インターネットの掲示板等を私は目にした事がある。そこでは、宗教について論じる人もいて、創価学会なる掲示板も当然のようにある。
覗いてみると、名無しや、ハンドルネームと称する名前で投稿する者もいる。
創価の論士は、今や創価学会に教学など皆無に等しいのに、大口を叩いて創価の言い分を語る。それに対して反対する者があっても、意に介さず、論理の飛躍あり、居丈高に、その痛く突かれた所には答えない、無視し、或いは話を替えて又語り続ける。
創価の人間の冗長で意固地な雰囲気をそこでは嫌という程味合わされる。論理的に破綻していようが、そこでは誰にも問われなかったかの如く、前言を翻し、前言を引っ提げ、皆、ボロボロだ。
日蓮正宗の妙観講さんが、一切掲示板に近づかず、書き込まないようにしているのも頷ける。この掲示板というのは、匿名で誰も彼もが投稿でき、匿名なるが故に無法地帯そのものであり、エロサイトなどが広告主になっていたりする。
無責任極まりなく、ここでの真面目な議論は成立しそうにない。掲示板は常に非難の応酬合戦だ。
創価の論士たちは、今日もデタラメでかつて論破され、法論でも負けた内容の論調を蒸し返しては掲示板に書き込む事を諦めない。その情熱たるや、布教に賭けた創価論士の諦めの悪さこの上ないのである。創価学会はまともに論争、法論すれば負ける、それを避けるがためにあの手この手で、掲示板なるものに取り憑かれている。日蓮正宗が全ての創価の論旨を破折、批判して来た経緯を、少しは創価の方々は読んで耳を傾けて欲しい。
インターネットの掲示板、誠に時間のムダ、と言わざるを得ない。