Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

「私のインスタグラムの記事から引用」ソニー製ラジオのその、素晴らしさ、立派さ凄さ

2023年03月16日 21時14分02秒 | ラジオ・テレビ・新聞雑誌ネット等マスコミ。ラジオ機器オーディオビジュアル製品

wainai123753        写真は、SONY  SRF-R356、名刺サイズラジオ。 
  • 名刺サイズラジオに、ケースを着せて、本体に付属電池を入れて、設定を終えて、暫し、ラジオ放送を聴いて居りました。素晴らしい感度であり、「ラジオはソニー」を実感致しました。凄い製品を、ソニーは作るんだな、と思いました。電池持ちも、百時間との事です。

  • この日は、訪問看護の方も来られました。うちに一杯商品製品の箱(けれども、アマゾン一箱のみ)が届き、興味深げに、覗いていました。私は、ソニーのラジオを、誇らしげに箱から取り出し、いつの間にか、ソニー社の話に自身が取り込まれるように熱心に時間を忘れて話し込み、ソニーのラジオがいかに優れているかを、その場で力説して、語り始めました。
  • 一応、看護婦さんも、その場で、ソニーがそんなにすごい会社なんだと判った感じで、へえー、とか、ふーん、と言って、相槌を打っていました。
  • とにかく、私は、ソニーが大好きであり、うちにある、目の前のラジオは皆、ソニーである事共を伝えると、そんなにソニーが好きなんだね、看護婦さんもそうだね、と仰り、納得は為されて、その後、お帰りになられました。
  • 以上。よしなに。wainai編集済み · 45分前

『私の、生まれ変わった積りになって生き抜く、誓い』-立派に生き抜き、働くぞ!!

2023年03月16日 19時28分56秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致

 上記ブログにて、 私は、現、寿海寺講頭さんとの、ある密談、というか、盟約、密約というか、男と男の約束、この場で言う事は、この場合、「有言実行」への端緒と成るものだ。それを、自身、憚りながら、申す。
 それは、ある日蓮正宗の教区で、私と同じ病に苦しむ同志がいる。彼は立派に、正社員として立派な仕事に励み、そして、私よりも、病状が重いとも言う。
 けれども、彼は、比較的簡単な仕事を任されて、今では、立派にその教区のお寺の信徒としても、お寺、仕事、両者、重要な地位を任せられていて、お寺と仕事との、立派な両立も果たす。そのお寺に行くと、いつも大抵は、夜の会合に居て、結構、誰もが知る、知る人ぞ知る、有名人だと言う。
 それ、そんな話を講頭さんから伺い、そんな世界があるんだと、ただ単純に、私も息を呑み、素晴らしい、私もそうありたい、私もそうなりたい、そうであって欲しいひたすらに願う、とその場で、敢えて申し上げた。ただ単純に、私はその世界観に、ひたすら感動を覚えた。
 その時、講頭さんに、こんな自分でも、果たして、そんな芸当、こういう風な具合に、上手く、人生が行くものなのか?と聞いた。
 すると、やる気があるならば、大丈夫。ただ、やる気次第。○○君(私)にその決意・覚悟・やる気・根気・熱意・熱情・ひたむきさがあるのか?と単純に講頭さんは、私に尋ねて訊いて来た。
 それに対して、私は、立派に、今の現状、福祉にお世話になりっ放しの現状を嘆きつつも、その悲惨な現状から早く脱するべく、自分も、いつかは、家族を持ちたい。との、自身の烈々たる気負い、気概、初めて他の人に、自身の野望・野心、この場合、願望を、講頭さんへと強く訴えた。
 できれば、私は、子孫が欲しい。子供も孫もいる境涯。そんな、自分が、おじいちゃんになって、後世を仰ぎ、人生の半生を振り返った時に、自分がよーくやった、と、自身を褒めてあげられる程の人生を送りたい。私の信仰、日蓮正宗を受け継ぐ家族が出来得る程の、後継ぎが欲しい。法統相続がしたい、と、涙ながらに講頭さんにこの時ばかりは強く訴え、直訴し、めそめそするのをこの後、すっぱりと辞めた。涙が、希望へと変わる瞬間だった。

 それを聞き届けた講頭さんは、今までいたこのお寺の障碍者の中で、そういう風な、自ら、自分から代わりたい、私(筆者、wainai123753)のように、変貌を遂げたいという話を伺えたのは、稀有で、珍しい、今日、この日、或る教区のそのお寺の御方のお話をしたのは、○○君にも、本当に良かった、と気分よく仰られた。
 私の方こそ、こんな、立派な御方のお話を聞けて、それは以前の、私と講頭さんとの、私が去年入院中の携帯メールにても、その、障碍者さんのお話があることは伺ってはいたが、それがこの時、去年の私の九月の入院以来、願うべき、初めて実現したものであった。
 改めて、この場を借りて、講頭さんには、有難う御座います、と申し上げます。感謝、です。涙は、男らしく、封印いたします。男と男の、約束ですから。
 
 以上。よしなに。wainai

今日の、鏡田アナのラジオ、SNS等の話

2023年03月16日 18時30分06秒 | ラジオ・テレビ・新聞雑誌ネット等マスコミ。ラジオ機器オーディオビジュアル製品
 今日、鏡田アナの、「ラジオでショー」というラジオ福島の番組で、本人が語っていた。
 今現在の彼は、一切、自分の評判、評価の載って居る、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)等々への、興味等は、もう未練もなく、全く興味が無いと言う。一切、見ることもないと。
 それは宜しい、良い事と思う。これは皮肉でも何でもなく、本当に、私も見習わなければ、と思い、毎日を生きている。私も是非に実践したい事だ。
 私は、とうの昔に、「いいね!」等のリアクション等の、このブログからの一切の排除、一掃を図った。それは、そんな、SNS特有の人間関係に疲れ果て、その、「いいね!」等に、一喜一憂する自分が、絶対に許せなかった。
 とにかく、いいねは嫌な制度である。自分は、それに矛盾し、他の、Facebook等にはまだやってはいるが、これもじきに撤退したいとは思っている。個人的に、人間の付き合いの煩わしさが大嫌いだ。とにかく、うざい。
 鏡田アナに、大賛成。彼を、最大限、私は支持いたします。
 どうせ、このページも、彼は見ることもない。それでいいと思う。
 彼、鏡田アナウンサーの潔さに、私は酒が全然飲めないので、鉄管ビール(水道水)で乾杯だ!!

 以上。よしなに。wainai

私の、この信心の覚悟!

2023年03月16日 09時27分30秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 長文誠に失礼。

 私は、この、日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)の信心を始めて、今年で六年、年数で言うと、七年目になるのかな?とにかく、それだけの年月が過ぎた。
 この間、多くの、我が宗、日蓮正宗の方々には、お世話になりっ放しの、大変に、こちら側も、負担等々も、こちらが掛けたかも分からないが、とにかく、大恩(だいおん)を受けて申すまでもなく、大変に感謝を申し上げたい。誠に有難う御座います。大恩に、感謝に耐えません。
 私の折伏主(しゃくぶくぬし)は、G前講頭(ぜんこうとう)さんと、育ての親は、Gさんと、S楽さんと、K俣さん、この三名だと思う。自分では、そう思っている。折伏主がGさん、これは不動の地位である。
 育ての親は、まあ、これは、私の独断に近いが。独断専行(どくだんせんこう)で構わないとも思うが、相手もある事なので…。迂闊(うかつ)には判断専断してはいけないが。しかし、この方向でいいと思う。これらの方々から、正式の、御認可(ごにんか)も受けてはいないので、ちょっと問題かも知れぬ。
 しかし、「人生、皆、師なり」をモットーとする私には、この方向でゆきたいのだ。あくまでも、私の願望である。
 これは、年上の人に限らずに、私が優れた人だと判断すれば、その人柄により、年下、後輩の方々にも、その気持ち、私は素直に従う心持(こころもち)は、充分・断然ある。私は、優れた卓見(たっけん)を持つ方を、三顧の礼(さんこのれい)をもって迎える用意はある。一応、「依法不依人(えほうふえにん)」法に依って人に依らず、の大仏法(だいぶっぽう)の大原則は守った上での、お話だ。
 物事は、フレキシブルに、柔軟性に富んで、増してゆかないと、いけないと思う。年齢などには、私は全くこだわらない。御本仏宗祖日蓮大聖人様(ごほんぶつしゅうそにちれんだいしょうにんさま)だって、年上の、自分よりもかなり年配の弟子や信徒に、御説法(ごせっぽう)、御書(ごしょ)を贈られたりしていて、全く年齢には無頓着(むとんちゃく)、こだわりはなかった。
 年下の御自分(大聖人様)が、立派に年上にモノを言い、指導をしていたのだから、私も当然、それに習おう。年下に私も従う。先生は、至る所に居る。しかし、最も大事な師は、うちのお寺の御住職様(ごじゅうしょくさま)、御法主上人猊下様(ごほっすしょうにんげいかさま)、大御本尊様(だいごほんぞんさま)、日蓮大聖人様(にちれんだいしょうにんさま)、これさえ忘れなければ、全宇宙の、諸天善神(しょてんぜんじん)も、神々が、私達を根底から必死になって守っていて下さる。あくまでも、大原則は、日蓮正宗の教義、御教えを守る、と言う事。
 猊下様だか、御住職様だか、日蓮正宗の御本だかでも、言っていた。人は一人では生きられない。人は、自分一人で成長したんだ、なんて考える時点で、甘すぎる、人生舐めて掛かっている(この文は私独自のここ最近よく使う表現)、大間違い(おおまちがい)の元(もと)なんだ、と。誰かによって育て上げられたからこそ、今日の自分が、立派にこうして、存在している。それを、大聖人様は、御書の中の「四恩抄(しおんしょう)」だとか、「報恩抄(ほうおんしょう)」だとかで、恩に報いる、恩返しの徳を御説き遊ばされている。
 その他にも、私の場合、お寺以外にも、病院医療・福祉関係者等々、昨日もその記事を書いたが、それら、数多(あまた)の、多数の人々の助力(じょりょく)の上に、私の生活が成り立っている以上、いずれ、これから、それら、お寺関係者、医療・福祉関係者、何よりも、この国、大日本国の、天皇陛下様、為政者(いせいしゃ)、各関係者の皆様に、御恩返し(ごおんがえし)をしなければならぬとの考え、所存(しょぞん)である。勿体(もったい)ない、話である。
 いわゆる、仏教上の、「四恩」とは、国主(こくしゅ)の恩、衆生(しゅじょう)の恩、父母(ふぼ)の恩、仏教の三宝(さんぼう)の恩、この四つの恩を言う。
 この中で、国主の恩とは、私は、国民主権の世では、一般国民を指す、という意見もあるが、それでは、衆生の恩とも重なるので、この場合は、一国の国政の総理大臣・首相が、象徴としての天皇陛下様が、この場合の、国主なのではないのか、とも思う。
 仏教の三宝とは、日蓮正宗の場合、仏宝=日蓮大聖人様、法宝=南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の三大秘法(さんだいひほう)の本門戒壇(ほんもんかいだん)の大御本尊様、僧宝=第二祖開山日興上人(だいにそかいざんにっこうしょうにん)を始めとする、歴代の御法主上人猊下様方、現在までに至る猊下(げいか)様に連なる法統連綿(ほうとうれんめん)の、血脈相承(けちみゃくそうじょう)の、唯授一人(ゆいじゅいちにん)の、法水写瓶(ほっすいしゃびょう)の、伝統宗教の、大仏教大仏法大哲学の、高等宗教の、我らの日蓮正宗にしか、この世を救う、人生の友ともなり得る、素晴らしいまともな宗教宗派は、この我が宗にしか、絶対有り得ないのである。
 とにかく、この稿最後の結論としては、私の覚悟として、日蓮正宗で受けた大恩御恩は、全て残らず、お返し致す。
 綺麗さっぱり、自身の思うまま、この宗内に於いて、暮させてもらって居る以上、その関係上、その、御恩・奉公(ごおん・ほうこう)の関係性、仁義礼智信(じんぎれいちしん)を欠いては、私の人情が廃(すた)る。
 この、一旦、我が宗に危急の時あらば、いざ鎌倉、絶対に自身でも彼(か)の地、総本山富士大石寺(そうほんざんふじたいせきじ)、末寺の菩提寺(まつじのぼだいじ)、に応援に馳せ参じて、立派に駆けつけて見せる。
 御本尊の、仏様の慈悲の四力(しりき)、仏力・法力(ぶつりき・ほうりき)に対して、信力・行力(しんりき・ぎょうりき)でお応えする。絶対に、不知恩の輩(ふちおんのやから)であってはならない。厳に自身を戒める。
 正に、鎌倉時代のお話「鉢の木(はちのき)」の世界そのままである。それは、その話は、私の、医療福祉関係にも、応用が出来得る。
 いざ、世直し、恩返し、の、私自身の覚悟、ここに極まれり、である。

 以上。よしなに。wainai