私の、今年二月の、88鍵の電子ピアノ、五万円位の価格、これを、福祉関係者達には、何の相談もなく買い求め、否、相談したかしないかの内には既に買って届いていた。
これに対して、福祉の人などは、何の相談もしないで、とか、私だったら、こんなの買わない、だの、総スカンであり、私もそれに対して、反抗したり、反省を加えたり、どうしようもなく、この後、ただ目の前にある、その、歯をむき出しにしたような、88鍵ヤマハピアノに対して、ただ、威圧感を覚えるのみ、戦慄を感ずるのみであった。
これでは、ピアノの学習になど、面と向かって、大見栄切って、出来得るはずがない。大体が、福祉関係者達は、私の上に君臨していて、私の、これは、借金生活で首が回らなかった時代から、見知った関係性に在るのだから。
それで、本日、福祉関係者達とも相談の上、奥の間に、88鍵ピアノは、撤去の憂き目になった。憂き目というよりも、そうと私が初めから望んだのである。
これを売却すれば、また、私の事だから、欲しくなって欲しくなってうずうずし出すに決まっている。そう、福祉の金銭管理の方は睨んだ。だから、敢えて、目の前から一時的に奥の間に消えてもらったのである。
それで、そうして、元々は、今年の二月過ぎに、その、悪評判の、ヤマハの88鍵を買ったのだったが、君子豹変す。気が代わり、それを撤去して、その後、今年の一月に購入した、三万円の、カシオのCT-S1という、最初からお気に入りの、61鍵の、ミニサイズの、こじんまりとした赤色の電子ピアノが、写真画像でも判る通りに、今、現在の今日では我が家の台所にでんとして、置いてある。
このサイズが私にはピッタリなのだ。持ち運びにしても、私の様な、幼児に等しい、初心者としてのピアノの技量にしても。私は非常に、今年の初め、年頭に当たり、このピアノを高く評価して、購入した経緯がある。だから、親しみ感は半端ない。大好きなカシオの電子ピアノの機種であり、キータッチも優れていて、これなら、福祉関係者にも、二度と文句は言われないだろう。今年の夏の、コタツの、布団を奥の間に持って行き整理する事も、これも可能な軽さ、小ささである。
ずっと悩んでいたのである。我が家のピアノの配置の関係には。これは、ヤマハの88鍵にしたのには理由があり、そこへ、ヤマハへと、大人のピアノ教室へ通いたいと電話を入れると、そこの年老いた男性店員が、いずれ、88鍵のピアノが必要になりますよ、との説明を真に受けて、私の暴走が始まった。
あれを聞かなかったら、こうは成らなかったはずである。今まで通り、カシオの61鍵のCT-S1を使っていた筈であった。そこが私のおかしな所なのである。
すぐ、人の言う事を鵜呑みにする。疑いもせずに突っ走る。これでは、今現在、私は福島県警のポリスメールの愛読者なのだが、そこでは、今も尚、振り込め詐欺やら、フィッシング詐欺などを警告するEメールがわんさか来る。
それらに私などは、赤子の手をひねるが如くに、今の状態ならば、引っ掛かりかねない。幾ら法政大学法学部時代(中退)に法律等を習い、法に詳しいと自認しようが、今回の、ピアノ屋のセールストークにこうまでも乗せられるのだから。
ある、ピアノ通信教育(ユーキャンだったか)では、初めから、ピアノは61鍵に対応している教材を使い、そんな、88鍵などは一切要らないそうである。
ユーチューブ動画を女性が電子ピアノを弾いているのを見て、感心したのは、簡単単純な、44鍵程度の、トイピアノ程度の電子ピアノでも、立派にモーツアルトの、トルコ行進曲のピアノソナタを演奏しきっていた事だった。詰まりは、鍵盤数など、プロでもなければ、それ程関係なく、編曲次第でどうにでもなる、という訳だ。
この件からしても、私は金に飽かせて、放漫経営、ありったけの金を使って使い果たして、しかも場所も取り過ぎて重たく、軽くは決してない重量であり、悪い欠点だらけの88鍵の電子ピアノに凝り固まっていた事を、今、非常に自身で恥じて反省している。
今の私の力量で、果たしてそんな、88鍵のピアノが必要なのか、疑問なのだった。
誰しも、身の丈に合った、暮らし向き、というものがある。プロフェッショナルの、それで食っていける位の御仁がやるならば、これはそれこそ、もっと上の、生ピアノ、アコースティックピアノも必要だろう。
しかし、私などの初心者が、手を出すには早すぎた、大袈裟、大仰な、88鍵の電子ピアノであった。私はこれを後悔するものだが、後は綺麗さっぱり、あと腐れなく、今度は、カシオの61鍵、CT-S1の電子ピアノの愛器で、またもや、ピアノ道、音楽道、ミュージックの道に邁進、ばく進する積り、覚悟である。渡りに船とはこの事だ。
今のこの時が、非常に貴重で大事なのである。それが、今までの重しのように自分にドシンと乗せられていたプレッシャーとも別れられるのかと思うと、望外の嬉しさ幸せ感が心に込み上げ満ち溢れ染みて来る。
これは負け惜しみでも何でも一切なく、心からの、自然なる発露がそうさせているのである。
ただ、心から嬉しい。今の私にとり、それだけなのだ。
要するに、食費等々、自分の為になるならば、その為のお金はケチらない。しかし、今回の様な、一番ムダだった出費には今後は絶対にサイフのヒモを締めて、一切使わない。関わらない。自己を、自分に厳しく戒める事をここに誓う。これを自身の一大決心、大原則、大目標とする。
大袈裟だが、人生に於ける、自由を獲得した、と。何て自分は自由で捉われていないのかと。そして、かつての買い物に於いての無駄遣い、正に放漫な在り方が、自身の反省点として、これを、一日、二省も三省も加えて、自己反省をする毎日なのである。その結果が、総決算が、今日というこの日なのであった。
以上。よしなに。wainai、長文、誠に失礼。