昨日も、夕べの勤行会で、御住職様の御説法、最後の題目三唱後に、また、H講頭さんを囲んで、相談会と言うか、いつもの和気藹々とした、会合となる筈であった。
しかし、その日は、私が中心にとうとうと語ってしまい、ほとんど独壇場にしてしまった。その時は、まずは、私が二十年前に行った、福島県須賀川市で開かれた、「うつくしま未来博」について、私は熱弁を振るった。
その時に、母の車で、須賀川駅の、福交バスの駐車場に車を停めて、博覧会の会場まで、往復シャトルバスに乗って母と一緒に行った事。そして、その未来博の、応援歌と言うか、テーマ曲が、当時の、岩崎宏美さんの歌であった事。
これらを話しても、その場の誰も当時の記憶がなく、唯一、講頭さんが、あの時の博覧会は、福島県で当時、会場入場者数が二百万人を超えた事が唯一の発言であり、その後は、正に、私色の世界にその場が全色、染まってゆく。
そして、その博覧会では、ラジオ福島の臨時放送局が在ったり、福島民報館では、当時の、大正昭和平成の新聞が、リクエストすると、印刷してもらえた事。
その時の、確か、歌の誰が歌っていたのかは忘れたが、会場で歌手たちがうたい歌の鑑賞を母と二人でした事。
それに、私の家には、当時のうつくしま未来博の、ガイドブックまである事。
等々を話すと、じゃあ、○○君(私)は、今度の大阪万博も行く積りなの?と講頭さんに聞かれて、とんでもない、大阪は、福島県立安積高校生の時の、修学旅行でもう行ったから、多分行かないだろう、と答えた。
そうして、私の怒涛の様な、その時の、二十年、三十年前の、修学旅行で、大阪・京都・奈良へ行った事を話しまくる。大阪では、大阪城を見た後、通天閣で、当時、日本一というふぐちり屋で、フグ料理を食べた事を言うと、福島県立福島高校卒の講頭さんが、安高では、皆でフグを食べに大阪に行ったのかと聞くから、違う、自由行動、グループ行動で、大阪へは、数人単位のグループで行ったんだ、と答えた。
その場の皆は、呆れかえるというか、もう、話しについて行けずに、講頭さんが、今日は皆、どうしたの?と聞くと、男性の新人信徒の方が、いや、二人で話が続いていて、ただ、すごいな、と、というばかりで、その場が私の話が一人芝居のように一人で盛り上がり懐かしがってしまい、盛り下がっている事が私も気付き、判る。
その安高の修学旅行の前の、うつくしま未来博でも、既に、皆は知らない話の連続に、沈黙を重ねていたのだが、講頭さんも、私の声の上ずった調子を見て、「一人で勝手に盛り上がってなさい!」と言った調子で見放されてしまった。
それに、講頭さんは、その、うつくしま未来博に行った事があるか私から質問すると、一回も当時は行かなかった。だって、私(講頭さん)は、人が並んでいたり、人混みが何てったって大嫌いだから、と答えて、それは、私も、食事位で、ラーメン屋等に並ぶのは嫌だ、とは答えた。そこは私も理解すると。
でも、つくば博は行ったんでしょ、と聞くと、電機メーカーのS社に所属していた講頭さんは、仕方なく、社員旅行だから行ったよ、と答えたが、詰まらなく、余り面白くもなかったと漏らしていた。
とにかく、私は、その日は、一人語りの、未来博、修学旅行の話を一人で展開してしまい、その場が興ざめしてしまった。
その日の会合は、私のおかげで、いつもよりも幾分か早く、終わってしまったのであった。
非常に、反省しきり。
以上。よしなに。wainai