Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

昨日の福祉事業所の送迎の帰りの車中に於いてー日本宗教論。長文失礼

2025年03月05日 12時00分51秒 | 爾前権教、邪宗伝統仏教、邪教神社寺社、及び新興宗教
 昨日の福祉事業所による、七人乗りの帰りの車中に於いて、こんな話題があった。
 それは、或る障碍者養護学校の人は病状重く、大抵始終声などを発していて、手がつけられない。しかし中にはまるきり押し黙っていて、そういう子は可愛いと。
 これは障碍者としての扱い易さの観点からのみ見つめた話である。
 それから話は飛んで、或る以前の利用者さんの話となった。
 その人は、或る宗教(おそらく私が考える所ではイスラム教か?)に属してて、定時刻になると祈祷、お祈りが始まるのだという。
 それに対して、車内の女子(と言っても中年年増女性)達を中心に「イヤだわ!」と言った、ステレオタイプな反応でその場は埋め尽くされた。
 私はこれに一沫の不満、違和感を懐いた。
 人が何を信じようが自由である。しかし、私は現在、伝統仏教の日蓮正宗の信徒だが、いずれの他教も邪教と喝破し見抜き「紛らわしくば実教よりこれを責むべし」(宗祖日蓮大聖人御書)の御金言通りに信じ生き抜く関係上立場上、余り他教には好ましくなく、与したくもないが、憲法が定める「信教の自由」これには私としても絶対的に従うものである。
 それに鑑みると、世界史の流れからしても、この職員さんの御意見、それのその取り巻きの女性達の過剰なる反応は、宗教性の自由度を狭め、制限をこれに加えるものに他ならないと考える。
 驚くべきは、これが一般的日本人の正直な率直な反応、心の反映だと思われ得る点である。
 一般に日本人とは、皆、おしなべて無宗教であり、特定の信仰を持たない、と言われる。
 巷間言われる様に、正月一月は寺社仏閣での初詣。結婚式はキリスト教式、或いは最近では廃れて来たが神社神道式のそれ。お葬式は爾前権教の仏式の葬式仏教の坊さんによるそれ。クリスマスはキリスト教会で。お盆彼岸は仏教で。
 無宗教と自身を隠れ蓑にしつつ、日本人は確実に宗教性を帯びてしまっている。
 これは、或る、私の主宰する動画サイトYouTubeに於いて、皇室を祖とする神社神道というものは、一切の宗教性は全く無関係である、ただの一習慣に過ぎない、との珍説の思考の持ち主に出会ったが、大体がそれらの一切合切、全てが虚妄の詭弁である。それらを自信漲らせて強弁するだけ自身の一般的に判ぜられる恥、無知を非情無情にも世間にさらけ出している。
 かつて、その様な言説を述べ並べた日本の神道擁護学者等がかつていて、それに倣って自身をなぞらえたのだろうが、私は現代では否定された幼稚な論拠であると考える。
 その実まず、何者かに手を合わせている行為を示したその時点で、これは立派な宗教と判ぜられ得るものである。それもこれも立派な外道宗教である❗
 この人は、自分の外道宗教を、何か人々の習俗習慣、伝統文化の「文化」の一端になぞらえて、それで良しとしている、キリスト教の二重人格・偽善性の体質にも負けず劣らずの「偽善者」である。すべてを「伝統文化」の四字で誤魔化している。だから空虚な詭弁と申すのである。或いは本当に宗教に無知無学なのか?!
 それはさておき、日蓮正宗の御教えには、これら、御本仏宗祖日蓮大聖人様直伝の御指南、キリスト教神社神道新興宗教の類への批判原理の「五重の相対」の第一番の段階の初歩の初歩、宗教初心者が先ずは学び通るべき道の一つの「内外相対」があり、そこで外道の神様信仰などが木っ端微塵に退けられ、内道の仏教を優とする。
 こんな初歩で迷っているのは、下等宗教の証拠、証しである。
 ここに挙げたのは一例に過ぎず、五重の相対にはまだ後、この上に高く異なる四つもの段階を踏まなければ、日蓮正宗の深甚の御教えには到達出来ない、という事になる❗
 世の中には宗教宗派がそれこそ何万何十万とある。それはこの日本国内に限ってもそうなのである。これが世界中となれば天文学的数字か。
 しかし、日本の宗教団体数の異常な多さは目を見張る。まさしく無宗教を自認する日本人が、である。
 それら宗教の一々には、それぞれ、高低浅深の教えの差別が確実に厳然と存する。
 けれども、例えそれらの内の神様信仰であっても、特にインドの神々、四大天王、十羅刹女、鬼子母神等の善鬼の類、日本の天照大神、八幡大菩薩等々、インドの神に戻ると、大梵天王、帝釈天王、太陽系天体恒星惑星の神々、大日天王、大月天王、大明星天王等、「法華経」の守護をお誓いする神々には、我々日蓮正宗の信徒も朝の勤行の五座の内の初座に於いて、名目上、御本尊様から素直に向き直り、日が昇る東天に向かって大いに御利益・法味倍増の祈りを捧げる。最大限に、神々には我らからも最敬礼で礼儀仁義を尽くす。
 これこそがまさしく、神天上の法門時代に於ける、神々に対する、我々をも守護して頂ける、諸天善神への祈りの正式な捧げ方に他ならぬのである。
 この際、何も歴史上の神々だけが諸天善神の神とは限らず。一般人、人間をも神への変化に認め含め得るのだ。
 常日頃、法華経の行者、地湧の菩薩の眷属たる我ら日蓮正宗法華講信徒一人一人を守って下さる方々人々、今現実に存在する人間ですら、有力者であろうが最も小さき者であろうが、守って下さる相手が邪教であろうとなかろうと、私達のお味方は、皆全てが神に成り代わって諸天善神となり得る一貫した論理性。
 これは今まで日蓮正宗末寺のお寺でも御住職様からもそうだとの御説法を過去現在御聴聞して来たし、今の我らが講頭さんからもその様に御教えを今に至るまで深甚に御教説伺い承っている。
 詰まり、邪教信者であろうと正宗信徒であろうと、自身の味方はみんな、諸天善神。先程から申し上げている様に、人から神に成り代わった貴重な存在なのだ。
 それを、特に正宗信徒を代表とする、プラス邪教信者も、善知識と言えるのか。おそらく善知識とはこれは正宗信徒に限られ得るのであろう。邪教信者に御教えの全てを担保する事は出来ぬであろうから。その善知識の代理人位の地位にはなれるのかも知れない。うちの御住職様にこれは聞いてみないとハッキリとした事は全く判らない。この御法門に詳しい方が御住職様である故。
 その他、下世話な事だが、邪宗教の、世を惑わす、旧統一教会、公明党の集票マシーンの創価学会、強引な勧誘監禁で公安調査庁にマークされその厳重な監視下に置かれた危険思想の顕正会、等々、セクトカルトの強引な集金システムにより、いずれも暴力宗教による邪教に世の中の一般民衆の多くが塗炭の苦悩に喘いでいる。
 しかし、日本の一般大衆の、宗教に対し関してかようなる無知蒙昧ぶりが、今日の日本宗教界の現状の大悲劇を招いて来たとは言えまいか?
 いわば、その全責任は何も知らぬ、宗教に対して不勉強だった、全日本国民に及ぶのである。勝手に次第に邪教に騙されて行く構図。
 これを覚ってこれを思うに、宗教の無知とは全くもってしても恐ろしい話だ。何も知らされていないのだから。
 日本人の宗教音痴ぶりは、宗教慣れした世界各国民と見比べ聞き比べても非常に幼稚で危険で脆弱な状態にあり、宗教に対するイメージが常に観念的で夢想的感情的情緒的でもろいのである。
 宗教の知識に疎く弱いとどうなるか?安易に安きに流れる感が否めない。世の中の上記前記に挙げた正宗以外の悪徳セクトカルト宗教に汚染され、簡単に騙されてしまった、という負い目を国民全体皆が背負っている。日本国内に限らず、洋の東西を当然問わずにである。日本に及ぼした近例では何度も言うが韓国系キリスト教異端新興宗教旧統一教会問題が代表的悪例だ。

 それらを勘案するに、真の意味での、日蓮正宗の一国一天四海本因妙広宣流布は、非常なる遠大なる道のりだとこれは考え判ずる次第。
 
 この文初めの話に戻れば、福祉事業所施設送迎車内のありきたりな出来事を通して、この国のかたち、一般人の宗教アレルギー、及び、宗教的無知が、何としてでも解消され得る日が早期に訪れてくれる事を望む。

 正直な話、三月五日水曜日の正午から午後への時間帯の推移の少し昼下がりのコーヒー不足の眠気に襲われた最中の正に私の文章書き物の移ろいの経過のいきさつを綴った今日の一日であったまでであります。

以上。よしなに。wainai (性懲りもなく、福祉事業所からの送信です。長文失礼。)

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