私は、自身が、他の信仰をしている方に、相手の人格を否定した折伏をしていなかったかと、非常に怖れる。
それは、日蓮正宗第六十八世日如御法主上人猊下様が、常々仰られるお言葉に「折伏はケンカではない。ましてや、相手の人格をけちょんけちょんに、否定しまくる。ここにはそんな人はいないとは思うが…。(趣意)」との発言からも分かる通り、私達の「折伏」はケンカではない。ましてや、争い事などでもないはずだ。それに、相手の人格までも、否定してはならない、とある。
これは、非常に私など普段から奔放に折伏と称して、語っているものには、胸にも耳にも痛い。私は常に自身に問いかける。私の折伏は、御法主上人猊下様の御意思に常に叶った折伏行であるのかと。
ここなんです。今、大事な点、事は。心からの折伏とは、常に相手の事を思いやり、相手の立場に立ち、相手の悩みをも時には聞き、慈悲でものを語る。決して自身の知識をひけらかしたり、慢心を起こしたり、相手を強く責め立ててはならないのだ。
福島県会津地方の、「ならぬものはならぬ」なのである。やってはいけないと猊下様が仰られた事は、「代々の法主、これ、日蓮なり」で、猊下様の言う事を聞かないと、日蓮大聖人様が悲しむ。
とにかく、一にも二にも、相手の意見をまず聞き、吟味して、それから、こちらの話をゆっくりと語る。それには、私ももう少し、仏道修行が必要なようだ。
以上。よしなに。wainai