長の言葉は蔑ろにされている。どう過去を捨て去っても、日蓮正宗の信徒団体として出発した創価学会は変節と謗法の限りを尽くしてしまい現在に至る。日蓮正宗と創価学会は元から親と子のような関係であり慈悲から親の日蓮正宗が子を叱るのは当然なのだが、学会は聞き入れはしない。今は幹部が会員を牛耳り耳も目も塞いでしまっている。学会は、決して日蓮大聖人の正統な継承者ではなく、やがて将来は日蓮大聖人の金看板を外してしまいかねない危惧さえある。大御本尊への信仰を放棄するくらいだから、何をしでかすかは誰にもわからない。
 牧口会長・戸田会長が、現在の創価学会を見れば、その謗法(ほうぼう)まみれの変貌ぶりと慢心に、さぞ嘆き悲しみ泣き叫んでいることであろう。

日蓮正宗に宗旨替えしました-勧誡式を受ける 、-(過去に出て来た自身のブログ記事から)

2017年06月28日 21時35分30秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
02/08/2017日蓮正宗に宗旨替えしました-勧誡式を受ける
 創価学会の度重なる教義改変・改悪、経本の御観念文が5~10年程でコロコロ変わる。会則を替えたのは二年前位だったか(大御本尊を否定)。池田会長が変節したのは、平成時代の頃よりも更に前の、昭和52年路線の破たんからの学会、池田氏の長年の恨みが元で、日蓮正宗から破門されるに至ったこと、御本尊模刻事件、池田マジック事件、その他、おかしな点が創価学会側には多すぎること。
 ニセ本尊の害毒も凄まじかった。わたしは、ここでは書かなかったが、去年の12月年末の忙しい時期に交通事故の被害者となった。救急車で病院に運ばれた。相手が100%悪い事故である。うちはいつも圧倒的に交通事故の被害者だ。平成を過ぎてから多い。それと昨日、詳しくは書かないが、死にそうな思いをした。そして、母も高齢になり、最近は被害妄想気味の毎日を送っている。わたしの体調も精神面もここの所、絶不調である。
 その事を地元の日蓮正宗寺院のご住職様にお話しすると、それはニセ本尊の害毒です、とはっきり言われた。わたしは、学会のいわくつきの本尊を寺に渡し、勧誡式を受け、母も式を受け、謗法払いをした後、勧誡して頂いた。新しいご本尊様をご下附していただいた。新しいご本尊は、日如御法主上人猊下の字の見やすい立派なご本尊だ。あの、創価の、くすんだような、あれ程創価の二代までの歴代会長が、魔が入っていると訴えていた、勝手に濫造、国に二王なしの、ニセ本尊を手放した今は、本物の勤行が出来、腹の底から生命力が湧いてくるような、清々しい気分だ。ご住職様にも自宅に来ていただき、感謝しきりだ。
 思えば、学会で嫌だった思い出は、母と二人で地元の福島文化会館へ行ったとき、隣前に座った女が、母に「一緒にトイレへ行きませんか」と言ってきた事。母は、何であなたとトイレに行かないといけないの、と一喝すると、「ああ、そう、ああ、悪い」とか何とか言って、立ち去るかと思ったらまた戻ってきたが、母にはその後被害はなかった。知っている者同士なら、男の連れションなら判るが、誰だか知らない、女の連れションなんてあるの?
 また、これも母だが、高齢の母は椅子席に座っていたが、母の後ろに同じく椅子で座っていた初老の男性が、「あんた邪魔だから、こっちこっち」と母を勝手に脇に寄せて、自分だけオープン席のように前をあけようとした。言っておくが、母は身長も座高もそれ程高い人ではなく、こじんまりした人だ。その母にこの男はどけと言わんばかりに母を邪魔者扱いした。勿論母も「何でそんな事しなくちゃいけないの」と反論した。すると、創価のおかしな人はいつも正しい事、正義の一喝・正論で必ずタジタジになる。他にもおかしな場面はよくあったが、ここでは割愛する。
 日蓮正宗に帰依したのは、YouTubeという動画インターネットサイトで、樋田昌志氏(字はこれでいいのかな?)の創価の害悪を必死で訴える姿に感動したのも大いにある。もっと声が大きい音だと有難く、耳が遠くなった母でも見られる動画サイトだと思う。
 やはり、伝統宗教と、新興宗教の差だ。戸田城聖第二代会長の奥様もご子息も日蓮正宗を信仰しているのも、必ず理由がある。
 わたしは日蓮正宗創価学会時代を通じて、昔の、お山に登っていた頃の学会が好きだった。大石寺版の格調高い御観念文、長行のお経を削った学会は自ら正当な後継指名を破棄し、お経を短くして、見苦しく教義内容を日蓮正宗に似せながらも、段々と堂々と別の物にすり替えていく。よく言われる譬えで、一級の大吟醸のお酒を、どんどん水を足して薄めて別の味にして売る詐欺商法と同じだ。
 池田氏も、自分が破門の罪を犯しておいて、一般会員にまでその罪、軽はずみな軽口、いつもの愚痴めいたスピーチが及ぼした害は計り知れない。
 わたしは、泥船には乗りたくはない。まるで浄土教の親鸞が法然に、教えが間違っていても、地獄に落ちても後悔せずにお供するという話とおんなじだ。創価も、先が知れている。牧口・戸田会長が死に物狂いで守って来た、学会が宗門へ誓った外護の精神が、三代池田で完全に消えた。残念と言うより、貴重な時間を返せ、と怒るよりあきれる。
 日蓮大聖人直結と学会は言うが、日蓮正宗こそが大聖人直結だ。前に読んだ新人間革命で、池田氏は(ゴーストライター説があるが)日蓮大聖人を日蓮日蓮と名前だけ呼びつけにして、日達上人も、日達と呼びつけ、そこには、言葉の重み、特に人を敬う気持ちが全く無かったのが、自分と大聖人、猊下を同列に見る、ふてぶてしいまでの卑屈な尊大さ、俗物くささが漂う小説で残念な気がした。
 わたし自身も、このブログで無知が招いた正宗批判、異教礼賛、占い、暦等を礼賛してきたいきさつがある。それら記事は自分の歴史としてとっておくが、非常に今では反省しきりである。わたしの心の迷いと受け取って欲しい。
 うちの昔の東京のおばあちゃんは、お山が大好きで、高齢になってからは、母にお小遣いをもらうとよく大石寺に登山していた。お寺に行くと心が休まるとも言っていた。おばあちゃんは日蓮正宗創価学会時代の人だったが、今現代も生きていれば必ず日蓮正宗についたと思う。 


遥かなる憧れの国、ドイツ

2017年06月28日 08時16分52秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
私は、外国に行くならば、本当は日本国内が一番いいのだが、敢えて海外に行けるとなったら、絶対に、ドイツに行きたいと思う。
 ドイツは工業も商業も医学も学問も皆、大発展、発達していて、皆勤勉で職人気質であり、私は憧れる。
 ドイツは、かの私の尊敬する天才音楽家、楽聖ルードイッヒ・ヴァン・ベートーヴェンやバッハ、ブラームス、同じドイツ語圏ではオーストリアのモーツアルト、シューベルト、現代の指揮者だったドイツ人のヘルベルト・フォン・カラヤンなどを輩出していて、ドイツ人は本当に優秀であり、素晴らしい民族だと感心する。
 ドイツのハンブルクに、私の大好きな、同じ音楽家の若きビートルズ達が、修行と公演を兼ねて修練を積んだのも、何かの縁だろう。
 ドイツは、私は高校の頃から憧れていた。高校の体育の先生が、磐城高校、東京学芸大学出身なんだが、その先生が、体育教師なのに、英検一級を持っていて、しかし、その先生は、本当はドイツに憧れているのだという。余りドイツ語を習える場所がなく、独学でもいいのだが兎に角ドイツ語も研究中だと言っていた。
 当時ドイツは東西に分かれていて、その先生は社会主義国の東ドイツに行ってみたいと言っていた。中々今は忙しくて行けないが、必ず彼の地、東独を訪れたいと仰っていた。
 私も当時多感な頃で、その話を聞いて、「ドイツかあ」と思い、私自身も多分に影響を受けた。ドイツを調べると、名車メルセデスベンツも、名車フォルクスワーゲンも、ドイツの外車名車に他ならなかった。
 母は、美容師業にも従事していたことがあり、ドイツのカミソリやハサミのゾーリンゲンと言うメーカーの刃物は切れ味が良く、美容師業界では神の使う道具のように珍重され、重視されていた。
 成程、自分が使う、髭剃りのメーカー、ブラウンも、ドイツのメーカーだ。こうして考えてみると、私達の日常生活で、一流と言われる製品の多くが、ドイツ製の製品である事が分かる。素晴らしい国!ドイツ!
 日本は明治時代、憲法や民法などの法律を、ドイツに倣い、見習い、手本とした。お医者さんの医学の学問も、ドイツに見習った。だから、今だにお医者さんの机の上のカルテはドイツ語で書かれる。日本には、ドイツ国家、大ドイツ帝国の影響は、至る所に見受けられ、皆日本に立派にドイツが貢献していて、日本も大いに助かっている。
 私は、高校時代、そんな事をふと考え、ドイツ民族の優秀さ、勤勉さに憧れ、じゃあ、ドイツ語ってどういうんだろうと思い立った。
 当時うちの近所には、新桜通りに、我こ書房(字は失念)という大きな書店があり、私は学校帰りに良く立ち寄っていた。私はそこで本を良く買ってはいたが立ち読みも良くした。そこで、NHKのドイツ語講座のテキストを立ち読みしてみた。
 ドイツ語で、おはようございます、はグーテンモルゲン、こんにちはが、グーテンターク、というのがまず目に飛び込んできた。グーテンターク、素敵ないかめしい響き。ドイツ語のことばの語調は、何か、本当に演説向きと言うか、弁論に向いているような気がした。
 後年、ドイツ語で、ありがとうは、ダンケ、と言うのを知り、フランス語が同じくありがとうはメルシーなので、女性的であり、又フランスの男性が使ってもそれはそれでお洒落である。何か優男(やさおとこ)の雰囲気プンプンだが、まあ良いだろう。
 しかし、ドイツ語でありがとうがダンケ、では、男性は様になるが、女子が使うと何か興ざめな気がした。もし、懇意にしているとするドイツ人女性に、突然、ありがとうを、いきなり「ダンケ」と言われたら、ありがたく思えるだろうか。私なら、余りに唐突過ぎて、その場からもしかしたら立ち去るかもしれないし、何を言われたか一瞬解らないかも知れない。その語感が、いかめしいドイツ語のその響きが、そうさせるのかも知れない。
 でも、笑って、愛嬌たっぷりに「ダンケ」と言われたら、私も納得はするかも知れない。それも余り綺麗だったり可愛かったりしない、年齢が上の女性だったら、何とかまだましなのかな、とも思う。
 兎に角、ドイツ語と言うのは、偉く語調のはっきりした、フランス語のように変に端折ったりしない、ハキハキはっきりとモノを言う言語だと思う。だから、アドルフ・ヒットラーなどの演説は、ドイツ語のカッコ良さをかなり意識した、むしろそれを最大限利用した、一般大衆を巻き込む力を大いに秘めた、魔法のような言葉と語調と勢いに任せて、ドイツ民族を鼓舞した。あれだけの演説、弁論ならば、どんな人でもその言葉に酔い痴れ、素晴らしいと賛嘆し、魅入られ、ナチスの運動の輪の中へ飛び込ませる魔力を持って、民衆に受け入れられていった過程がつぶさに手に取るように今となっては判ってしまう。
 そんなドイツ語を、今年の四月に私は性懲りもなく、NHKラジオドイツ語講座をテキストを使って、うちにあるラジカセ(ラジオカセットレコーダー)やなるべく安価な録音機器を駆使してまで勉学に少しは励んでいたが、三日坊主じゃなく二十日坊主で、嫌な予感は多々あったが、又一か月で終わった。語学は、学校に行かない限り、自分は無理だと思った。独学は、余りにリスクが大きすぎる。結局、英会話も独学じゃ物にはなっていない。
 でも、ラジオ講座は、安く済ませるならば、これ程安価で経済的で、素晴らしいシステムは他には見当たらない。ただ、自分の根性がなっていない、馬鹿で愚の骨頂で飽きっぽいからこうなるのだ。
 だから、今度はフランス語で挽回だ、とか、もしかしたら中国語も向いてるかも、とか、色々手を出したらキリがない。しかし、何か国語をも多く話せる人もいるのだから、この言語でだめなら今度はこれ、と向き不向きもあるのかもしれない。
 しかし、私は、ドイツ語は、未だ憧れの的であり、素晴らしい言語だと思っている。ラジオ講座は、ドイツ語が四月から始めたのに全然初歩じゃなく非常に大変に難しかったが、もっとやさしくても良かったのにと、そのテキストの長い単語や文章を見て、そう思う。
 良く、その国の言葉を覚えるならば、その国の友達を持つ事だ、と言う事もあるが、ドイツ人の知り合いなんていないし、ドイツ人と会ったこともお喋りした事も全くない。日常では考えられない。やっぱり大学へ行った時に英語じゃなくドイツ語かフランス語を取るべきだった。
 そんな自分でも、ドイツと言う国には今まで述べて来たように、大変親しみがある。ドイツ語の辞書、独和辞典も買って眠らせたままだ。私の手持ちの辞書、フランス語辞典、仏和辞典などはスタンダード版と現代語版と二冊もある。それらが全く無くても勉学に励んでいる人もいるだろうに。
 兎に角、ドイツは、遥か日本の西方、彼方にある。私にとっては憧れの国には変わりない。いつか、ドイツ語でベートーヴェン作曲の「第九、合唱」を、ドイツ語で合唱して歌ってみたいという野望を秘めつつ、素晴らしい商工業メーカーを生み出す、国民・国家としての、職人肌の勤勉な国、ドイツの事が一時も頭を離れない、私なのでありました。