Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

創価の愚か者には付ける薬がない

2019年11月02日 20時55分42秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 インターネットの掲示板等を私は目にした事がある。そこでは、宗教について論じる人もいて、創価学会なる掲示板も当然のようにある。
 覗いてみると、名無しや、ハンドルネームと称する名前で投稿する者もいる。
 創価の論士は、今や創価学会に教学など皆無に等しいのに、大口を叩いて創価の言い分を語る。それに対して反対する者があっても、意に介さず、論理の飛躍あり、居丈高に、その痛く突かれた所には答えない、無視し、或いは話を替えて又語り続ける。
 創価の人間の冗長で意固地な雰囲気をそこでは嫌という程味合わされる。論理的に破綻していようが、そこでは誰にも問われなかったかの如く、前言を翻し、前言を引っ提げ、皆、ボロボロだ。
 日蓮正宗の妙観講さんが、一切掲示板に近づかず、書き込まないようにしているのも頷ける。この掲示板というのは、匿名で誰も彼もが投稿でき、匿名なるが故に無法地帯そのものであり、エロサイトなどが広告主になっていたりする。
 無責任極まりなく、ここでの真面目な議論は成立しそうにない。掲示板は常に非難の応酬合戦だ。
 創価の論士たちは、今日もデタラメでかつて論破され、法論でも負けた内容の論調を蒸し返しては掲示板に書き込む事を諦めない。その情熱たるや、布教に賭けた創価論士の諦めの悪さこの上ないのである。創価学会はまともに論争、法論すれば負ける、それを避けるがためにあの手この手で、掲示板なるものに取り憑かれている。日蓮正宗が全ての創価の論旨を破折、批判して来た経緯を、少しは創価の方々は読んで耳を傾けて欲しい。
 インターネットの掲示板、誠に時間のムダ、と言わざるを得ない。
 

母の優しさ、親の恩

2019年11月02日 20時02分13秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 母のいる施設に私は向かう。母が見える。どんなに遠くても母だとわかる。母もこちらを向く。母はいつも笑顔だ。
 母は手で手招きし、ここに座りなさいと促す。私もいつものように席のそばに腰を下ろす。母は終始、笑顔だ。
 一言、二言、話すうちに、給仕さんがコーヒーなりお茶なり、母の為に飲み物を持って来る。私の分はない。
 すると、母はいつも、私に「これを飲みなさい」と言って、母のその日のうちで大事な水分を私に差し出し、飲むように促す。私も悪いと思い、「今日、うちでコーヒーを何杯も飲んで来たからいいよ。母さん飲みなよ」と言って母へと仕向ける。母は無言でそれを飲み干す。
 思えば、母はうちにいた頃、私には私の為に食べ物も飲み物も、自分も食べたいだろうに、よく取って置いてくれた。私がお腹が空いていないかを、母はいつも心配していた。
 私も、買って来たお菓子などは、母にならい、極力二人で半分こにして食べた。母も喜んでいた。
 私達親子は、今日までの日々をここまで生きて来たけれど、食べ物に不自由した事など一度もなかった。思えばあの母が、私にひもじい思いをさせたくない一心で、私に分け与えてくれたお蔭だ。
 私は、母の優しさのお蔭で今日の日も生きている。お母さんにありがとうを言いたい。