日蓮正宗から袂を分かれた創価は、まずはニセ本尊の販売、同志(友人)葬の開始、五座三座の観念文の改変、そして究極が三大秘法の大御本尊の否定へと連なる。創価の短くない歴史の中で、池田会長以下、現原田会長に至る迄、この団体が大謗法集団に変化、劣化、集団堕地獄体制へと変貌した。
私が教わったのは、昔はお経を読むとき、リン(鈴)を方便品に入る前に七回、寿量品の前に三回、その後の引き題目の後に五回と習ったのが、創価が言うには、そういうやかましい時代もありましたが、新時代は自由で、何回鳴らしても結構です、となる。
御本尊を見つめ拝する時、昔は妙の字を一心に見つめなさい、と習ったのが、どこを見ても結構です、となる。
経本の観念文から、諸天善神への祈りが無くなった。第三祖日目上人もいなくなる。大御本尊の文もなくなる。代わりに池田大作三代会長が観念文歴代会長祈念に加わる。
観念文がどんどん陳腐になってゆく。鈴や御本尊のどこを見るかも、自由になったようで、肝心の正しい本当の勤行が出来なくなり、無法地帯となった。
文化会館に行っても、勤行はない事が多く、題目三唱だけ、選挙の勝利の万歳三唱のみ。だから誰も数珠経本を持って来ない。
これだけの事が、平成になり、三十年の間に起こった。創価は変わる事が進化発展だと思っているのだろうが、退化、衰亡の一途を辿る創価のありのままの姿だ。
私は創価学会問題が起こった時、創価の正しさを疑わなかった。宗門とどっちが正しいかは、時折うちに届く日蓮正宗の新聞を見て、少し迷った。意見が創価と宗門、180度、まるっきり違うからだ。しかし、その新聞を見ても、次の瞬間は創価脳に成り代わり、創価として内と外を分ける、二重人格のような私であった。
日蓮正宗のお寺に父の納骨料を支払いに行くと、今よりも当時は閑散としていたが、お寺の佇まいは何か懐かしい、故郷の様な感じを受けた。しかし、創価から、正宗の資金源になるから、卒塔婆は立てるな、とお達しがあった。けれども母は、当時、父の御供養の為に塔婆供養をしていたとお寺の御住職様から後で聞いた。母は忘れているけれども。
何でも新時代、新思考、創価ルネサンス、魂の独立、等々、腐った教義を並べ、ふざけるな!と言いたい。
創価は、何と罪作りな謗法団体に成り下がったのだろうか。この一凶を禁ぜんには、との思いを深くする初冬の夜だ。