Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

八月十五日盂蘭盆会法要に参詣

2020年08月15日 19時47分09秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 本日昼13時、郡山市の日蓮正宗無量山寿海寺にて、盂蘭盆会大法要に参詣してきました。昨夜は自分としては熱帯夜で寝不足気味の中での法要でした。
 お経が寿量品第十六に差し掛かると、皆で二人ずつの焼香となった。
 密にならないように椅子も間隔が開けられ、途中の換気も行なった。
 御住職様の説法では、お盆の謂われが説かれ、「先祖の数」という用紙が渡された。それには一代で二人の親、二代で四人の先祖、三代で八人、四代十六人と次第に増えてゆき、三十代さかのぼると10億7千374万1824人となり、縁のない人は一人もいない、日本人の現在の人口を遥かに超え、四十代さかのぼらないうちに現世界人口を優に超えてしまう、正に人類皆兄弟ということになる。
 御住職様は、今から六千万年位前に、人類の祖ともいえる遺伝子を持つ女性がたった一人アフリカで生まれ、そこから現代の人類が生まれた、という。
 皆ゆかりのある人ばかりで、街ですれ違ったとき、「袖擦り合うも他生の縁」で、過去世からの縁があるんだとすれば、何か熱いものを感ずる。
 人は一人では生きられない。皆、誰かのお陰で生きている。そう考えると、本当に有り難いと思いました。

ここまで堕ちたか、創価の「日蓮」呼びつけ

2020年08月15日 09時01分25秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 日蓮正宗では宗祖日蓮大聖人を「大聖人」ときちんと極めて尊く敬称を付けてお呼びしている。これは昔から一貫している。
 しかし、かつては自身もそうやってきた創価では「日蓮」と最近はずっと呼びつけだ。
 今朝もラジオ福島の創価の五分番組「名字の言」でナレーターがそう呼んでいた。
 ユーチューブの日蓮正宗樋田昌志さんの創価青年との法論でもその創価青年は「日蓮ていう人」と言って、まるで他人事というか、どうでもいい人に思う程、狂った喋り方だった。
 日蓮大聖人という相応しい呼び方があるのだから、それに従えば何の問題もない。それとも、大聖人様を仏様の地位に預けて置かないで、誰か別の人をその代わりとして持ち上げたい訳か?「池田大作先生(本仏)」と。

声仏事を為す、の御金言

2020年08月15日 08時09分10秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
 「声仏事を為す」(新編御書一〇八頁)という御文が日蓮大聖人の御書にある。これの極めて似た体験が私はある。
 以前、勤めていた会社で、その日は雨に降られてしまい、全身がびしょ濡れのまま社内に入った。そこで見かねた男性上司が私のそばへ寄り、持っていたタオルで私を拭いてくれた。
 そこで私は「いや、結構ですよ、自分で拭きますから」と言うと、その上司はうっとりした表情で、「いやあ、凄い耳障りのいい声だね、もっと言って」と言ってねだった。その頃私が創価学会で、お経を五座まで唱えている事を知ってか知らずか(そこでは私の宗教信仰は公開していた)つい出た言葉だった。
 創価、と言っても、その頃は日蓮正宗のお経本を思い出したように時々交互に使っていたので、日蓮正宗色に染まった勤行だったかもしれないが。
 創価にも「魔の通力」と言って、不思議な功徳まがいの運の良さのようなものに遭遇する事がある。私は魔を演じたのか、日蓮正宗のお経が効いたのか。
 声によって仏事を為し、病気や一切の悩み、諸問題も治せるのかも知れない。
 今となっては判然としないが、「声仏事を為す」の御金言を見るとその事をふと思い出す。