この時の御発言の、元となったのは、恐らく、私です。私は、私も、郡山市の、無量山寿海寺の信徒です。
この時、私は、お寺を、親睦の場、娯楽の場と、どうかしていましたが、勘違いして、自宅から、小型PCを何とお寺に持って来て、いつもの如くに、これまた謗法臭く、音楽など掛けたり、自身が、ネットからダウンロードした、動画等を、皆の前で見せつけて居りました。今から、六年位前の話です。
そうした所へ、その時(我がお寺にとり、女性初の)講頭だった方から、お叱りを受け、私は言葉に詰まり、その時、だれがこう言っていた、とか、誰それから、こんな言葉を聞いた、といった、言い訳がましく言い募り、その場が騒然と致しました。
その時に、私は、直接、このブログ主の、ブログ作者の方とは、非常に面識があり、このブログの、舞台裏を知り抜いた者でありますから、今になって、種明かしをして居るので御座いますが、その時、さっと立ち上がったKさん、OKsureさん、が、私を手招きして、お寺の奥の間に私を誘い込み、その場の難を逃れさせると共に、ある一言を、その時、Kさんは仰られました。
Kさん「私が、怒っているように、貴方は現在の今、正直な所、思っていますか。どうですか、どう思っていますか?」
との私への問いかけ、質問でした。
私は、その時は、まだ、このお寺、寿海寺にては、まだ入ったばかり、入信したての、よちよち歩きの子供同然でしたから、勝手が全然分からない訳です。しょうがなく、とても、Kさんが怒った風には見えませんでしたが、何となく、の返事で、
「怒って居るように、理解しています」と答えてしまいました。
それに対して、このブログ作者のKさんは、
「そう、誤解させてしまっている、私の方が悪かった」と仰られ、何か、私は、大変な誤解を与えてしまった、との後悔の念を抱きました。
それから、Kさんは、私のその時の、皆への対応、言葉遣いを、大変に、ご指摘為されて、
「貴方は、先程、皆の前で、『誰それからこう聞いた』とか、そういった、○○さん(私の事)の話は、いつ聞いてても、『伝聞』の域を出ない。詰まりは、自分の言葉で貴方は、自信を持って語ってはいない。それが、貴方の、人に誤解を与える、悪くて、非難を受けかねない、一つの、クセの様なものです」と厳しく仰る。
私は、訳が判らなくなり、その場で取り乱し始めて、その部屋にあった、今年のカレンダーをおもむろに見詰め、見つけて、こう言った。
私「今日は日取りが悪い。今日は、縁起が悪い日だ、きっと仏滅かなんかなんだろう。うちのお母さんも、一所懸命に、占いに凝り、その、高島暦に凝って、だいぶ、縁起を担いでた。その息子だもの、当然、日取り、縁起を担ぐよなあ」といってうそぶいた。
これには、Kさんは、唖然として、声が出ず、あっけらかんとして、私を、憐れむように凝視したまま、沈黙の時が流れた。それから、一呼吸おいて、言った。
Kさん「とにかく、今、お寺で、お寺は、遊びに来るところじゃない。修行をする場所、道場だ。
私が、若い、学会員時代も、その時、皆で、カラオケに行ったり、飲みに行ったり、皆でワイワイ盛り場に繰り出し、その頃は騒いでいたものだ。
しかし、信心とは、関係が全くなく、学会は、何か勘違いをしていたんだろうね。学会は、そんなところからも、間違いの、ほころびの様なものが、当時からあった訳だ。
だから、そんな、学会の時代を懐かしむようになってしまったら、それこそ、謗法に近い、自分が、魔にやられている証拠だ、との、○○さんの自覚が、欲しい所だ。魔にやられている、最中なんだとね。」
と、Kさんは、そう言った。
私は、妙に、このお寺では、皆が、私を、実際に、何だか、皆が折伏主の、親玉になってくれているような、常に、親近感を、私がいつも感じさせて頂いていて、何かお礼を言わなければ、というような、このお寺に限らず、日蓮正宗という、宗派自体が、何か厳かな、威厳に満ちていて、そして、一番、入ったばかりの新入信徒に対して、心が籠った、心憎いばかりの『育成』『人材教育』『共に励まし合う、日蓮正宗』といったものを、一人になった時にも、いつも皆と居る時にも、常に実感として、私の胸には在った事柄であった。
それは、極めて、私などの、宗教、仏教、日蓮正宗を信じ始めた者には、大変に、頭が下がる程、有難かった。いつか恩返しがしたい、と思わしめる、最高の我が身が置いている環境であった。
ここに書いている事は、幾分のズレも無く、皆真実である。誇張も宣伝も、何も無い。創価のやり方が、幾分、ズレていて、ズルく、ウソまみれ、何も肝心の、日蓮大聖人様の事なんて、ちっとも話題にも出ない程、いかにも謗法まみれの団体かが判ろうというもの。
私は、ここに書かれた真実の、生き証人である。Kさん、私のブログへ転載許して!
この時、私は、お寺を、親睦の場、娯楽の場と、どうかしていましたが、勘違いして、自宅から、小型PCを何とお寺に持って来て、いつもの如くに、これまた謗法臭く、音楽など掛けたり、自身が、ネットからダウンロードした、動画等を、皆の前で見せつけて居りました。今から、六年位前の話です。
そうした所へ、その時(我がお寺にとり、女性初の)講頭だった方から、お叱りを受け、私は言葉に詰まり、その時、だれがこう言っていた、とか、誰それから、こんな言葉を聞いた、といった、言い訳がましく言い募り、その場が騒然と致しました。
その時に、私は、直接、このブログ主の、ブログ作者の方とは、非常に面識があり、このブログの、舞台裏を知り抜いた者でありますから、今になって、種明かしをして居るので御座いますが、その時、さっと立ち上がったKさん、OKsureさん、が、私を手招きして、お寺の奥の間に私を誘い込み、その場の難を逃れさせると共に、ある一言を、その時、Kさんは仰られました。
Kさん「私が、怒っているように、貴方は現在の今、正直な所、思っていますか。どうですか、どう思っていますか?」
との私への問いかけ、質問でした。
私は、その時は、まだ、このお寺、寿海寺にては、まだ入ったばかり、入信したての、よちよち歩きの子供同然でしたから、勝手が全然分からない訳です。しょうがなく、とても、Kさんが怒った風には見えませんでしたが、何となく、の返事で、
「怒って居るように、理解しています」と答えてしまいました。
それに対して、このブログ作者のKさんは、
「そう、誤解させてしまっている、私の方が悪かった」と仰られ、何か、私は、大変な誤解を与えてしまった、との後悔の念を抱きました。
それから、Kさんは、私のその時の、皆への対応、言葉遣いを、大変に、ご指摘為されて、
「貴方は、先程、皆の前で、『誰それからこう聞いた』とか、そういった、○○さん(私の事)の話は、いつ聞いてても、『伝聞』の域を出ない。詰まりは、自分の言葉で貴方は、自信を持って語ってはいない。それが、貴方の、人に誤解を与える、悪くて、非難を受けかねない、一つの、クセの様なものです」と厳しく仰る。
私は、訳が判らなくなり、その場で取り乱し始めて、その部屋にあった、今年のカレンダーをおもむろに見詰め、見つけて、こう言った。
私「今日は日取りが悪い。今日は、縁起が悪い日だ、きっと仏滅かなんかなんだろう。うちのお母さんも、一所懸命に、占いに凝り、その、高島暦に凝って、だいぶ、縁起を担いでた。その息子だもの、当然、日取り、縁起を担ぐよなあ」といってうそぶいた。
これには、Kさんは、唖然として、声が出ず、あっけらかんとして、私を、憐れむように凝視したまま、沈黙の時が流れた。それから、一呼吸おいて、言った。
Kさん「とにかく、今、お寺で、お寺は、遊びに来るところじゃない。修行をする場所、道場だ。
私が、若い、学会員時代も、その時、皆で、カラオケに行ったり、飲みに行ったり、皆でワイワイ盛り場に繰り出し、その頃は騒いでいたものだ。
しかし、信心とは、関係が全くなく、学会は、何か勘違いをしていたんだろうね。学会は、そんなところからも、間違いの、ほころびの様なものが、当時からあった訳だ。
だから、そんな、学会の時代を懐かしむようになってしまったら、それこそ、謗法に近い、自分が、魔にやられている証拠だ、との、○○さんの自覚が、欲しい所だ。魔にやられている、最中なんだとね。」
と、Kさんは、そう言った。
私は、妙に、このお寺では、皆が、私を、実際に、何だか、皆が折伏主の、親玉になってくれているような、常に、親近感を、私がいつも感じさせて頂いていて、何かお礼を言わなければ、というような、このお寺に限らず、日蓮正宗という、宗派自体が、何か厳かな、威厳に満ちていて、そして、一番、入ったばかりの新入信徒に対して、心が籠った、心憎いばかりの『育成』『人材教育』『共に励まし合う、日蓮正宗』といったものを、一人になった時にも、いつも皆と居る時にも、常に実感として、私の胸には在った事柄であった。
それは、極めて、私などの、宗教、仏教、日蓮正宗を信じ始めた者には、大変に、頭が下がる程、有難かった。いつか恩返しがしたい、と思わしめる、最高の我が身が置いている環境であった。
ここに書いている事は、幾分のズレも無く、皆真実である。誇張も宣伝も、何も無い。創価のやり方が、幾分、ズレていて、ズルく、ウソまみれ、何も肝心の、日蓮大聖人様の事なんて、ちっとも話題にも出ない程、いかにも謗法まみれの団体かが判ろうというもの。
私は、ここに書かれた真実の、生き証人である。Kさん、私のブログへ転載許して!
(K様、Kさんから、先程、許可・許諾は、二つ返事でメールで頂きました。どうぞ、との事でした。私は、急ぐたち、待ってられないたち、なので、見切り発車で、転載してしまいましたがねえ)
参考URL・アメーバブログ
一語間違えたら死ぬ | 正しい宗教・正しい信仰を「水の流れる如く」生涯貫いていく (ameblo.jp)
一語間違えたら死ぬ | 正しい宗教・正しい信仰を「水の流れる如く」生涯貫いていく (ameblo.jp)
以上。よしなに。wainai、長文失礼します。