まずは、私から、gooブログ恒例の、「今日のひとこと」から。事実、有言実行として、記録記憶として取って置きたい。
それ以降、私の長文の主文が続きます。ヒマな時にでもどうぞお読み下さいね。
表題通り、会話文体調ですからねぇ、読む苦労はしない筈です。自信はありますよ。
長文ゆえの、時間さえあればですがね。チャンチャン(笑い)。
今日のひとこと
テーマ:3月の目標は?
一度投稿すると編集はできません。
毎日10時に更新されます。
毎日10時に更新されます。
投稿済み
今日のひとことテーマ:3月の目標は?私の三月の目標は、毎度ですが、日蓮正宗としての折伏です。それと、ギターが上手くなれるように練習する事です。それに新しく始めた打楽器の「カホン」にも取り組み上達を願い、それら合わせて今現在盛んに自身の目標・夢・モチベーションとしています。いざ、やるぞ!!
本日、私は、朝は、ネットだ、楽器にはいじれなかったが、主にネットだった。
そうして、午後六時を軽く過ぎるか過ぎないかのギリギリの時点で、家を出た。遅刻を当然、見込んで計算にズルくも入れた上で。
今日は、私のお寺、菩提寺の、日蓮正宗無量山壽海寺での、先祖回向の「御経日」。
そして、私は潜り込むように、自然な振りして(全然不自然である!)、皆の読経に混ざった。
そして、とっくに三座の一座目の方便品が終わっていて、私は寿量品長行の途中から、それはそれは大声で唱えだした。
すると、私の所に、いつの間にか、というのだろう。講頭さんが忍び寄るようににじり寄るように近寄って来て、「wainai君!?それじゃあ、導師の御住職様のお声が聞き取れないでしょう?違うかい!」と講頭さんあくまで小声でそう、私に耳打ちして、仰られた。
私はハッとして、目が覚めたようにその事実に自分でも気づいて、それ以降は、御住職様をただ、拝信するのみで、小さな声で自然と会得して皆と唱和した。
そして、御住職様は、夕べの三座の勤行の読経唱題を終えられ、次に、「なるほどなっとくQ&A」という、肩の凝らない、日蓮正宗の化儀作法の御本の御説法に移られた。
そうして、御住職様の甚深の、懇ろな御説法の後、最後の題目三唱で締めて、この日の夕べの御経日は終了した。
私は、先祖回向の時、毎回の事だが、卒塔婆を先祖に手向けて感極まってしまい、感情がつい、軽く、爽というか躁状態となってしまった。
それから御住職様を見送り、ずっと伏せ拝をしていた。
この後、講頭さんから、例によって何か、説教、怒りの声でもあるのかとも思っていたが、むしろ、講頭さんの表情は清々として、先程の事などこれっぽっちも感じたり動じてなどはいなかったようであった。
これは、私の方がむしろ、申し訳ない気がしてしまい、講頭さんに、「やっぱり、創価学会の害毒なんですかね。私は学会時代からずっと、大きな声はいい事だ、的主義で習ってやって来たものですから、その影響かと。それに、創価学会の文化会館の同時衛星中継では、池田大作の講演が始まると、正座し直す人が続出して、まるで猊下様気取り。おまけに、どこで見張ってるんだか、文化会館の帰りになると、その、池田大作指導の最中に正座をし続けた者には、幹部とおぼしき人達から、手厚いお礼というか、ただ、お辞儀を深々とされるだけなんですけれども、私もその例に漏れずに、池田氏の講演中、ずっと正座してました。あの頃は私もまだ若かったですから」と答えた。
すると、講頭さんは、「wainai君の気持ちも良く判る。しかし、それは、あくまで猊下様だけに通用する礼儀作法だよ。一介の在俗在家信徒の、池田大作が、それ程の尊敬を集める方が元々おかしいんだよ!
それに、wainai君のあの大きな声。あれはないねえ。そして、本来は、導師に唱和して合わせるものなんだ。導師って誰だか判る?」と聞かれた私はとっさに、
「講頭さん?」
「一番には御法主上人猊下様でしょ!それに次いで、各末寺の、うちの御住職様。この方々が大導師。」
私が、
「それでも、御住職様が不在の場合は、講頭さん?」
「そう」
「それでも、時々、御住職様も御不在で、講頭さんも不在の時は、婦人部のY代さんなんかがやってる時があったなあ」
「そういう時もあるの。あってもいいの。その時は、男女関係なく、その中心者に声を合わせて唱和して、今日の先程、御住職の御本の御説法でも習った、『異体同心』で講中一結して取り組み、皆で力合わせて、唱えるんだよ。それもさっきのwainai君のようにじゃなくて、本当に声は小さくても良いんだ。他を威嚇するんじゃなくて、自分なりの穏やかな声で、決して目立とうなんて思わない事だよ。」
続けて講頭さん。
「どうも創価学会は、指導が『声仏事を為す』を曲解して、大声を出せば意が通り、通用するんだ、とか、声が大きい程、願いが叶う、なんて、間違い、勘違いしている人が多い気がする。本当に勘違いも甚だしい。」
それに又、プラスして、講頭さんから注文が入る。
「wainai君は、今日は遅刻して来たね。家をギリギリに出るから、そうやって、時間にルーズになってしまい、遅刻の憂き目に遭うんだ」と仰る。
それに対して私は情けなく弁明した。
「実は高校生時代、安高に、家が近いのをいいことに、良く遅刻してました。私は遅刻常習犯だったのです。
生活指導専門の見張り役だった教師先生にも、「近い所に住んでいる生徒に限って、遅刻してくる。何、やはりおまえも大槻町か。後はなんだ。台新?学校から近い所の生徒ばかりじゃないか?」と言われてました。
それに対して、講頭さんからも。
「確かに、私が高校生(福島県立F高校)時代も、近所の生徒程、遅刻する人が多かった気がする。
けれども、wainai君。実は私も、会社員なりたての当初は、どうしても朝忙しかったりして、五分、十分と、遅刻した事もあったんだ。
でね。或る時にね、これじゃあ、社会人として、立派に務まらない。やはり社会人として身を立てるには、時間には正確にきちんと前もって臨んで、定刻十分二十分前には、少なくとも会社に着こうと、頑張ってやり始まって、それが身について、もう数十年だよ!」
「凄い!」
「だから、wainai君も、時間をちゃんと守るようにして、このお寺に十分前、二十分前には、着けるように努力しよう!」
「ハイッ!」
私は、下手な言い訳にならないように、しかし言い訳じみてしまったが、こう答えた。
「私は実は今日は、ずっとインターネットに入り浸りで、貪欲、欲望、むさぼりの、一日だったんです。実際、このお寺に来るまで、はじまる直前の六時ちょっと前まで、ネットのタブレットやら、PCに打ち込んでいたのです。これじゃあ、『煩悩即菩提』と言ったって、夢のまた夢。おかしな毎日ですよ。」
講頭さん。
「まあまあまあ。そういう日もあるよ。誰だって。しかし、時間は厳守だよ。御住職様を待たせてはいけないからね!しっかり、お題目を唱えつつ、御住職を事前にお迎えするのが、その場にいる信徒の役目だからね。」
私。
「ハイッ!」
これで本日の二人の間の、講頭さんと私との二人同士の話し合いは終わった。
帰り際、玄関にて、私が冗談交じりに、
「けれども、私って、不思議なもので、時々、気が変わったように、凄い早い時には、三十分も何十分もかなりの時間、皆がまだ来ていないのに着いたりして来ちゃってる時がたまにあるんですよね。あれは何でなんだろう?」
講頭さん。
「あるある。wainai君、こないだなんか、一時間も早くここに着いてヒマそうにしてたもの」
「あの時の私は、どうやって時間をつぶすか、必死こいてた、っていうか」
講頭さん。
「あはははは。そういう時もあるから、余り気にはしない方が良いよ。でも今日、約束したように、なるべく今度からは、時間をちゃんと守って、少なくともお寺に間に合うように、十分から二十分前を見計らって家を出て来るんだよ。約束だよ!!」
これで、雨降って地固まる、で、今日は非常に暖かな快晴だったが、私達の間柄もより引き締まり、信徒間の結束力が穏やかにたおやかにしっかりとして一段と強固で強くなった気がした。
それら、我ら日蓮正宗信徒同志のさり気ない優しさの指導を講頭さんから受けて胸にいだき、誇らしげに優越・愉悦に浸りつつ、私は本日、無事に家路に就いたのでした。
以上。よしなに。wainaiより、講頭さんの情けに深く感じ入り感激が思い余ってしまい、長文失礼、方々。