Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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郡山市の者が、他市町村へ就職しようとすると…どうなるか?!

2023年05月20日 10時54分33秒 | 仕事労働、手仕事日本、メイドインジャパン環境日々仕事習慣勤労
 郡山市の私の様な者が、市外、須賀川市や、本宮市、中には、鏡石町等々で、働こうと(それ位、職場が当時の氷河期世代の私共には無くて、地方を堂々巡りをしていた)、していても、滅多に、仕事は見つからなかった。
 むしろ、バカにされた。郡山の方が、仕事が沢山あるでしょう(その当時から、無かったのです)、自分の、つまりは、私の技術、技量がないから、何か、人には言えない、いわくつきの人物、人財だからと、非常に警戒の目を持って、それら、郡山市外へ、就職を希望する、私へのものの目の見方と言ったら、非常に冷たいものであった。

 私は、母がその当時、車を運転してくれる事を前提に、自身も普通自動車免許は持ってはいたが、ペーパードライバーであり、会社へは、母が運転する事は打ち明けた事も多かったが、この時は内緒で面接を受けていた。
 とにかく、連戦連敗、受かった試しなど無い。それは言い過ぎであるが、大企業、高所得の企業は受からず、たまによさげな企業があったが、皆、中小企業であり、低所得、ブラック企業が受かる程度が多かった。
 それから、須賀川市の、国道四号線沿いにある、T印刷などという、悪徳ブラック企業、日本郵便、当時、郵政省が認定した、官製はがきなどを生産する会社に入れた。

 しかし、そこの女どもに、非情なる意地悪をされて、その場で、重いものを持つのは、必ず私の役目。他のそこの会社の人は、機械に任せて、重いものは運んだりしていたのに、私の側は、その機械がなく、私による人力で、運んでいた。

 ついに、私の体力も限界を迎え、はがきの、大量の印刷物を、落としそうになった。

 すると、その、一緒にペア(トリオ)を組んでいた、高齢女性二人が、「この男は、箸も棒も持った事のない、どうしようもない、人間なんだねえ」との酷すぎる嫌味を言われて、私は激怒して、もうこんなところでは、絶対働かない、勝手にお前らだけで、私の分も、重いものを一生担いで、ここで、骨でも埋めて居ろ!と言って、その場から立ち去ろうとした。

 今まで、重労働は、男一人の私に押し付けて置いて、いざ、それが、その重労働を、今度は又、人財探し、私が辞めたからって、一から探さなきゃならなくなる、その責任をそいつら高齢女子二人は、又新しい人が来るまで、最後は押し付けられると、責任を感じたのか、私を呼び止めて、「待て、待ちなさい」と言われても、後の祭り。

 私は「誰が待つか。この女郎(メロウ)。後はどうなろうと誰が知るか?!勝手にわめいてろ!このバカメロウ!」と言って颯爽とその場を改めて立ち去った。

 須賀川市ではこのほか、私が仕事探しで、ハローワークで探して、紹介を受けた会社がある。実際、四号線のそばの、大黒町にある、技術屋、というか、船の、船尾か、船首の、木工を作ったり、とにかく、木工屋の類の、私も一度、働いてみたいと思う程の、中小企業に、面接に行った。

 しかし、事前に、職安ハローワークで、そこの木工会社の責任者との、アポ、アポイントを取ったはずなのに、その面接日、その、担当者は、ドタキャンで、全く所在が知れずに、欠席して、居なくて、すっぽかされた。最初から、私は、足元を見られた訳だ。

 それで、私は、空手形で、その日の面接は、相手側によるこちらの大損失、大失敗が約束されたのは、面接を受ける前から確実・確定的だった。

 この当時、こういった、約束された日取り、日時の、敢えての、面接官の欠席、という、面接日の相手側の言い訳の有無の欠席、欠如欠陥は、良く行われた手口、これら就職氷河期世代の、業界の常識であり、買い手市場の為せる業であった。そんな事共は、日常茶飯事であった。

 初めから、就職就社させる気も、全くと言って良い程、無かったのであろう。

 そこの会社の面接も、履歴書を渡す場面も、全く無く、そんな、面接担当官もいない会社に、個人情報の履歴書を渡すのもおかしな話であり、渡さなくて、良かったと今は思い、そうして、私はただの、お客さん扱いであった。

 見学、と称して、そこの、木工の会社の内部を、私は会社の人と見て回った。

 船のプロペラの様な、立派な、いかにも船らしい姿の、木工製品を見て、思わず、私から「私もこんな会社で、働いてみたいです。」と言っても、そこの会社の方は、それは無理だ、と言わんばかりの、冷酷な程の冷たい無視で応えた。

 その反応を見て、私は、私の側の、勝手な、夢想、片想いなんだなあ、と、その時の、やけに冷たいその会社の人々全員の対応を見て、すぐに、見て取り、分かった。私は、招かざる客なんだと。私としても、情報漏洩を考えると、履歴書を、渡して来なくて、本当に良かったと、思い致した。

 須賀川の人達は、それ以外の、郡山市以外の人は皆、大都会の、郡山市へと、遠くても、就職を考えて、通いたがる。それが、一種の、名誉、ステイタスだとも、彼ら彼女らは考え、思っているようだ。「大郡山」、との、その、立派な大都会、大都市へと、誰も彼も、吸収され、追い付き、自分の人生の舞台として、華々しく、賭けてみたいと。

 須賀川市や、本宮市、大玉村、猪苗代町、田村市、小野町、三春町、舞木町、鏡石町、矢吹町、天栄村、等々は、実際の所、郡山市の周辺に位置した、郡山のベッドタウンだ。

 以前、須賀川市の、ハローワークに、母と、一緒に行った。その日に、見知らぬ女子達の、私より何歳か若かった、当時の私も二十代前半ではあったが、その時の、私と同じように、その場に仕事を捜しに来ていた、その須賀川市の女子二名の、キャーキャーその場で騒ぐ、それら、ミーハーっぽい、話題が非常に面白かった、個人的にも。

 それが、郡山の地名に根差したものであり、こんなやり取りであった。

 「郡山の地名って皆、カッコいい!並木、西ノ内、池の台、虎丸、長者、昭和町、清水台、開成、朝日、桑野、台新、堤下、堤、赤木、緑が丘、安積町、大槻、土瓜、富田…。何てカッコいいんだろう!いいなあ、あこがれるぅっ!」というものだった。

 それら郡山市の地名を皆、列挙して、郡山市に憧れて、郡山で働きたい、という、それら、須賀川市民の、切なる、郡山を熱烈に悲願・懇願するような、若い人達の憧れた気持ちが充分現れていた。

 それらの話に関しては、その場に母もその時に当然居あわせて、我が家に帰って来てから、母と私で思い出し話として、大いに笑わせてもらい頂いた。

 この、郡山が、どうにも、そんなに、田舎の人が、憧れ仰ぐ街、都市だとは露も知らずに思いもせずに、関東地方の日本の首都・東京都に憧れるならまだしも、こんな、郡山市くんだりが、本当に?という、その唐突さに、そんな人種もいるんだと、母と一同、私自身も、大きく笑かしてもらった。まるで、ギャグ、お笑いに相違ない、違いないと。どこかの、何かの間違いか、とも。

 そうした意見で、母とも一致を見た。余程の、東京じゃなくても憧れる位の、郡山で満足し出来得る、相当、余程の田舎者なのだと。認識が出来た。母との、それに関して家に帰ってからの、思い出し・大笑い、笑い話の元とはなった。

 敢えて、笑いを取る為にやってるんじゃないの、との意見も母との話で出たが、それにしては、笑い声一つ立てずに、あれだけ真剣になってあの女子二名は、行なっていたので、やっぱり、本気本当なんだろうと。

 それだけのネームバリュー、インパクトが、郡山市には、他市町村からは、当時から、あったのだ。

 私には、そんな郡山の土地の地名なんて、普通の当たり前であり、何の憧れも、何の取り柄も無い程の、普通に普段から、何にも感じない程の、違和感も、自意識も、憧れもなくて、そんな事なんて、考えた事も全く無かった。それを、素晴らしい土地名だと、ベタ褒めの、褒めまくりの、一瞬褒め殺しなのかとの、思いを懐いた、あの須賀川職安に居たあの若い女子達…。

 よっぽど、私は、実は、恵まれた、郡山の周辺にいる人々が羨む程の環境下に居るんだと、思い直した。

 だけれども、それら、郡山の周りからは、郡山へと、働きに来るが、その弊害で、私の様な、その逆の、反対を行く、郡山以外の周辺の土地に、憧れをもっているのに、それら田舎で、郡山以外へと、就職しようとする者への、それら周辺土地人の、私への風当たり、差別感と言ったらなかった。

 実際に、須賀川で働いていた時には、その面接時から、何だか、落ち武者、都から逃れて来た者、都落ちして来た者、とのおもむろな、レッテル貼り。ただ、田舎に憧れているだけなのに。そういった、変わり者かも知れないが、田舎が好きな人も、実際居るのに。

 私には、そんな、郡山市と、その周辺都市との、格差がある事が、ここ最近において、漸く分かってきた。

 もう二度と、須賀川くんだりなどの、郡山市以外へは就職などはしない。したくはない。そう思い決めた。実にバカらしい話。こちらが軽く見下され見られて、郡山で通用しないから、こんな、須賀川辺りに来てるんだろう、と、全く、見下げた目で見られるだけだった。もうそんなのは、嫌だ。こりごりだ。郡山市内で結構。もう、郡山一択だ。

 皆が郡山を目指して来るから、反対に、交通渋滞には巻き込まれずに、反対の車が空いた道、反対車線を悠々と行けて、良かったのではあったのだがねえ。私は、一風変わった、モノ好きにしか、見られなかった。どの会社、郡山周辺の人達それら人々にも。

 
 福島県内の多数、郡山市やその周辺の人達は、こちらが謙遜、へりくだって言ってるのが、全然判らない傍若無人の不躾無礼な輩、が多い気がする。こちらは、額面通りに、へりくだってるのに、全然、それが認められない。むしろ、その頭を下げたからって、それだから、お前の価値はゼロなんだ、と言いたげな、言説・言動・考えは今日を以て辞めて欲しい。そんな無作法なやり方は、東京を含む関東や日本全国じゃ通用しないから。

 ちょうど、東北南部の、無アクセント地域、平板なアクセントの、地域と、重なる。それら、敬語を使って、敬語が通用している日本全国の地域と通用しない地域、詰まりは福島全体が、敬語が発達せずに人を全く敬ってはいない、人様の謙遜の情をないがしろにはしてはいないのか。そんな危惧の念慮もいだく、今日この頃。
 
 親しき中にも礼儀あり。田舎、方言の敬語抜きの友達まがいのフレンドリーさと、敬語で他人様を、或いは御両親御兄弟御親戚、等々、を敬うのとでは、福島は、親しく人に近寄っては来るが、決して他人様を敬ってはいやしない感覚を受ける。そこが、いなかっぺの、限界性なのだ。解っているのか、本当に。

 いつも、長文失礼仕ります。御無礼を御承服願います。

 以上。よしなに。wainai


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