Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

私の手持ちのそろばん、ソロバン、算盤

2023年02月18日 10時04分07秒 | 筆記具系・文房具・文系器具・文理系・そろばん・ソロバン・算盤・理系・理数科目
私は、一杯算盤を持っている。今日は、それを紹介したい。

この上のそろばんは、栃木県黒磯市(当時。現那須塩原市)の、文房具屋で買い求めた、雲州算盤。メーカー名が「雲州堂」とあり、当時、三千円で売っていたのを、母が黒磯で買い求め、私が当時初めて入院生活を送っていた時に、わざわざ病院まで届けてくれた、想い出のそろばん。これは、エッジ、角が丸まっていて、持った時の感触が非常に気持ちが良い。
見て御覧下さい。左が、その雲州算盤。出雲の国。島根県産。右が、百円ショップのそろばん。エッジが丸く角が取れたように施されている。持ち味が大変良い。実際上、高級感では、この左の雲州そろばんの方が、高い感じがする。これが、1990年代当初、三千円なのだから、日本製だし、大したものだ。
こちらは、トモエ算盤が一番上。こちらのトモエそろばんは、兵庫県産、播州そろばんである。当時、今から二十年以上前に、これは4、5千円した。ケースは別売りで、これも、千円近くした。
日本の算盤の生産地は、西日本に集中していて、兵庫県と島根県が主な生産地である。これらで、主要そろばん、おそらく日本のそろばん生産量の、九割は賄っているのではないか、そう思う。
こちらは、私が郡山市の駅前・中町通りと駅前通り両方に変則的に繋がった不思議な建物であった場所に、以前あった、文房具店等々、「やまのいカルチャーセンター」にて、定価15,000円にて買い求めた、ワンタッチ式算盤。詰まりは、御破算が、ボタン一つで出来てしまう機構の、素晴らしいそろばん。
しかし、何か、使っていると、壊れてしまうのがコワくて、あんまり使わない。これを使う時は、そろばんの一級、二級試験でも受ける時位かなあ、とも思っている。何より、御破算のスピードは、静かに出来るし、そのスピードは、正に、一瞬である。
ちゃんと、御破算機能付きの、トモエのワンタッチそろばんには、ケースまで付いてきている。それだけ高級品なのだ。それに、私は、当時、毎日新聞にて、載せられていたマンガ、「アサッテ君」の、そろばんについての四コマ漫画を、後生大事に持って、そのケースに納めている。これが、ほのぼのとして、とても良い、東海林さだおさんの漫画なのである。大好きな四コマ漫画だ。



以前、母と栃木県のJR東日本の黒磯駅に行き、帰りも電車に乗ったが、その時、電車の改札口で、駅員さんが、今では珍しい、そろばんでおつりや運賃の計算をしていた。これには驚いた。今どき、電子計算機、電卓じゃなくて、「そろばん?」と。

しかし、駅員さんは、何の疑問もてらいもなく、淡々と、その「そろばん」で素早く計算を行っていた。御破算の時の横一直線に上の五珠を、「チャーッ。ザーッ。」という揃える時の音や、「パチパチ」とそろばんの珠を弾(はじ)く音が小気味良い。私は、ひと時、その場で感動に満たされ、包まれた。懐かしかった。私の、ソロバン人生、そろばんに賭けた日々が、戻ってきた気がした。駅員さんに、感謝したい気持ちだった。(その場で、駅員さんに、本当に感謝したら、不審な客と思われ、つまみ出されるのがオチではあるが…。)

しかし、正確性に於いては、このそろばんの右に出る者はいない。素晴らしい計算道具である。検算をやって、答えを確かめる事も出来る。一番、身近な私の計算機、そろばん。

何も、電子計算機、電卓だけが、時の華、時代の寵児では全く無いのである。こんな、原始的と思われようが、いざとなれば、電気も何にも無くなった時代、暁には、この、「そろばん」が再度、注目を浴び、脚光を浴びるだろう。エコな、環境にも優しい手動式計算機、計算器具だと。

そろばんは時代遅れ、だと思っているのは、ただの、日本国内だけである。この計算器具に、今、世界が注目しだしている。アメリカやヨーロッパでは、教育に取り入れている学校も増え出し、世界に、日本のそろばんが輸出されている。親日国のトンガ王国では、そろばん運動(?確か、そんな用語だったか?)と称して、国民一人一人が算盤を手にして、国を挙げて、そろばんを宣揚して、啓発活動を行い、トンガの王様共々、国民皆でそろばんに慣れ親しんでいる。

そろばんは、日本以外の国で再評価され、実際には、これからおそらく、日本がそろばんの聖地、中心地ではなくなり、外国勢が、素晴らしい、ソロバンの担い手、主力選手と成っていくのではないか。



何でもそうである。日本の国技であった、柔道が、外国勢に持っていかれて、今では、日本の選手が弱っちくて、負け込んで、大変に外国選手にやられている。日本のお家芸が、これも、半導体などが、中国・韓国・台湾に技術を日本がただで教えてやって、その反動が、今現在の、日本の発明した技術移転と成って、それら国々に脅かされる。「この国のかたち」(司馬遼太郎先生・エッセイ著書題名から拝借)は、いつでも、そうである。簡単に、よその国の「回し者」「スパイ」になり、その弊害を、国、国民全体が負う、という構造的欠陥精神、腐った精神。要するに、その「回し者」達は、わずかな小銭稼ぎに、簡単によその国に企業、国の機密情報を中韓北台露等々の国々に売り込む。この癖、習性は、何とかならぬものか?!そういった奴は、国賊、売国奴、非国民、として、何としてでも、その張本人達には、国・日本企業が被った損害、損失を補填する為に、時効無しで、遡ってでも、大変な罰金刑、懲役刑でも課する他は、全くない。

一円を笑う者は一円に泣く。そろばんを笑う者はそろばんに泣く。

これは、道理であり、真理・真実である。

正に、泣くのは、我々、日本人・日本国民である。

その、そろばん教育を途中中途で投げ出し、うっちゃらかして、台無しにした、極悪省庁「日本国文部科学省」、日本の寺子屋の伝統・制度、「読み・書き・そろばん」の大事な国是、国民の慣習を、戦前からのしきたり、伝統教育を軽んじた、現、文科省、日本の教職員組合の、左巻きの、極左、左翼の、極悪労働組合・団体・組織の「日教組」、まさに、これら両者が、日本のガン、極悪、巨魁、親玉、親分、悪党団体・省庁どものせいで、我々国民が泣くのである。本当の意味での、純粋な日本人なのか、そいつら自身は?

この始末、どう付けたら良いのか。皆、共産主義者の、シンパばかりであり、日本の共産化に拍車をかけた張本人であるではないのか?それと、戦後GHQの残滓どもの、アメリカ発の、共産主義者の息のかかった者共の巣窟。

アメリカが自由の国だと思ったら大間違い。実際は、アメリカ自身も、実態は、共産化している所も多々、見受けられる。アメリカは、決して、自由の御旗の、フリーダムの、デモクラシーが発達した国だとは、ゆめゆめ、想うなかれ!!

そのツケ、罪は、大罪であり、重いと言わざるを得ない。お前ら、後生を畏れよ!今現在の、悪の現証、厳罰、現罰を知り、怖れよ!


話しが又、脱線してしまった。しかし、大事な事なので、話したまでだ。

話を元に戻したい。

「そろばん」は、電池も電気も一切要らない、実にシンプルな、現代でも絶対に通用する、正に、現代こそ、その真価を発揮し得る、ツール、道具の一つ、手段の、手動の計算機である。電気のお金も掛からない。モノとしての「そろばん」は、文房具屋(今は実に、売っている店が少ない、少なくとも、郡山市内では、どこにも売ってなく、皆無だ。”後述の”、「百円ショップダイソー」位が関の山。価格がリーズナブルで、尚、良いんだが、桁数が少ないのが、難点だが、その安さ、耐久性、持ち運びには持ってこい。中国製だが、ABS樹脂であり、頑丈であり、木製よりも壊れにくく私の愛用品の一つ。カバンに忍ばせても、知れたもの。失くせば、又買い戻せば良い。)や、アマゾン等のネット通販にて、買い求めるか、百円ショップの、そろばんコーナー、それ位か。後は、今は、スマホのアプリで、ソロバンソフト・アプリが沢山出ているので、仮想化した、それを利用する。

しかし、実際上の、見た目での上での、そろばんは、それら、仮想上の、スマホのアプリなどでは、決して、現実の算盤に、適う筈もない。それはそうだろう。アプリなどは、電気仕掛けの、まやかしものであるからだ。

実際に、モノとしてのそろばんを使っていると、その経年経過、モノとして使い込んだ、味わいというものが、それらソロバン器具の表情が、モノの表にも裏にも表れて来て、尚更、愛着が湧いてくるから不思議だ。記憶を呼び覚まし、これを買ったのはいつだったか、とか、思い直し、これを、生涯、使い込んでゆこう、と、大事に慎重にモノを扱う気持ち、心持ちも次第に段々に徐々に高まり育ってゆく。

又、話を揺り戻すが、個人的な、極悪教育機関・団体・権化の、文科省・日教組に対して、一人一人でも、我ら自身が自発的にでも対抗、個人的な教育のし直しをする他は全くない。人の子の親であるならば、出来る限り、今も存続するのであれば、街のそろばん教室に通わせるなり、個人的に、これも、私も利用もした事も有るが、通信教育にて習う。今は、何社か、通信教育にて、教材付きで出ているのではないかと存する。それが今はなく、叶わないならば、今はアマゾンでも、街の本屋さんに注文でもいいが、良いそろばんの本が簡単に手に入る。正に、独学。これを、親子で勉学・勉強・学習を致す。子供の教育には、最高の教材になるに違いない。親子の共にの、学び合い、である。いずれもお金のかかる事共だが、お金には代えられない。


わたくしは、これだけは、これらの事共は、事実上、実際上、現実上、強調して置く事にする。

話すだけ、書くだけ書いて、後は野となれ山となれ、ほったらかしの心境であり、今は実に、気分が良い。この事共は、書いてよかったと実によーくと本当に思う。大好きで愛すべき「そろばん」をネタにして、ここまで話せ、書けたんだもの、及第点でしょう。うちの「そろばん」たちも、大喜びしていると思いますよ。

読者の反応は知らんけれども。読者の皆様、誠に、乱筆乱文、長文失礼致しました。私の戯言に付き合って頂き、畏れを感じ懐きつつ、感謝致します。以後も宜しくお願いします。

以上。よしなに。wainai


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。